第三十四話 神殿は謝らない
大司祭グラシアンは、拘束されても謝らなかった。
法務院地下の大裁定室で、彼は白い法衣のまま座っていた。手首には魔法封じの枷がある。黒糸巻きはすべて取り上げられ、神殿兵も近衛の監視下にある。
それでも、彼の姿勢は崩れない。
「神殿は、王国の罪を引き受けてきたのです」
彼はそう言った。
「貴族の醜聞、王家の不和、民衆の混乱。すべてを表に出せば、国は乱れる。赦罪制度は、秩序のために必要でした」
傍聴席から怒号が飛ぶ。
四十二人の家族、修道院の被害者、神殿に寄進を強いられた商人たち。
ノア殿下が木槌を打った。
「静粛に」
声は冷静だったが、目は冷たかった。
「大司祭。秩序のために必要だったと主張するなら、なぜ帳簿を隠したのですか」
「民には理解できぬからです」
「理解できぬ仕組みで罪を移された民は、どのように異議を申し立てればよいのですか」
「異議を許せば、赦しは成立しません」
「それは赦しではなく強制です」
グラシアンは微笑んだ。
「法務院長。あなたは言葉にこだわりすぎる。民は真実より安定を求めます。謝罪状を書いた者たちも、家族を守るために納得した者が多い」
私の胸が冷えた。
納得。
その言葉は危険だ。
人は追い詰められると、自分が選んだと思い込む。選択肢が一つしかない時でも、選んだことにして耐えようとする。
前世の私もそうだった。
仕事だから仕方ない。私が謝れば済む。私が我慢すれば場が収まる。
それを納得と呼ぶなら、どんな強制も隠せてしまう。
私は証人席で立ち上がった。
「発言を許可します」
ノア殿下が言う。
私はグラシアンを見た。
「納得した人がいたとしても、それは真実を知らされた上での納得でしたか」
グラシアンの目が細くなる。
「あなたは、また感情論を」
「いいえ。確認です。謝罪状を書いた人たちは、自分が誰の罪を背負うのか、何のために背負うのか、後で名誉回復の機会があるのか、知らされていましたか」
グラシアンは答えない。
白い小布に赤い文字が浮かぶ。
謝罪状作成者の多くは、真の罪人および赦罪帳簿の存在を知らされていない。
傍聴席から低い怒りの声が上がる。
私は続けた。
「それは納得ではありません。情報を奪った上での強制です」
「あなたは、神殿の歴史を知らない」
グラシアンの声が低くなる。
「三百年前、白証布が権力者の罪を暴き続けた時、この国は内乱寸前になった。貴族は互いを告発し、民は領主を疑い、神殿は信徒を失った。人は真実に耐えられない。だから黙罪布が必要になった」
初めて出た、神殿側の理屈だった。
すべてが嘘ではないのかもしれない。
真実は人を傷つける。罪を明らかにすれば、関係は壊れる。国が揺らぐこともある。
でも、それは隠してよい理由にはならない。
ノア殿下が言った。
「内乱を防ぐための制度が、王妃毒殺と証人監禁を正当化することはありません」
「王妃は国を壊そうとした」
その瞬間、白い布が激しく赤くなった。
虚偽。王妃エレナの目的、赦罪制度の公開調査および停止。
グラシアンの顔が歪む。
「布が何だ。布が神を裁くのか」
リュシーが傍聴席で立ち上がった。
「神じゃないわ。あなたを裁くの」
ノア殿下が彼女を見る。
「証人リュシー。発言は許可後に」
「すみません。これは私の不手際です」
リュシーが反射的に言って、すぐに顔をしかめた。
「違う、謝る必要なかった」
傍聴席の一部から、小さな笑いが漏れた。
彼女は赤くなりながら座った。
グラシアンはその笑いを嫌悪の目で見た。
「聖女候補が、なんという醜態」
リュシーは今度こそ許可を待ち、ノア殿下が頷くと立ち上がった。
「私はもう聖女候補ではありません。リュシー・アンベルです。あなたが奪った名前で、あなたを証言します」
彼女の白布に赤い文字が走る。
証人リュシー・アンベル、自己名確認。
リュシーは続けた。
「神殿は私に、泣けば人は罪悪感を持つと教えました。許しますと言えば相手は黙ると教えました。今思うと、あなたたちは神を信じていなかった。ただ人の弱さを知っていただけ」
グラシアンは無言だった。
リディアも証言した。
「私は十年、謝罪の声を聞かされました。最初の一年は、自分が悪いのだと思いました。二年目は、悪いと思った方が楽だと思いました。三年目からは、名前を忘れそうになりました。それを納得と呼ぶなら、あなたの神はずいぶん残酷ね」
大裁定室は静まり返った。
グラシアンは最後まで謝らなかった。
その態度に、怒りを覚える人も多かった。
けれど、ノア殿下は淡々と記録を積み上げた。
王妃毒殺の指示。
赦罪帳簿の運用。
謝罪状の焼却。
候補者の本名剥奪。
リディアの監禁。
リュシーへの罪移し訓練。
祝賀会事件への関与。
王宮武力介入。
罪は、謝罪がなくても存在する。
反省しない相手にも、法は向き合わなければならない。
裁定が終わる頃、私の白布に一行が浮かんだ。
謝罪なき罪状、確定可能。
私はその文字を見て、深く息を吐いた。
謝罪は大切だ。
でも、謝らない相手を待ち続ける必要はない。
罪は、証拠と証言で置くこともできる。
それもまた、私に必要な練習だった。




