第四十四話 白い布の女
黒い紙の噂は、半日で王都中へ広がった。
白い布の女が王弟を操っている。
王冠から黙罪布を外したのは、白証布で王を支配するためだ。
証言布は便利すぎる。次は誰もが布に裁かれる。
ルシア・ベルネットは新しい神殿を作ろうとしている。
悪意のある噂は、事実を少しだけ混ぜる。
私はノア殿下、いえ摂政殿下に近い。白証布は強い力を持つ。証言布制度は、確かに権力者を縛るだけでなく、使い方を誤れば人を追い詰める可能性もある。
完全な嘘なら、白布で縫えばいい。
でも、不安は嘘ではない。
だから厄介だった。
法衣院の会議室で、バルテル副院長は黒い紙を机に置いた。
「扇動文としてはよくできています。恐怖の焦点を一人に絞り、制度への不安を人格攻撃に変えている」
リュシーが紙を読んで眉をひそめる。
「泣き落としより陰湿ね」
「神殿残党でしょうか」
「一部はそうでしょう。ただ、貴族院内にも証言布制度を嫌う者は多い」
ノア殿下は摂政として王宮にいる時間が増えたが、この件ではすぐ法衣院へ来た。
「ルシア嬢を一時的に表から下げる案があります」
その言葉に、私は顔を上げた。
「隠れるということですか」
「安全確保としては有効です」
「でも、噂を認めたように見えます」
「そうです」
ノア殿下は認めた。
「だから迷っています。あなたを危険に晒したくない。しかし、あなたを隠せば、証言布制度そのものが後ろ暗いものに見える」
彼の顔には、摂政としての判断と、個人的な心配が同時に浮かんでいる。
以前なら、私は彼の心配を軽くするために身を引いたかもしれない。
ご迷惑をかけてごめんなさい。私が表に出なければ。
でも、それはまた自分を布にすることだ。
「私は、公開説明会を開きたいです」
会議室が静まる。
「証言布制度の危険性も含めて説明します。私一人の力ではなく、複数証人、記録保全、発動制限、異議申立ての手続きを公開する。白証布が絶対ではないことも言います」
バルテル副院長がうなずく。
「正面から制度不安に答えるわけですな」
「はい。私は操っていない、とだけ言っても不十分です。操れない仕組みにすることを示す必要があります」
ノア殿下は私を見た。
「危険です。説明会は妨害される可能性がある」
「分かっています」
「また分かっています、ですか」
「でも、今回は一人で行きません」
私は会議室を見た。
ティナ、マリエ、リュシー、リディア、バルテル副院長。皆がいる。
「証言布制度は、私一人の布ではありません。それを見せます」
ノア殿下は長く沈黙した。
やがて言った。
「摂政として、公開説明会を承認します。個人としては、あなたのそばにいたい」
会議室の空気が変わった。
リュシーがわざと咳払いをする。
私は頬が熱くなるのを感じた。
「摂政殿下がそばにいると、操っているという噂が強まります」
「分かっています」
「だから、法的警備だけお願いします」
ノア殿下は少し不満そうだった。
「合理的です」
「ありがとうございます」
公開説明会は、法衣院前の広場で行われた。
集まった人々の中には、支持者もいれば、疑いの目を向ける者もいる。黒い紙を掲げる者もいた。
私は壇上に立ち、白い証言布を一枚だけ机に置いた。
今日は罪状ドレスを着ていない。
灰色の証縫官服だけだ。
「証言布は、神の裁きではありません」
私は最初にそう言った。
「証言布は、証拠と証言を記録する道具です。白証布が縫った文字も、必ず人が確認し、異議を申し立てる機会を設けます。布だけで人を罰することはありません」
人々が静まる。
「また、証言布は私一人が扱うものではありません。証人本人の布、記録係の布、裁定官の布を分け、発動記録を残します。証縫官も罷免され得ます」
黒い紙を持った男が叫んだ。
「嘘だ! 白い布が王を退位させた!」
私はその男を見た。
「白い布だけではありません。王太后、元国王本人、王太子、王妃付き侍女、神殿候補者、赦罪帳簿、謝罪状、すべての証言と証拠がありました」
「布がなければ証言など出なかった!」
「そうかもしれません」
私が認めると、群衆がざわついた。
「だからこそ、布の使い方を公開し、制限します。強い道具を隠せば、黙罪布と同じになります」
男は言葉に詰まった。
別の女性が声を上げた。
「もし布が間違えたら?」
「異議申立てを受けます。再証言、物証確認、複数布照合を行います。白証布の文字も、裁定の出発点であって終点ではありません」
その答えは、すっきりするものではない。
でも、すっきりしすぎる答えは危険だ。
リディアが壇上に上がった。
「私は十年、黒い布に黙らされました。だから、白い布も怖いという気持ちは分かる。でも怖いから隠すと、また誰かが地下室を作る」
リュシーも続く。
「私は涙で人を動かす訓練を受けました。だから、道具が人を操る怖さを知っています。証言布を新しい神殿にしないために、私も監視する側に立ちます」
ティナが布の端を見せた。
「布は破れます。汚れます。縫い目も間違えます。だから点検します。人も制度も同じです」
針子の言葉は、妙に説得力があった。
説明会の終わり、黒い紙を持っていた男の一人が紙を下ろした。
完全に納得したわけではないだろう。
でも、疑いを口にできる場を作れた。
それだけでも、黙罪布とは違う。
説明会後、ノア殿下が壇の裏で待っていた。
「見事でした」
「怖かったです」
「知っています」
「でも、隠れなくてよかった」
「はい」
彼は少しだけ手を伸ばし、途中で止めた。
「触れても?」
私はうなずいた。
彼の手が、私の肩の布をそっと直した。
それだけの接触だった。
でも、黒い紙の冷たさが少し薄れた。




