「王国陰謀編」第二章「集いし者たち」7-魔術師、旅の館で無知を知る-
ロブとカミュが宿へ到着するころには、すでに夕刻を迎えていた。
あと半刻もすれば、太陽は地平線の彼方へ沈むだろう。
「カミュ、ここが目指してた宿――『旅の夢と希望の館』だよ。
この辺じゃ、かなり有名な宿なんだ。いろんな種族が泊まりに来るから、冒険者の間でも評判がいい。
それと、ここの名物のパン――『ガトゥパン』は、魔術師に一番人気なんだよ」
カミュは、少し驚いたように目を見開いた。
「えっ! ガトゥって、あの『ガトゥの実』かい?
パンにしちまうなんて、なんてこった。
普通は魔力回復薬にするんじゃないのか?
エーデルンって、とんでもない国だな」
ロブは、なぜか得意げに胸を張った。
「他の地域のことは知らないけど、エーデルンじゃ、ガトゥの実は割とたくさん採れるんだよ。
それに、ここの店主の出身の村がガトゥの名産地でね。
とはいえ、パンに入れるなんてのは、ここくらいかもしれないけどな」
そう言って、ロブは宿の入口を指差した。
「さぁ、入ろうぜ。
カミュは宿泊もするんだろ? だったら、泊まれるかどうか先に聞かないとな」
魔道学院からここまで歩いてくる間に、二人はすっかり打ち解けていた。
出会ったばかりだというのに、いつの間にか、ざっくばらんに話せる間柄になっている。
それもまた――二人にとっては、自然なことだったのかもしれない。
「ちょっと、あんた!」
宿へ入ろうとしたカミュへ、声が飛んできた。
「フードくらい取ってから入りなさいよ。そのままじゃ、怪しい人にしか見えないわよ」
声の主は、プレートメイルを着込んだ若い女性だった。
ヘルメットこそ被っていないものの、その出で立ちは、宿の用心棒というより、今にも戦場へ向かいそうな戦士そのものだった。
「私はハーブ。この館の用心棒よ」
そう名乗った女性は、腰に手を当てる。
「本当に、魔術師って格好だけでも怪しいんだから。顔くらいちゃんと見せるのが普通よ」
カミュは言われるまま、フードを外した。
「ごめんよ。都会の流儀って、よく分からなくて」
そして、ハーブのほうへ顔を向ける。
その顔を見た瞬間、ハーブは少し戸惑った。
「あら……ハーフエルフだったのね」
だが、すぐに表情を和らげた。
「気分はよくないかもしれないけど、フードを取っていても、ここなら大丈夫よ」
ハーブも知っていた。
ハーフエルフが、しばしば差別の対象となることを。
種族の違い。
血の混じり。
純血であることへの執着。
そうした偏見は、人間だけに限ったものではない。
どの種族にも、純血を尊ぶ者は少なからず存在していた。
だが――ハーブ自身は、そうした考えとは無縁だった。
幼いころ、父のハンから何度も聞かされた言葉がある。
『親の種族だとか、親が誰だとかは、その人には関係ないことだ。
見た目や出自で人を判断しちゃいかん。
ちゃんと相手を見て、判断するんだ』
ハーブの故郷、イル村。
そこは小さな村だったが、多くの種族が共に暮らしていた。
人間だけではない。
エーデルンに住む様々な種族が、すべて集まっているのではないかと思えるほどだった。
もちろん、そこにも純血至上主義者はいた。
ときには、それが原因で揉め事になることもあった。
そのたびに、ハンは娘へ同じ言葉を繰り返した。
ハーブは、そんな父の背中を見ながら育ってきた。
同じ村の仲間として、多くの種族と接してきた。
そして、ハーフの者たちとも、ごく自然に肩を並べて過ごしてきた。
だからこそ――ハーブにとって、相手が何者であるかは、それほど重要なことではなかった。
店主のアランも同じイル村の出身だ。
種族に対する寛容さは、彼もまた持ち合わせている。
そもそも、様々な種族が行き交う冒険者向けの宿を営んでいるのだ。
種族にこだわらないのも、当然といえば当然だった。
ただし――。
エーデルには、ごく少数ではあるものの、特定の種族しか泊めない宿屋も存在していた。
それもまた、この街の現実だった。
ハーブは、そんなことなど気にする様子もなく、笑顔で腕を曲げた。
そして、力こぶを見せつける。
「冒険者はね、種族なんて関係ないのよ。
要は腕っぷし。
役に立つかどうか、それだけさ!」
「ははっ。ありがとう。
じゃあ、遠慮なくフードは取ったままにするよ」
カミュも笑顔で答えた。
「それで、宿の受付はどこにあるか教えてもらってもいいかい?」
「宿の右奥に受付があるから、そこで手続きしてね」
「ありがとう」
カミュはハーブに一礼すると、宿の中へ入っていった。
その後を、ロブもこっそりと追うように入っていく。
カミュは、ハーブに言われた通り、右奥にある受付へ向かった。
一階は、冒険者向けの宿らしく酒場になっている。
見渡せば、様々な種族の冒険者たちが酒を飲み、食事を楽しんでいた。
ハーフの姿も、決して珍しくない。
(これなら、確かに目立たないな)
カミュは少し安心すると、受付にいる女性へ声をかけた。
「選抜試験までの十五日ほど、お世話になりたいんだけど、大丈夫かな?」
「大丈夫だと思うけど……ちょっと確認するわね」
受付の女性は、レジェと呼ばれる女性だった。
大きな帳面を開き、空き部屋を確認する。
「部屋のランクは、どうするんだい?」
「普通で」
「寝泊まりできればいい、って感じかい?」
「お風呂付きなんて、ないですよね?」
レジェは目を丸くした。
「貴族様じゃあるまいし、この宿にそんな部屋はないよ。
……あんた、貴族様なのかい?」
「いや、そんなんじゃないよ。
あったら嬉しいかなぁと思って」
「お風呂に入りたけりゃ、二軒ほど先に風呂屋があるから、そこで入るくらいかね」
「じゃあ、寝泊まりできる普通の部屋で」
「分かった。
宿代は基本、前払いだよ」
レジェは帳面を確認する。
「十四泊だから……十万エーデルで負けといてやるよ。
最近は物価も上がってるからね。負けても、このくらいだよ」
「十万エーデル……」
カミュは、いまひとつ実感が湧かなかった。
何しろ、今日この国へ来たばかりなのだ。
(うぅ……。
やっぱり、おじさんの家にお世話になったほうがよかったかなぁ……)
カミュは懐から財布を取り出す。
「これで足りますか?」
そして――。
金貨を一枚、受付へ差し出した。
「……」
「……」
レジェの動きが止まった。
「き、金貨!?」
「はい」
カミュは申し訳なさそうに答えた。
「ヴィルハーン金貨です」
「旦那――――っ!
アランの旦那――――っ!」
レジェの声が、酒場中に響き渡った。
その瞬間。
酒場にいた冒険者たちが、一斉に受付を見る。
ざわめきが止まり、店内が静まり返った。
何事かと、用心棒のハーブまで駆け寄ってくる。
ほどなくして、店の奥から一人の男が大急ぎで姿を現した。
「レジェ、どうした!
何があったんだ?」
店主――アランだった。
レジェはカミュを指差す。
「この方が、金貨を……」
「これしか手持ちがなくて……」
カミュは戸惑いながら金貨を見せる。
その状況を見たアランは、すぐに理解した。
――なるほど。
世間知らずの坊ちゃんが宿代を請求され、金貨を出してしまった。
それを見たレジェが驚いて叫んだ。
どうやら、そういうことらしい。
「えー……レジェ。
ちょっと落ち着いて、お客さんとの話を教えてもらえるかな」
レジェから事情を聞いたアランは、改めてカミュを見る。
普通の部屋で十四泊。
宿代は十万エーデル。
そこへ――金貨一枚。
(そりゃ驚くわな……。
にしても、今どき金貨をそのまま使おうとするとは。
この坊ちゃん、いったい何者なんだ?)
アランは呆れたような表情を浮かべた。
そこへ、ハーブが割って入る。
「あんた、何かしたの?
だったら、ただじゃおかないわよ」
「えっ!?」
カミュは慌てて首を振った。
「ごめんよ。
この国でお金を使うっていうか……お金を使うこと自体、今が初めてなんだ。
この金貨も、母さんから『大切に使うように』って渡されたものなんだよ」
その言葉に――。
アランも、レジェも、ハーブも、ロブも。
揃って呆れた。
ロブなど、とうとう額に手を当てた。
「カミュ……。
そういうことは、先に言ってくれよ。
俺がちゃんと仲介してやったのに」
「住んでた村でお金を使うことはなかったし……。
旅をしたことはあるけど、母さんか、父方のおじさんが全部やってくれてたんだ」
カミュは、申し訳なさそうに周囲を見回した。
「……すいません」
アランは、大きく息を吐いた。
「ふぅ……」
そして、金貨を手に取る。
「分かった。
この金貨は、ちゃんとしたところでエーデルに換金しよう」
「エーデル?」
「この国の通貨だよ」
アランは苦笑する。
「どうやって換金するのかも、教えてやる。
明日、換金所に一緒に行こう」
カミュは、改めて深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。
よろしくお願いします」
アランは、そんなカミュを見て少し笑った。
「今日のところは、飯を食って、部屋で休みな」
そしてレジェへ向き直る。
「レジェ、宿泊の手続きをしておいてくれ。
あと、この子――カミュだったな。
食事代も別で付けておいてくれ」
「はい」
「金貨があるんだ。多少贅沢したって十分だろ」
アランは改めてカミュを見る。
「この金貨は、預かっておく。
まずは、ここのうまい飯を食って、部屋でゆっくり休め。
続きは明日だ」
「はい!」
カミュは、また大きく頭を下げた。




