第二十一話 保護される側ではいられない
ノア殿下の拘束が伝わると、法衣院は一瞬で戦場のようになった。
書記たちは証拠目録を複写し、法務官は王宮査察への対抗条文を探し、近衛兵は門を固めた。地下の白糸庫では、赦罪帳簿の原本が三重封印される。
私は会議室の中央に立っていた。
立っているだけで、足が震えた。
戻ります、と言ったノア殿下の声が頭の中で繰り返される。
でも、今は震えている場合ではない。
私は保護される側だった。
断罪会場で、法衣院で、王宮で、ミラー修道院で、何度もノア殿下に守られた。
けれど、彼が拘束された今、私はただ待つだけではいられない。
「王宮へ行きます」
会議室にいた全員がこちらを見た。
副院長の老法衣師バルテルが、すぐに首を横に振る。
「なりません。あなたは最重要証人です。殿下からも保護を最優先するよう命じられております」
「殿下が拘束された理由は、証拠捏造です。白証布の発動者である私が証言しなければ、黙罪布に塗りつぶされます」
「それは分かります。しかし王宮は危険すぎる」
「危険だから、行きます」
自分でも無茶な言い方だと思った。
でも、言葉を止めなかった。
「ノア殿下は、私を証縫官見習いに任命しました。見習いの第一任は、自分の罪ではないものを識別することです。殿下の罪ではないものが殿下に置かれているなら、私はそれを識別しに行きます」
バルテル副院長は目を閉じた。
長い沈黙の後、彼は言った。
「理屈は通っています。だからこそ厄介です」
リュシーが机に手をついた。
「私も行くわ」
「あなたは保護対象です」
女性法務官が言うと、リュシーは本名布を握った。
「私は神殿の罪移しを証言できる。王宮がノア殿下を証拠捏造で裁くなら、神殿が証拠を捏造してきたことを示す証人が必要よ」
リディアも担架の上から手を上げた。
「私も証言するわ。歩けないけど、口は動く」
「リディア様は医師から安静と」
「十年安静にしてたから十分よ」
ティナが泣きそうな顔で言った。
「私も行きます。ルシア様の布が破れたら困ります」
「危険です」
「知ってます。でも、私は針子です。針子が布を置いて逃げたら、仕事になりません」
マリエは何も言わず、九通の謝罪状を布袋に入れた。
「私も参ります。王妃様の侍女として」
会議室の空気が変わっていく。
私は一人で王宮へ殴り込むつもりではなかった。そんな力はない。けれど、皆がそれぞれの理由で立ち上がる。
バルテル副院長は深く息を吐いた。
「法衣院長代理として、王宮への抗議同行団を編成します。名目は、拘束された院長の弁明手続き要求。ルシア嬢は証縫官見習いとして同行。ただし、勝手な発動は禁止」
「はい」
「一日三回までという殿下の条件は継続です」
「はい」
「食事も」
「食べます」
なぜ皆そこを心配するのだろう。
でも、少しだけ笑えた。
準備は急いで進んだ。
赦罪帳簿原本は持ち出せない。代わりに、法的に有効な第三複写と、黒糸から復元された四十二名の名簿を持つ。リディアの本名布、リュシーの本名布、父の証言記録、マリエの謝罪状。
そして、母の証言針。
私は白いドレスの上に、灰色の証縫官見習いの前掛けをつけた。
ティナが袖口を整えながら、手を止めた。
「ルシア様」
「はい」
「怖いですか」
「とても」
「私もです」
「一緒ですね」
ティナはうなずいた。
「でも、ルシア様が謝らない練習をしているから、私も逃げない練習をします」
その言葉に、胸が詰まった。
私の練習が、誰かの練習になっている。
それは責任でもあり、力でもあった。
法衣院の門を出ると、外にはまた人だかりがあった。
今度は昨日より多い。
瓦版屋が叫ぶ。
「王弟殿下が拘束されたとの噂は本当ですか!」
「法衣院は反逆罪に問われるのですか!」
「ルシア様、王宮へ向かわれるのですか!」
私は馬車に乗る前に振り返った。
本当は何も言わずに行くべきかもしれない。
でも、噂は沈黙を嫌う。沈黙を空白と見れば、神殿と王太子派がそこに嘘を縫う。
私は一言だけ言った。
「王弟殿下の罪ではないものを、王弟殿下に置かせません」
ざわめきが広がる。
誰かが拍手した。
小さな音だった。
すぐに止んだが、別の場所でまた一つ鳴った。
謝らない令嬢。
証言する令嬢。
王弟を助けに行く令嬢。
噂はまた形を変えていく。
馬車に乗ると、リュシーが隣で言った。
「あなた、だんだん演説が上手くなってない?」
「必要最低限です」
「それ、ノア殿下みたいな言い方」
私は返事に困った。
リュシーは少し笑い、それから真顔になった。
「助けましょう。あの人、私のことも道具として扱わなかった」
「はい」
「それに、あなたがあの人を失ったら、たぶんまた謝りそう」
「……それは困ります」
「でしょう」
馬車が動き出す。
王宮へ向かう道は、昨日より長く感じた。
けれど今度は、ノア殿下の後ろを歩くのではない。
彼を取り戻すために、私は自分の足で向かっている。




