第十一話 証縫官見習い
王太子私室から見つかった祈祷書には、白百合の押し花が挟まれていた。
白百合は十三年前のものとは思えないほど形を保っていたが、触れると花弁の端から黒い粉が落ちた。法衣院の鑑定官によれば、それは記憶封じに使われる神殿香の残滓だった。
祈祷書の余白には、五歳の子どもの筆跡で短い言葉が書かれていた。
母上へ。早く元気になってください。
私はその文字を見た時、しばらく声が出なかった。
ダミアン殿下が今の罪で加害者であることは変わらない。
けれど、五歳の彼は母に花を届けただけだった。そこに何が隠されていたのか知らず、記憶を封じられ、母の死の一部にされた。
罪は、絡まっている。
だからこそ、雑に切ってはいけない。
法衣院の会議室で、ノア殿下は祈祷書を封印箱へ入れた。
「これで、十三年前の花束に神殿が関与したことは示せます。ただし、毒そのものの経路はまだ不足している」
「ベルネット伯爵の証言が必要ですね」
「あなたの父君は、昨夜から黙秘しています」
父らしいと思った。
怒鳴る時は大きな声を出すのに、自分の責任になると黙る。
私は自分の手を見つめた。
父に会うのは怖い。
東倉庫での父の顔を思い出すだけで、背中が固くなる。
けれど、怖いまま正しい場所に立つ。それを私は昨日教えてもらった。
「私が会います」
「予想していました」
ノア殿下は溜息をついた。
「ですが、その前に手続きがあります」
「手続き?」
彼は机の上に一枚の任命書を置いた。
王立法衣院、証縫官見習い任命状。
候補者、ルシア・ベルネット。
私は目を瞬いた。
「これは……」
「あなたを単なる参考人のまま動かすには限界があります。証言針を扱い、白証布の発動者であり、王妃毒殺事件の関係者でもある。法衣院の保護下に置くだけでなく、職務権限を与えた方が安全です」
「私に、仕事を?」
「はい。もちろん拒否できます」
拒否できる。
ノア殿下はいつも、その選択肢を残す。
私は任命書の文字を見た。
証縫官見習い。
真実を縫う者。
昨日までの私は、伯爵家の長女で、王太子の婚約者で、謝ることだけが上手な人間だった。今、その肩書きがほどけ、新しい糸が差し出されている。
「見習いになったら、何をするのですか」
「証拠衣の保全、証言布の作成補助、謝罪状の真偽鑑定、裁定室での証言補助。現時点では、あなたにしかできないことが多い」
「失敗したら?」
「見習いは失敗を学ぶ立場です。ただし、危険な仕事は私が止めます」
「過保護です」
「職務です」
「便利な言葉ですね」
ノア殿下は少しだけ目を逸らした。
私は任命書に署名した。
ルシア・ベルネット。
書き慣れた名前なのに、今日は少し違って見える。
署名した瞬間、白いドレスの裾に透明な糸が走った。
証縫官見習い、第一任。自分の罪ではないものを識別すること。
「布にまで見習い扱いされました」
「的確な第一任です」
ノア殿下は真面目に言った。
会議室の扉が開き、ティナが大きな布包みを抱えて入ってきた。
「ルシア様、見習い用の作業衣をお持ちしました!」
作業衣は、淡い灰色の前掛けと袖覆いだった。法衣院の針子が使うもので、胸元に小さな白い糸車の紋が入っている。
「私が着てもいいのですか」
「もちろんです。ルシア様はもう法衣院の人ですから」
法衣院の人。
その言葉に、胸が温かくなった。
ベルネット家では、私はいつも余分な人だった。王宮では、王家の傷を塞ぐ布だった。けれどここでは、仕事を持つ人になれるのかもしれない。
着替えのため、ノア殿下は退室した。
ティナに手伝ってもらいながら作業衣を身につけると、白いドレスの赤い文字は前掛けの下に隠れた。完全に消えるわけではないが、少し呼吸がしやすい。
「似合います」
ティナが言った。
「本当に?」
「はい。令嬢というより、できる職人さんみたいです」
「それは褒め言葉?」
「最高の褒め言葉です」
彼女の笑顔につられて、私も笑った。
会議室に戻ると、ノア殿下が一瞬だけ動きを止めた。
「変ですか」
「いいえ」
「では、なぜ黙ったのですか」
「よく似合っています」
その言い方があまりにまっすぐで、私は返事に困った。
ティナが後ろで小さく咳払いをする。
私は書類を手に取り、話題を戻した。
「それで、父の尋問はいつですか」
「明朝です。場所は法務院地下の小裁定室。あなたには立ち会い権があります。ただし、発言は私が許可した時のみ」
「はい」
「そして、もう一つ」
ノア殿下は別の書類を差し出した。
「ベルネット家から、あなたに面会希望が来ています」
胸が固くなる。
「父ではなく?」
「異母妹のアイリス嬢です」
アイリス。
いつも私を見下ろし、義母と一緒に笑っていた妹。
彼女が何を言いに来るのか、想像できない。謝罪を求めるのか、家のために黙れと言うのか、それとも王太子殿下への取りなしを頼むのか。
私は一瞬、断ろうと思った。
けれど、ドレスの裾が小さく動いた。
アイリス・ベルネットは、母の手紙二通目を所持している。
「え?」
声が出た。
ノア殿下が文字を見る。
「二通目?」
母の手紙は、まだあった。
しかも、それを持っているのはアイリス。
私は作業衣の前掛けを握った。
「会います」
また一つ、謝らない練習が必要な相手だった。




