「王国陰謀編」第二章「集いし者たち」9-荒くれ者と司祭、酒場の一騒動-
宿の酒場は、和やかな賑わいに包まれながら、夜更けへと向かっていた。
――そこへ、一つの騒ぎが割り込んだ。
大柄な狼の獣人が、数人の取り巻きを引き連れ、宿へと入ってくる。
その獣人は、酒場中に響き渡るほどの大声を上げた。
「おぅ! ここの用心棒ってのは、どいつだ!
うちの若いのを痛めつけてくれたんだってな!
落とし前をつけに来たぜ!」
目の前で怒鳴られ、ハーブが立ち上がる。
「私よ!
なによ、ぞろぞろと。
そいつが子供に悪さしたから、懲らしめたんじゃないの!」
ハーブは、大柄な獣人の取り巻きの一人を指差した。
指を差された男は、頭や腕に包帯を巻いている。
大柄な獣人はハーブを睨みつけ、凄むように低い声を響かせた。
「おうおう、理由なんざどうでもいいんだよ。
俺の仲間に手を出したってことが問題なんだ。
さぁ、お嬢ちゃん。どうしてくれるんだ、この落とし前を」
この大柄な獣人は、暗黒街の武闘派として知られる一団のボスだった。
通称――黒狼のガルム。
艶のある深い黒毛を持つ狼の獣人であることから、そう呼ばれている。
この辺りでは名の知れた荒くれ者たちを束ねる男であり、好き好んで喧嘩を売る者などいない。
――そういう男のはずだった。
しかし、ハーブはそんなことなど知る由もない。
酔いの回った頭のまま、負けじと言い返した。
「じゃあ、勝負でもするっていうの?
黒い犬っころなんかに、負けるつもりはないわよ。
ましてや、悪い奴の親玉なんかにね!」
威勢だけはいい。
だが、傍から見れば、ハーブはどう見ても酔っていた。
足元はおぼつかず、いつものような歯切れのよい啖呵も、どこか調子がおかしい。
カミュは、そんなハーブとガルムを見比べた。
どう考えても、体格差だけで勝負にならない。
それに――ハーブは、完全に酔っている。
カミュは小さく息を吸い、密かに詠唱を始めた。
「一陣の風よ……」
その瞬間。
ガルムが腕を大きく振りかぶった。
「んじゃ、お嬢ちゃん。
死んでも恨むなよ!」
腕が振り下ろされようとした――その刹那。
「やめんか、ばかものどもが!」
酒場全体を揺らすような怒声が響き渡った。
ガルムの一団も、ハーブも、カミュも、ロブも。
そして、酒場にいた全員が、一斉に声のした方を振り向く。
そこに立っていたのは、背は低いが、どっしりとした体格の男だった。
ドワーフである。
ガルムは、その男と目が合った瞬間――
耳と尻尾が、しゅん、と垂れた。
「ダ、ダム……。
ダムのおやっさん!?」
狼狽するガルムの姿からは、先ほどまでの威勢がすっかり消えていた。
ダムは、そんなガルムを睨みつける。
「堅気に突っかかるとは、何事じゃ。
やっと最近、お前のことを見直し始めたところなのに……。
日頃の善行も、これでは台無しじゃぞ」
「で、でも……」
「でもも、へったくれもない。
お前は、部下の面倒も見られんのか!」
「……」
ガルムは完全に意気消沈していた。
先ほどまで巨大に見えた身体さえ、今は少し小さくなったように見える。
「す、すいません……」
ガルムは頭を垂れ、しゅんと尻尾を下げた。
ダムは、次にカミュへと視線を向ける。
「そこの小僧。
ハーフエルフの小僧じゃ」
カミュは、自分が呼ばれた理由が分からず、目を丸くした。
「へっ……お、俺ですか?」
「そう、お前じゃ。
お前、何を唱えておった?」
ダムの声が、再び低くなる。
「この場所で、その魔法を行使したら、どうなるか分かっておったのか!」
カミュは素直に答えた。
「切り裂く風が、この獣人を切り刻んで……」
「この、ばかもんが!」
ダムの怒声が再び酒場に響く。
「どこまで被害が出るか、想像もできんのか!」
「……!」
カミュは、ハッとした。
自分が放とうとしていた魔法。
それはガルムだけを狙うものではない。
酒場という閉ざされた空間で放てば、周囲にいる人間も、獣人も、誰も彼も巻き込んでしまう。
カミュの顔から、みるみる血の気が引いていった。
ダムは、その表情を見て、自分の言葉が伝わったことを悟る。
そして、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「そうじゃ。
先ほどの呪文を放っておったら、ガルムたちだけでは済まん。
多くの人を巻き込み、ここは惨劇の場となっておったじゃろう。
ハーブもそうじゃが、酒に飲まれているうちは、酒を飲んで荒事をするものではない」
「……すいません」
カミュは頭を垂れた。
(俺、今日、謝ってばっかりだな……。
悪いことしてるからだけど……なんか、ついてないや)
そのとき、カミュの脳裏に母の言葉が蘇った。
『カミュ、無知は罪。世の中、知らないじゃ済まされないことが多いのよ。だから学びなさい。悪いことをしたと思ったら、謝りなさい。そして、二度と繰り返さないようにしなさい。謝っても許されないことをしたら、償いなさい。そうやって、前に進むのよ』
カミュは、その言葉を胸の中で噛み締め――ふと、あることに気づいた。
(あっ、ハーブは?)
ガルムの目の前。
そこには、横たわるハーブの姿が――
あった。
ただし。
寝ていた。
「……おいおい、寝てんのかよ」
カミュは、なんとも言えない気持ちになった。
ダムは、そんなハーブには構わず、ガルムの方へ歩み寄る。
傍から見れば、ガルムは怯えているようにすら見えた。
ダムの背丈は、ガルムの半分ほどしかない。
それでも、ガルムはダムの前で完全に縮こまっていた。
「ガルム、頭を」
「へい……」
ガルムは素直に膝をつき、ダムの顔の高さまで頭を下げる。
ダムは、その大きな頭を優しく撫でると、最後にポンポンと軽く叩いた。
「お前のメンツは、堅気を脅すためにあるんじゃない。
堅気を守るためにあるんじゃったろう?」
「……」
「それに、ここの店主のアランにも世話になっておるんじゃろ。
『ここの用心棒』というだけで判断せず、いちゃもんをつけた。
今回の件は、お前が悪い。
二度とこんなことがないように、部下にもしっかり言い聞かせるんじゃ。
堅気に迷惑をかけんよう、きちんと面倒を見るんじゃぞ」
ガルムは、ゆっくりと頭を上げた。
「へい……。
すいません、ダムのおやっさん」
そして、酒場の奥からこちらを覗いているアランに気づく。
ガルムは威圧することのない声で、少しだけ声を張った。
「アランさん。
騒がせて、すいません。
俺が悪かったです」
アランは軽く手を振った。
「あぁ、分かったよ。
お互い怪我がなくてよかったよ」
そう言って、苦笑する。
ガルムは酒場を見渡した。
「今日は迷惑をかけた。
今日は俺がおごるから、この後を楽しんでくれ!」
途端に、酒場から歓声が上がった。
ただ酒が飲めると知った連中の声が、ひときわ大きかったことは言うまでもない。
ガルムは、改めてアランを見る。
「後で請求、回してくれよ。
……すまなかったな」
「分かったよ」
アランは、また手を振った。
ガルムは今度は酒場にいる全員へ向き直る。
「何か荒事で困ることがあったら、言ってくれ。
俺が言うのもなんだが、道理の外れたことじゃなけりゃ、俺が面倒を見る。
じゃあ、あとは楽しんでくれ!」
「ガルム、ありがとう!」
そんな声が、酒場のあちこちから上がった。
ガルムは照れくさそうに鼻を鳴らしたが、まんざらでもない様子だった。
そして、再びダムへと向き直る。
「ダムのおやっさん。
すまなかった。
止めてくれて、ありがとよ。
ダムのおやっさんも、何か俺にできることがあったら言ってくれ。
今日のことだけじゃねぇ。
俺は、あんたに借りが溜まってるからよ。
ちゃんと返したいと、いつも思ってる。
よろしくな」
そう言うと、ガルムは外へと顔を向けた。
「お前ら、帰るぞ!」
「ヘイ!」
取り巻きたちが声を揃える。
そして、ガルムの一団は宿を後にしていった。
酒場に、再び穏やかな空気が戻る。
カミュとロブは、床で眠りこけているハーブを見つめ、それから周囲を見回した。
すると、アンがハーブをひょいと抱き上げた。
「ハーブの面倒は、私が見るから。
あとは楽しんでちょうだい。
あっ、心配しなくても大丈夫よ。
私、力持ちだから」
アンは、いたずらっぽく笑った。
「実を言うとね。
私、ドワーフとのハーフなの」
そう言ってウィンクすると、アンはハーブを軽々と抱えたまま、店の奥へと消えていった。
カミュは、その後ろ姿を見送りながら呟く。
「世の中、いろんな人がいるもんだな」
ロブも頷いた。
「そうだな」
カミュはテーブルの上に残されたステーキへ目を向ける。
「さぁ、冷めちゃったけど、ステーキ食べようぜ」
「そうだな。
ハーブがいなくなったから、酒もゆっくり楽しもう」
二人は再び席についた。
カミュがステーキを頬張る。
「このステーキ、うまいな」
ロブは、先ほどハーブが見せていたものとよく似た、得意げな表情を浮かべた。
「名物だからな」
「……」
「……」
二人は顔を見合わせ――
同時に吹き出した。
その後、追加のエールを頼みながら、ロブを聞き役に、エーデルの街についての話に花を咲かせた。
今日、この街へ来たばかりのカミュにとって、聞くものすべてが新鮮だった。
酒場の喧騒をBGMに、二人の会話はゆっくりと夜へ溶けていった。
それから二時間ほどして、ロブは自宅へと帰っていった。
カミュも用意してもらった部屋へ戻る。
ベッドに横たわり、今日一日の出来事を思い返す。
妖魔の森。
学院長との再会。
ハーブやロブとの出会い。
そして、酒場での騒ぎ。
エーデルへ来た初日だというのに、あまりにも多くのことが起こった。
(なんか、いろいろあったな……。
明日は、換金の仕方を教えてもらうんだっけ……)
そんなことを考えながら――
カミュは、静かに眠りへと落ちていった。




