第11話 二人は超能力者
雨降り村から戻ってきてからというもの、××部の中では時折、妙に真面目な空気が流れるようになっていた。
きっかけは、あの商人が残していった名前だ。
――アガスティア。
窓の外では、久しぶりの晴れ間が校庭を照らしている。
けれど教室の隅、藤野たちの席の周りだけは、まだ少しだけ雨降り村の続きみたいな空気が残っていた。
「……で、結局その“アガスティア”って何なんだよ」
藤野が机に肘をついたまま言う。
「何かの組織か、思想か……」
朝日奈は腕を組み、いつになく真剣な顔をしていた。
「雨降り村の商人も、そのアガスティアの者だった」
「うん」
凪沙が頷く。
「あんなふうに人の力を利用してたんだから、ろくな組織じゃないのは確かだよね」
「超能力を悪事に使う連中、ってところか」
藤野が言う。
「だとしたら許しがたいな……!」
朝日奈が拳を握る。
凪沙は頬杖をついた。
「ネットで調べても、全然それっぽいの出てこないし」
「宗教団体とか、海外の企業とか、占いサイトとか、変なのばっかりだな」
藤野が言う。
「ろくな情報がない」
少し離れた窓際の席で、灰薔薇が本を閉じて短く息を吐いた。
「表に出ないからこそ厄介なんだろう」
「知ってるみたいな言い方だな」
藤野が目を向ける。
灰薔薇は肩をすくめた。
「こういう連中は、大抵そうだ」
「ふうん」
「……なんだ、その目は」
「別に」
凪沙がくすっと笑う。
「でも、ほんとに何も見えてこないね」
「だからこそ調べる価値がある!」
朝日奈が急に勢いよく立ち上がった。
「敵の正体を知ることは、ヒーロー活動の基本だからな!」
「お前、また語気だけ元気になってきたな」
藤野が呆れる。
その時だった。
教室の前方が急にざわついた。
「え、見た?」
「昨日のやつ?」
「ニュースになってたよね」
凪沙がぴくっと反応する。
「昨日のやつ?」
「なんか事件でもあったのか」
藤野が言う。
廊下から戻ってきたらしい男子生徒が、興奮した声で話していた。
「駅前のビル立てこもり! 知らねえの?」
「人質取ってたやつ?」
「そうそう。でも、警察が来る前に終わったらしい」
「え、なにそれ」
朝日奈の目が一気に輝く。
「立てこもり事件!?」
「食いつくな」
藤野が即座に言う。
だが朝日奈はもう止まらない。
「しかも警察より先に解決したというのか!?」
「そうらしいよ」
凪沙がクラスメイトの会話に耳を傾けながら言う。
「なんか、“白い羽”みたいなのが見えたとか言ってる」
「白い羽?」
藤野が眉を寄せる。
前の席の女子がくるりと振り向いた。
「ねえねえ、それ! うちの学校の制服だったって話もあるんだって」
「は?」
「しかも女の子二人組だったらしいよ。めっちゃ強くて、颯爽と現れて助けてくれたって」
「漫画かよ」
藤野が思わず言う。
「でもさ、昨日ちょうどその辺にいた人がSNSに書いてたよ。“白い羽で人を吹っ飛ばしてた”って」
「いやそれ超能力じゃん!」
朝日奈が机を叩いた。
「きっと超能力者の仕業に違いない……!」
「今の流れでそこ疑う余地ある?」
凪沙が笑う。
***
その日の昼休み。
部室へ移るなり、朝日奈は机に両手をついて宣言した。
「調査だ!!」
「はいはい」
藤野が椅子に座る。
「で、何をどう調べるんだよ」
「決まっている! 昨日の立てこもり事件と、“白い羽の女の子二人組”についてだ!」
朝日奈はびしっと指を立てた。
「雨降り村の件と関係があるかもしれん!」
「まあ、それはそうかも」
凪沙が頷く。
「タイミング的にもね」
そのあと、四人は廊下や一年生の教室の近くで、それとなく聞き込みをして回った。
すると、一年生の女子生徒が反応した。
「あの、先輩たち……昨日の話なら、たぶん“あの二人”のことじゃないですか?」
「“あの二人”?」
朝日奈が聞き返す。
女子は少し声を潜める。
「一年三組の、神埜ツキさんと恋羽ルナさん」
「一年?」
凪沙が目を丸くする。
「有名なの?」
「めっちゃ有名です」
女子は即答した。
「美少女コンビっていうか……なんか、二人だけ空気が違うんですよね。近寄りがたいっていうか」
「ほう」
朝日奈が腕を組む。
「名前からして只者ではない感じがする!」
「偏見すぎるだろ」
藤野が言う。
「でも、恋羽ルナって聞いたことあるかも」
凪沙が記憶を探るように言う。
「すごい可愛いって、女子の間で話題になってたような」
「神埜ツキさんの方は、ほとんど喋らないらしいです」
一年生の女子は続けた。
「でも、二人ともたまに屋上にいるって」
朝日奈が勢いよく顔を上げた。
「屋上!」
「分かりやすいな」
藤野が呆れる。
その時、予鈴が鳴った。
「あ」
凪沙が顔を上げる。
「もう終わりじゃん」
「昼休みで全部やる気だったのかよ」
藤野が言う。
「仕方あるまい! 接触は放課後だ!」
朝日奈が即座に切り替える。
「放課後、屋上へ向かうぞ!」
「はいはい」
「やけに素直だな」
「ここまで来たら行くしかないだろ」
***
放課後。
四人は屋上へ続く階段を上がっていた。
「いたらどうするんだ」
藤野が言う。
「まずは話を聞く!」
朝日奈が即答する。
「話してくれるとは限らないだろ」
「その時はオレの誠意と情熱で」
「いちばん信用ならないやつ」
凪沙が笑う。
灰薔薇は無言のままついてきていたが、その表情はいつも以上に無愛想だった。
「お前も来るんだな」
藤野が横目で見る。
「暇つぶしだ」
灰薔薇は短く言った。
「そういうことにしておく」
最後の扉を押し開ける。
屋上には、強い風が吹いていた。
フェンスの向こうに広がる空は高く、遠くのビル群が白く霞んで見える。
その隅、給水塔の影になる場所に、二人の少女が立っていた。
ひとりは、白に近い淡い髪を揺らしている少女だった。
ふわりと柔らかそうな雰囲気で、こちらに気づくとすぐにぱっと表情を明るくする。
「わ」
その声さえやわらかい。
「ほんとに来た」
もうひとりは、その隣。
緑がかった薄い藍色の短い髪を揺らし、こちらをまっすぐ見ている。
すらりとした体つき。
整った顔立ち。
けれど目元の温度は低い。
パーカーにヘッドフォンという気の抜けた格好さえ、なぜか妙に様になっていた。
その二人が並んで立っているだけで、たしかに妙に目を引いた。
噂になるのも分かる。
「君たちが」
朝日奈が一歩前へ出る。
「白い羽の美少女コンビか!」
「言い方が軽いなぁ」
淡い髪の少女が苦笑する。
「まあ、当たってますけど」
彼女はぺこりと頭を下げた。
「一年の恋羽ルナです」
それから隣の少女へ、ちらっと目を向ける。
「こっちは神埜ツキ」
「紹介が適当」
ツキが小さく言う。
「ごめんごめん」
凪沙がくすっと笑った。
「かわいい」
「まずそこ?」
藤野が言う。
ルナは人懐っこく笑う。
一方でツキは、最初からこちらを値踏みするみたいに見ていた。
「それで」
ツキが先に口を開く。
「何の用ですか。先輩方」
朝日奈が胸を張る。
「君たち! 超能力者なんだろう! 我らが超常秘密結社××部に入る気はないか!」
「はあ?」
藤野が呆れる。
「それが目的かよ」
朝日奈は構わず続ける。
「超能力をもつ美少女コンビが加入すれば、××部ももっと人気が――」
「下心みえみえ」
凪沙が言う。
「な!?」
ルナが苦笑した。
「私たち、人助けとかあまり興味ないので」
「ならば、なぜ立てこもり事件の解決を!?」
朝日奈が食いつく。
ルナの笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。
「……ある組織を追ってるからです」
「ある組織?」
藤野が眉をひそめる。
ルナとツキが一瞬だけ視線を交わす。
そして、ツキが静かに言った。
「アガスティア教団」
空気が張りつめる。
「ご存知ですか?」
ルナがやわらかい声で訊く。
知らないどころか、ついこの前、その名を聞いたばかりだった。
藤野たちは顔を見合わせ、それから雨降り村の件を簡単に説明した。
商人の残した言葉。
その名が気になっていること。
しずくの能力を利用し、村を支配していたこと。
話し終えたあと、しばらく沈黙が落ちた。
やがてルナが小さく息をつく。
「……私たちも目的があって、アガスティア教団の動きを追っています」
その言葉に、さっきまでの軽い空気が消えた。
「詳しくは言えませんが……正義の味方、みたいなものだと思ってもらえれば」
「なにそれ、あやふやだね」
凪沙がすぐに返す。
「全部を話せるわけじゃないので」
ルナは小さく肩をすくめた。
「でも、敵ではないので安心してください」
ツキはその横で、露骨に顔をしかめる。
「あなたたちの“ヒーローごっこ”と一緒にされるのは癪ですけどね」
「ちょっとツキ〜」
ルナが困ったように肩をつつく。
藤野が目を細めた。
「……あんたら、何か知ってるみたいだけど。アガスティア教団ってなんなんだ?」
ツキは少しだけ顎を上げる。
「アガスティア教団は、能力者が無能力者の上に立つべきだと考えてる組織ですよ」
その声は、はっきりしていた。
「強きが弱きを支配する――それが、あの連中の教義です」
「……!!」
藤野が目を見開く。
「超能力者が上にたつ……」
「わかりやすい悪だな!」
朝日奈が吐き捨てるように言う。
ルナが静かに続けた。
「しかも、かなり本気みたいです」
「雨降り村の一件で、あなたたちも関わりを持ちましたよね」
ツキが言う。
「ああやって超能力を使って利益を得て、教義の拡大の糧にする。それがあの連中のやり方です」
朝日奈の表情が変わる。
「許しがたいな……!!」
ルナがさらに続ける。
「最近は特に活発化してて。超能力者の暴走事件も増えてるんです」
「暴走事件?」
凪沙が聞き返す。
「昨日の立てこもり事件も、表向きはテロリストの仕業って報道されてましたけど」
ルナの笑みが少し薄くなる。
「私が対峙した犯人は、“超能力者”でした」
「……」
「でも、全然自分の力を制御できていなかった。まるで、無理やり力を引きずり出されたみたいに」
屋上の風が吹き抜ける。
アガスティア教団。
雨降り村。
暴走能力者。
点だったものが、少しずつ線になり始めていた。
ルナがゆっくり言う。
「私たちは、これもアガスティア教団のせいじゃないかと踏んでいます」
ツキは黙ったまま、朝日奈を見ていた。
まるで、話そのものより、その反応を見ているみたいに。
その沈黙を埋めるように、ルナが小さく笑う。
「昨日のこと、少しだけお話ししますね」
「話してくれるのかい!」
朝日奈がぱっと顔を上げる。
「ちょっとだけ、です」
「情報の小出し感がすごいな」
藤野がぼそっと言う。
ルナはフェンスの向こうをちらりと見た。
白く霞む遠くの街並み。
その向こうにある駅前のビル街を思い浮かべるように。
「昨日の夕方、駅前の雑居ビルに男が立てこもりました」
「人質を取ってたんだよね」
凪沙が言う。
「はい。最初は普通の立てこもり事件だと思われていたみたいです」
ルナの声が少しだけ低くなる。
「でも、現場に着いた時点で、もう普通じゃなかった」
***
昨日の夕方。
駅前の雑居ビル三階は、すでに半壊していた。
窓ガラスは内側から割れ、壁には大きな亀裂が走っている。
まるで見えない手で空間ごと握り潰されたみたいに、廊下も床も不自然にひしゃげていた。
部屋の中央で、男が荒い息を吐いている。
焦点の合わない目。
震える肩。
その周囲だけ、空気がぐにゃりと歪んで見えた。
壁際には人質の男女が二人、身を寄せ合って震えている。
「空間圧縮系の力か……」
ツキが低く言った。
「──来るよ」
次の瞬間、男が叫ぶ。
「うるさい……うるさいうるさいうるさい!!」
感情に引っ張られるように空間が軋み、圧縮された空気の塊が人質へ向かって爆ぜた。
その直前。
白い光が、ふわりと割り込んだ。
ルナの背から伸びた片翼が、人質の前へ滑り込む。
やわらかな羽毛みたいに見えるそれは、実際には刃のように鋭く、押し寄せた圧力を受け止め、その軌道を逸らした。
鈍い衝撃音。
砕けたガラスが散る。
だが人質には届かない。
「もう大丈夫です」
ルナがやさしく言う。
「動かないでいてくださいね」
その横を、ツキがすり抜けた。
床を蹴る音すら小さい。
けれど一瞬で間合いを詰めたその手が、男へ向かって振り抜かれる。
「暴れるなら、止めます」
目に見えない衝撃が、真正面から叩き込まれた。
ドンッ、と重い音。
暴走していた男の身体が、壁まで一直線に吹き飛ぶ。
ひしゃげた机も巻き込みながら叩きつけられ、歪んでいた空間が一気に揺らいだ。
「がっ……!」
男が崩れ落ちる。
なおも立ち上がろうとするその前に、ツキが冷たい目で立っていた。
「……自分のものにもできない力を、振りかざすな」
その背後では、ルナの片翼が静かに人質を守り続けている。
***
「……まあ、そんな感じです」
ルナが呟いた。
朝日奈が腕を組む。
「つまり、君たちは昨日その暴走能力者と戦ったわけだな!」
「はい」
ルナが頷く。
短い沈黙のあと、彼女は少しだけ困ったように笑った。
「まあ……信じてもらいにくいですよね」
「いや、信じる信じないというか」
藤野が言いかけた、その時。
ふわり、と。
ルナの背中側に、白い光が滲むように現れた。
次の瞬間、それは一枚の羽になった。
片翼だけ。
天使のものみたいに白く、やわらかく光を含んでいるのに、輪郭には刃のような鋭さがあった。
風を受けて、羽先がかすかに揺れる。
「……!」
凪沙が目を見開く。
ルナは少し照れたように笑った。
「昨日、犯人を止めたのはこの力です」
「うわ……」
凪沙が思わず一歩近づく。
「すごい、きれい……」
「ありがとうございます♪」
ルナが嬉しそうに目を細める。
朝日奈も目を輝かせた。
「なるほど! 白い羽というのは君の能力だったのか!」
「そういうことです」
藤野は羽を見つめながら、小さく息をつく。
たしかに、これなら目撃証言の“白い羽”にも説明がつく。
その隣で、ツキは腕を組んだまま無言だった。
朝日奈がそちらを向く。
「では、神埜くんの力はなんなんだ!?」
「簡単に見せると思いますか?」
ツキは即答した。
「む」
朝日奈がちょっと詰まる。
「信用できるとも限らない相手に、手の内を明かす趣味はありません」
「ずいぶん警戒するんだな」
藤野が言う。
「当然です」
ツキは淡々としていた。
「あなたたちが敵じゃない保証は、まだない」
凪沙が苦笑する。
「ルナちゃんはわりと見せてくれたのに」
「ルナは緩すぎるんです」
「ひどいなあ」
ルナが頬を膨らませる。
それでも、空気は最初より少しだけやわらいでいた。
少なくとも、話はできる。
敵意だけでここに立っているわけじゃない。
それは分かった。
朝日奈がそこで、ぱっと顔を明るくした。
「なるほど!」
「?」
ルナが首を傾げる。
朝日奈はびしっと二人を指差した。
「それじゃあ仲間ってことでいいな!」
「は?」
藤野が呆れる。
「そこに着地するのかよ」
ルナは目を丸くしたあと、ふふっと笑った。
「いやだな〜先輩」
「む?」
「共通の敵がいるだけで、私たちは“仲間”ではありませんよ♪」
「えっ!?」
朝日奈が本気でショックを受けた顔になる。
その横で、ツキは黙ったまま朝日奈を見ていた。
それから、静かに言う。
「特に、朝日奈零――あなたには警戒しています」
「そんな……!?」
朝日奈ががーん、と効果音でもつきそうな顔になる。
凪沙が首を傾げた。
「え〜、ヒナくんの何がいけないの?」
「……力に溺れる人間を、何人も見てきました」
ツキの声は静かだった。
「さっきの話を聞いた限りでも、あなたは感情が先に立ちやすい。ああいう力を持つ人間が一番危ういんです」
「……ずいぶん言ってくれるな」
藤野が目を細める。
ツキは視線を逸らさない。
「事実です」
「ヒナくんはそんな――」
凪沙が言いかけるが、朝日奈が手を上げて止めた。
「……なるほど」
珍しく、朝日奈の声が落ち着いていた。
「君は、オレが力に飲まれるかもしれないと思っているんだな」
「はい」
「ふむ」
朝日奈は一瞬だけ黙る。
そして、いつもの調子に戻るみたいに笑った。
「ならば見ていてくれ!」
「は?」
ツキが少しだけ眉をひそめる。
「オレがヒーローであり続けるところを!」
「……」
「そしていつか、君の警戒も正しき信頼へと変えてみせよう!」
「うわ、めんどくさい」
藤野がぼそっと言う。
「ヒナくんらしいけどね」
凪沙が笑う。
ルナは困ったように肩を揺らした。
「……ごめんなさい。でも、私たちは私たちの目的のために動かせてもらいます」
それから少しだけ表情を和らげる。
「何か情報が分かったら、お互いなるべく教え合いましょうね」
「うむ!」
朝日奈が元気よく頷く。
「次こそ仲間になろうではないか!」
「たぶんならないと思いますよ♪」
「ええっ!?」
屋上に、凪沙の笑い声が響く。
その横で、ツキはまだ朝日奈を見ていた。
警戒と、別の何かを測るような目で。
***
屋上をあとにして、階段を下りる途中。
朝日奈はまだどこか納得のいかない顔をしていた。
「むぅ……」
「なに」
藤野が前を向いたまま言う。
「いや……」
朝日奈は腕を組む。
「共通の敵がいるのに仲間ではない、という理屈がだな」
「そこ引っかかるんだ」
凪沙がくすっと笑う。
「普通そこじゃないだろ」
藤野が呆れる。
灰薔薇は少し先を歩きながら、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「馴れ合う理由がないだけだ」
「イバラくんはそういうの分かりそうだよね」
「その呼び方を二度とするな」
「えー」
「えー、じゃない」
凪沙が楽しそうに笑う。
朝日奈まで乗っかる。
「なるほど! では灰薔薇くんも、共通の敵がいるだけでは仲間とは呼べない派なのだな!」
「貴様と同類にするな」
「辛辣だなぁ!」
四人のやり取りを聞きながら、藤野は少しだけ後ろを振り返った。
屋上の扉はもう閉まっている。
その向こうに、ルナとツキがまだ残っているのだろう。
「……あのツキってやつ」
藤野がぼそっと言う。
「朝日奈のこと、妙に見てたな」
「うん」
凪沙が頷く。
「アガスティアの話そのものより、ヒナくんがどう反応するか見てる感じだった」
「オレか!?」
朝日奈が目を瞬く。
灰薔薇は階段の踊り場で立ち止まった。
「警戒していると言っていただろう」
「それにしたって、だろ」
藤野が言う。
「ただの初対面の相手を見る目じゃなかった」
朝日奈は少しだけ考え込むように視線を落としたが、すぐに顔を上げる。
「だが!」
「切り替え早いな」
「アガスティア教団の情報が増えたのは大きな収穫だ!」
朝日奈がびしっと人差し指を立てる。
「××部はこれより、さらなる調査と正義の活動を――」
「授業始まるぞ」
藤野が言った。
「ぬっ」
凪沙が吹き出す。
「ヒナくん、今日はちゃんと戻ろうね」
「仕方ない! 正義にも時間割は必要だからな!」
「なんだその納得の仕方」
そんなふうに言い合いながら、四人は教室へ戻っていった。
***
屋上には、再び二人きりの静けさが戻っていた。
吹き抜ける風が、フェンスを鳴らす。
ルナはその音を聞きながら、給水塔の影へもたれかかった。
しばらく無言が続いたあと、ツキがぽつりと呟く。
「……はぁ、緊張した」
ルナが目を瞬いた。
「え、してたの?」
「してた」
ツキは即答した。
「やっぱり初対面の人と話すの苦手……。きっと、印象最悪だよね」
その返答があまりに素直だったので、ルナは思わず吹き出す。
「そんなことないよ。ツキはそのままでもかわいいし」
「……ばかにしてる?」
「ふふ、本音だよ」
ルナがくすくす笑う。
ツキは少しだけ眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。
風が吹く。
短い髪が揺れ、ヘッドフォンの片側に光が一瞬だけ反射した。
ルナがその横顔を覗き込む。
「でも、さっきずっと朝日奈先輩のこと見てたよね」
「……別に」
「別に、って顔じゃなかったよ」
「ルナ」
「はいはい」
ルナはそれ以上突っ込まず、代わりに少しだけ真面目な声になった。
「でも、本当にいいの?」
「何が」
「情報、あそこまで話しちゃって」
ツキはフェンスの向こうを見たまま答える。
「隠しきれないところまで、もう出ている」
「まあ、それはそうだけど」
「少なくとも、あいつらはアガスティアと一度接触している」
ツキは言った。
「完全な無関係ではない」
ルナはしばらく黙る。
それから、少しだけやわらかい声で言った。
「助けたいんでしょ?」
「……」
「お父さんのこと」
ツキの肩が、わずかに強張る。
「……うん」
ようやく返ってきた声は、小さかった。
「見つけたい」
「うん」
「アガスティアを追えば、何か分かるかもしれない」
「うん」
ルナは微笑んだ。
「だったら、一緒に探そう」
「……」
「きっと見つけられるよ。私も手伝うから」
ツキは少しだけ目を伏せた。
それから、ようやくほんの少し口元をゆるめる。
「……ありがとう、ルナ」
「どういたしまして」
ルナがにこっと笑う。
その笑顔を見て、ツキはまた視線を逸らした。
「……そういうの、さらっと言うのやめて」
「どれ?」
「分かってるくせに」
「ふふ」
風がまた強く吹き抜けた。
ルナはその向こうに、遠くの街並みを見た。
アガスティア教団。
暴走能力者。
雨降り村の商人。
そして、朝日奈零。
今日だけで、いくつかの線が繋がった気がする。
でも、そのぶん新しく見えてきたものもあった。
***
夜。
駅前の雑居ビルは、まだ規制線の向こう側にあった。
立入禁止の黄色いテープが、夜風にかすかに揺れている。
警察も鑑識も引き上げたあとらしく、人の気配はほとんどない。
割れた窓。ひしゃげた階段。暗い内部。
その隙間を、ひとつの影が静かに抜けていく。
フードを深くかぶった小柄な影。
足音を殺しながら瓦礫のあいだを進むその姿は、昼間の一年生らしい印象とは別人みたいに冷たかった。
――ツキ。
三階の崩れた一室。
昨日の昼間、暴走能力者がいた場所へたどり着く。
床にはまだ亀裂が残り、壁のひしゃげ方も生々しい。
ツキはしゃがみ込み、薄暗い床をじっと見た。
何かが、光る。
「……あった」
瓦礫の陰から拾い上げたのは、一本の注射器だった。
透明な薬液が、ほんの少しだけ残っている。
ツキの目が細くなる。
月明かりに透かし、その中身を確認する。
表情は変わらない。
ツキは小型の通信機を耳元へ当てた。
「……はい」
短い応答。
「ありましたよ」
声は冷たい。
「例の薬剤で間違いないかと」
しばし沈黙。
相手の声を聞いたあと、ツキは注射器をポーチへしまう。
「ええ。回収します」
それだけ言って、通信を切った。
しばらく、その場に立ち尽くしたまま、注射器を見つめていた。
そして、ごく小さく息を吐く。
その瞳には、冷たさだけじゃない、微かな哀しみが宿っていた。
月光の下、ツキの影だけが、何事もなかったように廃墟の奥へ溶けていった。




