第十九話 謝らない令嬢の噂
王都へ戻る途中、私たちの馬車は三度止められた。
一度目は、神殿の巡礼団を名乗る一団だった。彼らは道の中央で祈り、法衣院の馬車を通すまいとした。近衛兵が通行妨害として排除しようとすると、彼らは口々に叫んだ。
「聖女様を返せ!」
「呪いの令嬢を裁け!」
「王弟殿下は魔女に惑わされている!」
リュシーは二台目の馬車の中で青ざめていた。
彼女はもうミレーヌ・ラザールではない。少なくとも自分の本名を取り戻した。しかし王都の民にとって、彼女はまだ聖女候補ミレーヌだ。神殿がそう呼び続ければ、彼女の本名は届かない。
二度目は、王太子派の貴族家の従者だった。彼らは礼儀正しく、けれどしつこく、王宮からの追加命令書を示した。
ルシア・ベルネットを王宮保護下へ移送せよ。
ノア殿下は命令書を読み、即座に無効を宣言した。
「発令者が王太子府になっている。王太子は現在、東塔留め置き中です。発令権限はありません」
従者は顔を強張らせたが、引くしかなかった。
三度目は、ただの民衆だった。
彼らは道端に立ち、遠巻きに馬車を見ていた。誰も石を投げない。罵声も浴びせない。ただ、ひそひそと囁く。
白いドレスの令嬢だ。
謝らない令嬢だ。
王太子を刺繍した女だ。
神殿の嘘を縫ったらしい。
噂は変わり始めていた。
呪いの女から、謝らない令嬢へ。
褒められているのか恐れられているのか分からない。けれど、少なくとも「嫉妬に狂った婚約者」だけではなくなっている。
王都の門をくぐる頃には、夕闇が落ちていた。
法衣院の前には、人だかりができていた。記者のように記事札を持つ瓦版屋、貴族の使い、神殿の抗議団、そして何も分からないまま見物に来た人々。
私は馬車の中で外套のフードを深くかぶった。
ノア殿下が隣で言う。
「正面から入る必要はありません。裏門を使います」
「逃げたと思われませんか」
「安全確保です」
「でも、リュシー様の本名布と赦罪帳簿は、公的に運び入れるべきです」
ノア殿下は私を見た。
「今、人前に出れば質問攻めになります。あなたに罵声を浴びせる者もいる」
「分かっています」
「それでも?」
「逃げていないことを見せたいのです」
私は手元の針箱を見た。
「私が逃げているように見えれば、神殿は“やましいから隠れた”と言います。王太子派は“王弟が証人を囲っている”と言います。だから、証拠は堂々と法衣院へ入れます」
「あなたは、広報戦まで学び始めましたか」
「前世のクレーム対応で、初動の見え方が大事だと学びました」
ノア殿下は少しだけ目を細めた。
「では、私が先に降ります。あなたはリュシーとリディアの間に。法務官は帳簿を見える形で持つ。発言は一言だけにしましょう」
「何を言えばいいですか」
「あなたの言葉で」
それが一番難しい。
けれど、一番必要なことでもある。
正門が開いた。
馬車が人だかりの前で止まる。
ノア殿下が降りると、ざわめきが一段大きくなった。次に法務官が黒革の赦罪帳簿を抱えて降りる。帳簿の封印には王立法衣院の白い糸がかけられていた。
リディアは担架で運ばれた。十年監禁されていた五番目の候補。痩せた姿に、見物人のざわめきが変わる。
リュシーが降りた瞬間、神殿側の人々が叫んだ。
「ミレーヌ様!」
「聖女様を返せ!」
リュシーはびくりと肩を震わせた。
私は彼女の隣に立った。
彼女は私を見て、小さく言った。
「怖い」
「私もです」
「あなた、いつも怖いって言うのね」
「怖いので」
リュシーは一瞬だけ笑った。
私は人々の前に出た。
白いドレスは外套の下にある。けれど、今日はフードを外した。顔を隠さない。
瓦版屋が叫ぶ。
「ルシア様! ミラー修道院で何が見つかったのですか!」
「聖女候補は有罪なのですか!」
「王太子殿下への告発は続けるのですか!」
質問が重なる。
謝りそうになる。
騒がせてごめんなさい。答えられなくてごめんなさい。
でも、違う。
私は息を吸った。
「ミラー修道院で、赦罪帳簿と、監禁されていた証言者を発見しました」
声は大きくない。
けれど、人々は静まった。
「私は、私の罪ではないことで謝りません。同じように、他の人に押しつけられた罪も、正しい場所へ戻します」
赤い糸が外套の下で温かくなる。
「詳しい証拠は、王立法衣院が法に従って公開します」
それだけ言って、私は法衣院へ入った。
背後で人々のざわめきが爆発する。
けれど、罵声だけではなかった。
謝らない令嬢だ。
いや、証言する令嬢だ。
罪を戻す布だ。
そんな言葉が、断片的に聞こえた。
法衣院の扉が閉まると、足の力が抜けた。
ノア殿下がすぐに支える。
「一言だけと言ったのに、三文ありました」
「すみ……」
私は口を閉じた。
「訂正します。ありがとうございます」
「どういたしまして」
ノア殿下は真面目に答えた。
リュシーが呆れた顔をする。
「あなたたち、そういう会話をいつもしているの?」
「練習です」
「何の?」
「謝罪以外の言葉の」
リュシーはしばらく私を見て、それから肩をすくめた。
「私も練習した方がよさそうね」
リディアが担架の上で笑った。
「六番、まずは自分の名前から」
リュシーは小さく、しかしはっきり言った。
「リュシーよ」
その言葉を聞いた時、法衣院の空気が少しだけ明るくなった。
けれど、その夜、王宮から急使が来た。
国王陛下が、赦罪帳簿の引き渡しを命じたという。
理由は、王家機密保護。
ノア殿下は命令書を読み、静かに言った。
「王冠が動きました」
戦いは、隠された地下室から、王宮の中心へ移った。




