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二十九話 一瞬剣光

 新瑞清十朗が二択に悩むより前――どころか未だ塔を登ってすらおらぬ時間である。メイド移木四季右衛門は長箒の束を胸に一抱えにし、ひとり城の廊下を歩いていた。


 あれから柔膳と別れた彼は箒を抱えるという仕事をしている素振りのための一応のカモフラージュをしつつ何かの目的に沿ってどこかへと向かっているのであった。で、どこへ向かっているのか? と言われると知れないが、何の目的かと言われるとこれはわかる。彼は柔膳に告げたとおりテューマー王の暗殺に着手しようとしているのであった。


 ソーラコア王国の王であるテューマー・バーストの暗殺。同じ城の中にいるとはいえ、これはさすがの四季右衛門でも不可能だと思われる。ただでさえテューマー王の警備は厳しいはずなのに、今は自分たちが起こした事件によって普段にない物々しさとなっているに違いないからである。だが四季右衛門は悩んだ様子もなくどこかへと向かってゆく。


 ――王の暗殺など一足飛びにはいかんのに、清十朗の仕事に合わせるため時間がないというのが辛いな。ただ、こういうこともあると準備しておいてよかった。これならばやれるだろう。


 秘策ありや四季右衛門。このような思案をし、手順を脳裏に確認しつつ彼は歩く。時間的には未来になるため当然だが、彼はこの後清十朗と聖女の間でかわされる話など知らないのだ。そのため彼は何の迷いもなく廊下を歩きどこかへ向かう。果たしてテューマー王暗殺の彼の策は当たるのか?

 しかし廊下を歩く彼に突如そのとき声がかかった。


「そこの者、待て」


 振り返るとそこにいたのは彫刻的な気品を持ち、厳とした表情でこちらを見るリィン・マクベスであった。ハッとした四季右衛門が、「なんでしょう?」と少女の声で聞くと、リィン・マクベスはあらぬことを言い出した。


「私の名を言ってみよ」

「――は?」突如わけのわからぬことを言われた四季右衛門はこのような声を漏らしたが、すぐに自分が変装しているメイドという立場を思い出して、「リィン・マクベス・ニンキューナ様でございましょう? 兵科兵団の隊長がお一人であらせられる」と、とにかく答えた。色々と調べたらしい四季右衛門は彼の名前を知っていたのである。しかし答えたのにもかかわらずリィン・マクベスは笑いを発し始めた。しかもそれは嘲笑的ともとれる笑いであった。


 ――なんだ、こやつは。


 突然声をかけ、わけのわからぬことを言って「クックック」と笑いだしたリィン・マクベスに心中こう疑念を抱いた四季右衛門であったが、同時にその笑いを聞いて彼は嫌な予感を感じてもいた。何せリィン・マクベス・ニンキューナとは城中に起こる連続殺人の調査における最先鋒である。加えて、この国の剣士の中で間違いなく一番の使い手だとうたわれている者だ。そんな人物が他ならぬ自分の眼前に出て不可解な行動を起こすことこそ真に焦り警戒すべき事柄であった。


「あの……リィン・マクベス・ニンキューナ様で合っているでしょう? 何か私に御用でしょうか? 申しつけたいことがあるのなら、遠慮なくおっしゃってくださいませ」


 四季右衛門が恐る恐るそう言うと、リィン・マクベスは笑い声を止めた。


「すまぬ。礼を欠いたかな? 私はただ、よくも調べたものだと思っただけなのだ。その上、まさか敵の本拠地に忍び込み、かかる騒ぎを起こそうとはなぁ。その手並みや勇気もそうだが、我が国の兵を犯人にほのめかしたのもこれはそちらの作戦のうちであったのだろう? 思惑通り、おかげで我々はかき乱された。犯人は誰だと議論は紛糾し、行動にもたつきが生まれた。その知謀、感服したぞ、バクフの隠密どの」


 四季右衛門は目を見開き、全身金縛りになった。リィン・マクベスの言葉を聞く限り、彼の正体はバレている。だが、今までバレていなかったものが何が原因でそうなったのかがわからない。四季右衛門の変装も、ただ見ただけでは見破れぬはずの精妙さであるはずだった。よってまだ言い逃れる望みはあるはずと目を光らせた四季右衛門は、


「きゅ、急になにをおっしゃいます。隠密? もしかして、私が例の事件を起こしたとおっしゃっているのですか? 違います! 一体なんの証拠があってそんなことを言うのです」


 とこの場を煙に巻く口論をするための前口上を言ったが、リィン・マクベスは取り合わず、


「思わばそのアスファイヤ語も、よくぞこの短期間にそこまで習熟したものだ。全く違和感がない。先ほど私は貴公を見つけられなかった自分が不甲斐なくて不甲斐なくて自嘲の笑いも漏らしたが、そんなことができる者ならばそれも仕方がなかったとも思えるな」と呟いた。


「お聞きなさいませ! あなた様はあくまでも私が事件の犯人だとおっしゃるのですか? そんな……酷いっ。あのような残酷な事件の犯人だと決めつけるなんて、たとえあなたが御貴族で私がメイドであったとしても許されぬことです。これ以上そんなことを言うのなら私、これから人を呼び勇気を持って皆に相談して回ります」

「無駄だ」


 リィン・マクベスは笑った。四季右衛門が何を狙ってそんなことを言っているのか承知して、一笑に付す笑いであった。


「同じ戦士として、貴公らはたしかに称賛に値する者たちであった。だがその作戦もここまでだ。我らはもう貴公らの存在を認識している。貴公の仲間がジルマという者に確認された。その結果、ジルマはある魔法を使用した。相手の視界を盗み見る魔法だ。それによって貴公の仲間の視界はジルマと共有され、貴公の存在も発覚した。そしてジルマから連絡を受けた私がこうして現れたというわけだ。貴公の仲間の下にも今、兵たちが向かっている」

 

 いよいよ四季右衛門はなに! と心中に叫んだ。バレた原因はそれであったのだ。やはり恐ろしきは魔法の作用であった。同時に彼はもはや言い逃れができぬことを知った。


 ――ちっ、まさか今宵決行というときにこうなるとは。清十朗はもう任務を果たしたろうか。


 内心にこう思った四季右衛門はとにかくこの場を逃げようと身を反転させようとした。が、その足はビタと止まったまま動かなかった。彼の足、そして目を射止めるのはこれまで穏やかに喋っているようだがしかししっかりと放たれていた背を見せれば瞬間攻撃するという○○の凄まじい眼光であった。現実に、○○には魔法という飛び道具があるはずなのだ。これでは逃げられぬ。だが、その自分を釘づけにするほどの凄まじい眼光が彼の闘争心に火を着けた。


 ――一人で来るとは何のつもりか知らんが、現状奴はただ一人。逃げられないなら殺すまで!


 表面は動揺を見せつつ、しかし内心を燃え滾らせて四季右衛門はこう決心した。


 ソーラコア王国最強剣士リィン・マクベス・ニンキューナと、どんな剣豪でも先んじてこれを斬ってしまう鬼速の抜刀術士移木四季右衛門――今ここに相対す。


 しかしこれを見て、戦いのすでに始まったと誰が思おう。宣戦の言葉も応戦の声もない。代わりに四季右衛門の口から飛び出したのは、この期に及んでまだ「そんな、何かの間違いですっ」という叫びであった。彼はイヤイヤと首を振ってあらぬ疑いをかけられた少女そのものの演技をしながらリィン・マクベスへと駆け寄っていく。その腕からは、箒の束が涙のようにボロボロと零れ落ちていった。

 対するリィン・マクベスは駆け寄ってくる四季右衛門に腰の剣を掴むという当然の警戒態勢を取りつつ、それでもその柄に右手を上げかねてどう対応しようか迷ったようであった。何しろ他に仲間がいないか聞き出したいという用もあるし、外見上相手は十代の少女としか思われないのだから駆け寄ってきたからといってそれだけで斬る気にはならない。それに、そもそも彼にはまだ戦いが始まっているという認識すらなかったかもしれない。四季右衛門の行動は疑いをかけられた少女がただ哀訴のため相手にすり寄ろうとするというありがちなものと思えるし、何より箒を抱えるばかりの四季右衛門は武器も持っていないようだし――。


 が、四季右衛門は武器を持っていた。駆けるに連れて落ちていく箒、それにはもちろん刷毛がついているわけだが、未だ腕の中に残る数本の箒の中に一本だけ刷毛がないものが紛れている。このただの棒としか思われないものこそ彼の武器、仕込杖であった。武器を隠すこの工夫と相手にすり寄ろうとするという追い詰められた少女ならばやってもおかしくはない演技によって四季右衛門は元々敵まであった六メートルという距離を無事詰めた。彼はなんと、この場合にしかもリィン・マクベスほどの者に対して正面からの不意打ちを成功させてしまったのである。このことを卑怯とは言うなかれ。忍者に正々堂々名乗りを上げる見栄はない。いやむしろ、こうやって相手を騙くらかすことこそ四季右衛門最大の技であった。

 

 圏内に入り、「ふっ」という気合と共にただ一本掴まれた仕込杖から打ち出されるは一瞬閃光、必殺の撫で斬り!


 一度打ち出されれば相手には何もさせぬ絶対の抜き打ちだ。先手を取られた以上さしものリィン・マクベスも受けざるを得ない一撃であった。が、剣の名手のみが見ることのできる一瞬が十秒にも引き延ばされた世界で四季右衛門はあり得ざるものを目にした。

 リィン・マクベスの右手が剣の柄に伸ばされていく。成功したかに見えた不意打ちだが、さすがに直前になってリィン・マクベスも不審に勘付き、対応を開始したのであろう。それはいい。すでに居合斬りの発射が開始されたからには最早それはどうでもいいことであった。問題は、その動作が刀を抜き放ちつつある四季右衛門の動きに追い付こうとしていることだ。この自分の動きすらスローモーな視界においてリィン・マクベスの右手だけはそれよりやや速く、流れるように動いていく。そして今、彼の右手は剣の柄にかかった。

 抜刀術に一念を燃やして修業した四季右衛門が速度で負ける。その原因はリィン・マクベスの凄まじき剣の腕もあったろうが、加えてやはり魔法からも来た。動作を加速させる瞬躍の魔法――得意のそれを瞬間腕にかけたのだ。


 そんなことはもちろん知らず、自分の速さを超えた相手の動作を見て四季右衛門は言語にもならぬただ愕然とした恐怖の感情を抱いた。彼はすでに刀身の半ばまで刀を抜いているが、相手の調子を見るにこのままでは先手を取って有利であったはずの自分が追い越されてしまうかもしれない。この瞬刻の場合にその計算をできたのは四季右衛門ならではだが、それでも彼にはどうしようもない。彼の技にはもう全念力を込めてあるのだ。これ以上は達しようがない。彼はこれまで刻苦たる修行を積んだ自分に天恵が降ることを祈った。


 その祈り――通じたり! これぞ天命か。剣の柄にかかっていたリィン・マクベスの右手が柄を滑ってすっぽ抜けた。彼らしくもない途方もない失態と言えるが、この緊急時には仕方のない不運とも言える。剣を握っていないのに振り出される腕を見て、もはや動く時もない肉眼の代わりに心眼を見開いた四季右衛門は勝った! と歓喜し刀を振り抜いた。

 次の瞬間、四季右衛門の視界は明々と白んでいた。もとより先ほどの一瞬は過ぎ去っている。


 斬られたのは、移木四季右衛門その人であった。


「な、何故……?」


 と後ろざまにグラリ倒れゆく四季右衛門が呟く。彼がこう呟くのは自分の右前腕が無く、胸を斜めに斬られているということに気付く前であった。傷は認識せずとも斬った斬られたはわかる剣士の霊感じみた感覚だ。それにしても何故四季右衛門は斬られたのか? 倒れゆく彼の目にはリィン・マクベスの腰に確かに剣が映っているのに――。右腕と胸から血を噴いて遂にどうと倒れ伏した四季右衛門。仰向けに倒れた彼の目に天井と赤く光る物体が映った。


「魔法剣、一閃」

 と左足を引いて右腕を薙ぎ上げる姿勢になっていたリィン・マクベスが言う。


 その右手には血塗られた赤い剣が握られていた。いや、それは人を斬ったから赤いわけではなく、元々赤いらしかった。血の垂れる刀身はもちろんのこと、柄も鍔も全部赤い。これは果たして剣であろうか? 赤いのもそうだが透明感があってまるで剣の形をしたルビー宝石のようだった。


「使ってよかった魔法剣。これに切り替えていなければ勝負は危うかっただろう」


 魔法剣とは文字通り、魔法によって作った剣のことだ。この魔法剣は瞬躍の魔法に続いてリィン・マクベスの得意技であった。そしてこの魔法剣、自分の思うままに形を変えられるだけでなく、重さを自由自在に増減できるということにも特徴がある。ということはつまり、いまリィン・マクベスも言ったように彼が先ほど剣をすっぽ抜けたのは失態ではなく、凄まじき判断力によりとっさに魔法剣へと切り替えるためであったのだ。そうして切り替えた重さの一切ない魔法剣、加えて瞬躍の魔法によって四季右衛門を斬った。その一閃は、鬼速を超えた神速の一撃であった。


「しかし、瞬躍の魔法に魔法剣、これらをもってしても一髪の差とは恐ろしい奴……」


 腕を下ろし、右足を引いて直立しこう感嘆したリィン・マクベスが後ろを振り向いた。そこには先ほど彼の脇を吹き飛んでいった四季右衛門の右腕が転がっていた。


「だがその腕前でも、同条件で立ち合って私の最後の奥義を出すほどではない」


 渋く笑ったリィン・マクベスが首を戻して四季右衛門を見下ろした。その目には、ちょっと苦いものがある。


「結局、斬ってしまったではないか。……まあいい。どうせ斬ると決めていた命。話はもう一人の者に聞く」


 リィン・マクベスは魔法剣の切っ先で四季右衛門の首の左右を裂き、抜かりなくとどめを刺すとその体を横切った。魔法剣を床に叩き付けることで解除し、早足にどこかへと向かっていく彼の背後でヒューヒューと空気の漏れる音の混じった虚ろな声が流れた。


「……お、お母……! お葉……! 上様……! 任務果たせず、お許し……。……」

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