六話 召喚魔法発動
約束の八日後がきた。ついに救国物召喚の儀が行われるこの日、実行する聖女様はもちろん、テューマー王やジルマ、アプライトに城の重鎮たち、それに数名の兵士たちが、城の外壁にくっつくように建設された儀式場に集まった。この儀式場は無論わざわざこのために造られたものではなく、もともと城に住む者たちが休憩するための場所だが、それだけにドーム状の屋根を支える四本の柱以外は吹き抜けになって城下町などの景色を一望できるという気持ちのいい場所であった。しかも、このときの天気は白く厚い雲こそ所々に浮いているものの、青々とした快晴で爽やかな風も吹いているという一層快然とした状況だ。
そんな風を受けながら、儀式場の中心に立って聖女様は最後の精神統一をしていた。
先ほどから三十分は目を閉じたまま立ちつくしているが、彼女の顔には疲れた様子も緊張した様子もない。ただ空、また無。水色の髪をふわふわとなびかせて背景の青空に溶け込むように立っている。
その様子を見て、はじめ「いよいよ始まるな」とかえってこちらの方が強張った顔をしていたテューマー王が三十分も経つうちにそわそわして堪らなくなったのか隣に立つジルマの耳に口を寄せた。
「ジルマ……。救国物召喚の魔法とは何がやってくるか本当にわからんのか?」
「前に説明しました通り、物か、本か、或いは人か。やってみるまではわかりませぬな。それは使う当人にすら不明で。しかし、それが何か気になりますか?」
「いや……もし、我々の手に負えぬものが召喚されてきたらどうしようかとふと思うてな」
テューマー王の言葉にジルマが「ああ……」とコクコクと頷いた。
「それは一端わしも考えましたがのぉ。そもそも国を救うための召喚が確実になされる救国物召喚の魔法じゃ。人が来ようが物が来ようが我らに協力的なものが来るものと思われまする。つまり、召喚への心配は一切ないと考えてよろしい」
「そうか?」
「そうでしょうな」
「そうか……だが、できれば人には来てほしくはないなぁ」
「何故?」
「歓待など色々と気を使うだろう。何せ国を救ってもらおうと言うのだ。相応のもてなしをせねばならぬ。そしてその後には交渉だ。これも気を揉むぞ……。さすがにやや気が重くなってきたわ」
「ははぁ……なるほど。それはたしかに大変でしょうな」
何だか他人事みたいなことを言うジルマが口を閉じると、パッと目を開いた聖女様が彼らの方に顔を向けた。
「陛下。……では、これより儀式を行います」
「むっ、もうよいか?」
「はい。何が起こるのか私にもわかりません。どうかお気をつけください」
「わかった。では、始めてくれ」
テューマー王の言葉と共に聖女様がべたと床に座り込んだ。途端に儀式場の周囲にある全ての音が止んだ気がした。儀式場に吹き込んでくる風もいっそう清浄で冷たいものになった気がした。そんな中、胸の前で手を組んだ聖女様がややあって何やら言葉を発し始めた。
「空に起こる波濤、我らが頭天に集いたまえ。頭天の雲に想う夢、波濤によって形成したまえ」
明らかに儀式の始まりを告げる聖女様の声にこの場にいた者たちが一斉に神妙となり、息をのんだ。息をのむというより、この国のその後を作用する重要な儀式だ。彼らは息を吸うことも忘れてその声も別世界に響くもののように遠く聞いていた。しかし、そこに一人の男の声が入り込むと、彼らは我に返った。
「へ、陛下っ。城の真上、いや、見渡す限りのこの空がどこからともなく現れた雲によって覆われてゆきます!」
声を上げたのは異変があればとにかく伝えよと命じてあった兵士たちのうちの一人のものであった。屋根の外にいた彼が儀式場の中に声をかけると、テューマー王は「なにっ」と叫んでは屋根の下から急いで出て上空を見上げた。見ればなるほど、兵士の言うとおり周辺の雲が膨張をはじめ、急激に見渡す限りの空を真っ白に埋め尽くしはじめていた。そんな騒ぎを物ともせず聖女様が、
「ヤタラ、メッタラハラヘッタ、ネタラ、ネッタデオコサレタ、ダカラヒタスラ、ヤッタッタ、クッチャネシテタラ、ハテタッタ」
と今度は意味不明な呪文を唱え始めた。すると雲を見上げていた兵たちが「おおっ」と声を上げる事が起こった。顔をふり向けて聖女様を見ていたテューマー王も再び上空を見上げると似たような反応をした。空を覆い尽くした白い雲が、真っ赤なものへと色を変えたのである。
先ほどまで空はまさに昼としか思えないほど青々しかったのに、いま天に浮かぶ雲は夕焼けの時よりも赤い。そのような異様な景色が現出する中、聖女様は拳を握り込んだ右腕を振り上げては念を集中しているのかその腕に力を込めたまま凝然と固まった。同じく金縛りにあったかのように皆がその様子を見つめるなか、ややあって口を開いた聖女様は、
「これぞ、土王の求める夢――救国物召喚!」
と拳を開いてそのまま床まで振り下ろした。その瞬間、兵たちだけでなくテューマー王やアプライト、城の重鎮たち空にちらとでも目をやっていた者たちが「あーっ」と叫びを上げる事態が起こった。空に浮かぶ赤い雲が、地上に向かって凄まじい速度で落下してきたのである。やがて、彼らは雲に包まれた。
さて、国を救う何がしかの召喚を行う救国物召喚の魔法――これはそのためならば時や空間すら越えるものだ。
これにより、この物語もまさに時空を越える。
寛永二十年(1643)の春の日本。つまりは江戸時代の日本へと。――




