表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪会場で「ごめんなさい」と謝ったら、王太子の罪状がドレスに刺繍されました ~濡れ衣令嬢の謝罪は、本当の犯人だけを縫い上げる~  作者: 小竹X


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/66

第二十五話 白百合の記憶

 ダミアン殿下は、まるで夢遊病者のように裁定室へ入ってきた。


 足取りは不安定で、目の焦点も合っていない。王太子としての尊大さは消え、五歳の子どもの影がそのまま大人の体に残っているようだった。


 ノア殿下が鋭く言った。


「誰が東塔から出した」


 グラシアンは穏やかに答える。


「王太子殿下は王家の方です。神殿は、迷える御子を導いただけ」


「拘束命令違反です」


「黙罪布の下で、その言葉に意味があるとお思いですか」


 グラシアンは祈祷書へ手を伸ばした。


 ダミアン殿下は抵抗しない。


 白百合の押し花が頁からこぼれ落ちる。


 その瞬間、裁定室の空気が白く霞んだ。


 記憶が開く。


 私はそう感じた。


 白証布が勝手に震え、赤い文字ではなく、薄い映像を布の上に映し始める。


 五歳のダミアン殿下。


 小さな手に、白百合の花束を抱えている。王宮の廊下を歩きながら、何度も花を落としそうになっている。隣には若い司祭オルド。後ろにはグラシアン。


 幼いダミアンは言う。


『母上、喜ぶ?』


 オルドが微笑む。


『もちろんです。王妃様は、王太子殿下のお見舞いを何より喜ばれます』


 花束の中に、小さな黒い糸袋が隠されていた。


 五歳の子どもには分からない。


 彼はただ、病気だと聞かされた母に花を届けた。


 映像の中の王妃エレナは、寝台に座っていた。


 顔色は悪いが、微笑みは優しい。彼女のお腹はわずかに膨らんでいる。


 ダミアンが花を差し出す。


『母上、早く元気になって』


 王妃は花束を受け取り、息子の頬に触れる。


『ありがとう、ダミアン。あなたは悪くないわ』


 その言葉に、現在のダミアン殿下が膝をついた。


「母上……」


 記憶の中で、王妃は花束の中の黒い糸袋に気づいた。


 一瞬だけ目が変わる。


 けれど、彼女は息子の前で何も言わなかった。ただ、近くに控えていた影法衣師、私の母エレナに視線を送る。


 母は頷く。


 王妃はダミアンを抱きしめた。


『あなたは悪くない。覚えていなくても、いつかその言葉だけは戻ってきますように』


 映像が揺れる。


 次に映ったのは、廊下で泣く幼いダミアンだった。グラシアンが彼の額に白百合を当て、神殿香を焚く。


『王太子殿下。母君は病で亡くなられます。花束のことは、お忘れなさい』


『母上、死ぬの?』


『神の御心です』


 記憶封じがかかる。


 幼いダミアンの目から光が消える。


 映像が消えた。


 裁定室には、誰もすぐに声を出せなかった。


 ダミアン殿下は床に座り込んでいる。


 大人の彼が、五歳の彼の記憶を抱えて壊れそうになっている。


「私は……母上に毒を……?」


 彼の声は掠れていた。


 グラシアンが言う。


「いいえ、殿下。あなたは運んだだけです。罪は、あなたを利用した大人たちにある」


 その言葉は一見正しい。


 けれど、私は背筋が冷たくなった。


 グラシアンは、ダミアン殿下の傷を利用しようとしている。


「そして今、同じ大人たちが、あなたから王位を奪おうとしている。王弟殿下も、ルシア嬢も、あなたを哀れな道具として扱い、王冠から遠ざけようとしている」


「違います」


 私は思わず言った。


 グラシアンの視線が私に向く。


「では、王太子殿下は無罪だと?」


「十三年前の花束については、利用された子どもです」


 私はダミアン殿下を見た。


「でも、祝賀会で私に毒殺未遂の罪を着せようとしたあなたは、大人でした」


 ダミアン殿下の顔が歪む。


「今、それを言うのか」


「今だから言います。あなたの中に被害者の部分があっても、私にしたことは消えません」


「私は……私は、母を殺した子どもだったんだぞ!」


「いいえ。あなたは母上を殺した子どもではありません」


 私は一歩近づいた。


 ノア殿下が警戒するが、止めなかった。


「でも、その傷を理由に、他人を傷つけてよい大人でもありません」


 ダミアン殿下は私を見上げた。


 その目には、怒りと恐怖と、救われたいという願いが混ざっていた。


「君は、私を許さないのか」


 父と同じ問いだった。


 許すか、許さないか。


 私に決めさせ、私の答えで自分の罪の重さを変えようとする問い。


「今は許しません」


 私は言った。


「でも、十三年前のあなたに置かれた罪は、あなたから戻します」


 白い布が光った。


 赤い糸がダミアン殿下の周囲に浮かぶ。


 十三年前、王妃エレナの花束内黒糸袋運搬。運搬者、王太子ダミアン。認識、なし。責任能力、なし。利用者、司祭オルド。指示者、大司祭グラシアン。


 ダミアン殿下はその文字を見て、声を上げて泣いた。


 王太子が裁定室で泣く。


 その光景に、貴族たちは動揺した。


 グラシアンの顔が歪む。


「余計なことを……」


 彼はすぐに切り替えた。


「しかし、祝賀会の件はどうでしょう。王太子殿下は、ルシア嬢を処刑ではなく修道院へ送るつもりだった。神殿が保護し、罪を赦す予定だった。慈悲ある判断です」


 リュシーが笑った。


 冷たい笑いだった。


「修道院へ送る? 名前を奪って、罪の器にするためでしょう」


 リディアも言った。


「永久幽閉を慈悲と呼ぶのは、神殿の悪い癖ね」


 グラシアンは二人を無視し、ダミアン殿下に囁く。


「殿下。王冠を守るのです。あなたが王になれば、過去の罪も、現在の混乱も、すべて収まります」


 ダミアン殿下は涙を拭いた。


 その顔に、再び王太子の傲慢さが戻ろうとしている。


 危険だ。


 傷ついた人は、救いを求める。


 そしてグラシアンは、救いの形をした新しい罪を差し出している。


 ノア殿下が言った。


「ダミアン。王位は傷を癒やす道具ではない」


「叔父上に何が分かる!」


 ダミアン殿下は叫んだ。


「あなたは母上の弟だ。皆があなたを可哀想だと言った。でも私は? 母を失い、記憶を奪われ、父には王冠のために笑えと言われた。私はずっと王太子でいるしかなかった!」


「だからこそ、王太子として責任を取れ」


 ノア殿下の声は厳しかった。


「責任とは、自分の傷を他人に着せないことです」


 その言葉に、ダミアン殿下は固まった。


 けれど、グラシアンが黒い糸を動かす。


 裁定室の扉の外で、金属音が響いた。


 近衛兵の一部が神殿兵と共に動いている。


 王太子派だ。


 グラシアンは笑った。


「裁定はここまでです。王太子殿下をお守りし、王宮を正常化します」


 黒糸が裁定室の扉を閉ざした。


 王宮内で、反乱が始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ