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三十一話 鉄火場の柔膳

 唐突なる怪異によって夜の空に打ち上がった柔膳。しばらくすると彼は高空を飛んだにも関わらずある場所に無事落着した。着地と同時にぐるりと前転し立ち上がるとそこは白い回廊に囲まれた黄緑の芝生の中庭であった。地面には所々に白く細い石畳の道が伸び、芝生の草は少しだけ伸ばされふわふわとやわらかそうで、辺りには色とりどりの美しい花が植えられて中央には白い噴水がある。風の弱く、城中の騒ぎも今はちょうど遠く、噴水の水音だけが清浄に響くそこはこの場合に辺りを見回す柔膳の目を引きつけ、心を少し落ち付けるほどに美しかった。しかしこの場には柔膳以外誰もいそうにない――。と見えるのに柔膳はある一点を睨みつけると、

「お前が俺を呼んだのか」

 と低い声で言った。


 柔膳が見やる一点――その噴水の前にはこの場にはあまり似つかわしくない、似つかわしくないがそれだけに一度見つけると浮き立って見える枯れ木のような人間が闇に紛れひっそりと佇んでいた。骨に白い紙を貼ったような痩せて小さな体、背まで伸ばされた白髪、それは寝間着のような灰色のローブを着たジルマであった。いかにも老いた肉体にこればかりは若々しいギラギラ光る目を夜の闇に瞬かせると、彼は「いかにも」と嗄れ声で言った。それだけで柔膳に妖気めいた生臭い気配が吹き付けた。


「異世界の人間、せっかくならば話をしてみたいと思うての。お主だけは招けたからここへお越し願ったのじゃ」

「ふふん、カラカラの爺さまに、俺の話が面白いかな? それに、あいにくだが急ぎでな、俺にそのつもりはない。手を下さずともあの世が近い爺さまに免じてこのこと咎めはせぬ。だから俺はゆくぞ」

「そうはならぬ」


 ゆったりとした調子でジルマが言うと回廊の屋根を越えて柔膳の周囲に三十人ほどのソーラコア兵が降って来た。上手く着地した者もあるが尻餅をついた者もある。彼らは先ほど柔膳を襲ったのと同じ現象に見舞われたに違いなかった。突然の飛行に困惑していた彼らだが、柔膳の姿を見つけると「あっ」と声を上げて槍を構え剣を抜いた。


「……なに?」

「お主を逃がすわけにはいかぬ。お主ら、やったな? あの聖女様を、やったな? であるならば、やはりこの国に仕えておる身としてはお主を逃がすわけにはいかぬのだ」


 絶体絶命。魔法を使い、おそらく一人ずつでも自分より強いソーラコア兵に周囲を囲まれた柔膳はそれらを見回して舌打ちした。


「おまけに俺は刀も持たぬ」

「皆の者! あれこそが城中に事件を起こした犯人であるぞ。生かしておく必要はない。かかれ!」


 ジルマの号令と共に目をギラと鋭くしたソーラコア兵たちが花を踏み潰しつつ輪を縮めて柔膳へと殺到した。乱れ来る無数の刃――が、何とそれらを次々と掻い潜ってのけた柔膳はそのまままろぶように中庭を走り出した。


「逃げるか!」


 すかさずソーラコア兵たちはそれを追った。その足が、忍者の俊足に負けぬほど速い。行動を速める瞬躍の魔法だ。走る柔膳を後ろから追う者もあれば凄まじい速度で前に回った者もある。先回りした者が剣を振り上げ、柔膳の首に撫で斬りを以って襲いかかった。


「くおっ」柔膳は斬りかかる剣を飛び上がってかわした。空中にて前回りして着地し、少し駆け過ぎて振り返った彼の目が大きく見開かれている。あらゆる人間に譲らぬ忍者の俊足が先回られたのだから当然であった。


 ――これは逃げられんな。いやそもそも、逃げてもまたここへ釣り上げられるのではないか。


 そう冷静に判断する柔膳に剣を振り切った兵の脇を抜けて後続の兵士が一人近づいてきた。「命はもらった!」と吼える彼に柔膳の足が反射的に跳ね上がり、伸びて、まだ六メートルの距離はあるであろうその兵士の腹部を恐ろしい勢いで蹴り上げた。風のような自分の速度によってかえってかわす時間がなかったか、それとも柔膳の伸びる足があまりに予想外だったか蹴られた兵士は胃も肋骨も潰して五メートルも吹き飛んだ。同時に、この場にいた全ての兵士がたたらを踏んだ。


「あっ!」

「な、なんだ! 足が伸びたぞ!」

「どうやら逃げるのは止めたらしい。迂闊に近寄るなっ。魔法を使って攻撃しろ!」


 兵士たちが呪文を唱えてサンセクションの魔法を使う。各々の手に現れる火球。逃げられぬことを悟って寂と佇み、それらをおびただしい篝火を見るように目を細めて眺める柔膳は重い溜息を吐いた。


「前の寒村、そして先ほどに続いてまたこんな状況か……。だが三度目の正直、いい加減同じ手は食わぬ。それに、思わば俺の下に敵兵が集うならばそれはそれでよかろう。こうなれば、うぬらを倒して引きつけ役たる俺の仕事、果たしていこうではないか!」


 ニカッと歯を剥いて笑った柔膳は横ざまに走り出した。それを狙って「放て!」という声と共に兵たちの手から放たれた火球が次々とかわされていく。火球を放った兵たちは柔膳を前から後ろから追い詰めるために方々に飛び散った。花の吹き散る中庭は、魔法使いの集団戦特有の蜂の群れが飛び交うような様相となった。相手をバラけさせ、自分を追い詰めさせることを防がんと縦横無尽に駆け回る柔膳。多数を相手にする上で当然の戦術だが、そのことが正面から尋常に立ち合っては誰一人にも勝てぬであろうソーラコア兵に対抗するのに非常に有効であった。何せ、多数を相手にして敵を翻弄しようとする柔膳の振る舞いは本当にソーラコア兵たちを混乱させ翻弄させるほどに奇怪至極であったからだ。


 横合いから次々と飛んでくる火球を走り抜け、ないしは身をくねり避け、正面に回り込んだ兵が「……ふっ!」という呼吸で剣を振るうのを飛び上がってかわした柔膳は空中にて着物の上を開き脱ぐと白い上半身を露わにしたまま地面にうつ伏せになって飛び込んだ。途端に彼の全身が骨も臓器も脳みそも無視して瞬間的に溶けゆく氷のように平べったくなった。零れた乳のようになった柔膳は露わになった上半身を微妙に波打たせて平たい姿のまま実に奇妙な移動をする。ふいにこれだけは立体を取り戻した彼の両腕がそれぞれ別の方向へと水鉄砲の如く発射されてそこを走っていた兵たちの顔の真横を行き過ぎた。行き過ぎる一瞬、そこに何の技があったのか五人の兵士の首が頚椎の支えをなくして滑車のように勢いよく回ると彼らは酔いどれたようにふらりと倒れた。


 世広し、怪奇たることその世に多しといえどこれは柔膳のみが描ける幻妖たる惨状であった。柔膳の形態もそうだが、横を行き過ぎただけで首を回してしまう彼の必殺の腕こそまさに人の物とは思われない魔人の腕だ。この他にも自分の忍法の真髄を如何なく発揮し柔膳は兵たちを翻弄し隙をついていく。柔膳より強いはずのソーラコア兵たちは多数であることがかえって祟り、彼の振る舞いや仲間が倒されたことに見事に翻弄され、キリキリ舞いし、次々と倒されていった。だが、倒されているはずなのにその数がさほど減っているようには思われない。二本の足を以って駆ける柔膳は視界の端に回廊の屋根を越えて新たな兵がやってきているのを見た。


 ――呼んでいるのはあの爺い。奴を倒さぬ限り、終わらぬ定めの無間地獄か!


 柔膳はこの事態にもかかわらず噴水の前を一歩も動かずうっそりと佇んでいるジルマを睨みつけた。そして再び液体めいた状態となると彼に向かって流れるように這い寄った。


「あっ! や、奴はどこへ行ったっ?」


 ソーラコア兵たちは今が夜であることも手伝って芝生に紛れた柔膳を見失った。青年ないし壮年の兵たちが見失ったなら老人であるジルマにどう見つけられるだろう。いや、元々何も見ていないようなジルマだ。彼は急に立体を取り戻して正面から飛びかかって来た柔膳に抵抗する間もなく首を掴まれ持ち上げられた。


「なにっ!」


 これに気付いた兵たちがその方へはせ寄ろうとする。しかし、それを覚って片手にジルマをぶら下げたまま振り返った柔膳が「動くな!」と勁烈な声で制すると足をその場で釘づけにされた。


「この者、なかなか大身の爺さまと見た。それに何しろ老人だ。そのような者が、お前たちのせいで絞め殺されても構わんか!」


 場を睨み回しながらこう叫んだ日本語は当然兵たちにはわからない。翻訳の魔法を使える者はいない。だが柔膳の手にぷらりと垂れ下がるジルマは明らかに人質だから兵たちは手も足も出なくなった。


「わ、わかった。話は聞く!」

「だからひとまず下ろせ!」


 兵たちが狼狽して口々に叫ぶ。

 しかし、柔膳はこれらの言葉がわからないというよりそもそも聞こうともしていなかった。彼はこのままジルマの命を奪うつもりで人質に取ったつもりなどさらさらなかったのである。先ほどの宣告は兵たちの動きを止めるための演出であった。


「馬鹿め。俺を見逃していればかかる目にあわずに済んだものを。老い先短い爺さまよ、お前の余生は俺がもらった!」


 兵たちに日本語が伝わらぬことをいいことにぬけぬけと言ってジルマの首にかかった手が握力を強めていく。その怪力による絞首がどれほどの苦しみを与えるものか、ジルマは開いた両手をぴん、と張りつめたまま言葉を返すこともなかった。いや返せぬのだ。彼の口はパクパクと動くものの喉からは泡立つ音かヒューヒューと息の漏れる音しか聞き取れない。数秒するとジルマの目にあったギラギラとした光が薄っすらと薄れていった。


 それを認めて薄笑いしたのは柔膳である。この爺さまさえ消えてしまえばひとまず人が増えることは止まるし、再びここへ釣り上げられることもない。そうなれば地上からの増援が来る前にこの調子のまま兵たちを蹴散らし、脱出の算段をつけよう――。

 そう考えていた柔膳だが、ふいに彼の眉は不審そうに寄った。


「ん?」

 と漏らす彼はジルマの瞳が白く濁るのではなく透明になっていくのに気付いたのである。しかも瞳だけではない。ジルマの服は消失し、肌はクラゲの肉のように徐々に透け、血管や内臓が見えるとそれらも透明になってついに彼は骨だけになってしまったのである。死んでしまったようだがこれは違う。これはジルマ特有の快眠魔法だ。


 この状況で眠ろうとするとはあまりに悪いユーモアだが確かに骨になってしまえば絞首は効かぬ。が、魔法の知識のない柔膳にそんな判断はもとよりできず、それより目の前で起きたあまりに不気味なジルマの変化にさしもの柔膳が「うおっ」と悲鳴を上げて彼の骸骨を地面に放り落としていた。


 そして芝生に倒れて眠る骸骨を悪夢にうなされたような表情で見下ろしていた柔膳が何に感付いたか不意にハッと空を振り仰いだ。彼が見上げた上空からは一人の人間が下りてきていた。


 それは満月を背景にマントをたなびかせるリィン・マクベスの姿であった。これもまたジルマによって空に打ち上げられたのだろうが、突如空中に打ち上げられつつ中庭で起こっていることを冷静に把握したか彼は腰の剣を抜くと着地と同時に剣を振り下ろした。


 咄嗟に柔膳は横っ跳びしてそれをかわしている。が、思わず彼の片腕は押さえられた。斬り落とされた柔膳の片腕は地面に落ちると陸に打ち上げられた魚のようにビチビチと跳ねた。


「ちっ」


 片腕を落とされようとも顧みぬ柔膳は横っ跳びの勢いのまま再び跳んで地面に飛び込むと液体の如く平べったくなった。闇夜の芝生に紛れ見逃さざるを得ない柔膳の形態だ。しかしリィン・マクベスは片手にナイフ大の魔法剣を出現させると何か確信めいたものを持ったように惑わずそれを投げた。すると投げられた魔法剣は見事柔膳の片足の裏を射抜いてしまったのである。斬られた腕の断面から流れる血によって彼は正確に移動先を捉えたのであった


「あっ」と苦鳴を漏らして歯を食いしばった柔膳は地に縫い止められた片足を伸ばしながら立体に戻る。次いで闇夜にも赤く光る血走った目をキッと振り向けつつリィン・マクベスに向かって後ろなぐりに片腕を伸ばした。真横を行き過ぎれば相手の首をクルクル回してしまう必殺の腕だ。


 しかしその伸びる腕を見て何に思い当ったか、「お前の仕業か」と目を見開いて呟いたリィン・マクベスはすでに生みだしていた魔法剣応用の魔法槍を顔の横に構え上げると、そのルビーのような槍を柔膳の伸びくる手に向かって投げた。放たれた赤い槍は流星の如く飛ぶと掌を射抜いてその奥にあった柔膳の頭部をだん、と回廊の壁に突き刺してしまった。


 地に縫い止められた足が伸び、頭部が首を伸ばして回廊の壁に突き刺さったことで胴ばかりがダラリと浮いた柔膳を深沈に眺めてリィン・マクベスが言う。


「方法は知れぬが、直接の下手人であることに間違いなかろう。仇はとった……」


 そして手に光を点し血を拭って剣を納めた彼は側に倒れる骸骨に「ジルマ殿。起きられよ」と声をかけた。するとその骸骨に例の肉付け彩色現象がおこってジルマはのっそり立ち上がった。そしてまるで糸の引いたチーズみたいになった柔膳を見て、


「ふふ、これはこれは……何とも奇怪。しかしさすがはリィン・マクベス殿。わしが寝ている間にしかと片づけてくれよった。手荒い方法で呼んだこと、お許しくだされよ」

「いや、それはよろしいが……」


 と返したリィン・マクベスは柔膳に倒された兵たちを眉をひそめて見回して、


「貴方ならばわざわざ助けを呼ばずとも自分で容易く何とかできたはずだ。何故それをなさらなんだか?」

「それか」


 空を見上げたジルマがぼやりと言った。


「わしもそろそろあの世が近い年齢だから不徳が気になっての。自ら手を汚したくなかったのだ」


 瞬間、リィン・マクベスはギラと光る凄まじい目をジルマに投げた。が、


「伝令! 城門が侵入者らしき者に突破された模様です! 伝令! 城門が侵入者らしき者に突破された模様です! 門にいた者たちは気絶させられている者が多数。そして、起きている数名は何故かぼうとした顔で門を閉じようと魔法を使い続けています。そのため門を開けるにも開けられません。誰ぞ早く来てください!」


 との間違いなく魔法によるものだろうサイレンのような大音声が響き渡ってくると、 


「……いや。……。では私は行きます。これよりその者を追います」

 と言って凄まじい速度の駆け足で消えるようにどこかへと去って行った。


 後に残されたジルマはややあって空を眺めたまま呟いた。

「……忙しいの。聖女様の力が弱まったということは、この世界ともお別れし、元の世界でまた魔族と戦わなければならんというのに。……。しかし、ということは救国ならずか……はて、何でかな?」

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