第四十五話 ヴァレンヌ侯爵の白手袋
黒い紙の出所は、すぐには分からなかった。
神殿残党の筆跡に似せているが、紙質が高すぎる。王都の印刷工房を調べると、注文主は偽名。支払いは金貨で、使いの男は顔を隠していた。
しかし、証言布制度に反対する貴族を調べるうちに、一つの名が浮かんだ。
ヴァレンヌ侯爵。
貴族院の重鎮で、赦罪帳簿にも何度も名が出ている。ただし、直接の重罪ではなく、家人の不祥事を寄進で処理した記録が多い。
彼は公の場では改革に賛成していた。
だが、裏では証言布制度の骨抜きを狙っている可能性がある。
ノア殿下は私に言った。
「侯爵は老獪です。自分の手は汚しません」
「白手袋ですか」
「そう呼ばれています。何をしても手袋は汚れない」
その表現に、私は少し嫌な気持ちになった。
罪を直接行わず、誰かにさせる。
汚れた手袋は捨てればいい。
まさに赦罪制度と相性のいい人だ。
ヴァレンヌ侯爵は、証言布制度審議会に出席した。
白い手袋をはめ、銀髪を整え、穏やかな笑みを浮かべている。
「摂政殿下。私は改革に反対しているわけではありません。ただ、性急な制度化は危険だと申し上げているのです」
「具体的には」
「証言布の管理権を、法衣院だけでなく貴族院にも分けるべきでしょう。権力の集中を防ぐためです」
一見、もっともらしい。
しかし貴族院に管理権を分ければ、証言布は貴族の圧力を受ける。
侯爵は続けた。
「また、平民の証言布と貴族の証言布を同列に扱うのは、社会秩序を乱します。証言能力には教育と身分が関わる」
リディアが傍聴席で小さく舌打ちした。
私は証縫官として記録布の前に座っている。
布はまだ光らない。
侯爵の発言は意見であって、虚偽ではないからだ。
だから厄介だ。
彼は嘘ではなく、制度の穴を作ろうとしている。
ノア殿下が言う。
「証言能力は、身分ではなく見聞と記録によって判断されます。これは王宮裁定で確認済みです」
「王宮裁定は特殊事例です」
「王妃毒殺と赦罪制度の中核を扱った裁定です。特殊であると同時に、制度設計の基準でもあります」
侯爵は微笑む。
「摂政殿下は、白い布の女に随分信頼を置いておられる」
会議室の空気が冷えた。
個人攻撃だ。
ノア殿下の目が鋭くなる。
私は彼が反論する前に、発言許可を求めた。
「許可します」
ノア殿下は少しだけ不満そうだが、承認した。
私は侯爵を見た。
「ヴァレンヌ侯爵。私個人への不安を制度上の懸念として扱うなら、具体的な権限制限案を提示してください」
侯爵の笑みがわずかに固まる。
「ほう。では、証縫官が摂政と個人的関係を持つ場合、裁定に関与すべきではない、という案はいかがかな」
会議室がざわめく。
胸が熱くなった。
恥ずかしさではなく、怒りだ。
ノア殿下との関係を利用して、私の職務を否定しようとしている。
けれど、完全に無視できる論点でもない。
権力者と証縫官の個人的関係は、利害相反になり得る。
「合理的な部分があります」
私が言うと、侯爵は意外そうに眉を上げた。
「摂政殿下および王族に直接関わる裁定では、私一人の布ではなく、複数証縫官と外部記録官の立ち会いを義務づけるべきです。将来的に、証縫官と裁定権者の個人的関係について申告制度を設ける必要もあります」
侯爵の笑みが消えた。
攻撃を制度に変える。
それが、今の私にできる反撃だ。
ノア殿下も即座に言った。
「その案を採用しましょう。証縫官ルシアの提案として記録を」
記録布に透明な文字が浮かぶ。
利害関係申告制度、提案成立。
侯爵は舌打ちしそうな顔を隠し、白手袋の指を組んだ。
「さすが、証縫官殿。では、黒い紙の件についても、自らの潔白を証明なさるべきでは?」
「私は黒い紙の作成に関与していません」
白布は動かない。
真実だ。
侯爵は微笑む。
「布が沈黙すれば潔白とは、便利ですな」
その瞬間、別の白布が光った。
ティナが持っていた紙質鑑定布だ。
黒紙使用紙、ヴァレンヌ侯爵家御用達工房の特注紙と一致。
会議室が静まる。
ティナはにっこりした。
「布は紙のことも覚えています」
侯爵の顔から血の気が引いた。
ノア殿下が冷静に命じる。
「ヴァレンヌ侯爵家および御用達工房の捜査令状を申請します」
白手袋は、ようやく汚れ始めた。




