第十六話 ミラー修道院
ミラー修道院は、美しい場所だった。
白い石壁、青い屋根、手入れされた薬草園。門の上には聖印が掲げられ、庭には水鏡のような池がある。貴族女性の静養施設という説明は、外から見れば疑う余地がない。
けれど、門に近づいた瞬間、私のドレスは冷たくなった。
赤い糸ではなく、白い布そのものが凍るような感覚。
ここには、謝罪が多すぎる。
そう感じた。
修道院長が出迎えた。
灰色の修道服をまとった中年の女性で、名をヘルガという。穏やかな笑みを浮かべているが、目は笑っていなかった。
「王弟殿下。突然のご訪問、光栄でございます」
「事前通達は出しました。王妃エレナ毒殺事件、ならびに赦罪制度に関する捜査です。院内の記録を提出してください」
「恐れながら、ここは神殿管轄の聖域です。世俗の法務官が立ち入るには、大司祭猊下の許可が必要です」
「王妃毒殺に関わる証拠隠滅の疑いがあります。王国法第七十二条により、王族の生命に関わる事件では神殿特権を一時停止できます」
ノア殿下の声は事務的だった。
ヘルガ院長の笑みがわずかに固まる。
「では、せめて女性の祈りの場を乱さぬよう、人数を絞っていただけますか」
「必要な人員のみ入ります」
結果、院内へ入るのはノア殿下、私、ミレーヌ様、マリエ、女性法務官二名、近衛兵二名になった。ティナは馬車に残る予定だったが、私の袖を強く握った。
「ルシア様の作業衣の補修係です。必要人員です」
そう主張して譲らなかった。
ノア殿下は少し考え、許可した。
修道院の廊下は静かだった。
壁には聖女の絵が並び、床は磨かれている。薬草と蝋燭の匂いがする。けれど、どこか息苦しい。音が吸われていくような静けさだった。
ミレーヌ様は顔色を悪くしていた。
「覚えがありますか」
私が小声で尋ねると、彼女は首を振った。
「来たことはないはず。でも、匂いを知っている気がする」
記憶封じ。
神殿は、彼女の本名だけでなく、過去の一部も奪っているのかもしれない。
ヘルガ院長は礼拝堂へ案内しようとしたが、私のドレスが袖口を熱くした。
赤い文字が浮かぶ。
赦しの間、礼拝堂ではない。薬草園の井戸下。
私は立ち止まった。
「薬草園を見せてください」
ヘルガ院長の顔が一瞬だけ強張った。
「今は祈りの時間で、園丁が……」
「見せてください」
私は繰り返した。
謝って頼む必要はない。
ヘルガ院長はノア殿下を見た。殿下は静かにうなずく。
「案内を」
薬草園は美しかった。
毒にも薬にもなる草が、整然と植えられている。中央には古い井戸があり、蓋の上には花鉢が置かれていた。
マリエが井戸を見て、息を呑んだ。
「王宮の薬草庫と同じ配置です」
「同じ?」
「王妃様の薬草は、ここで育てられていたのかもしれません」
ノア殿下が近衛兵に合図する。花鉢がどかされ、井戸の蓋が開けられた。
中は水ではなかった。
石の階段が下へ続いている。
ヘルガ院長が叫んだ。
「そこは古い貯蔵庫です。危険です!」
「では、なおさら確認が必要です」
ノア殿下が先に降りる。
私たちはランプを持ち、階段を下った。
空気が冷たい。
一段降りるごとに、胸が重くなる。白いドレスの赤い刺繍が見えないほど暗いのに、布の中で糸がざわめいているのが分かった。
地下の扉には、黒い糸で封印がされていた。
ミレーヌ様がその糸を見て、手を口に当てる。
「これ、夢で見た」
「どんな夢ですか」
「扉の向こうで、誰かが謝っている。何度も、何度も。わたくしは外にいて、泣き方を練習していた」
ノア殿下が封印札を出す。
黒糸は抵抗したが、白証布の文字が反応した。
封印目的、証言者隔離。対象、候補一番から五番。
候補一番から五番。
ミレーヌ様の前にいた少女たち。
封印が切れ、扉が開く。
中には、広い地下室があった。
壁一面に棚があり、棚には紙束と糸巻きが並んでいる。中央には黒い布をかけた八つの糸車。奥には鉄格子の部屋がいくつもあり、その一つに人影が座っていた。
女性だった。
痩せている。髪は短く切られ、修道服は古い。けれど、顔を上げた時、その瞳はまだ強かった。
ミレーヌ様が震える声で言った。
「五番……?」
女性はミレーヌ様を見て、かすかに笑った。
「六番。あなた、まだ生きていたのね」
その声はかすれていたが、確かに生きている人の声だった。
私のドレスが縫った。
五番目の候補、本名リディア・フォル。十年監禁。証言可能。
リディアは私のドレスを見た。
「白証布……やっと来たの」
その言葉に、地下室の空気が震えた。
八つの糸車の黒い糸が、ぎしりと動いた。
罪を吸った糸が、目覚める音だった。




