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四十二話 立ちふさがる障壁


 アスファイヤ大陸は召喚される際、ろうそくの灯火、あるいは一滴の水滴のような形状でこの世界にやってきた。従って相模へ通じる道は一つしかないといって差し支えない。となればつまり、そこに待ち伏せされていれば回避は不可能ということになる。

 一日半が過ぎた。赤い陽の降る夕暮れの草原を新瑞清十朗は走っていた。彼はあと数里で例の砂浜にたどり着くだろうというところまで来ていた。

 二日ほどで日本まで帰れるだろうという聖女の言葉は当たっていたと言える。しかし、待ち伏せをしている者が出てくることはこれまでなかった。彼が見ている正面にも、広大無辺な草原にそれらしい姿はない。


 ――そろそろ相模に着く。にもかかわらず未だ出てこんということは、偽りであったか?


 それならその方が大いに結構なはずなのに、清十朗は苦い顔をした。もっともそのことを彼が認識したかは怪しい。すぐに彼は「むっ」と鋭くした目を横に走らせ、立ち止まったからである。不意に立ち止まった彼は左方のやや遠くにある岩群をじっと眺め出した。

 その草原に突き出た岩々は山形で暗い灰色と一見、二見、幾度見ようと何の変哲もないものであったが清十朗は鋭い目で明らかにその中の一つをじっと見続けた。そしてそのまま十数秒が過ぎた。すると、


「ふふ。おい、駄目だ。これは完全に気づかれているぞ」

「では、出てゆくとしようか」

 との声が岩の陰から聞こえてきた。続いて岩の上に二人の人物が乗りあがった。夕焼けの赤い日の下、焦げ付いたような黒い影に見える。


「お前たちは」


 清十朗が目を見開きその姿を見ているうちに岩の上に現れた二人はその上から飛び上がった。助走をつけた様子もなく宙を数十メートル飛んだ彼らは清十朗の前方に鳥のように降り立った。

 

 降り立ったのは、

「我らはソーラコア王国兵科兵団隊長、オーシャコット・エレクティア」

「リィン・マクベス・ニンキューナ」

 であった。


 やはり彼らはいたのである。いよいよ出てきたのである。

 彼らを見張った目で見ていた清十朗はふいに半眼となりフッと鼻から息を吐いて何のものか知れぬ笑いを漂わせた。

 それを眉根を寄せた目で見たオーシャコットが言った。


「我らがここにいる理由は、言わずともわかるな?」

「わかっている。……いや、というより察せられる」

「城中で事件を起こしたまごうことなき大悪人。我らの誇りにかけてお前を逃がすわけにはいかん。故郷までもう一息というところ悪いが、お前はここで死んでゆけ」


「む」と漏らした清十朗がサッと腰の刀を抜き、青眼に構えた。


 だが、対するオーシャコットは、

「それにしても、関係ないがとてつもなく美形な奴だな。さて、では立ち合うが、その前にお前の名を聞いておこうか?」

 とちらとそれを見たものの身構えもせず、すでに抜かれた刀を気にした様子のない悠長なことを言った。睨み据える清十朗は答えた。


「おれの名は新瑞清十朗」 

「答えるのか」


 オーシャコットは笑った。


「いや、聞いたのはこちらだが、同じことを聞いたお前の仲間は隠密が名乗るかと言っておったぞ。お前たちはそれが心得ではなかったのか? そうならば、どうやらお前は未熟なようだ。まあ、それを言った男も死んだわけではあるが」

「なにっ? 死んだっ?」

「そうだ。蓬髪の男は私が討った。そして、こちらの者もお前の仲間を討っている。リィン。誰だったかな?」

「体の伸びる男と、少女だ」

「この三人でお前の仲間は全てだろう。あとはお前だけというわけだ。果たして三人を討った我らに、お前一人で敵うかな?」


 青眼に構えられた清十朗の刀が茎の萎えるようにゆっくりと下がっていった。


 彼は、

「……そうか。やはりお三方は討たれたか。おそらく、そうであろうとは思っていた……」

 と呟いた。虚無的な声であった。


 声は空に溶け、清十朗の目は地に伏せられた。


 刀を下げて、目も落とす。構えを作っていないのはオーシャコットたちも同じだが、この場合に彼はそれ以上に無防備と見える姿となった。

 オーシャコットがその姿をギラと光る目で見た。


 それも三秒、

「では、名乗ってよかった」

 清十朗の顔は上がり、剣尖もまたビンと立った。


「隠密は名乗らぬか。なるほど。確かにそれは忍者の心得だ。それを破るとは、未だ心術至らず、情けなし。また一つ学ぶこととなった……。だが、このときばかりは名乗ってよかった。おれの名前を覚えたか! お三方の仇はこの新瑞清十朗が討つ! お前たちを討って、おれは伊賀に帰ってみせる!」


 清十朗の刀は再び青眼に構えられた。再びとはいっても先ほどとはその出来が違う。これまでの彼は自分の前に出現した伏兵に、それがいる可能性があると知りつつ、それでも内心動揺していたに違いない。少し強い言葉をかけられたぐらいで思わずといったふうに刀を抜き、その後の構えもとりあえずといった出来栄え、また相手に釣られたように名を名乗ったことからそれがわかる。だが、今の彼の構えはそれを振り切ったように堂に入り、微動だにもしない。自若としている。いや、自若どころか――剣尖の奥に見える清十朗の目は燃えんばかり、構える体からは灼熱の気迫が溢れんばかり。


 オーシャコットは「ほお」と声を上げ、リィン・マクベスは「馬鹿にならん」と薄く笑った。


「さあ、時間が惜しい。いざ、ゆくぞ!」


 清十朗が声を張ると、

「リィン。退いておってくれ。私がやる」

 とオーシャコットが手を彼の前に伸ばした。


 リィン・マクベスは「やや惜しいが、まあよかろう」と言って二歩助走をつけたのち飛び跳ねて脇へと引いた。


 天に赤光を遮る雲はなく、地上の草原は地獄のように赤かった。その草が、熱い夕風に吹き靡いた。


 その中に対峙した二人の男。清十朗は青眼に刀を構え、オーシャコットは両腕をぶらりと下げたままであった。数秒後、清十朗の目が不審に揺れた。


 ――なぜ構えぬ? 武器は?


 清十朗は相対する男の体を観察した。オーシャコットの両の腰には鞘が下げられているが、それら両方とも剣のない空っぽであった。


 ――武器がないくせに味方を下がらせたのか? 味方の方は剣を持っているのに? とはつまり、武器なくともおれを倒す成算あるのか? ……拳法? いや、たとえそうでも刀を相手に無手で? いや、そうか、魔法を使うのか。だが、いずれにしてもなぜ構えぬ? 準備すらせぬ?


 オーシャコットへの警戒意識を残しつつ、清十朗の顔がやや動き、目も横に向いた。そこにはリィン・マクベスが立っている。もしや彼こそが横合いから突き出される武器かとも清十朗は思ったが、手を下して二人を見ている彼にもまた何かに備えているといった緊張が感じられない。しかも視線を合わせて清十朗に見られていることに気づいたらしい彼は両腕を組み、三歩後ろに下がりすらした。

 清十朗はやや困惑して目を戻した。正面のオーシャコットは未だ構えを作ることなくただ無防備に立っている。いま相対する敵が目を逸らしていたのはわかっているはずなのに、何の行動をとることもなかったらしい。刀を突き付けられた上でのその不動ぶり、見ているうちに清十朗には彼が大山そのものと幻視されてきた。しかもよりにもよってその不動の彼が口をぐいと開いた。笑ったのである。

 清十朗の胃の辺りに何かじわりとぬくい感覚が広がった。が、その感覚こそが歯を噛みしめた彼の眼光をさらに鋭くし、発する気迫を燃え上がらせた。


 ――何を怯む。何を恐れる! たとえどんな罠があろうと、おれはこの場を斬って切り抜け伊賀に帰るしかないのだ! 敵が一騎討ちを仕掛け、あまつさえ無手だというなら今こそ好機! 何を仕出かす暇もなく、こやつを斬る!


 清十朗は大地を蹴った。


 元々オーシャコットと彼の距離はそう離れていたわけではなかった。加えて疾風忍者の足。彼は相手が何を予定していようと意識の遅れ手の遅れ、機を逸すべきほんの一瞬という時で距離を詰めた。事実、オーシャコットは間近に彼を迎えつつなお両腕を下げたままであった。


「えやあっ!」


 響き渡る叫びと共に清十朗はオーシャコットの左肩から斬り下げた。


 このとき思いがけぬことが起こった。袈裟掛けに斬り込んだ刀が鉄と鉄をこするような音を発しながらオーシャコットの右腕まで滑ったのである。そして刀を振り抜けず峰を自分の肩辺りに触れさせた清十朗は勢い余って脇を駆け過ぎながら一度ぐるりと回っている。まるで鉄柱に肩を激突させたように。

 二、三メートル駆け過ぎた清十朗はバッと振り返った。その前でオーシャコットもまたゆるりと振り返った。

 オーシャコットは倒れない。それどころか、斬り込まれたはずのその体には傷がない。血がない。

 ぶらりと刀を下し、全身痺れたように無表情に立つ清十朗へオーシャコットが言った。


「こういうことをまず見せておいて。さあ始めようか」


 彼は踏み出すと拳を腰へ引いた。のしかかってくるようなその姿の何という迫力だろう。そして「けやあっ!」という声と共に大山の如き彼から打ち出される拳は土流のような凄まじい速度と圧を生む。

 我に返ったという顔となった清十朗は首を横に反らして辛うじて避けた。避けたものの耳の側では大気を切るような音が聞こえた。一瞬に汗のにじませた彼は堪らず後ろへ飛び退いたが、オーシャコットはそれを追っている。大股でずかずかと前に出てそのまま気合もかけず側頭に向けて丸太のような蹴りを振るった。「ぐっ」と清十朗はすんでのところで腰を落としてかわした。が、オーシャコットは止まらぬ。彼は素早く蹴り足を下すと次いでその足を地に食い込ませ前へ跳びつつ膝蹴りをした。腰を下ろす清十朗の眼前いっぱいに巨大な膝が迫る。しかしそれを刀で反らしつつ彼は横へ身をかわしてよろりと立ち上がった。その一瞬の間にも続きオーシャコットは動いている。清十朗の横面めがけてすかさず足腰回したオーシャコットの横殴りの拳が放たれた。足腰凄まじく回転させ、拳薙ぎつけるその姿は竜巻のようだ。その猛烈な拳がよろめき刀も顔も下している清十朗へと迫った――。

 だが、清十朗はその方にキッとした目を上げると、咄嗟に刀を上げ、迫る拳を顔の間際で防いだ。瞬間、拳と刀が鈍い衝突音を上げ、清十朗の足がズズ、と地を擦った。鳴った音としては低くそう大きなものではない。だが、清十朗は自分の身の内に全身の蝶番が軋むような衝撃と共に繊維の切れるような音を確かに聞いた。うめきを漏らし歯を食いしばる彼の表情は辛苦そのものであった。


「よう防いだ。だがかわす一方ではないか。反撃はできんのか?」


 拳を刀に突き立てたオーシャコットが煽るように言う。

 事実、清十朗は防戦一方であった。刀の取り回しに最適な間合いよりオーシャコットが近い位置にいるからである。しかもその位置はオーシャコットの拳法に最適な間合いであった。要は清十朗は懐に飛び込まれ過ぎたのだ。しかし間合いを取ろうとしても連撃を繰り返すオーシャコットは離れることを許さない。

 だがオーシャコットに煽るように言われたそのとき、清十朗は前に踏み出していた。そして直後、彼はオーシャコットの上空にいた。オーシャコットの微妙に曲げた膝、そして肩を体重も感じさせないほどの一瞬の踏み台にして飛び上がったのである。横に間合いは作れずとも縦なら可能。三次元的な策に出た清十朗はオーシャコットの頭部に剣尖を突き立て肩へと着地した。

 清十朗は刀を突き立て前かがみとなりつつも未だに立つオーシャコットの肩に乗り続けている。その足元から、声が這い登って来た。


「……とはいえ、反撃しても意味はないがな」


 どこか笑いを含んだようなオーシャコットの声であった。


「な、なにっ!」


 清十朗は愕然たる叫びを上げた。体重込めて突き下ろしたはずの刀はオーシャコットの頭を貫いておらず、改めて幾度か突いてみようと石畳を叩くみたいに刺さらない。

 オーシャコットが両肩を鬱陶しそうに振り回すとよろめく清十朗は跳んで肩から下りた。地に着地した彼はオーシャコットへ素早く振り向いた。


「お前の仲間が討たれたわけがわかったか? 私には剣は効かん。何も効かん。お前の攻撃は通用しないのだ」


 清十朗の目がカッと猫のように見開かれた。

 彼は最初の袈裟切りを見舞ったとき、それが確かに斬り込まれたと知りつつ敵が無事でいることにそこまで驚いた様子を表さなかった。ただ表出させなかったというより、自分の攻撃に何か仕損じでもあったかもしくは相手が何らかの技術を以って防いだと思いとにかく内心でもよくわかっていなかったのかもしれない。だがこの期に至ってはさすがに驚愕した。頭に剣を突き立てて、仕損じも防御の技術もあるわけがない。


「……お前は、鋼の体を持つというのか?」

「鋼など、到底及ばん」

 とオーシャコットがニッとする。


 ……凍り付いたような沈黙が流れた。数瞬すると、何かハッとした顔をした清十朗が首を振り向けて背後へと目を走らせた。そういえばオーシャコットとの位置が入れ替わり日本への道を塞ぐものがないということに今更のように気づいたのである。彼は振り返って走り出したが、すぐにつんのめって足を止めた。背後から斜めに火球が横切っていったのである。思わずその方へ振り返るとリィン・マクベスが片腕を突き出していた。

 火球を放ったのはこのリィン・マクベスに違いない。二人の一騎討ちには手を出さんといった態度を取っていた彼もさすがに清十朗を逃がすつもりはないらしい。

 ここは最早逃げること叶わぬ鉄火場であった。赤光の照る地獄めいた光景は見せかけではない。かといって、敵を倒すと言ってもどうしよう? 金剛不壊のオーシャコットに剣は効かぬ。その彼を猛蔵は追い詰めていたという事実はあるものの、清十朗には忍法秘奥などないのだ。


 ――おれはここまでだというのか? おれはこの二人に殺されるというのか。この二人に、二人に?


 その上、清十朗を狙う者は二人ではなかった。実はこの場にもう一人の人物がいた。鉄火場の中空を飛び回る埃のように縮小化したバウルンである。


 縮小化したバウルンがどのようにして敵を倒すかは知れたことだが、そのことを清十朗は知らぬ。そしていないと見えて確かに場に存在するこの男のことを知る由もないだろう。バウルンはオーシャコットとリィン・マクベスの二人が清十朗の前に現れたときからすでに小さくなって姿を消していたし、空を移動するときも猛蔵との戦闘で教訓を得て忍者清十朗に見破られぬよう視界に入ることを避けていたからだ。清十朗の後頭部へ向けて、敵の頭部を破裂させる恐怖の潜伏者が迫る。


 迫られつつ、対する清十朗はこのとき両手をぶらりと下して突っ立っていた。オーシャコットに顔を向けており、まるで茫乎として隙だらけの姿に見える。悪いことに、潜り込まれるには絶好の態勢――。

 その彼が、ふいに空を振り仰いだ。ただ、我が事終わったという八方破れの無の様子ではない。耳当たりの毛を逆立て、眉根を寄せた鋭い目で、彼は首を振った。そして背後の頭上を振り向いたとき、瞬間彼の右腕が跳ね上がり、空に振り切られた刀がうなりを発した。


 何のつもりか、まさに空を打った一振りだが実は空疎ではない。そこにはバウルンがいた。身を横に逸らし辛うじて刃を避けた彼は、

「馬鹿な。気づいたというのか? 何故だ。ありえん!」

 と叫んだが、その小人さゆえ声は風の音に紛れ位置の割れるということもないはずだ。


 しかし空を仰ぐ清十朗の目は横に滑空していくバウルンをしっかりと追っている。次いで腿の棒手裏剣を抜いた清十朗はそれを投げた。


 流れゆく埃のようなバウルンを見事捉えて飛ぶ棒手裏剣は、小人から見れば弩砲の矢よりもさらに巨大。視界いっぱいに手裏剣を映したバウルンはしまったと口にする暇もなく塵となって消えた。


 空に彼方に消えていった手裏剣を見送り、オーシャコットへ目を戻した清十朗が言った。


「やはり、斬って切り抜けるしか他はないということか。いや、斬れぬとしても、何とかするさ。このように」


 果たして清十朗はどうやってバウルンの存在に気付いたのか? 彼がバウルンという隠された第三の敵の実在を把握することは不可能だと思われるのに。いや、彼はバウルンの存在を知っていたのだ。というより敵は二人だけではない、敵は三人いるということをあらかじめ知っていたのだ。それというのも聖女が待ち構えているのは三人だと言っていたからである。そのことを今の合間に思い出し、まさか、と考えた彼はバウルンの存在を探し、葬った。

 バウルンを葬られたことに対し、傍から腕を組んで見物しているリィン・マクベスは清十朗の挙動を見て、もしや? という不安げな顔をしつつそれでもどこか状況を掴み兼ねる曖昧な様子であった。一方、双子の兄弟だけにオーシャコットには今なにが起こったのかはっきりと感覚したらしい。その顔は目も口も開き、わなないていた。


「お前、今、バウルンを……」

 と彼がそれでも信じられないように呟くと、

「まず一人」

 と清十朗は返した。


 瞬間、オーシャコットの顔が獣の如き凄まじい形相と化した。


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