第五十話 白手袋の裁定
ヴァレンヌ侯爵の裁定は、半年かけて準備された。
彼は最後まで直接命令を認めなかった。
黒い紙の版木は家令が勝手に作った。
赦罪帳簿の写しは先祖が保管したもの。
神殿への資金提供は慈善。
証言布制度への反対は、健全な政治的意見。
一つ一つは逃げ道を作れる言い分だった。
だが、半年の間に、法衣院は逃げ道の端を縫い留めた。
印刷工房の帳簿。
家令の証言。
侯爵家から神殿残党へ流れた資金。
黒い紙の文案が書かれた下書き。
そして、侯爵本人の白手袋。
手袋には、黒い紙の版木に使われた特殊なインクの微細な染みが残っていた。
侯爵はそれを見て、初めて顔色を変えた。
「手袋など、使用人が触れたかもしれない」
ティナが証言台に立った。
彼女は王冠の証言布を縫った針子として、今では布と糸の鑑定官でもある。
「この手袋は、侯爵閣下の右手の癖で指先が伸びています。使用人が短時間触れたものではありません。また、インク染みは人差し指と親指の内側にあります。版木を押さえた時につく位置です」
侯爵は沈黙した。
白布が縫う。
ヴァレンヌ侯爵、黒紙扇動文の版木作成現場に同席。文案承認。神殿残党への資金提供認識あり。
大裁定室がざわめく。
侯爵は手袋を見つめていた。
白い手袋は、彼が何十年も汚さずにいた象徴だったのだろう。
その手袋が、彼を裏切った。
ノア殿下が尋ねる。
「侯爵。証言はありますか」
侯爵はしばらく黙っていた。
それから、乾いた笑いを漏らした。
「私は、秩序を守ろうとしただけだ」
半年前のグラシアンと似た言葉だった。
「白い布の制度が広がれば、貴族は使用人に命じることもできなくなる。領地経営は細かい汚れ仕事で成り立っている。すべてを布に縫われては、誰も統治などできぬ」
ノア殿下は冷静に答えた。
「汚れ仕事の定義を確認しましょう。命令責任を部下へ押しつけることですか。寄進で罪を消すことですか。証人を黙らせることですか」
侯爵の顔が歪む。
「若造が」
「摂政としてではなく、裁定官として問うています」
侯爵は私を見る。
「ルシア・ベルネット。あなたのような小娘が、貴族社会を清潔にできると思うな。布は必ず汚れる。人は必ず抜け道を作る」
「そうかもしれません」
私は答えた。
「だから、洗います。点検します。ほつれたら縫い直します」
ティナが小さくうなずく。
「汚れるから白い布は無意味だというなら、黒い布で隠すより、汚れを見えるようにする方を選びます」
侯爵は何も言わなかった。
判決は、爵位停止、貴族院議席剥奪、罰金、神殿残党資金提供に関する追加審理、証言布制度妨害による公職追放。
彼もまた処刑ではない。
だが、彼にとっては白手袋を外されることが最も重い罰だったかもしれない。
裁定後、ティナは証拠の手袋を箱に入れながら言った。
「手袋も洗えばよかったのに」
「洗えば落ちたのですか」
「染みは残ります。でも、早く洗えば薄くはなります」
彼女は私を見た。
「罪も、たぶん同じです。早く認めた方が、布は傷みにくい」
針子の言葉は、いつも短くて深い。
白手袋の裁定により、貴族院の反対派は大きく力を失った。
証言布制度は、完全ではない。
でも、最初の大きな妨害を乗り越えた。




