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五話 魔法使いの戦い方

 明朝、城から出て、城下町を抜けると、北へと向かって颯爽と駆けだした五騎の馬の姿があった。言うまでもなく、身軽な旅姿をして、食料などの荷物を馬にくくりつけたリィン・マクベス、オーシャコット、バウルン、オネスト、ユールズの五人であった。彼らは前日決めたとおりファラリアル城塞の方面へと出立したのだ。しかも――その足が速い! 馬に乗っているのだからそれも当然のような気もするが、これはその馬の目も抜かれるような常識外の速さであった。その秘密は馬に乗ってただ揺さぶられているだけに見えるリィン・マクベスたちにあった。彼らは元々足の速い馬に瞬躍の魔法という動作を加速させる魔法をかけてその風をも追い越す速度を実現させているのであった。


 さて――そういえば、ファラリアル城塞が落ちると伝令に来た兵は何日で王都へと帰ってきたのであったか。五人はファラリアル城塞までたどり着く必要はないとはいえ、それよりも早く目的の場所にたどり着いた。彼らの目的、斥候の存在を遠望に発見したのだ。晴々と見通しの良い空の下、ファラリアル城塞からしばらく手前の青々しい丘の上でのことであった。


「あれだな……」


 と、リィン・マクベスがつぶやいた。青々しい丘の上で馬に乗った彼が見下ろすその先には、若葉の匂いの風が吹く草原を進む魔族たちがいた。


「一、二、三……三十ばかりの雑兵に、おお、ブラッドルンが二体にノータレィンが一体いるな」


 同じく丘の上からその魔族たちを眺めるオーシャコットが言った。ブラッドルンとは全身のあちこちに赤い血袋をつけた真っ白な魔族で、ノータレィンとは手の甲にそれぞれ脳味噌の半分ずつをくっつけた毛むくじゃらの魔族であった。どちらも一般的な兵ならば苦戦してしかるべき三メートルを超える身体つきを持つ魔族だ。しかし、オーシャコットが言う雑兵でさえも皮膚に黒い油を塗ったようにつやつやとして、二メートルばかりの巨躯に剣を携えた恐るべき者たちではある。オーシャコットが、「見つかると厄介だ。みな、馬から降りろ。馬は下がらせろ」と言うと、皆それに従って馬から降りて、緑の芝生の中に身を低くした。


「予想の通り、やはり奴ら斥候を放ったようですな」


 と、皆が片膝をつく中、ただ一人腹這いになって身を伏せたバウルンが言った。続けて、


「あれを何とかするのは少々骨が折れそうだが、どうします?」

「なんの、あれぐらいの魔族――攻撃範囲の広い魔法を使って一気に殲滅しましょうっ」


 ユールズが声こそ潜めているが強い調子で言った。すると、隣のバウルンが顔を上げて、


「ばかっ」


 と小さな声で叱った。


「今回の作戦のそもそもの狙いを忘れたか。何匹かは城塞に帰さにゃならんのだ。俺たちが取って返してきたとあえて報告させるためにな。魔法で全滅させるのは簡単だが、骨が折れそうと俺が言うのはそういうことだ」

「あっ、そうだった。……では、どうしましょう? 隊長」


 問いかけられると、リィン・マクベスがこちらの方へ徐々に近づいてくる魔族たちをじっと睨みつけながらこくりと頷いた。


「たしかに殲滅の恐れがあるため範囲の広い魔法を使ってはならん。我ら五人、揃いも揃って近寄って攻撃する方が得意であまりそちらで調節の利く面々ではないからな。ただ魔法は使う。小さな魔法で奇襲をかけ、確実に数を減らしたのち、我らの印象を強めるためにも斬り込むぞ」

「わかりました」


 しばし――五人は魔族たちが近寄ってくるのを待った。そして、魔族たちが丘の側にたどりつくと、


「呪文を唱えよ。サンセクションだ」


 準備を整え始めた。


「これぞ、炎王の照らす明日――サンセクション」


 同時に呪文を唱えた五人の手に小さな太陽のような火球が現れた。まさに小さな太陽のように時折火が噴き上がり、煮えたぎっている感じはあるが、自分で生み出したものだから手の近くにあってもこれは熱くないらしい。だが敵にぶつければ熱と圧力で相手を溶かし、消滅させるサンセクションの魔法であった。

 ただひとり両の手に火球を携えた膝立ちのリィン・マクベスが、


「私の合図で一斉に放つ。よく狙え」


 と前のめりになった。


 一秒、二秒――時間は経ち、魔族たちは段々と近づいてくるが五人に気づく様子はまだない。斥候に来た魔族だけに全員周囲を眺め回しながら歩いているが、全員でやっていることでかえって個々の神経がゆるみ、注意力が散漫になっているのかもしれない。


 その隙を突いて、

「よし、放てっ」

 とリィン・マクベスが鋭い声を上げた。


 五人が腕を振り、手の火球を一斉に放った。丘の上から降った火球は魔族たちの上半身のいくつかを溶かし、消滅させた。

 唐突なことに「あっ」と叫びを上げ飛びあがった魔族たちはキッと丘の上を睨み上げる。

 その先では、膝立ちから立ち上がった面々もまた魔族たちを睨み下ろしていた。


「砦での恨み、まず先んじてお前たちに晴らす。行くぞ! 斬り寄れ!」

「おう!」


 スラリと見事に剣を抜き、マントをなびかせながら白い風みたいに丘を駆け下るリィン・マクベスを先頭に、面々は魔族に向かって殺到した。


 この奇襲を受け、一瞬身をのけぞって怯んだ魔族たちは、さすが好戦的で凶暴な質をしているだけにすぐさま気を取り直すと、剣を抜き払って吠え声を上げた。

 威嚇的な吠え声を上げながら曰く雑兵の魔族たちが横一列の陣形を組んだ。リィン・マクベスたちはそこに気遅れもせずに斬り込んだ。ともかくも、リィン・マクベスたちはそれぞれ正面にいた魔族を易々と切り捨てた。


 だがいくら正面の一体を切り捨てたとて、そんなことを容易に成し遂げるほどの腕前を持っていたとして、少人数の者が陣形に対して斬り込めば即座に陣は姿を変えて近くにいる敵を中心にくるりと丸まっては相手を取り包んでしまう。これこそこの陣形の効果とそれを可能にする一筋縄ではいかない魔族たちの知性だ。いかなる腕前の持ち主であっても取り包まれれば危険なのは言うまでもない。

 

 が、しかし結果的にそうはならなかった。


 リィン・マクベスたち四人が後ろに向かって飛び退いたのだ。その上それが十メートルも飛んでみせ、なおかつ速い。人間とは思われぬ躍動っぷりだがこれはもちろん魔法の作用だ。馬にもかけた瞬躍の魔法。それを自身にかけていたのだ。

 飛び退いたリィン・マクベスたちはたちまち魔族たちへと猛然駆け寄り、正面にいた者を斬った。そしてやはりまたバッと飛び退いてしまう。その工程がさらにもう一度繰り返され、この機を織るような攻撃にはこのままでは埒が明かんと魔族も陣形を崩して前に飛び出した。


 リィン・マクベスたちへと走り寄る魔族たちの足もまた風のように速い。しかもこれはただ速いだけでなく、明らかに同じ瞬躍の魔法の作用であった。


「散れっ」


 雪崩れを打って近寄ってくる魔族たちを前にリィン・マクベスたちがすかさず縦横無尽に飛び散った。それを追って魔族たちも縦横無尽に飛び散る。飛び散った敵味方はそのまま足を止めずに絶えず駆け、この場にいる者たちはすれ違いざまに敵と一瞬の攻防を行うという乱戦を演じ始めた。これぞ魔法による集団戦――戦場はまるで乱れ飛ぶ蜂の群れが相争うかのような様相であった。


 その風圏の中で、オーシャコットよりもおかしい者はあるまい。彼は無手であった。敵に馳せ寄る彼は腰に双剣を差しているのにそれを一向に抜く気配がない。ということは彼は徒手空拳を以って戦おうとする心持ちをした男なのだろうが、しかしその突撃のしよう、様相は、戦場にて用いるならば剣法に倍して意識の慎重さや技の精妙さが必要となるだろう拳法の使い手とは思えないほどに荒々しく、ただの無鉄砲に見えた。しかしその荒々しい勢いの甲斐あってと言うべきか、一体の魔族とすれ違う際、凄まじい速度で繰り出された彼の拳は相手が剣を振るおうとするよりも早く相手の脳天をひしゃげさせ粉砕させた。どうと倒れた魔族の血溜まりを踏む彼にある者が接近してきた。毛むくじゃらの脳味噌魔族――ノータレィンだ。四つん這いの四足歩行、手足の長くなった熊のような見た目の通り、獣じみた走法で接近してくるノータレィンに足を止めその方を向いたオーシャコットが、


「おおっ、来い。ノータレィン!」


 と吠えた。


 その声に合わせてノータレィンは上体を起こし二足になると、そのままオーシャコットに対して右手を振り上げ飛びかかった。それが何たる迫力だろう。勢いが凄まじいのは勿論そうだが、そもそも爪を光らせた三メートルばかりの巨大な獣が人間に対して飛びかかるという絵図はまさに絶体絶命の光景としか思われなかった。しかし、そんな場合にあってもオーシャコットは腰の双剣を抜こうとはせず、何と肘を曲げた生身の左腕を頭の上に振り上げてしまった。間違いなく彼はその左腕で攻撃を受けとめようとしているのだろうが、いくら拳法家といえど鋭い爪に生身の腕を合わせて果たして無事で済むものではあるまい。


 構わずノータレィンが腕を振り下ろすと――途端に戛然! 鉄が相打つ音がして、そこから火花が散った。ノータレィンの腕はそこで止まっていた。オーシャコットは生身にて刃物のように鋭い爪を受けとめてしまったのだ!

 そのまま二足にて地に立ったノータレィンが右腕に力を込めて押し付ける。だが、ふんと息をもらしてそれに対抗するオーシャコットの腕はそれでも一滴の血を流すこともなかった。彼の肉体は鋼と化してしまったのか? ――まさにそうだ。これが彼の一番得意とする魔法、自らの肉体を剣も熱も魔法も通ぜぬ金剛不壊のものにする魔法であった。


 腕を離したノータレィンは荒い鼻息を吐き、足を踏み出しながら太くて毛むくじゃらの腕を横薙ぎに振るった。大振りだが物凄い勢いだ。それをオーシャコットは後ろに下がりながら硬化した腕で受けとめ、自らも踏み出して拳を突き込んだ。先ほどの魔族こそ一撃で粉砕した彼の拳だが、今度はさすがそれより巨大なノータレィンゆえにそう簡単にはいかない。胴に拳を食ったノータレィンはうめきすらするものの再びを腕を振るった。幾度も、幾度も、人の頭骨を一撃の下に叩き割り血の霧としてしまいそうな丸太の如く。見るも凄まじい威力であるが、オーシャコットはかかる攻撃のことごとくを自身の硬化した肉体のみならず玄妙な技によって防ぎ、時に大胆にも胸によって受けるなどして攻撃に転じた。そんな攻防をしていると間もなく、ノータレィンが腕を広げて覆いかぶさるように襲いかかり彼らはガッと両手を組み合って膠着した。


 ――と見えた。しかし、押し合う彼らは傾いている。ゆっくりとオーシャコットの方へ。オーシャコットが押されているのだ。


「ぐっ……こうなると敵わんな」


 歯を噛みしめたオーシャコットが声を絞り出した。


 たしかにいくら彼が身体を硬化できようとパワーではノータレィンには敵わない。彼は肉体のパワーを上げる魔法を使っているが、それはノータレィンも同様であるからだ。双方が同程度の魔力を以って同じパワーを上げる魔法を使っているとなれば、元々の肉体の強さが物を言う。が、オーシャコットも人間の中では相当な大男だが、いくらなんでもノータレィンの前ではそれも形無しだ。

 その巨躯を活かし、唸り声を上げながら山ののしかかるが如く押してくるノータレィンにオーシャコットは次第にのけぞり腰を落としていった。


「む、おお……」


 オーシャコットが苦鳴にも似たうめき声を漏らした。

 別に金剛不壊の魔法があるのだからこのまま押し倒されてもさほど危険はなかろうが、それでもここで負ければ今回の作戦のそもそもの目的である魔族たちを物怖じさせるというそのものへは影響する、と考えたオーシャコットはある行動を取った。それは右腕をひねり、左手の方に寄せると、右手も左手もパッと離してしまい、すかさず左わきにノータレィンの両腕を抱え込んでしまうことであった。これはただ単に右手を自由にするための方策ではない。両腕をわき抱えにされたことによりそれぞれ両手の甲に脳味噌が半分ずつくっついたノータレィンは脳味噌が一つになり――


 途端に「う……うぬはソーラコアの隊長、オーシャコット・エレクティア……」と先ほどまでの獣じみた狂的な目が落ち着き、声までも深沈とした響きになったノータレィンが言葉を話した。脳味噌が分かれていると凶暴だが二つに分かれた脳味噌が一つに合体すると途端に瞑想的で思慮深い性質になるのはこの魔族の特徴だ。むろんそれだけではなく、瞑想的になったことで先ほどの獣めいた凶暴性、それに付随した怪力をノータレィンは失ってしまった。


「おう! 今更気づいたか!」


 これを狙ってのけぞった上半身を戻したオーシャコットがニヤリと笑った。これまでとは逆に今度は相手を押しはじめた彼がさらにノータレィンの首に空いた右手を伸ばしてその喉元を掴んだ。彼はそのまま相手を窒息させるつもりだ。妙に冷静になったノータレィンは、


「や、止めろ……」


 とやはり静かな声でつぶやいた。


「止めぬ! 悪いがここでお前には果ててもらう!」


 首に手をかけたオーシャコットがさらにその力を強くした。これによって最早、止める気など一切ないと悟ったらしいノータレィンは絞められる首にも構わずに牙を剥いてその口をオーシャコットの顔に近づけていく。言うまでもなく彼に噛みつくつもりだ。それを封じんとオーシャコットもまた右手に力を込めて、ここに再び必死の力比べが現出した。だがたとえ瞑想的になろうとも、もとより体格で勝るノータレィンが有利だ。首と腕の力比べはノータレィンが制して徐々に距離を詰め、オーシャコットの鼻先にまで牙が迫るに至った。が、首を絞められる苦しさによりそこで力尽きたのか、ややあって形勢は逆転し、ノータレィンの顔は押しのけられていった。


「お前はここまでだ。その命、俺がもらった!」

「な……なに?」


 かすれた声でうめいたノータレィンは最後の力を振り絞って再度牙を剥いて顔を前に出す。それに応えてオーシャコットもまた全精魂を右腕に集中させた。これは互いに全力を賭した極限の戦いであった。すると――その最中、ノータレィンの頭部が突然にはじけ飛んだ。そして、


「遅くなったな。隊長殿」


 と、首のなくなったノータレィンの巨大な肩にいつの間にやら立っていた満面血まみれのバウルンが言った。


 まさかノータレィンの頭部がはじけ飛んだことの原因が力み過ぎということはあるまい。ということは、これはバウルンがやってのけたことであろうが、彼は一体どうやってそんなことをやったのか? 彼がこの場に近づいてくる様子はこんな場合にありながらも周囲の光景に気を配っていたオーシャコットたちの目にも映らなかったのに――。その上、そういえばサンセクションの魔法を放った直後から彼の姿は一切どこかへ消え去ってしまっていたのだ。そのことをもあってまるで瞬間移動したとも言うべき唐突たる奇襲ぶりであった。その上、彼の手には兄と同じくやはり何の武器もない。


 だが何にせよ――急に取っ組み相手を失ったオーシャコットは首を失ったことで土台が膝から崩れ落ち、地に降り立ったバウルンに向かって、


「別にあのままでも俺が勝っていたものを」


 と不服そうに言った。答えてバウルンが、


「何せ俺と隊長殿は一体の者であるからなぁ。倒す敵も二人で一人」


 と呟きながら顔の血を拭った。この言葉に少しの沈黙のあと全く同じ容姿をした二人が鏡にかけて見るようにニッと笑うと、オーシャコットの方が、


「では、引き続き頼むぞっ」


 と声を張り上げ走り出し、バウルンの方は突如姿を消し去ってしまった。


 武器も持たずに戦う二人――なんとも強く豪快な者たちではある。ただ豪快という点では彼らの仲間内にも負けぬ者がいた。それは最年少の少年戦士、ユールズであった。まだ少年である彼は自身から沸き起こる心理に一生懸命のため時折失言をしたりなんとも迂闊な性格をしているが、それだけに剣を持たせれば純粋一途、斬ると決めたものは怖さ知らずにすっぱり斬るところがあった。事実いま――「えやあっ」と気合を発し魔族を袈裟斬りにした彼の剣は豪剣と言って差し支えない勢いを以って振り切られていた。そんな彼の前に一体の魔族が立ちはだかった。


「ブラッドルン!」


 全身のところどころに大きな血袋をつけた見るも吐き気を催す醜怪な魔族――ブラッドルンであった。その特徴のためか鎧も服も身につけていないブラッドルンはただ一つこれだけは携えた剣を振り上げると、ユールズに向かって斬りかかった。受けてユールズは上段から振り下ろされる刀身を自分も剣を差し上げることで防いだ。しかし、一度防がれたぐらいでは慄かぬブラッドルンは再び剣を振り上げてはユールズに向かって斬り下ろした。何度も、何度も、剣法というより鉄槌でも振り下ろすが如く。ユールズはそれらことごとくを頭上で防いでゆくが、それでも劣勢に違いないと見えた。が、さすがは手練の兵科兵団の一員、彼は何度目かの斬り下ろしの際にふわりと相手の剣尖を逸らすと、空を打たせ、その隙に「えやあっ」と飛び上がって剣を振り下ろした。


 だが、振り下ろされた剣は肩に食い込みそこにあった血袋の一つを斬って血を噴き出させたものの、そこで止まってしまった。いや、止まってしまったというより、まだ斬り進めたのに何か間違ったことをしてしまったユールズが思わず自らの手で止めてしまったという感じだ。ユールズは勢いがなくなったためもう進めなくなった剣を引き上げて、


「しまった……やっぱりこいつは苦手だ!」


 と、いかにもまずいことをしたように顔をしかめた。


 対するブラッドルンも当然傷によって顔をしかめていたが、しかし血袋からは血が噴き出すのに斬り下げられた傷からは不思議と血が流れ出さなかった。


 それはともかく、思わぬ反撃を受けたブラッドルンは慌てて飛び退いた。飛び退いたのに剣を上段に振り上げたこの魔族はこれまた不思議なことをした。上段に振り上げた剣の切っ先を自らの背中に落とし、背中についていた血袋の一つを裂いてしまったのである。裂かれたことで血袋から赤い血がぴゅーっと迸った。こんなこと普通なら何のためにやったのかわからないことだ。ただ、ユールズはこの様子を見てはいなかった。彼は戦いの最中に敵から目をそらして腰を捻じって背後を向き、先ほど斬ったときに自分の肩を越して後ろに噴き出していったブラッドルンの血の溜まりを見ていた。そんな彼の目の先で、この草の上に溜まった血に奇怪な現象が起こった。血がこの短時間に固まりはじめたのだ。いや、血には凝固作用があるからそれは特別おかしいことではないが、その固まった血が何やら立体的な膨らみとなってきた。しかも、寝転がった小さな人のような形で。と、見るや――血溜まりの中に幼児ぐらいの大きさの全身真っ赤な生き物がバッと飛び起きた。


 魔族は単体にて子を産む、と言ったのはユールズの兄オネストだが、ブラッドルンの生殖方法がこれだ。この魔族の全身にある血袋が破れ、中の血が外気にさらされ凝固するとそれが一つの生命となって動き出すのだ。つまり、いま血溜まりの上に立ったのはブラッドルンの赤ん坊であった。ただ、赤ん坊といってあなどってはいけない。たとえ産まれたばかりでも既にその足は人間の大人にも劣らぬ速度を出すし、ひとたび敵にしがみつけば相手の腕や首をあっさりとへし折ってしまう。むしろ小さくてすばしっこいだけにあるいは成体ブラッドルンよりも厄介とも思われる恐ろしい赤ん坊であった。ユールズが先ほどせっかく斬り込んだ剣を止めてしまったのも、この赤ん坊を生み出すまいと血袋のないところを斬ろうとしていたのに失敗してしまったから我知らず止めてしまったものと思われる。

 恐ろしきその赤ん坊は、産まれたばかりにもかかわらずもう闘争心を発揮したのか、ユールズに向かって獣的な猛り声を発しながら走り出した。同時にユールズを挟んで反対側にいる成体ブラッドルンの方も走り出す。


「挟み打ち……だが、俺には通じんぞ!」


 剣を肩まで構え上げたユールズが向きを変えて赤ん坊の方へ走りだそうとした。彼はまず赤ん坊を斬って、それから成体の方の相手をするつもりだ。だが、走り出そうとした彼の足はびたりと止まり、前へとつんのめった。向きを変える途中の彼の目にあらざるものが映ったからである。浅く前かがみになったユールズは鞭のように素早く背後へと顔を振り上げた。そこにはもう一体の赤ん坊がブラッドルンを踏み台にして彼に向かって飛びかかってきていた!

 何たる不覚。何たる迂闊。ユールズは先ほどブラッドルンが行った行為に気づかず、また先ほどからずっとブラッドルンの巨大な身体の背に隠れていたこの赤ん坊の存在にも気付いていなかった。


「あっ!」


 とユールズは目を剥いたものの、しかし予想外のことに彼は微動だにできない。そのまま自分の顔に向かって飛びかかってくる赤ん坊を彼はただ眺めていた。そして最早しかみつかれるっ、という距離まで迫ったその時、ユールズの肩越しから巨大な針のような剣が飛び出してその赤ん坊の胸を突き通してしまった。


「おっ」とユールズがうめく中、その剣は横ざまにどけられ、半ばまで刺さった赤ん坊はぶんと放り捨てられてしまった。そこでようやくユールズが背を伸ばし正面を見ると、そこにいたのは彼を向いた兄オネストであった。


「に、兄さんか……ああ、危なかった」


「まったく迂闊だな。ほら、向こうを向け。背後にいた赤ん坊の方も倒しておいた。だが大人の方は生きているぞ」


 ユールズが見てみるとたしかにオネストの言うとおり、最初に斬ろうとしていた方の赤ん坊が倒れていた。それを確認してユールズが反転して大人の方へ踏み出そうとすると、他ならぬオネストに肩を掴まれ制せられた。


「いや、お前はいい。奴は私がやる。お前は奴とは相性が悪いからな」


 途端にオネストが走り出し、ブラッドルンと相対する。そして戦いを始めたわけだが、これはなるほど、彼の剣は他の者たちの使う両刃のものではなく、針のような細い剣だ。血袋を破らないように攻撃するには最適なものと言える。その上、オネストの剣法は豪剣の弟と違って精密無比、手元が狂うことが全くなかった。迫りくる剣を時にかわし、時に逸らして、オネストが次々と突きを繰り出していくと瞬く間にブラッドルンは全身穴だらけにされた。

 血袋が破られず、かつ自分で破る暇もなく瀕死になり、追い詰められたブラッドルンは剣を大きく上段に構え、


「よくも俺をこうまで追い詰めたな! だがただでは死なん。最後の勝負だ!」


 と絶叫した。


 この瀕死の魔族の恐ろしい気合の声に、それでも動じぬオネストが冷静に剣を構えなおした。――が、次の瞬間 彼は「あっ」と声を漏らしていた。

 ブラッドルンが彼に何をしたわけではない。いや、何かをしたのには違いないがブラッドルンは身を返して走り出したのである。生物としては当然の行動かもしれないが、基本的に剽悍で荒々しい魔族がこの土壇場で逃げ出すとは――。それがあまりに想像から離れていて、さしものオネストが一瞬ぼうとその背中を見送った。ブラッドルンはその一瞬を掴んだ。


 走り出したブラッドルンはしかし逃げ出したわけではなかった。この魔族は走る勢いを利用して地面に向かって飛び込むと、ゴロゴロと寝転がってしまったのである。

 これは今わの際の生物がやる狂気的な行動ではない。ちゃんと意味があっての行動だ。ブラッドルンが転がることで全身の血袋が風船のように割れ、中の血が大量に流れ出したのだ。

 魔族が知性を得る前ならばこのような行動を取らず、真っ向からオネストに襲いかかっていただろう。これは魔王から与えられた知性によるブラッドルン決死の知恵であった。

 事実として、瀕死の状態でこんな激しい運動をしたブラッドルンはダラリと大の字になって事切れていた。しかし、最後に残したおびただしい量の血溜まりからは数十体もの赤ん坊が立ち上がった。


 すでに我に返り、「しまった!」と足を踏み出していたオネストがこれにはたまらずたたらを踏んだ。そしてそのまま後ろへ下がり、ユールズの隣へ並んだ。


「ううむ、やってしまった。思えばあんなことをする可能性は十分にあったのに」

「まったく迂闊だな」

「そんな意趣返しはいい! とにかく、早く呪文を唱えろっ」


 たしかに大群を相手にするのなら剣よりも魔法の方がいい。だがすでに彼らに向かって凄まじい勢いで殺到している赤ん坊たちを前に魔法を使うのが間に合うとは思われない。いや、たとえ間に合ったとしても、こちらに刻一刻と近寄ってくる赤ん坊たちを殲滅できる魔法などを使ってしまえば自分たちも己の魔法に巻き込まれるであろう。赤い奔流を前に二人は冷汗を流した。そのとき、二人の前に何者かの影が疾風の如く飛び入ってきた。


「あっ、隊長!」


 ユールズが叫んだ通り、それはマントをなびかせたリィン・マクベスであった。彼は、


「私に任せよ。下がりおれ」


 と、言うと、弾け飛んだような凄まじい速度で正面の敵中に斬り込み、赤ん坊たちをことごとく斬り捨てはじめた。その剣法――流麗無雑、敵中に飛び込んで全周敵だらけなのに、それを意に介さずに敵を斬ってゆく。その秘密は彼の振るう剣のそもそもの速度に合った。彼の剣は剣光も残さぬと言っていい目にもとまらぬ速さで振られていく。彼は足だけでなく、腕にも瞬躍の魔法をかけているのだ。しかし、それがただ速く振られているだけではなく、それを操る確かな技によって放たれていることは、やや遠くの場所で血袋だけ器用にさけられバラバラになって散乱しているもう一体のブラッドルンの死体を見ればよくわかる。


 あっという間に赤ん坊たちを全て斬り倒したリィン・マクベスは、この場に最早ただ二体残った魔族たちを見遣りながら、

「これで終わりだ」

 と呟いた。


 彼の目の先にいる二体の魔族はもう自分たち以外には生き残りがいないことを知って、泡を食ってファラリアル城塞の方へと逃げていった。リィン・マクベスは追わない。そのためにあえて斬らずに残した者たちだったからだ。

 リィン・マクベスが逃げる魔族たちを見送っていると、そこにオネストユールズ兄弟が近寄ってきた。


「隊長。お助け、ありがとうございます」

「ありがとうございますっ。いや、それにしてもさすがは隊長、見事な剣技。隊長が得意とするあと二つの魔法を使わずとも瞬躍の魔法だけで事足りましたね」


 オネストとユールズが口々に言うのにコクリと頷くと、リィン・マクベスは左手に白い魔法の光をまとわせ、それを血に濡れた剣にキューっと這わせた。すると手の這ったところから刀身がきれいになっていった。リィン・マクベスが血を拭った剣を鞘に納めていると、気楽な笑みを浮かべたオーシャコットがやってきて、


「とりあえず、やったな。どうだ? 城塞での悔しさは晴れたか?」


 と言った。


「言うておくが、今回の作戦はあくまでも魔族たちの足を止めるためのものだ。断じて私の憤懣晴らしのためではない」

「その言葉の真偽はともかく、ファラリアル城塞の魔族たちはこれで少しでも足を止めるでしょうかな?」


 こう言ったのはいつのまにかオーシャコットの隣に立っていたバウルンであった。


「効果のほどは予測がつかん。だが為せることは為した。王都へと帰ろう」

「おっ、帰るか?」


 オーシャコットが聞くと、リィン・マクベスは頷いて、王都のある方の空を見上げた。


「あとは全て救国物召喚の後だ。さて、果たしてどうなるのか」


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