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三十話 全ては終わった

 時は進み、所戻って清十朗。聖女から持ち掛けられた話に彼は悩んでいた。腕組みをし、深刻な表情で顔を落とす彼に聖女が柔く声をかける。


「あなたが王からの命を大事に思うのはわかります。私も陛下から言われたことには逆らえませんからね。けれど、この話は私たちの意思にかけて行うべきことだとは思いませんか?」


 これに清十朗は、――それだけではない。今回のことは、忍者としてのおれにとって最初で最後の機会なのだ! 今回ほどの好機は以後の人生に二度とない。と心中に叫んだ。しかしそれでもやはり、聖女の言葉に心のどこかが揺れ動く。小さくのどの奥でうなった彼に聖女が続けて、

「この話を実現できれば多くの人が救われます。あなたの国の人とソーラコアの民もきっと手を取り合って生きていけるでしょう。清十朗、あなたも人が助け合って生きることの素晴らしさはわかるはずです。あなたも誰かに助けられて嬉しかったことがあるはずです。だからこそ、あなたの手で、あなたの意思でそういう世を作りたいと思いませんか? 忍者としてではなく、それこそがあなた自身にとって何より大事な思いとなりませんか?」

 清十朗はサッと顔を上げた。


 誰かに助けられて生きる――言いかえれば伊賀の皆に育てられたとはまさに彼の原点であった。顔を上げた清十朗と聖女の目が合う。二人の間に走った光は一体なんのものであろう。


 しばしじっと聖女の目を見つめていた清十朗がふいに「おれは……」と口を開いた。そのときである。


「聖女様! 大変です。城内にて例の事件を起こしたものと思われる敵国の人間が発見されました」

 との慌ただしい声と共に清十朗の背後の扉が開かれた。そこから現れたのは聖女様警護役、いつもは優雅な顔に汗をにじませたアプライトであった。


 途端にこの場にいた三人が「あっ!」と叫びを上げる。その中で、胸中最も狼狽したのは言うまでもなく清十朗であっただろう。


 ――しまった!


 清十朗はアプライトが近づいていることに気がつかなかったのである。確かにアプライトはノックをせずにいきなり扉を開いた。普段ならば絶対にあり得ないことだが、警護役である彼はここのところの騒動によってピリピリし、やっと犯人が見つかったため急いで報告せねばとここに駆け上がり礼も忘れて扉を開いたのだろう。そんな彼の気配に気がつかなかった清十朗は忍者として致命的なドジを踏んだと言えるが、彼は先ほどの数分間、忍者としての全感覚を消失していたのであった。


 何にせよ清十朗の存在は発覚した。二度目だが、今回も聖女のときのように受け入れられたかというとそうはならない。警護役たるアプライトは動揺しつつも反射的に服の下に装着していたらしいナイフを投げた。


「うっ」首を後ろに捻じ曲げていた清十朗が飛んでくるナイフに呻きを上げた。そのまま彼ならではの反射神経を以って腰の刀を逆手に抜きつつ旋風のように反転しながら右腕を振り上げる。弧を描いて薙ぎ上げられた刀に見事弾かれ、ナイフは天上へと突き刺さった。


 続いて無意識のうちにも薙ぎ上げた刀を手中にて順手に返し、左手を添えて八双構えに移行した清十朗は「ぐっ」とナイフを前にしたときよりも喉の詰まった声を漏らした。いま示された通りなまじ剣に覚えがあるだけに、同時に剣を抜き中段に構えを作ったアプライトの格好を見て、相手が明らかに自分よりも上の実力を持っていることを感得したのである。


「何という失態だ……! まさかこんなところまで敵が忍び込んでいることに気がつかないとは! 聖女様に何もしておらぬだろうな!」

 と吼えたアプライトから物凄い殺気が放射された。


 自分より上の実力を持った者からの殺気を受け、清十朗の体が寒風を受けたように強張る。アプライトに発見され、窮地に陥った清十朗。以前寒村で立ち合った男とは比べ物にならぬ剣士を前にこの状況をどうしよう? ――おれの任務は? 例の話は? それら一体どうなるというのだっ? 焦り、慌てる頭で思案を巡らす彼の背後で当然に割って入った声があった。椅子から立ち上がった聖女である。


「止めなさい! お互いに武器を下ろすのですっ」


 他ならぬ聖女様から何故か大喝されたアプライトは、「は? い、いえしかし!」としどろもどろになった。だがそれでもなお剣は下げぬ。


「私がどうにかなると思いますか! 問題はありません。だからまず剣を下ろしなさい! まず、まず、まず……」

 と聖女が胸の前に組んだ手を揉みねじりながら言った。


 明らかに焦慮した様子だが、唐突なアプライトの登場と彼が告げにきた言葉、そして今起こった戦闘によって彼女は事実混乱したのである。はっきり言ってしまえば彼女にとって今この場にアプライトが現れたのは不運であった。清十朗と協力するということはたまたま彼が忍び込んできた上、その彼と話せたからこそ出た場当たり的な着想であり、もちろんアプライトが知る由もない。知らぬならアプライトが侵入者を排除し聖女を守ろうとするのは当たり前のことだ。そのため彼女としてはまず武器を下ろさせアプライトを説き伏せなければならないのだが、しかしいくら言っても中々剣を下ろさぬ男二人に聖女は、

「下ろさないのなら私が魔法を使いますよ!」と叫んだ。

 室内は火を放ったように緊迫した事態となった。


 その中で、この騒ぎの文字通り中心に立ち、剣を振り上げアプライトと相対している清十朗にある一つの決心が急激に兆し始めていた。


 ――やはり、おれは任務を果たす。


 アプライトが扉を開いた際に告げたことから先輩忍者たちの誰かが発見されてしまったことはわかる。彼ら三人は一体どうなっただろう? そしておれの身はこれからどうなるだろう? どうなるにせよ、これから起こるであろう事態を思えば例の話の実現など到底無理だ。それならばやはり任務の実行に着手するしかない。任務を果たして逃げるしかないのだ。いや、清十朗はそんな追い詰められた末の仕方がないといった思考だけでこのことを決めたわけではなかった。清十朗は剣を取って相対する見るからに警護役らしいアプライトが聖女のために聖女自身の言葉にすら従いきれず仕事を果たそうとするのを見て、

 ――やはりこれがおれ、伊賀の忍者新瑞清十朗だ!

 との想いが噴き上がったのだ。


 あるいはこれは男性というものの一つの本能であったかもしれない。


 で、そうと決めた清十朗だがしかしこの状況の中どう聖女を害するつもりであろう。アプライトはいるし、そもそも聖女一人であったとしても彼女ほどの者に対しそれはあまりにも難しいことだと思われるのに。しかも彼は八双に構えた刀をパッと手放した。


 自分の肩辺りから落ちてくる刀。それを身を横にしてかわした清十朗は刀が床へと落ちるより素早く自分の腿へと両手を伸ばした。そこにあるのは二本ずつの棒手裏剣を納めた革鞘だ。両手を持って二本の手裏剣を抜いた清十朗は同時にそれら手裏剣を投げた。左手の棒手裏剣がさっきのお返しのようにアプライトへと飛ぶ。


「むっ」アプライトが飛び来る手裏剣を斬り払った。聖女に半ば気を取られつつしっかりとそれを斬り払ったのは流石の腕前といえる。左手の手裏剣は部屋の端へと弾き飛ばされた。では、同時に投げたはずの右手裏剣は?


 右手の棒手裏剣はアプライトへと飛ばなかった。かといってもはや標的と決まった聖女へ向かって飛んだわけでもない。右手裏剣は頭上、斜め上というあらぬ方向へと飛んだ。これは場に圧されて仕出かしたミスであろうか。いや、違う! 手裏剣が飛んだその先には天井に突き刺さったナイフがあった。相触れあう手裏剣とナイフ。次に起こったは驚くべき現象であった。


 まさに手裏剣の三角飛び! ナイフに弾かれた手裏剣は高速回転しつつ清十朗の頭上を背後へ過ぎゆき、放物線を描いて聖女へと降下し、そして、


「あーっ」

 

 という叫びが起こった。


 それは聖女の声ではなく、アプライトの叫びであった。聖女の下腹に手裏剣が刺さっている。ということはすなわち、ソーラコアの全ての民たちにとってすなわち――。


「これでいいんだろう……任務完了」


 清十朗の虚無的な声が流れた。下腹から股間にかけて白いドレスに血を滲みださせた聖女が「あっ」と漏らしてへたり込む。「聖女様!」と絶叫したアプライトが清十朗などもはや無視して脇を駆け抜け、彼女の背を支えた。


 これもまた処女性の喪失。ついに聖女は失血した。彼女は襲来する棒手裏剣になぜ対応できなかったのか?


 そもそも彼女は清十朗が自分の処女性を失わせようとしているなどあまり想像していなかったに違いない。それによって自分の能力が弱まるとは彼女ももちろん知っていただろうが、彼女も花の盛りはじめるばかりといった十七の女性だし、清十朗がそのようなことを考えていると想像するのは恥ずかしく憚られることであっただろう。ただそれでも、正面から狙われたのならたとえこの状況、しかも不意を打って迫る棒手裏剣でも彼女はいくらでも何とかしたに違いない。しかし清十朗はナイフに当てて兆弾させるという驚天動地の方法をやってのけた。これこそ聖女に対応を許さなかった清十朗の神技としか言いようのない手裏剣術であった。


 背を支えられる聖女は痛みもあろうに思い切りよく手裏剣を引き抜くと、もう一方の手に薄緑の光をまといそれを傷口に当てた。


 その様子を「大丈夫ですか? 御痛みは?」と気を揉んで見下ろしていたアプライトが不意にキッと顔を上げて、「よくもやったな!」と清十朗を睨んだ。その瞬間である。彼の閉じた唇に白い粘塊がピシャっと当たった。彼の目に映るのは左腰に下げられた褐色の皮袋にガンマンの如く手を添えた清十朗の姿であった。その親指がピーンと反りかえっている。清十朗の皮袋に入っているものは独特のにおいのある鍔隠れ秘伝の糊であった。アプライトの唇に当たったそれが飛沫として聖女の腕に飛んだようにその糊は本来軟らかいが、空気に触れるとすぐに乾燥し、なんと通常では一ヶ月も剥がせなくなる。この糊をしぼり出し射出することでアプライトの呪文を封じた清十朗は足元の刀を拾い鞘に納めるとバルコニーの方へ歩いていった。


 途中、清十朗が聖女の方へちらと視線を投げる。すると彼をじっと見やる哀しげな光を携えた瞳と目が合った。


 彼はさすがに鼻白んだ顔をした。が、それでもスッと目蓋を閉じてその光を遮ると、首を戻してバルコニーに出ていった。バルコニーに出た彼は懐から髪をより合わせて作った縄を取り出すと、その一端を糊によって塔の外壁に貼り付け、それを伝って塔を下りた。下りて周囲の庭を見回していると、そこにすかさず駆け寄って来たのは猛蔵であった。


「猛蔵どの! 御無事でしたか」

 と小声で言った清十朗がちょっと塔を見上げた。


「下りてくるかもしれませぬ。とにかくゆきましょう」

「む、なんじゃ? 任務は? 首尾よういったのか?」


 促して庭を走り出した清十朗は塔で起こった事のあらましを説明した。ただし、聖女の例の話についてはその一切を省略した。


「なにっ、我らの存在が割れてしまったのか。先ほどから騒ぎが聞こえてくるためもしやとは思っていたが……。では急いでここを脱出せねばなるまい。それで、任務は?」

「やりおおせました」


 陰たる声で清十朗が言う。


「よし。ようやった。凄いぞ清十朗! あとは帰るだけだ」と褒める猛蔵にぎこちない笑みを向けつつ、彼と猛蔵は庭園を抜け、土から石畳へと変わった通路を踏んで唯一の出入り口たる城門へと急いだ。


 現在すでに侵入者の存在が発覚し、そのため兵が散開してあらゆるところから怒号などの大声が聞こえるようになった波乱の城中だ。そのため脱出を急ぐ二人は時折通路で槍をかいこんでどこかへと急ぐ兵の集団と行き当たりそうになった。が、存在は割れつつも今は清十朗たちの実体が把握されているわけではない。そのためその都度建物の陰に隠れたり、猛蔵が清十朗を抱えて髪を伸ばし高所にある物を掴んで躍り上がることで回避できた。そうやってついにたどり着いた城門、そこには当然厳重な警戒がなされていた。四十人にも及ぶ槍を担いだ兵たちが何やら声を掛け合いながらタカに似た目で周囲を見回している。いや、この状況下、これでも人数としてはあまりに少ない方だ。これからその人数は続々と増えていくに違いない。その様子を遠くから陰に隠れて見やっていた猛蔵が、

「まずいな。ここを出るにはあの城門しかない。だが、あそこに斬り込んでゆけば死ぬだけだ。突破するには隙を突いてここからわしが奴らを一網打尽にするしかないが、その隙がないぞ」

 と息の詰まった声で言った。


 彼の後ろに立つ清十朗が口に手を添えて考え込む。何か隙を生み出す方法はないだろうか? そのとき、そんなことを考えていた清十朗の肩が背後から隙を突かれて叩かれた。これに清十朗は心臓を跳ねさせ出かけた叫びを危うく飲んだ。猛蔵は前にいる。ということは?

 息をのんで弾かれたように振り返るとそこにいたのは清十朗の探知をかわした柔膳であった。


「柔膳どのっ。御無事でしたか」


 張りつめたように目を見開きつつ抑えた声で言うと柔膳は「ああ」と頷いた。


「だが何事もなかったわけでもない。天井に潜んでいたらここの兵たちに姿を暴かれてな。ネズミのように追い立てられつつ何とか逃げ出してきたのだ」


 軽く言ってニヤリと笑う柔膳だが、その着物は横っ腹や肩の辺りが裂け血が滲み、左袖などは黒く焦げているという痛ましい姿だ。元々ホコリにまみれた彼だけにそんな姿で笑うと凄絶としてうそ寒い感じがあった。


「というわけで城中ひどい騒ぎとなっているのはおそらく俺のせいだ。すまんな。それで、清十朗、お前は任務を果たせたのか?」

「はい。果たしました」


 頷くと柔膳は「ほお」と感嘆したような声を漏らした。


「そうか。ようやったな。もしかすれば果たせぬかもしれんと思っていたのだ。……ある意味において。ということはお前も忍者だったということか……。で、果たしたはいいが何をしておる――とは聞くまでもない。城門から脱出しようとしているのだろう。どんな塩梅だ?」

「突破するためにここから一網打尽にしようと隙を窺っているのだが、その隙を見せんのだ」

 と猛蔵が答えた。


 柔膳は「なるほどな」とその方へ寄って行った。そして猛蔵と共に城門の様子を眺め始めた柔膳だが、清十朗は彼に聞きたいことがあった。


「ところで四季右衛門どのはどうしたのです?」


 柔膳は振り返って、「わからん。やつとは別れて行動していたのだ。おそらくまだ城の中におるのだろう」


「えっ? ではここを出る前に迎えにゆかねばなりますまい」

「それはやめておけ。お前、城内から聞こえてくるこの声が聞こえんか? ……いやこれは耳に残った残響か? まあ、それは俺にもよく分からんが、ともかく城の中は煮えたぎったようなひどい騒ぎだぞ。やつなら一人でなんとかする。むしろやつにとっては一人のほうが都合がよかろう」


 冷たいと言えば冷たいが忍者らしい妥当な判断であった。清十朗が押し黙ると柔膳は顔を戻して猛蔵と脱出のための算段を相談しはじめた。そして何事か見込みが立ったか、「よし」と言った柔膳が陰から出てどこかへと踏み出していったそのときである。


「うおっ」と驚きつつ突如彼の体が浮かび上がった。別に跳んだわけではない。「なんだ?」と手足を振り回す柔膳の体が空中に固定化されたように浮いていると、二秒、三秒してから彼は凄まじい勢いで上空に飛び上がり山なりを描いてどこかへと飛んで行った。

 柔膳の叫び声が尾を引いて消えていく。何たる怪異だろう。空を飛ぶというより何かに釣り上げられるようにして消えていった柔膳の姿を呆気にとられて見ていた清十朗は思わずふらふらとその方へ行こうとした。何事が起こったか皆目わからぬが助けに行こうとしたのである。が、その肩を我に返った猛蔵に掴まれた。


「待て! 今はここを脱出することだけを考えろ。やつなら一人で何とかする。それに見ろ。今の柔膳に目を取られて城門に隙ができた。行くぞ!」


 猛蔵の髪がざわ、と逆立った。

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