第25話 アガスティア教団殲滅作戦
山の稜線を切り取るようにして立つ電波塔の頂に、白い影が立っていた。
夜気は鋭く、吹き抜ける風が高所の骨組みを細く鳴らしている。
そのはるか下、木々のあいだから、ひとつの巨大な建物が沈むように横たわっていた。
闇に紛れるようにして造られた、閉ざされた施設。
アガスティア教団本拠地。
「───いよいよだね」
白い影はその全景を見下ろしながら、かすかに口元を歪めた。
***
十二月某日。
冬の空気は鋭く澄み、吐く息は白かった。
街外れの山中。
木々に隠されるようにして建つ巨大な施設を、藤野は少し離れた位置から見上げていた。
古びた宗教施設に見えなくもない外観だったが、近づいてみれば異様さは隠しようがない。石造りを模した外壁のあちこちには新しい補修跡があり、窓は細く少ない。内部を見せる気のない、閉鎖的な建物だった。
アガスティア教団本拠地。
ツキの情報と、これまで追ってきた薬剤流通経路の照合。
それによって、ようやく辿り着いた場所だった。
施設の周囲には、すでに秩序機関の隊員たちが配置についている。
黒い制服に身を包んだ人影が、夜の地面に溶けるように散開していた。
風が吹く。
木々が低く鳴る。
その中で、低く抑えた声が響いた。
「これより、アガスティア教団本拠地への制圧作戦を開始する」
前方に立つ隊員の声に、空気がさらに張りつめる。
「第一班は、天羅木幻一の制圧を最優先とする。目標は生死を問わん。ただし、可能であれば生存確保」
「第二班は幹部格能力者の制圧」
「第三班以下は一般暴走能力者の鎮圧、保護、ならびに周辺被害の抑制にあたれ」
「民間人が確認された場合、速やかに避難誘導を行え」
簡潔で、迷いのない指示だった。
藤野はその声を聞きながら、少しだけ眉をひそめる。
生死を問わん。
そこまで言う相手なのだと、改めて実感させられる。
少し離れた位置で、ルナがじっと施設を見つめていた。
その横にはツキが立っている。深紅の装いではなく、動きやすさを優先した暗い色の服に身を包んでいたが、それでもどこか輪郭だけが夜から浮いて見えた。
朝日奈は腕を組み、珍しく口数少なく前を見ている。
灰薔薇は相変わらず気だるそうな顔をしていたが、その視線は鋭い。
凪沙は藤野の少し隣で、自分の冷えた指先をそっと握りこんでいた。
役割は事前に決まっている。
ボス制圧は、秩序機関の隊長クラスとツキ、ルナ。
幹部格能力者の制圧には、朝日奈、灰薔薇、それに秩序機関側の主力。
一般暴走能力者の鎮圧と保護は一般隊員たちが担う。
そして、藤野と凪沙の役目は避難誘導と支援だった。
表向き、ただの一般人協力者。
少なくとも秩序機関側には、そういう扱いになっている。
藤野自身、それでいいと思っていた。
自分の力を秩序機関に知られたいわけじゃない。
むしろ知られたくない。
今回はあくまで支援。後方にいて、必要なら人を逃がす。それだけだ。
ボス対策は、向こうが最初から組んでいる。
こちらが出る幕じゃない。
「……なんか、すげえことになってきたな」
藤野が小さく呟くと、隣で凪沙がかすかに笑った。
「今さら?」
「今さらだけど」
「うん」
凪沙は前を見たまま、静かに言う。
「でも、ちゃんと終わらせないとね」
「……ああ」
その視線の先には、ルナとツキがいる。
ルナは緊張していた。
見れば分かるくらいに。
けれど逃げてはいなかった。
ツキはもっと静かだった。
感情を押し殺しているというより、もはやそうでもしなければ立っていられないような静けさだった。
朝日奈がふいに振り返る。
「藤野くん」
「なんだ」
「凪沙くんを頼む」
「お前に言われなくても分かってる」
「うむ」
それだけ言って、朝日奈はまた前を向いた。
灰薔薇が鼻で笑う。
「自分の心配をしろ。貴様が一番無茶をする」
「しない!」
「説得力がないなあ」
凪沙が小さく笑う。
「うるさいぞ!」
ほんのわずかに、それだけ空気が緩んだ。
けれど次の瞬間には、先頭の隊員が片手を上げる。
「――行け」
その合図で、黒い人影が一斉に動いた。
音を殺して駆ける者。
能力を展開しながら突入する者。
数秒遅れて、施設の各所で鈍い破砕音が連続した。
正面の閉ざされた扉が吹き飛び、横手の壁に亀裂が走る。
結界か、それに類するものが破られたのだろう。目には見えない圧が一瞬だけ空気を震わせた。
「……始まったな」
藤野が言う。
凪沙が小さく頷く。
「うん」
そのまま、前線組もそれぞれ持ち場へ散っていく。
ルナとツキは隊長クラスとともに奥へ。
朝日奈は険しい顔で先行する隊員たちの後を追い、灰薔薇も気だるげな足取りのまま、しかし誰より早く暗がりへ溶けていった。
残された藤野と凪沙も、指示された位置へ向かう。
施設の外縁部。
搬出口らしき広い通路の脇だった。
ここなら内部から逃げてきた者の保護や、拘束済みの暴走能力者の搬送に対応できる。
すでに何人かの隊員が負傷者を運び出していた。
うめき声。
怒号。
遠くで響く破砕音。
戦闘は、始まってすぐに激しさを増しているらしい。
「こっちです! ゆっくり!」
凪沙が保護した一般人らしき中年の女性の肩を支える。
藤野はその反対側に回って体を支え、待機していた隊員に引き渡した。
次に来たのは、腕を拘束具で封じられた若い男だった。
目は虚ろで、薬の影響なのかぶつぶつと意味の分からないことを呟いている。
その後ろから、肩を貸された隊員がもう一人、よろめくように出てきた。
「中の様子は?」
藤野が聞くと、隊員は荒い息の合間に短く答えた。
「暴走能力者の数が多い……想定よりずっと」
「幹部は?」
「まだ接触中だ」
それだけ言って、隊員は待機していた人員に体を預けた。
藤野はその様子を見送りながら、小さく息を吐いた。
「……待ってるだけってのも、もどかしいな」
「……わたしたちにできること、するしかないよ」
「そうだな」
分かっている。
分かってはいるが、耳に届く戦闘音が嫌でも焦りを呼ぶ。
建物の中で、いま誰が何と戦っているのか。
ルナは無事か。
ツキは。
朝日奈は。
灰薔薇は。
考えたところでどうにもならない。
だから手を動かすしかない。
藤野は次に運ばれてきた拘束済みの能力者を受け取り、簡易拘束の確認をする。
凪沙は避難してきた人間に毛布を渡し、水を配る。
その間にも、内部から断続的に衝撃音が響いていた。
壁の向こうで何か巨大なものが砕ける音。
床が揺れる感覚。
鋭い光が一瞬だけ窓の隙間を白く染め、すぐ消える。
「……やばそうだな」
「うん」
凪沙の声も、さっきより硬い。
その時だった。
施設の奥から、ばたばたと荒い足音が近づいてくる。
隊員かと思った。
だが違う。
次の瞬間、側面の出入口を蹴破るようにして、一人の男が外へ飛び出してきた。
顔色は悪く、目は血走っている。
腕には不自然な膨張が走り、皮膚の下で何かが脈打っていた。
暴走能力者だ。
「っ――」
周囲の隊員が反応するより早く、男の視線が近くにいた凪沙を捉える。
まずい、と藤野は思った。
距離が近すぎる。
「白崎!」
反射で体が動いていた。
凪沙の袖を掴み、後ろへ引く。そのまま自分が前へ出る。
男は喉の奥で意味のない声を上げながら突っ込んでくる。
速い。薬で無理やり引き上げられた身体能力なのか、足運びが人間離れしていた。
受けきれない。
そう思った、次の瞬間。
ドッッッ!!!!
空間そのものを引き裂くような音が、夜気を震わせた。
男の体が大きくのけぞる。
肩口を、発光する矢が貫いていた。
勢いを失った体が地面へ倒れこむ。
遅れて、鋭い光の尾が消えていく。
「……は?」
藤野が目を見開く。
振り返った先にいたのは、見慣れたふたりだった。
黒い制服。
夜の中でもはっきり分かる、統一された装備。
その姿は、学校で見る生徒会の面影を残しながら、まるで別人のようだった。
御堂直文。
薄氷華澄。
「み、御堂先輩……!?」
凪沙が息を呑む。
その直後、さらにもう一人、出入口から能力者が飛び出してくる。
今度は細い腕を振り上げ、周囲へ何かを撒き散らそうとした。
だが、動くより先に、空気がきらりと光った。
無数の透明な破片が、上空から降り注ぐ。
ガガガガガッ――
雨みたいに散ったそれは、けれどやわらかさとは無縁だった。
薄く鋭い硝子片が容赦なく男の四肢と足元を穿ち、その場へ縫い止める。
「薄氷先輩まで……」
藤野は息を詰める。
華澄は何も答えない。
冷えた目で前だけを見ていた。
その拳には、透明な硝子を幾重にも重ねたような武装が嵌まっている。薄く鋭いその輪郭が、月光を受けて冷たく光っていた。
御堂もまた、学校で見る穏やかな生徒会長の顔ではなかった。
その手には白い弓と矢。
いや、正確には、細い注射器のような媒介から生み出された光の矢が、弓弦に番えられている。
「話はあとだ」
御堂が低く言う。
「下がっていろ」
「おふたりとも、ここは危険です」
華澄が続ける。
「保護対象の誘導に専念してください」
短く、それだけ。
けれどその口調には、有無を言わせない硬さがあった。
拘束された能力者がなおも暴れようとする。
華澄が一歩踏み込み、硝子をまとった拳でその懐に潜り込んだ。
鈍い音。
男の体が折れ、そのまま膝をつく。
同時に、御堂は手元の小さな注射器を新たに取り出していた。
透明な液体の入ったそれを媒介に、再び発光する矢が形を成す。
白い弓がしなる。
放たれた矢は、倒れかけた能力者の肩口へ正確に突き立った。
男の全身から力が抜ける。
さっきまで膨張していた筋肉も、異様な脈動も、見る間に鎮まっていった。
御堂がわずかに息を吐く。
「……お前たちが持ち帰った覚醒薬をもとに、抑制薬を作った」
その視線が一瞬だけ藤野たちへ向く。
「礼は言っておく」
「! あ、はい……っ」
凪沙が思わず答える。
藤野はまだ言葉が出なかった。
そこで、ようやく全部が繋がった。
祭りの夜の不自然な反応も、朝日奈へ向けられていたあの視線も。
――この二人も、秩序機関だったのだ。
御堂はすでに次を見ている。
「俺たちも中へ入る。幹部格を抑えるぞ。ついてこい、薄氷」
「はい、御堂先輩」
ふたりはそれだけ言い残し、躊躇なく施設の中へ駆け戻っていく。
黒い制服の背中が、壊れた出入口の向こうへ消えた。
しばらく、藤野も凪沙も動けなかった。
ようやく凪沙が、小さく息を吐く。
「……秩序機関だったんだ」
「みたいだな」
藤野はまだ、消えたふたりの背を見ていた。
ルナが秩序機関の一員だったこと。
ツキが教団側だったこと。
そして今、御堂と華澄まで。
学校の中で見えていたものなんて、表面だけだったのだと突きつけられる。
建物の奥で、さらに大きな破砕音が響く。
今までとは違う。
もっと重い。
施設全体の骨組みが軋んだような、不吉な音だった。
藤野が顔を上げる。
凪沙も同じ方向を見る。
次の瞬間、地面がわずかに揺れた。
内部で戦っている連中の誰かが、明らかに想定以上の何かとぶつかっている。
「……中、まずいんじゃないか」
「うん」
凪沙の顔にも、さっきまでよりはっきりした不安が浮かんでいた。
それでも、今のふたりにできることは変わらない。
外へ出てくる人間を助けること。
巻き込まれる前に逃がすこと。
少しでも被害を減らすこと。
藤野は息を吐き、気持ちを切り替えるように周囲を見渡した。
「とにかく、今はこっちだ」
「……うん」
凪沙が頷く。
その背後で、施設の奥からまたひとつ、重い破砕音が響いた。




