1話 お嬢様はSMに興味あり?
『性欲がカラダの穴を埋めるために有るのなら、性癖はココロの穴を埋めるものだ』
そう言ったのは誰だったか。昔すれ違った汚いおっさんかもしれない。
放課後の篤聖高校、2年1組の自分の席に座る俺――黒川凛音は完全に気が抜けていた。
机の上には授業で出た課題。全くやる気にならず汚い格言を思い出しながらボーっとしていると、普段話すことのない人が声を掛けてきた。
「シャーペン落ちてますよ。黒川君」
上品で甘い声に視線を向けると、俺の隣でしゃがみこむハーフアップの銀髪が目に入った。
「ありがとう。真白さん」
ペンを拾ってくれたのは、同級生の真白妃奈。
外国の血が入った人形みたいな顔立ちでありながら、人の輪を決して乱そうとせず、いつも淑やかに微笑んでいる少女だ。
彼女がにこりと笑うだけで校舎が傾くだとか、大企業が情報漏洩するだとか色々言われているらしい。確かに魅力的ではあると思うが、それよりずっと気になる物が目の前にある。
しゃがんでいるのに鉄壁のスカートでも、拾って差し出されているペンでもない。その反対の手、膝の上に置くようにして持っていた彼女の猫耳ケースに入ったスマホの画面だ。
煌々と照らされた画面には、漫画とかでよく見る際どいSM衣装の購入画面が映っていた。
「SM嬢……?」
「ふえぇ!?」
彼女は弾けるように立ち上がると、強張った顔でスマホを背に隠した。かなり動転して見えたが、拾ってくれたペンを丁寧に机に置いてくれたところに育ちの良さを感じる。
「あ、えっと、えっとぉ……ですね。これは、そう、ハロウィンの仮装です。友達がふざけて、着てみないかって……えへへ」
「まだ四月だけど」
「気が早いですよね。大切なお友達なんですけど……こういう悪戯をするところは困っちゃいますよ。あははっ……」
真白さんの青い瞳が逃げ場を探すように泳ぐ。銀の髪の隙間から、額に浮かぶ汗が見えた。
「そんな焦らなくても大丈夫だけど」
「え?」
「真白さんがそういう露出の多い服を着るとか思ってないから。性格的に全然合ってないし」
「……で、ですよね」
真白さんのテンションが目に見えて落ちてしまった。おかしい。フォローしたつもりだったんだけど……。
「……そ、それよりも、黒川君は将来設計の課題ですか? 配られたばかりなのに、熱心なんですね」
真白さんは取り繕うように笑いながら、俺の机の上を見た。
「……そうなんだよ。未来の自分なんて想像もつかない。俺の頭は夕飯何を食べるか考えるだけでキャパオーバーだ」
質問を目で追うたびに気が重くなる。最近の教師は紙一枚で尋問してくるらしい。しかもこれを同級生の前で発表すると言っていた。そんな公開処刑許されるのか?
「分かります。私も今日はずっと頭からこの課題が離れてくれませんでした。何をしてても隅っこから紙が顔を覗かせて、こっちを見てくる気がしちゃうんですよ」
だいぶファンシーな表現だ。あるいはホラーかもしれないが。
「真白さんも悩むんだ。そういうのはしっかり考えてるタイプかと思った」
「もちろん悩みますよ。……私にだって、悩む権利くらいあるはずですから」
「……真白さん?」
「でも黒川君。そんな面倒そうにしたら、先生がかわいそうですよ? 私たちのために一生懸命考えて作ってくれているんですから」
一瞬表情が曇った気がしたが、すぐに真白さんはいつもの調子で微笑んだ。
柔らかな表情に、ふわっとした拒絶の壁。
だから俺も、彼女が求めたようにいつも通りの振る舞いをした。
「やらされる俺達だってかわいそうだろ。面倒だって顔に出すくらいの反抗は許せよ」
「ではまず、今年の目標欄に『反抗期からの脱却!』と書いてみては?」
「反抗期は別に悪いことじゃないよ。自分の意志を持つことが大事なんだ」
自分の言葉が胸をチクリと刺す。〝自分の意志〟だなんて、どの口が言っているのか。
「最近見たアニメでも、主人公がそういうことを言っていた気がします」
「真白さんもアニメとか見るんだ。意外」
お花やピアノをやってる姿なら容易に想像できるのに、アニメや漫画を見ている姿はピンと来ない。高校生としてそれはどうかと思うが、真白妃奈はそういう少女だ。
「勉強の合間や寝る前に、スマホでちょこっとだけ見たりするんです。お母さんにばれないようにコソっとですが。……悪いことをするってドキドキしちゃうんですね。私も大人の女性になったのか、そういうスリルを楽しめるようになりました」
彼女は悪戯っぽく笑う。自認が大人の女性のわりには無邪気な笑顔だ。
「大人っていうか、それこそ反抗期じゃないか? 俺も小さい頃、母さんに隠れてゲームをしてたな。布団の中でこっそりと」
「ふふ、お仲間ですね。これは私と黒川君、ふたりだけの秘密ってことにしておきましょう」
淡い色の唇の前で人差し指を立て、「シーッ」と微笑むお嬢様。こちらを盗み見ていた男子が、恋に落ちたような表情をした。
幸か不幸か、俺は子供の頃に顔のいい人間を散々見てきた。だからこういう状況にも耐性はある。むしろ、美人が相手の時ほど、昔の悪い癖が出てしまう。
その人の本音を探ろうとする、無意識の癖が。
「……真白さん。さっきの画像のこと、誰かに言いふらしたりしないから」
「えっ⁉」
俺の言葉に目を丸くした彼女は、ぽかんと開いた口を手で覆い隠した。咄嗟にこういう仕草が出てくる辺りが育ちの良いお嬢様なんだよなぁ。
「な、なんで急に、そんな……」
「その人が求めてることとか、不安とかさ。そういう隠してる本音みたいなのに昔から敏感なんだよね。絶対じゃないけど、なんとなく分かるというか……」
他人の顔色ばかりうかがっていたら、自然と得意になっただけ。環境を変えても、そういうところは変わらない。
いや、変わらないんじゃない。変えようがないんだ。
芯がない、自分がない。空っぽだから――変わりようがない。
「……そ、そうなんですか。黒川君って凄いんですね」
「別に疲れるだけだよ。とにかく、画像のことは気にしないでって話」
「あ、あの……そう連呼されると、なんだか背中がこそばゆいのですが……分かりました。これもふたりの秘密ってことで、お願いします」
「分かった」
真白さんは優等生の笑顔を浮かべて「また明日」と、小さく手を振り背を向けた。
銀の長い髪が教室から出て行き、俺は小さく息を吐く。
自分の席なのに居心地が悪く感じるのは、微かに香る彼女の甘い匂いのせいか。それとも周りの男子達からの刺さるような嫉妬の眼差しか……。
「俺も帰るか……」
机に置きっぱなしだった「空っぽの未来」をカバンの中に突っ込んで席を立つ。今考えるべきことは進路よりも夕食のことだ。
家の冷蔵庫は空っぽ。買い出しと調理は面倒。費用対効果的に今日の最適解は――。
最後まで何かを隠そうとしていた真白さんに、後を追ってきたと思われないよう、俺はノロノロと教室を出た。




