第十話 東塔の王太子
ダミアン王太子に会うべきだと提案したのは、私だった。
ノア殿下は反対した。
「必要があれば尋問はこちらで行います。あなたが直接会う必要はない」
「でも、十三年前の花束のことを聞きたいのです」
「彼はあなたを傷つける言葉を選ぶでしょう」
「知っています」
「知っていて行くのですか」
「はい」
私は母の針箱を両手で持った。
「今の王太子殿下の罪だけでなく、五歳の王太子殿下が何を運ばされたのかを知りたい。もし利用されていたのなら、それも正しい場所に置くべきです」
ノア殿下は長く黙った。
「あなたは、自分を傷つけた相手にも公平であろうとしすぎる」
「それは悪いことでしょうか」
「悪くはありません。ただ、危うい」
「では、殿下がそばにいてください」
言った瞬間、部屋の空気が止まった。
私は慌てて言い直そうとした。法務上の立ち会いとして、と付け加えるべきだった。けれどノア殿下は、先にうなずいた。
「もちろん」
東塔は王宮の端にある。
王族を処罰前に留める場所で、牢というには豪華だが、自由というには狭い。厚い扉、魔法封じの石壁、窓の外には鉄格子。部屋の中には机と寝台と水差しだけがあった。
ダミアン殿下は椅子に座っていた。
私たちが入ると、彼は笑った。
「今度は叔父上を連れて勝者の顔か、ルシア」
その呼び方に、かつての婚約者としての近さが残っていることが、かえって不快だった。
「王太子殿下。十三年前の王妃様の死について伺います」
「私が五歳の時の話を? 君はついに赤子の罪まで刺繍するつもりか」
「罪を決めるためではありません。事実を確認するためです」
「同じことだ」
ダミアン殿下はノア殿下を見た。
「叔父上もずいぶん変わられた。女のドレスに縫われた文字を信じて、王太子を閉じ込めるとは」
「お前の罪を縫ったのはドレスだが、毒包みは実際に見つかった。側近カイルも一部を認めている」
「カイルは臆病者だ。脅せば何でも言う」
「お前と似ているな」
ノア殿下の声は静かだったが、切れ味があった。
ダミアン殿下の顔が歪む。
「私を侮辱するのか」
「事実を述べています」
私は二人の間に流れる冷たいものを感じた。
叔父と甥。
王妃を姉に持つノア殿下と、王妃の息子であるダミアン殿下。十三年前の死は、この二人を違う形で傷つけている。
「殿下」
私はダミアン殿下に向き直った。
「王妃様が亡くなられた日、あなたは花束を届けたと記録されています。覚えていますか」
ダミアン殿下の表情がわずかに変わった。
「覚えていない」
赤い糸は動かなかった。
嘘ではないのかもしれない。
「花の種類は?」
「覚えていないと言った」
「誰から渡されましたか」
「知らない」
今度は、袖口に細い赤い文字が浮かんだ。
記憶封じ。
ノア殿下が一歩近づく。
「ダミアン、お前の記憶に封印がある」
「何だと?」
「本当に覚えていないのだろう。だが、封じられている」
ダミアン殿下は一瞬だけ動揺した。
けれどすぐに笑い飛ばす。
「またそのドレスか。便利だな。私に不利なことは全部縫ってくれる」
「不利なことだけではありません」
私は言った。
「今、ドレスは殿下が嘘をついていないことも示しました」
ダミアン殿下は黙った。
ノア殿下も少しだけ私を見る。
私は続けた。
「あなたは今の毒殺未遂では加害者です。でも、十三年前の花束では、利用された子どもだった可能性があります。それを確認したいのです」
「……何が目的だ」
「真実を正しい場所に置くことです」
「綺麗事だ」
「そうかもしれません」
私は息を吸った。
「でも、あなたが私にしたことは、正しい場所に置きます。処刑ではなく修道院送りで済ませるつもりだった、というあなたの“慈悲”も」
ダミアン殿下の目が鋭くなる。
「あれはミレーヌが言ったのか」
「広場で」
「あの愚かな女……」
言葉に、私は思わず眉をひそめた。
「彼女はあなたのために罪を移そうとしました」
「私のためではない。自分が王太子妃になりたかっただけだ」
「あなたも、彼女を利用しました」
「利用?」
ダミアン殿下は笑った。
「ルシア、君は何も分かっていない。私はずっと利用されてきた。王太子として生まれ、母を失い、父には王冠のために笑えと言われ、神殿には聖女を娶れと言われた。君との婚約も、ベルネット家を黙らせるためだった」
ベルネット家を黙らせるため。
胸が冷える。
「どういう意味ですか」
「君の母が王妃の法衣師だったからだ。ベルネット家を王家に近づけ、婚約で縛る。君が私の婚約者でいる限り、君の家は王家に逆らえない」
ノア殿下の表情が険しくなる。
「誰から聞いた」
「父上だ。十歳の時に聞かされた。お前の婚約者は、王家の古い傷を塞ぐ布だと」
古い傷を塞ぐ布。
私は笑いそうになった。
私自身が、黙罪布のように扱われていたのだ。
王家の傷を隠すための婚約者。
「では、あなたは知っていて私と婚約を続けたのですね」
「子どもの私に何ができた」
「子どものあなたには、何もできなかったかもしれません」
私は言った。
「でも、祝賀会で私に罪を着せたあなたは、もう子どもではありません」
ダミアン殿下の顔が強張った。
「君は、私を裁くつもりか」
「私ではありません。法が裁きます」
「法など、王冠の下にある」
「では、王冠の裏の布も、法の前に出します」
自分で言って、少し怖くなった。
でも、ノア殿下が隣にいる。
ダミアン殿下は私を見つめ、やがて低く笑った。
「本当に変わったな。昔の君は、私が少し不機嫌な顔をするだけで謝った」
「はい」
「今の君は、嫌いだ」
「私も、以前の私を利用したあなたが嫌いです」
言えた。
嫌い、という言葉は、謝罪よりずっと怖かった。
でも、胸が少し軽くなった。
その時、ダミアン殿下の背後の壁に赤い文字が浮かんだ。
記憶封じの鍵――白百合の押し花。所在――王太子私室、古い祈祷書の中。
ノア殿下がすぐに法務官へ命じた。
「王太子私室を封鎖。祈祷書を捜索しろ」
ダミアン殿下は立ち上がった。
「やめろ! 私の部屋に入るな!」
その反応で、祈祷書に何かがあることは明らかだった。
私たちは東塔を出た。
扉が閉まる直前、ダミアン殿下の声が追ってきた。
「ルシア!」
私は振り返らなかった。
「君は私を見捨てるのか!」
足が止まった。
見捨てる。
その言葉も、私に謝罪を引き出すための刃だった。
私は扉の向こうに向かって言った。
「あなたの罪を、私が背負わないだけです」
今度こそ、歩き出した。




