「王国陰謀編」第一章 「首都へ」2ー女戦士ー
堅牢なる城塞都市エーデル。
その南門から少しばかり離れた場所に、一人の女戦士が佇んでいた。
全身を覆う重厚なプレートメイル。
その姿だけを見れば、歴戦の戦士と見紛うほどの威容である。
しかし、兜を脱ぎ、こぼれ落ちた長髪に縁取られたその顔立ちは、誰が見ても若き乙女のものだった。
成人を迎えたばかりの若さゆえか、端正な眉宇にはまだあどけなさが残っている。
「ついに……やっと、着いたんだ……!」
瞳に薄っすらと涙を浮かべ、少女は込み上げる感動を噛み締めていた。
「父さん、ついにエーデルへ着いたよ。私も父さんに負けない立派な戦士になる……見ててね。今にきっと!」
胸元に剣を捧げ持ち、誓いの言葉を口にする。
それは、遠く故郷を離れ、今は亡き父へ捧げる約束だった。
やがて少女は顔を上げると、南門へ向かって歩き出した。
重厚な甲冑が、ガチャガチャと武骨な金属音を響かせる。
その異様な姿に気づいた門衛が、警戒の声を張り上げた。
「そこまでだ、何者だ! 身分を証明する検問状がなければ、この先へは通せんぞ!」
少女は足を止めると、荷物袋から一通の書状を取り出した。
衛兵へ差し出しながら、はっきりとした声音で名乗る。
「私の名はハーブ。ここから南にあるイル村出身の冒険者よ。その手紙には、我が村の長老の署名と捺印がある。通行証の代わりとしては申し分ないはずだわ」
衛兵は書状を受け取りながら、「ハーブ」と名乗った少女を上から下まで値踏みするように見つめた。
「……この街へ来た目的は?」
長きにわたる平穏に浸りきった王国において、検問はもはや形式的なものに過ぎない。
書状に怪しい点が認められない以上、尋問もまた、定められた手順に沿ったものだった。
「決まってるじゃない」
ハーブは一転して悪戯っぽい笑みを浮かべる。
そして、わざとらしく可憐な女言葉を作ってみせた。
「『月の砂漠』の探検隊に志願しに来たのよ!」
「……」
衛兵は、またその口調か、と内心で呆れた。
しかし、わざわざ咎めるほどのことでもない。
「……通ってよし」
そう言って手を振る。
「ありがとう!」
ハーブは手紙を荷物へ仕舞い込むと、満足げな笑みを浮かべ、エーデルの門をくぐり抜けた。
その先に広がっていたのは、彼女がこれまで見たこともないほど巨大な街だった。
巨大な城塞都市エーデルは、南北と東西を貫く二本の大通りを中心に形成されている。
北門と南門を結ぶ道は、別名「商人の道」。
南のヴィルハーン帝国、そしてかつては北のベルデス共和国からも商隊が行き交う、陸上貿易の要衝である。
港湾の利用権を王国が独占し、厳しい規制を設けているため、商人たちの多くはこの陸路を利用していた。
一方、西門から港へと伸びる道は、別名「冒険者の道」。
死の砂漠と港湾を結ぶこの大通りには、宿屋や酒場、武具店や道具屋が立ち並び、荒くれ者や旅人たちの活気に満ちていた。
ハーブは「商人の道」を北へ進みながら、いかにも田舎から出てきたばかりといった様子で、街のあちこちを見回していた。
目に映るものすべてが珍しい。
行き交う人々。
軒を連ねる店。
自分の村では見たこともないほど巨大な建物。
やがて、その広大さにすっかり圧倒されたハーブは、道端を歩いていた人の良さそうな中年女性へ声をかけた。
「あの、すみません! 『旅の夢と希望の館』っていう宿屋を探してるんですけど、どこにあるかご存じですか?」
「それなら『冒険者の道』沿いにあるよ。でも、かなり西門に近い端っこだから、ここからだと相当遠いよ」
「えっ、遠いって、どのくらいかかるんですか?」
「そうだねぇ……歩いて一時間くらいかね」
「い、一時間!?」
ハーブは目を丸くした。
「私の村なんて、十分もあれば端から端まで歩けちゃうのに……!」
「ははっ。どんな田舎から来たのか知らないけれど、エーデルの街じゃ、門から門までそれくらいかかるのは当たり前さ。お年寄りの足なら倍はかかるね」
「……」
一瞬、己の常識がまるで通用しないことに、ハーブは打ちのめされそうになった。
しかし、すぐにぶんぶんと頭を振る。
「……まあ、いいわ!」
気を取り直して、女性へ尋ねた。
「それで、どう行けば辿り着けますか?」
「このまま北へ三十分ほど歩くと、同じくらい大きな大通りと交差する。そこを西へ折れるんだ。西門が見えてきたら、南門からの距離と同じくらいの場所で、通りの北側を探してみな。あの辺りで一番大きな宿屋だから、すぐに分かるはずだよ」
「北へ三十分、交差点を西、西門の手前で北側……よし!」
ハーブは教えられた道順を頭の中で何度も繰り返した。
そして、ぱっと顔を輝かせる。
「おばさん、ありがとう!」
とびきりの笑顔を向けると、ハーブは再び歩き出した。
――それから、およそ一時間後。
「ええと……教えてもらったのは、この辺りよね」
西門を望む大通りで、ハーブは周囲を見回していた。
その視界に、一際目立つ真新しい看板が飛び込んでくる。
「あ、あった……!」
思わず声が大きくなる。
「『旅の夢と希望の館』……間違いなく、ここだわ!」
周囲の通行人が一斉に振り返った。
その視線に気づいたハーブは、照れくさそうに頭を掻く。
そして、目の前にそびえる重厚な扉へと向かった。
『旅の夢と希望の館』。
そこは、まさに冒険者のための典型的な宿だった。
扉を開けば、広大な酒場が広がっている。
その奥には宿の受付カウンターがあり、壁に設けられた掲示板には、討伐や依頼の書状が隙間なく貼り出されていた。
この大旅籠を営むのは、十五年ほど前にイル村から単身エーデルへやってきた男――アランである。
かつてアランは、故郷の特産である「ガトゥの実」を用いたパンを売り出し、大成功を収めた。
ガトゥの実は精神力を回復させ、長時間の空腹を癒やす希少な霊薬であり、魔術師をはじめとする冒険者たちにとって欠かせぬ品だった。
それを日常のパンとして商品化する。
アランの着眼点は見事に的中し、彼は瞬く間に一財産を築き上げた。
しかし、彼はそこで満足しなかった。
粗悪な模倣品が出回り、いずれブームが沈静化することを見越していたアランは、得た富のほぼすべてを投じ、かねてから憧れていた冒険者の宿を開業した。
それは、亡き父が故郷で営んでいた宿の夢を受け継ぐものでもあった。
平和の波に呑まれ、やがて潰れてしまった父の宿。
その夢を、アランはこの大都市エーデルで、再び花開かせたのである。
ハーブは深呼吸を一つした。
そして、意を決して扉を開ける。
昼間にもかかわらず、酒場は大いに賑わっていた。
そんな中へ、全身を金属鎧で固めた若い少女が入ってくる。
客たちの間から、くすくすと不躾な笑い声が漏れた。
ハーブは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
しかし、それ以上は気に留めず、奥のカウンターへと真っ直ぐ進んでいった。
「アラン兄ちゃん、久しぶり!」
カウンターの中で帳簿をめくっていたアランは、きょとんと目を丸くした。
全身甲冑の女戦士から、いきなり親しげに声をかけられたのだ。
記憶の糸を必死に手繰り寄せる。
だが、目の前の少女に見覚えはなかった。
ハーブは、心得たりとばかりに笑う。
そして懐から、一通の書状を取り出した。
「これ、読んでみて」
差し出された書状には、こう記されていた。
~『旅の夢と希望の館』館主 アラン殿へ
我がイル村の誉れであるアラン君。
突然の手紙を許してほしい。
この書状が届いたということは、君の目の前には一人の女戦士が立っているはずだ。
十五年も村を離れている君には、誰だか分からないかもしれない。
君が村を発つ日、足元にしがみついて泣いていた幼子を覚えているだろうか。
そう、この子はハーブだ。
我が村最後の英雄であり、君の父親の親友でもあったハンの一人娘である。
今年、無事に成人を迎えたハーブは、どうしても冒険者になると言い張り、私の説得にも耳を貸さなかった。
我がままを承知で頼む。
彼女が本格的に旅立つまでの間、どうか面倒を見てやってはくれないだろうか。
ハーブも、「アラン兄ちゃんの所なら」と聞き入れないのだ。
頼んだぞ。
イル村長より ~
読み終えたアランは、信じられないというようにハーブを見つめた。
「ハーブ……! こんなに大きくなったのか。見違えたよ」
「ふふん、やっと分かった? アラン兄ちゃん!」
ハーブは嬉しそうに笑うと、荷物袋からずっしりと重い小袋を取り出し、カウンターへ置いた。
「これ、村長から預かってきたの」
袋の口を開く。
そこには、丸々と熟したガトゥの実が詰まっていた。
「ガトゥの実じゃないか……こんなにたくさん。村長も気を遣わなくてもいいのに……」
アランは実を一つ手に取る。
そして、ふっと笑った。
「いや……あの人らしいな。ありがたく貰っておくよ」
その目頭が、わずかに熱を帯びた。
イル村でも希少なこの実を、これほど集めることがどれほどの好意によるものなのか。
アランには、痛いほど分かっていた。
「アラン兄ちゃん、今の私はすっごく強くなったんだからね! 村じゃ一番だったんだから! 心配いらないよ。本格的に冒険に出るまでは、私がこの店の用心棒になってあげる!」
ハーブは胸を張り、愛剣の柄をぽんと叩いた。
「ははっ、そいつは頼もしいな」
アランは笑う。
そして、ふと思いついたように尋ねた。
「……ところで、用心棒さん。お腹は空いてないかい?」
「う……」
ハーブの顔が引きつった。
「腹が減っては用心棒も務まらないだろ?」
「……実は、ペコペコ!」
ハーブは恥ずかしそうに腹を押さえた。
「朝からずっと歩き詰めだったから! でも、鍛え方が違うからね! 今すぐ魔物が来ても、追い払ってみせるんだから!」
そう言って、腕をぐっと突き出してみせる。
その姿を見つめながら、アランは目を細めた。
そこにいるのは、立派な鎧に身を包んだ女戦士。
けれど、その笑顔の奥には――。
かつて、自分を追って泣きながら走ってきた、幼い少女の面影が残っていた。
「……本当に、大きくなったな」
アランは小さく呟き、愛おしそうに目を細めるのだった。




