第五十三話 王冠を戴かない摂政
一年目の終わりに、貴族院はノア殿下の正式即位を求めた。
理由は明快だった。
摂政としての統治は安定している。
神殿改革も進み、証言布制度も大きな混乱なく運用されている。
王位を空けたままにするより、ノア殿下が王冠を戴く方が国は安心する。
民衆の支持も高い。
瓦版では、彼は「白い法の王」と呼ばれ始めていた。
本人はその呼び名を嫌がっている。
「王ではありません」
何度も訂正していた。
しかし、議論は避けられない。
王冠を戴くか。
摂政として任期を続けるか。
新王候補を別に探すか。
王宮の会議で、ノア殿下は静かに言った。
「私は、現時点で王位を受けません」
会議室がざわめく。
「理由は三つあります。第一に、王位継承法の改正がまだ完了していない。第二に、証言布制度の監査が一年分しかなく、王冠の証言布が長期的にどう機能するか未確認である。第三に、私自身が王位を受ける必要性と、王位を受けたいという意思を十分に分けられていない」
最後の理由に、貴族たちは困惑した。
王になりたいかどうかなど、普通は公の場で言わないのだろう。
でも、私はその言葉を聞いて、胸が温かくなった。
彼は自分の罪ではないものを識別している。
姉を守れなかった悔い、兄を裁いた痛み、国の安定への責任。それらを王冠で一つにまとめようとしていない。
貴族院議長が言った。
「しかし摂政殿下。国民は安定を求めています」
「安定のために急いで王冠を戴けば、また王冠に個人の傷を縫い込むことになります」
ノア殿下は答えた。
「王冠は、人の傷を隠すための布ではありません」
その言葉に、会議室は静まった。
結局、摂政任期は予定通り二年とし、その後に王位継承会議を開くことが再確認された。
ノア殿下は王冠を戴かなかった。
逃げたのではない。
戴かない責任を選んだ。
会議後、私は彼に言った。
「お疲れさまでした」
「非常に疲れました」
「スープですか」
「今日は甘いココアを希望します」
私は少し驚いた。
「甘すぎると言っていたのに」
「今日は甘すぎるものが必要です」
その正直さが嬉しかった。
法衣院の厨房で改良されたココアは、以前より飲みやすくなっていた。私の前世の記憶に完全に一致するわけではない。それでも、近い。
ノア殿下は一口飲み、真面目に言った。
「これは、疲労時の法定飲料にしてもよいかもしれません」
「法にしないでください」
「冗談です」
「殿下が冗談を」
「練習中です」
私たちは笑った。
その笑いは、王冠から遠い場所にある。
でも、国を縫い直す人にも、そういう場所が必要なのだと思う。




