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第10話 天気雨

夜の雨は、昼間よりも静かだった。


静かなのに、重い。

空全体が濡れた布みたいに垂れ込めていて、村を包む空気まで湿っている。


祈りの塔へ続く石段の両脇には、提灯のような灯りがいくつも並べられていた。

炎は雨に打たれて小さく揺れながら、それでも消えずに赤い光を落としている。


祭りが始まろうとしていた。


だが、それは藤野の知っている祭りとはまるで違った。

笑い声も、賑やかな音もない。

村人たちは皆、濡れた地面に膝をつき、塔を見上げ、ただ静かに祈っている。


誰も傘をさしていない。


雨に打たれることそのものが、ここでは信仰の一部らしかった。


「……異様だ」

藤野が低く言う。


四人は、塔の少し離れた物陰に身を潜めていた。


真正面から出ていけば、すぐに見つかる。

だから今はまだ、動かない。


朝日奈は黙ったまま、祈りの塔を見つめている。

その横顔には、いつもの明るさがない。

怒りを抑えている時の顔だった。


やがて、村人たちのざわめきがすっと静まった。


石段の上。

祭壇の中央に、白い布が垂らされた一角がある。

その奥から、しずくが連れてこられた。


昼に見た時と同じ、白い衣。

だが今はそこに細かな飾りが増えている。

濡れた髪には白い花が編み込まれ、細い手首には祈りの紐のようなものが巻かれていた。


まるで人ではなく、供物みたいだった。


凪沙が息を呑む。


「……あんなの」

「飾りつけてるだけで、やってることは拘束だな」

藤野が言う。


しずくは祭壇の中央へ立たされた。

俯いているわけでもない。

前を見ているのに、何も見ていないみたいな目だった。


雨粒が頬を打ち、それとは別に涙が伝っていく。


透真は一人、祭壇の近くでそれを見守っていた。


「しずく……」

透真が掠れた声で呟く。


その時、低く鈴の音がした。


村人たちの列が左右に割れ、あの商人が姿を現す。


昼間と同じ、きっちりしたスーツ。

上等そうな傘。

口元には穏やかな笑み。


なのに、この場ではその穏やかさが余計に異質だった。


商人は祭壇の前へ立つと、雨の中でもよく通る声で言った。


「皆様」

その一言だけで、村人たちの視線が一斉に集まる。


「今宵もまた、この村に神の恵みが満ちる夜です」

静かな口調だった。

説教くさくもなく、芝居がかってもいない。

それなのに、妙に耳へ入ってくる。


「しずく様の尊い涙が、大地を潤し、我らを生かしてきました」

村人たちが深く頭を垂れる。


「悲しみは苦しみではありません」

商人はしずくへ向き直る。

「その深さこそが、奇跡の器となるのです」


朝日奈の指先で、ばちっと火花が散った。


凪沙がそっと袖を引く。


「ヒナくん」

「……まだだ」

朝日奈は低く言った。


商人はなおも続ける。


「悲しみを抱く者だけが、他者を潤す雨となる」

「……」

「喜びはひとときで消える。ですが、悲しみは残り、積もり、やがて人々を救う力となる」


藤野は奥歯を噛んだ。


言葉だけ聞けば、綺麗に整っている。

だが中身は最悪だった。


しずくは微動だにしない。

ただ、涙だけが静かに落ち続けている。


「今宵の祈りは、例年よりも深く、強く、尊いものとなるでしょう」

商人がそう言った瞬間、石段の下で村人たちがざわめいた。


次の瞬間だった。

透真の腕が、いつの間にか背後から伸びた手に掴まれていた。


「なっ……!」

「透真くん!」

凪沙が思わず声を上げかける。


だが遅かった。


透真は村人たちに押さえつけられ、そのまま石段の方へ引きずり出される。


「やめろ!!」

朝日奈が一歩踏み出す。

藤野がとっさに腕を掴んだ。


「待て」

「離せ!」

「今出たら透真ごと巻き込まれる」

「……っ」


透真は必死にもがく。


「離せ! しずくに何する気だ!」

その叫びに、しずくの瞳が初めてはっきりと揺れた。


商人が振り返る。


笑みは崩れない。


「この少年は、しずく様の心を乱す穢れです」

商人は村人たちへ向けて言う。

「笑いなどという浅い感情を、神の使いへ思い出させる異物」

「……は?」

凪沙が低く漏らす。


「だから今宵は、これを祓う」

商人の言葉に、村人たちのざわめきが祈りへ変わっていく。


誰かが「祓いを」と唱える。

誰かが「村のために」と続ける。


透真の顔が青ざめる。


「しずく!」

叫ぶ。

「大丈夫だから! 泣くな! おれ――」


村人の手が、透真の口を乱暴に塞いだ。


しずくの肩が小さく震える。


頬を伝う涙が、さっきより明らかに増えた。


その瞬間、雨脚が一段強くなった。


「っ」

藤野が顔を上げる。


雨音が変わる。

量だけじゃない。

空気そのものが、重く濁っていく感じだった。


そのとき、商人の周囲にうっすらと、光の粒のようなものが集まり始める。


藤野が目を細めた。

「……なんだ…?あの光…」


商人は両手を広げる。


「見なさい」

村人たちへ語りかける。

「悲しみは深いほど尊い」

「喪失は大きいほど雨を呼ぶ」

「この少年の価値は、しずく様をさらに深く泣かせることにあるのです」


その一言で、朝日奈の中の何かが切れた。


ばちっ、と空気が裂ける。


「……今、なんて言った」

声は静かだった。

静かなのに、周囲の温度だけが急に変わる。


商人が視線を向ける。


「この少年の価値は――」

「人の命を」

朝日奈が一歩前に出る。


雨が、風向きごと変わった。


「誰かを泣かせるための道具みたいに言うな」


頭上で雷が鳴った。


凪沙が息を呑む。

透真が顔を上げる。

しずくの瞳が、揺れたまま朝日奈を見る。


商人はなお笑っていた。


「感情的ですね」

「感情的にもなるだろ」

朝日奈の声が低く落ちる。

「泣いてる子を見て奇跡だなんて呼ぶな」

「これは救済です」

商人は穏やかに言った。

「この村は、しずく様の悲しみによって救われてきた」

「そんな愚行が許される世界なら――」

朝日奈の指先から電撃が走る。


「オレは認めない……っ!!」


次の瞬間、空が裂けた。


雷鳴。

白い閃光。

祭壇の石が震え、村人たちが悲鳴を上げる。


「ヒナくん!」

凪沙が叫ぶ。


藤野は朝日奈の横顔を見た。

あれは、まずい。

完全に本気だ。


灰薔薇が小さく舌打ちする。


「……派手にやる気か」

「支援できるか」

藤野が問う。

灰薔薇は口元を歪めた。


「巻き込まれるのは御免だ」

灰色の塵が、雨の中でざあっと舞い上がる。

「道くらいは作ってやる」


凪沙はしずくを見た。

まだ泣いている。

でも、さっきまでと違う。

“役割の涙”じゃない。

透真を失うかもしれない恐怖で、ちゃんと揺れている。


「……私はしずくちゃんのところに行く」

「頼む」

藤野が言う。


透真はなお縛られたまま、必死に顔を上げていた。


…俺が今、やるべきことは。


朝日奈が前へ出る。


「そこをどけ」

その一言に、村人たちが後ずさる。


商人の笑みが、ようやく僅かに歪んだ。


「……なるほど」

雨の中、光がさらに集まっていく。

「では、信仰の力を以てお教えしましょう。あなた方のような未熟な正義が、どれほど無力かを」


朝日奈の目に、稲光が映る。


戦いが、始まろうとしていた。


***


最初に動いたのは、商人の方だった。


広げた両手のあいだで、淡い光の粒が一気に膨れ上がる。

それは雨粒とも火の粉とも違った。

もっとぬめるような、粘つく光だ。


「祈りよ、力となれ」


商人が低く呟いた瞬間、祭壇の周囲でひざまずいていた村人たちの声が一斉に重なった。


「しずく様に恵みを」

「神の涙に感謝を」

「村に祝福を――」


ざわっ、と空気が鳴る。


集まった光が商人の手元へ吸い込まれ、その輪郭を不気味に浮かび上がらせた。


「っ……」

藤野が目を細める。


ただの見た目じゃない。

あの光は、確かに何かを集めている。

祈りそのものを、力に変えているみたいに。


「……なんだよ、あれ」

「信仰を燃料にしてるんだろうな」

灰薔薇が低く言う。

「胸糞悪い能力だ」


その直後、朝日奈が地を蹴った。


バチィッ!!


足元に青白い電流が走り、次の瞬間にはもう商人の目の前まで距離を詰めている。


「消えろ!!」


振り抜かれた拳に雷光がまとわりつく。


だが、商人は怯まなかった。


「甘い」


その声と同時に、集まった光が膜のように広がる。

朝日奈の拳がそれを打ち抜いた瞬間、雷撃がばらけた。


「っ!?」

電気が散る。

まるで見えない壁にぶつかって、無数の細い閃光となって弾かれた。


「ヒナくん!」

凪沙が叫ぶ。


朝日奈はその場で体勢を立て直し、すぐに後ろへ飛ぶ。

次の瞬間、商人の足元から光が槍のように突き出した。


ドッ、と石畳が抉れる。


「なるほど」

朝日奈が笑う。

だが、その笑みはいつもの明るさじゃない。

鋭くて、ひどく危うい。

「人の祈りを盾にして戦うわけか」


「盾ではありません」

商人は穏やかに言う。

「これは信仰です。あなたのような短絡的な暴力とは違う」

「ほざけ」


また雷が落ちる。


今度は空からだった。


轟音とともに白い光が祭壇を裂き、村人たちが悲鳴を上げて散る。

商人は光の膜をさらに厚くして受け止めるが、その足元は確かに揺らいでいた。


「朝日奈!!」

藤野が思わず声を張る。

「村人に当てるな!」

「分かってる!」


そう返しながらも、朝日奈の電流は明らかにいつもより荒れていた。

怒りに引っ張られている。

このままだと、本当に危ない。


「……ちっ」

灰薔薇が舌打ちする。


その両手が静かに上がる。

次の瞬間、雨の中に灰色の塵が舞った。


ざあっ、と広がった灰が、祭壇の左右で壁のように立ち上がる。

朝日奈の雷がそちらへ逸れ、村人たちのいる側からわずかに外れていく。


「好きに暴れろ」

灰薔薇が吐き捨てるように言う。

「ただし、巻き込むな」

「……助かる!」

朝日奈は振り返りもせず叫んだ。


灰薔薇は露骨に顔をしかめる。


「礼を言われる筋合いはない」


その一方で、凪沙は低く身をかがめ、祭壇の反対側へ走っていた。


しずくはまだ中央に立たされたままだ。

涙は止まらない。

けれどその目は、さっきよりずっと大きく揺れている。


「しずくちゃん!」

凪沙が呼ぶ。


少女の睫毛が震える。


「こっち見て」

「……」

「透真くん、まだいるよ。大丈夫だから」


しずくの唇が、わずかに動いた。


「……と、ま」

かすれた声だった。

でも、確かにその名前を呼んだ。


「うん」

凪沙は一歩近づく。

「透真くん、しずくちゃんのこと助けに来たんだよ」


その頃、藤野は祭壇の脇へ回り込んでいた。


透真は白布と縄で柱に縛られている。

祈りの紐や札まで巻きつけられていて、見た目だけなら本当に“捧げ物”みたいだった。


「……藤野さん!」

透真が気づいて顔を上げる。


「落ち着け」

藤野は低く言った。

「今外す」


村人の何人かが気づいて、こちらへ駆けてくる。


「穢れに触れるな!」

「儀式を乱すな!」


その声に、藤野は舌打ちしたい気分になった。


「やっぱ来るか」

手袋を外す。

雨に濡れた指先が、少しだけ冷えた。


まず、透真の腕に巻かれていた白布へ触れる。


ばしゃっ。


布は一瞬で形を失い、水となって崩れ落ちた。


「……っ!」

透真が目を見開く。


続けて、縄。札。

足元を固定していた木の杭。


次々と水へ変わり、石段の上を流れていく。


「立てるか」

「う、うん……!」


その時、村人の一人が棒を振りかざして突っ込んできた。


「やめろ!!」

藤野は反射的に腕を上げる。


棒の木目に指が触れた瞬間、それは水へ変わった。

木はぐしゃりと形を失い、男は悲鳴を上げて後ずさる。


「うわっ!?」

「っ、化け物……!」

別の村人が叫ぶ。


藤野の顔がわずかに強張る。

怯えたような視線に、胸の奥が冷えた。

そういうものが好きになれるはずもなかった。


「……行け、透真」

「でも、しずくが」

「分かってる」

藤野は短く返す。

「あいつは俺たちが助ける」


透真は唇を噛み、それでも頷いた。


一方、祭壇の中央では、朝日奈と商人の戦いが激しさを増していた。


商人の周囲に集まる光は、村人の祈りに合わせてどんどん濃くなっていく。

光は鞭になり、刃になり、槍になって朝日奈へ襲いかかる。


だが朝日奈も止まらない。


雷撃がそれを撃ち砕く。

濡れた石畳を蹴り、灰薔薇が作った灰の壁を足場代わりにして跳ぶ。


「遅い!」

「……っ!」


朝日奈の蹴りが光の膜を一枚叩き割る。

商人の頬から初めて笑みが薄れた。


「力任せですね」

「嫌いじゃないだろ、そういうの」

朝日奈が低く笑う。

「泣いてる子を使ってまで強くなろうとする奴には、ちょうどいい」


商人の目が細くなる。


「あなたの方こそ、怒りに飲まれている」

「だったらなんだ」

「そういう力は、すぐに制御を失う」

「失う前に、お前を止める」


バチバチバチッ!!


朝日奈の周囲に、これまでより濃い電流がまとわりつく。

雨粒そのものが白く光り始めるほどの出力だった。


「ヒナくん……!」

凪沙が思わず振り向く。


まずい。

このままだと商人ごと祭壇そのものを吹き飛ばしかねない。


その時、しずくがはっきりと首を振った。


「……だめ」

凪沙が目を見開く。


しずくの声は小さい。

けれど、さっきまでの無表情な人形みたいな顔とは違った。


「透真、が」

しずくの瞳から、また涙があふれる。

でもそれはもう、村のための涙なんかじゃない。


「透真が、いなくなるの、いや」


凪沙はすぐにしずくの前へしゃがみ込んだ。


「うん」

「……」

「それが、しずくちゃんの気持ちだよ」

凪沙はまっすぐに言う。

「神さまの使いとか、村のためとか、そんなのじゃなくて」

「……」

「嫌なんでしょ?」

しずくの唇が震える。


「……いや」

その一言は、ひどく小さかった。

でも、ちゃんと“自分で選んだ言葉”だった。


凪沙はやわらかく笑う。


「じゃあ、もうそれでいいんだよ」


藤野はその声を聞きながら、透真を祭壇の陰へ引っ張った。

そして顔を上げる。


朝日奈はまだ商人を追い詰めている。

灰薔薇はその周囲で灰を操り、雷の通り道を無理やり整えていた。

村人たちは悲鳴を上げながらも、なお祈りをやめようとしない。


その中心に、祈りの塔がある。


白布。

しめ縄。

雨に打たれながら立ち続ける、信仰の象徴。


藤野はそれを見た。


まだ、はっきりした形にはなっていない。

でも、自分が本当に壊すべきものが何なのか、少しずつ分かり始めていた。


その時、商人が初めて一歩大きく後ずさった。


朝日奈の雷が、ついに光の膜を大きく裂いたのだ。


「終わりだ!」

朝日奈が踏み込む。


雷光が一直線に走る。

濡れた石畳を裂き、祭壇の空気そのものを焼き切るような一撃だった。


商人は咄嗟に両腕を交差させる。

集めた信仰の光が盾のように凝縮し、その前へ幾重にも重なる。


だが、もう遅い。


バギィッ!!


白い閃光が光の膜を真正面から打ち砕いた。

砕けた光が破片みたいに四方へ散り、雨の中でかすかな悲鳴のような音を立てる。


「がっ……!」

商人の身体が大きく吹き飛んだ。


祭壇の石段を転がり落ち、その下まで叩きつけられる。

その口元から初めて、余裕のない息が漏れた。


「……っ、は……」


朝日奈は止まらない。


さらに一歩。


頭上で雷が唸る。

雨がその周囲だけ逆巻き、朝日奈の身体に吸い寄せられるみたいに跳ねていた。


「ヒナくん!」

凪沙が叫ぶ。


だが朝日奈は商人から目を離さない。


「悲しみを利用して」

一歩進む。

「泣いてる子を縛って」

また一歩。


「人の命まで道具みたいに扱って」


その声は怒鳴り声じゃなかった。

低く、静かで、だからこそ余計に怖い。


商人が起き上がろうとする。

その指先に、砕け散ったはずの信仰の光がもう一度集まり始める。


「まだ、だ……」

「やめろ」

朝日奈が言う。


「あなたには分からない!」

商人が叫ぶ。

初めて、声が崩れた。

「この村は私が支えてきた! しずく様の奇跡を守り、信仰を形にし、価値あるものに変えてきた! お前たちのような――」

「黙れ!!」


轟音。


今度の雷は、さっきまでより明らかに重かった。

空が割れたのかと思うような衝撃が走り、村人たちが一斉に身を伏せる。


朝日奈の周囲に、稲妻が渦巻く。


「ヒナくん、だめ!」

凪沙の声が飛ぶ。


けれど朝日奈は止まらない。

その目にはもう商人しか映っていないみたいだった。


「お前だけは」

電流がさらに濃くなる。

「ここで――」


まずい。


藤野の背筋を、冷たいものが走った。


このままじゃ商人だけじゃ済まない。

祭壇も、塔も、近くの村人たちも、全部まとめて吹き飛ぶ。


朝日奈は本気だ。

本気で怒ってる。

だからこそ危ない。


「……っ」


藤野は石段を蹴った。


「もう十分だろ、朝日奈!!」


声が、雨音を切り裂いた。


朝日奈の肩がびくりと震える。

稲妻の軌道が、一瞬だけ乱れた。


「……藤野」

振り向いたその顔は、まだ怒りの熱を帯びたままだった。


藤野はその目を真正面から見た。


「止まれ」

「でも――」

「もう止めた」

藤野は言う。

「透真は助けた。しずくも自分で“嫌だ”って言った」

「……」

「お前が今やろうとしてるのは、止めることじゃない」


朝日奈の指先で、ばちっ、と小さく火花が散る。


怒りが消えたわけじゃない。

でも、言葉は届いている。

少なくとも、完全には飲まれていない。


「……っ」

朝日奈は唇を噛んだ。


その隙に、商人がよろめきながら立ち上がる。


「は、はは……」

息は乱れている。

服も泥と水で汚れている。

さっきまでの余裕は、もうほとんどない。


それでも、その目だけはしぶとく光っていた。


「甘い」

商人が笑う。

「力を持ちながら、最後まで振るえない」

「……」

「だから、お前たちは何も変えられないのです」


その声と同時に、村人たちの祈りがまた強まった。


「しずく様に恵みを」

「神の涙を」

「村に祝福を――」


ざわざわと、湿った祈りが積み重なる。

倒れかけていたはずの信仰の光が、また商人の方へ流れ始めた。


藤野は息を止めた。


まだ終わっていない。


朝日奈が商人を叩き潰しても、この村はまた祈る。

しずくがまた泣けば、雨は降る。

商人を倒すだけじゃ、この構造そのものは残る。


「……っ」


視線が、自然と祈りの塔へ向いた。


雨に濡れながらそびえ立つ、高い塔。

白布、しめ縄、供物、祈り。

村人たちが信仰を注ぎ込む場所。

しずくを“神さまの使い”として固定している舞台。


あれがある限り。

あれを中心に祈りが集まる限り。

しずくはまた戻される。


「……そうか」

藤野が小さく呟く。


朝日奈が息を乱したまま見る。


「藤野?」

「壊すべきなのは、あいつだけじゃない」

「……」

「この村が、しずくを神様にしてる形そのものだ」


灰薔薇が目を細めた。


「やっと見えたか」

「お前も気づいてたのか」

「見れば分かる」

灰薔薇はそっけなく言う。

「祈りの流れが、全部あの塔を経由している」


「……だが、どうやってあの塔を――」

「俺がやる」

藤野が短く告げる。


「……なんだと…?」

灰薔薇が眉をひそめる。


この力を見られる。

だが、もうそんなことを気にしている場合じゃなかった。


「俺に任せてくれ」


藤野は灰薔薇をまっすぐ見た。


「……よく分からないが」

灰薔薇は低く言う。

「お前をあそこまで行かせればいいんだな」


凪沙も振り返る。

「フジくん……まさか」


藤野は手袋越しに自分の指を握った。


怖くないわけじゃない。

これがどれだけ大きいものか、分かる。

触れれば終わる。

戻らない。


でも、ここで壊さなきゃだめだ。


「朝日奈」

藤野は朝日奈を見た。

「少しだけ時間をくれ」


朝日奈の表情が変わる。


怒りの熱が、少しだけ引く。

代わりに、藤野の言葉を受け止める顔になる。


「……何をする気だ」


「終わらせる」

短く言った。


商人がそのやり取りを見て、初めてはっきり顔色を変えた。


「待て」

その声にはもう余裕がなかった。

「まさか――」

「気づくのが遅いんだよ」


藤野は駆けた。


祭壇の脇を抜け、雨を裂き、祈りの塔の根元へ向かう。


「止めろ!!」

商人が叫ぶ。

同時に信仰の光が槍のように飛ぶ。


だが、その前へ灰色の塵が割り込んだ。


ざあっ、と広がった灰が光を受け流す。


「行け」

灰薔薇が低く言う。

「今だけだ」

「……っ、助かる!」


朝日奈もすぐに動いた。


「邪魔はさせない!!」


雷撃が商人の足元を撃ち抜き、石畳を砕く。

村人たちの悲鳴が上がる。

凪沙はしずくの肩を抱くようにして、その場へしゃがみ込んだ。


「見てて、しずくちゃん」

小さく言う。

「終わるから」


藤野は塔へたどり着いた。


目の前にそびえる、祈りの象徴。

白布が雨に濡れ、しめ縄が重たく垂れている。

触れれば壊れる。

それが分かるからこそ、ほんの一瞬だけ躊躇った。


でも、その時。


後ろから、透真の声がした。


「藤野さん!!」


振り向かない。

けれど聞こえた。


しずくの涙。

村人の祈り。

朝日奈の雷。

灰薔薇の灰。

凪沙の声。


全部が、今ここに集まっている。


藤野はゆっくりと手袋を外した。


冷たい雨が指先を打つ。


そして――

祈りの塔へ、手を伸ばした。


指先が、塔の根元に触れた。


冷たい。

濡れた木と石の感触が、一瞬だけ掌に伝わる。


次の瞬間。


ごぼ、と。


まるで塔の内側から息を吐いたみたいな音がした。


「……っ」

藤野が目を見開く。


白布の巻かれた柱が、下からじわりと透けていく。

木の繊維も、石の継ぎ目も、祈りの札も、すべてが輪郭を失っていく。


透明な水へ。


静かに、けれど確実に。


「な……」

商人の顔色が変わる。

「やめろ!!」


塔の根元から、水が溢れ出した。


最初は細い流れだった。

けれどそれは一瞬で勢いを増し、支えを失った塔全体が、ぐらりと揺れる。


白布がはためく。

しめ縄が滑り落ちる。

積まれていた供物が一斉に崩れ、果物も器も、濁った水しぶきと一緒に祭壇の上へ散らばった。


「うそ……」

凪沙が息を呑む。


「……これは…」

灰薔薇もわずかに目を見開く。


村人たちの祈りが止まる。


誰もが、目の前の光景を理解できずにいた。


神聖なはずの塔。

絶対に崩れないと信じていた祈りの象徴。

それが今、音もなく形を失い、透明な水となって崩れ落ちていく。


轟音。


塔は真ん中から大きく傾き、そのまま滝みたいな水の塊となって祭壇を洗い流した。


ざああああっ、と。


石段を、供物を、村人たちの足元を、冷たい水が一気に飲み込んでいく。


「きゃっ!」

「うわっ!?」

悲鳴が上がる。


商人も足を取られ、たたらを踏んだ。


その瞬間を、朝日奈は見逃さなかった。


「終わりだ!!」


雷撃が真正面から商人を撃ち抜く。


バチィッ!!


さっきまで祈りの光に守られていた身体が、今度こそまともに衝撃を受けた。

商人は声にならない悲鳴を上げ、石畳の上を吹き飛ばされる。


泥と雨の中を転がり、ようやく止まった時には、もう立ち上がれなかった。


「……が、っ」

かろうじて顔を上げる。

けれどその目に、もう先ほどまでの余裕はない。


藤野は浅く息をついた。


塔は消えた。

祈りの流れも、目に見えて乱れている。

村人たちはもう一心に祈るどころじゃない。

崩れた塔と水に呑まれた祭壇を呆然と見ている。


その、張り詰めていた空気の中心で。


しずくが立ち尽くしていた。


祭壇を縛っていたものが崩れ、白布や祈りの札が、ほどけるように地を流れる水へ落ちていく。

それでもまだ、彼女はその場を動けないでいる。


凪沙がそっと手を伸ばした。


「しずくちゃん」

少女の肩が小さく震える。


「もう、終わるよ」

「……」

「泣かなくていい、じゃない」

凪沙は静かに言った。

「泣きたいなら泣いていい。でも、“泣いていなきゃいけない”は、もう終わり」

しずくの瞳が、揺れる。


「……でも」

ようやく出た声は、ひどく弱かった。

「わたしが泣かないと、みんなが」

「違う」

凪沙はきっぱりと言う。

「みんなのために悲しいままでいる必要なんてない」


しずくの唇が震える。

その視線が、凪沙から、少し離れた場所へ移った。


透真だ。


縛られていた白布はもう解けている。

濡れたまま、泥だらけのまま、それでも真っ直ぐしずくを見ていた。


「……しずく」

透真が一歩、前へ出る。

「ごめん」

「どうしてきみが謝るの」

「助けるって言ったのに、遅くなったから」

透真の目から、ぽろっと涙が落ちた。


しずくが、初めてはっきりと瞬きをする。


その顔に浮かんだのは、戸惑いだった。


「どうして」

掠れた声。

「どうしてきみが、泣くの」


透真は涙を拭う暇もなく、慌ててポケットを探った。

ぐしゃぐしゃになった布や小物の中から、濡れたトランプを取り出す。


「え」

凪沙が小さく言う。


透真の指先は震えていた。

雨に濡れ、泥がつき、全然格好よくなんかない。

たぶん、昔みたいにはうまくできない。


それでも、透真はカードを一枚引き抜いた。


「……見てて」

しずくが、かすかに目を見開く。


透真は震える指でカードをひっくり返し、もう一枚を重ねる。

落としそうになって、慌てて持ち直す。

村人たちも、朝日奈も、藤野も、灰薔薇も、言葉を失って見ていた。


「その、うまくいかなかったら……ごめん」

透真が小さく言った瞬間、指の間から白い小さな花が落ちた。


ぽとり、と。


昔と同じ手品なのかもしれない。

でも、今の透真は昔よりずっと下手だった。


その、不器用なくらい必死な様子を見て。


しずくの口元が、ほんの少しだけ揺れた。


「……ふふ」


ひどく小さな笑い声だった。


でも、その瞬間。


雨音が変わった。


ざあざあ降っていた音が、すっと遠のく。

空を覆っていた雲が、裂けるように薄くなる。


村人たちが一斉に空を見上げる。


「……あ」

凪沙が息を呑んだ。


雲の切れ間から、淡い光が差し込んでいた。


気づけば、夜は明けていた。


完全には止んでいない。

細かな雨はまだ降っている。

けれどその雨は、さっきまでの冷たさとは違った。


光の中に落ちる、やわらかい雨。


朝日奈がゆっくり空を見上げる。


「……大丈夫だ」

誰にともなく言う。

「見ろ、天気雨だ」


遠く、山の向こうに虹がかかり始めていた。


しずくはまだ涙を流していた。

けれどそれはもう、さっきまでの涙とは違う。


「……」

透真も泣いたまま笑っている。


しずくが、その顔を見て言った。


「助けてくれて、ありがとう」


透真はうまく返事ができなかった。

ただ何度も頷いた。


村人たちは、呆然と立ち尽くしていた。

崩れた塔。

壊れた祭壇。

晴れかけた空。

泣きながら笑うしずく。


誰かが信じていた“神聖”は、もう元の形には戻らない。


泥の中に倒れた商人が、苦しげに身を起こす。


「……“アガスティア”は」

その声に、藤野たちの視線が集まる。


商人は濡れた顔のまま、ひび割れた笑みを浮かべた。


「この程度で、終わらない……」

「アガスティア?」

朝日奈が目を細める。


商人は答えず、次の瞬間、残っていた信仰の光を無理やり弾けさせた。


眩い閃光。


「っ!」

藤野が腕で目を庇う。


光が消えた時には、商人の姿はもうなかった。


残っているのは、焦げた土と、雨に流れる足跡だけ。


灰薔薇が鼻を鳴らした。


「逃げたか」

「逃がしたとも言う」

藤野が低く返す。

「だが、名前は出た」

朝日奈が言う。

その目は、もうさっきまでの怒り一色ではなかった。

もっと静かで、重い色をしている。


「アガスティア……」

凪沙が小さく繰り返す。


その名前だけが、晴れかけた村の空気の中で妙に不穏に響いた。


しずくは、そんなことには気づかないみたいに、まだ透真を見ていた。


泣いたあとみたいに少し赤くなった目。

でも、その顔にはたしかに、最初に見た時にはなかった表情があった。


“神さまの使い”じゃない。


ただの、ひとりの女の子の顔だった。


朝日奈が小さく息を吐く。


「……終わった、か」

「まだ後始末はあるけどね」

凪沙が言う。

「村の人たち、しばらく大変そう」


「それでも、塔が残るよりはましだ」

藤野は濡れた手に手袋をはめ直した。

「同感だ」

灰薔薇が珍しくあっさり頷く。


透真がしずくに何かを話しかけ、しずくが小さく頷く。

その光景を見て、凪沙が少しだけ微笑んだ。


「ねえ」

「ん?」

朝日奈が振り向く。


「これ、ちゃんと依頼達成だよね」

「もちろんだとも!」

朝日奈が胸を張る。

「我ら××部、初の村遠征任務――大成功!!」


「途中めちゃくちゃだったけどな」

藤野が言う。

「ヒナくん、途中ほんとに雷神みたいだった」

凪沙がくすっと笑う。

「うむ! 正義の怒りが天を揺るがしたのだ!」

「ちょっと黙ってて」

「ええっ」


雨上がりの匂いが、村に満ちていく。


悲しみの雨じゃない。

光を含んだ、やわらかな水の匂いだった。


その空の下で、藤野はもう一度だけ、しずくの方を見た。


彼女はもう、泣きながら笑っていた。


そしてその笑顔は、雨に濡れた村の景色の中で、不思議なくらい静かで綺麗だった。


***


明くる朝。


雨は、止んでいた。


何日も何日も村を覆っていた灰色の空は薄くひらけ、山の向こうには久しぶりの朝日が覗いていた。

濡れた土はまだ水気を含んでいるけれど、空気は昨日までとはまるで違う。


祈りの塔が崩れた跡には、村人たちが集まっていた。


雨と崩落と悲鳴の中で、何がどう起きたのかを正確に見ていた村人は、ほとんどいないようだった。


最初は誰もが戸惑っていた。

祭壇も塔も壊れ、“神さまの使い”と呼んできた少女が、ただのひとりの女の子としてそこに立っている。

それをすぐに受け入れられるほど、この村の信仰は軽くなかった。


けれど、それでも。


「……まずは片づけるか」

年配の男がそう言い出したのをきっかけに、少しずつ人が動き始めた。


崩れた木片をどかす者。

流された供物を拾う者。

ぬかるんだ足場に板を渡す者。


誰も口にはしなかったけれど、

“しずくに泣いてもらう”以外の方法で村を立て直さなければいけないことを、みんなもう分かっていた。


透真がその様子を見ながら、小さく言う。


「……ちょっとは、変わるかな」

「変わるしかないだろ」

藤野が答える。

「塔はもうない」

「うん」

透真は頷いた。

「でも、その方がいい」


少し離れた場所で、しずくは村の女たちに髪を拭いてもらっていた。

昨日までの白い衣はもう脱がされていて、今は透真の家から持ってきたらしい、簡素な服に着替えている。


その姿はもう“神さまの使い”なんかじゃない。


ただ、細くて、少し頼りなくて、それでもちゃんとここにいる、ひとりの少女だった。


しずくがふと顔を上げる。

朝日奈たちに気づいて、ほんの少しだけ表情がやわらぐ。


「……」

まだ大きく笑うことはできない。

でも、その目はもう、空っぽじゃなかった。


帰る時間になった。


村はまだ完全に立ち直ったわけじゃない。

むしろこれからの方が大変だろう。

それでも、昨日までの空気とは明らかに違っていた。


透真が村の入口まで見送りに来る。

その隣には、しずくもいた。


「ありがとう」

透真が、改めて頭を下げた。

「本当に」


「礼には及ばない!」

朝日奈が胸を張る。

「困っている者を助けるのが我々××部の使命だからな!」

「いや、今回はほんとに助かりましたよ」

透真が苦笑する。


凪沙はしずくの前にしゃがみ込んだ。


「またね」

「……また?」

しずくが小さく聞き返す。


「うん。終わりじゃないでしょ」

凪沙はやわらかく笑う。

「しずくちゃんが、これからどうやって笑うかとか、ちゃんと見たいし」

しずくは少しだけ目を丸くしたあと、ほんのわずかに口元を緩めた。


「……うん」

「今度は、なんでもないときに会いたいな」

凪沙が言うと、しずくは今度こそ少しだけ、はっきり笑った。


透真がそれを見て、嬉しそうに息をつく。


朝日奈も満足そうに頷いた。


「うむ! ではさらばだ、雨降り村!」

「その呼び方どうなんだ」

藤野が呆れたように言う。


灰薔薇だけは少し離れた場所で腕を組み、いつものようにつまらなそうな顔をしていた。


「帰るぞ」

それだけ言う。


「相変わらずだねえ」

凪沙が笑った。


帰りのバスの中は、行きよりずっと静かだった。


揺れる車内。

雨上がりの山道。

窓の外には、まだ濡れた木々が流れていく。


透真としずくと別れたあと、しばらくは誰も大きな声を出さなかった。

それぞれが少しずつ、あの村のことを考えているようだった。


その静けさを最初に破ったのは、凪沙だった。


「ねえ、イバラくん」

「……は?」


灰薔薇が露骨に顔をしかめる。


凪沙は悪びれもせず、当然みたいに続けた。


「今回、けっこう助かったよ」

「誰がそんな呼び方を許した」

「だって灰薔薇くんって、なんか茨っぽいし。かわいいでしょ」

「却下だ」

「えー」

「えー、じゃない」


横でそのやり取りを聞いていた藤野は、窓の外を見たまま少しだけ口元を緩めた。


仲良くなりたい、という意味なんだろうな、と思う。


凪沙はそういうふうに距離を縮める。

相手が嫌そうな顔をしても、お構いなしに。

でも押しつけがましいわけでもなくて、気づいた時にはその呼び方が自然になっていたりする。


朝日奈がそこへ勢いよく乗ってくる。


「うむ! ではオレも今日からイバラくんと呼ぼう!」

「やめろ」

「なぜだ!?」

「余計に腹が立つからだ」

「そんなぁ!?」


バスの中に、少しだけ笑いが広がる。


藤野はその騒がしさから少し外れるように、窓際で黙っていた。


すると、隣の席にいた灰薔薇がふいに小さく言った。


「……貴様が、あんな力を持っていたとはな」


藤野は視線だけを動かす。


灰薔薇は前を向いたままだった。


「朝日奈の派手さに気を取られていて、気づかなかった」

淡々とした声。

「……俺もまだ甘いな」


藤野は少しだけ黙る。


「……誰かに言うのか?」

短く問う。


灰薔薇は鼻で笑った。


「いや」

「……」

「俺に得はない」


それだけ言って、興味なさげに目を伏せた。


藤野も、それ以上は何も言わなかった。


けれど少なくとも、灰薔薇は無闇に人に触れ回るつもりはないらしい。

そのことに、ほんの少しだけ息が抜ける。


後ろの席では、まだ朝日奈と凪沙が騒いでいた。


「イバラくん、次はもう少し愛想よくした方がいいと思う」

「余計なお世話だ」

「でも今回はちゃんと支援してたよね」

「巻き込まれるのが面倒だっただけだ」

「はいはい」

「なんだその返事は」

「イバラくんが素直じゃないってこと」

「だからその呼び方をやめろ」


朝日奈が楽しそうに割って入る。


「ふふふ! だが部員同士の絆が深まるのは実に喜ばしいことだ!」

「勝手に絆を作るな」

「フジくんはどう思う?」

突然話を振られて、藤野が眉をひそめる。


「……どうでもいい」

「全然どうでもいいって顔じゃなかったけど」

「白崎」

「ふふ」

凪沙が笑う。


バスは山道を抜け、ゆっくりと街の方へ戻っていく。


神さまの涙は止んだ。

雨降り村の事件は終わった。

けれど最後に残った“アガスティア”という名前だけが、まだ小さな棘みたいに胸のどこかに引っかかっている。


それでも今は。


朝日奈の大声と、

凪沙の笑い声と、

灰薔薇の不機嫌そうな声が車内に響いていて、

藤野はそれを少しだけ遠くから聞きながら、目を細めた。


そんな他愛もないやり取りを交わしながら。

超常秘密結社××部は、街へ帰っていった。

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