第二十六話 王太子派の蜂起
裁定室の外で、剣がぶつかる音がした。
王太子派の近衛と神殿兵が、法衣院側の近衛を押し込んでいる。扉は黒糸で封じられ、外の状況は見えない。けれど、怒号と金属音だけで充分だった。
グラシアンは混乱の中でも微笑んでいた。
「王家の秩序を乱す者を排除するだけです。王太子殿下、こちらへ」
ダミアン殿下は立ち上がった。
涙の跡が残る顔で、グラシアンを見る。
彼は迷っている。
十三年前の自分は利用された。今もまた利用されようとしている。それを分かっていても、王太子として立つしかないという呪いが彼を縛っている。
ノア殿下が前に出た。
「ダミアン、動くな」
「命令するな!」
ダミアン殿下は叫んだ。
「私は王太子だ! 叔父上ではない! ルシアでもない! 誰も私から王冠を奪うな!」
王冠。
彼にとって、それは権力であり、母を失った後に残された唯一の意味なのだろう。
でも、王冠は人を救うためのものではない。
少なくとも、黙罪布の縫い込まれた王冠は。
黒糸が床を走り、ダミアン殿下の足元から王冠へ向かう。国王陛下の王冠が黒く光った。
国王陛下は苦しそうに頭を押さえる。
「やめろ、グラシアン。ダミアンを巻き込むな」
「陛下が十三年前に選ばれた道です」
グラシアンの声は冷たい。
「王家の罪を神殿が沈黙させる。代わりに王家は神殿の赦罪制度を守る。契約は今も有効です」
契約。
王家と神殿は、罪を隠し合ってきた。
その中心に黙罪布がある。
王太后が杖を握りしめる。
「その契約を、私は破棄します」
「王太后陛下に現王の契約破棄権はありません」
グラシアンは即座に返した。
法的にはそうなのだろう。
でも、法は抜け道だけでできているわけではない。
ノア殿下が言った。
「契約が違法な目的で結ばれた場合、無効です」
「証明できますか」
「そのための裁定です」
「裁定室は我々の糸の中です」
グラシアンが手を上げる。
黒糸が壁から伸び、私たちの持つ証拠へ向かう。
帳簿複写、謝罪状、本名布、母の予備布。
証拠を奪う気だ。
ティナが予備布の端を抱え込んだ。
「燃やさせません!」
アイリスも手紙を胸に入れて叫ぶ。
「今度は盗ませないから!」
リュシーが本名布を握り、リディアが担架の上から黒糸に唾を吐く。
マリエは九通の謝罪状を胸に抱き、目を閉じた。
「王妃様。今度は守ります」
私は証言針を握った。
一日三回まで。
今日はすでに何度発動しただろう。
数え方によっては、もう超えている。
でも、ここで止まれば証拠が消える。
自分を燃やさないで。
母の声がする。
同時に、一人で向かわないで、という文字も残っている。
私は周囲を見た。
一人ではない。
だから、私一人の体温で動かす必要はないのかもしれない。
「皆さん」
私は言った。
「自分が見たものだけを、言ってください」
ティナがすぐに叫ぶ。
「私は、黒糸が証拠布を燃やそうとしているのを見ています!」
リュシーが続ける。
「私は、神殿が私の名前を奪ったことを知っています!」
リディアが声を張る。
「私は、赦しの間に十年閉じ込められました!」
マリエが言う。
「私は、王妃様の祝福の杯を見ました!」
アイリスが半泣きで言う。
「私は、お姉様の布を返しました! あと、黒糸がそれを奪おうとしているのを見ています!」
ノア殿下が条文を読み上げる。
「私は、王宮裁定室で黙罪布が証拠保全を妨害していることを記録します!」
声が重なる。
謝罪ではない。
証言だ。
白い予備布が広がり、皆の言葉を糸に変える。
私の体だけではない。証言した全員の小さな熱が、白い布に集まっていく。
黒糸が弾かれた。
グラシアンの顔から余裕が消える。
「素人の証言で、黙罪布が破れるはずがない!」
白い布に文字が走る。
黙罪布は、沈黙を前提とする。複数証言の同時成立により、局所的効力低下。
つまり、皆で話せば、黒布は弱まる。
それは単純で、強い仕組みだった。
罪を隠す布は、沈黙の中で力を持つ。
ならば、沈黙しない人が増えれば、ほどける。
ノア殿下が剣を拾い、黒糸で閉ざされた扉へ向かった。
「ルシア嬢、もう一度だけ合わせてください。外の近衛にこちらの状況を証言糸で届けます」
「はい」
私は証言針を握り直した。
「私は、裁定室内で王太子派と神殿兵による王宮掌握が行われていることを見ています」
ノア殿下が続ける。
「王立法衣院長として、これは違法な武力介入であると記録します」
透明な糸が扉の隙間へ走る。
黒糸が抵抗するが、皆の証言が白い布を支えた。
扉の外へ、赤い文字が浮かぶ。
裁定室内、神殿兵による証拠妨害。王太子派蜂起。法務院長拘束不当。
外の怒号が変わった。
法衣院側の近衛が、一斉に声を上げる。
情報が届いたのだ。
扉の外で戦況が逆転し始める。
グラシアンはダミアン殿下の腕を掴んだ。
「殿下、今こそ宣言を。王弟と魔女が王家を乗っ取ろうとしていると」
ダミアン殿下は震えていた。
その目は、私とノア殿下と、国王陛下と王冠を順に見る。
彼はまだ選んでいない。
過去の被害者として泣くか。
現在の加害者として王冠を求めるか。
それとも、別の道を選ぶか。
私は言った。
「ダミアン殿下」
彼が私を見る。
「あなたの傷は、あなたのものです。でも、王冠で隠せば、また誰かに血が流れます」
ダミアン殿下の顔が歪む。
グラシアンが叫ぶ。
「聞くな、殿下!」
その瞬間、ダミアン殿下はグラシアンの手を振りほどいた。
「黙れ」
短い言葉だった。
王太子の声だった。
そして、初めて自分で選んだ声だった。




