三話 ソーラコア戦記
ソーラコア王国が北方三国を次々と侵略してきた魔族とどのような戦いをしてきたのか。
ソーラコア王国は相対したその当時から魔族に対して苦戦を強いられた。しかし、それは実力が劣っていたからではない。戦いの始まった当初、さすが大陸一の繁栄を誇るソーラコア王国の兵力は魔族たちに勝っていたと見ていい。だが、ソーラコアはその力を思うように振るうことができない状況にあったのだ。それは国の経済を安定させることや、その他諸々の問題を解決するという重要事があったためであった。北方三国が魔族たちに滅ぼされたことによる影響はもちろんのこと、その住民たちはむろん全て滅びたわけではなく、ソーラコアへ避難、流入した者たちも数多くいるからそれを受け入れることにより色々な諸問題が泡のように噴出するのは当たり前だ。まずそちらに注力したのも仕方がないとも言える。
そういうわけでソーラコアは百の力を以って戦いに臨めず、さらに北方三国を瞬く間に滅亡させたことからも分かる通り戦上手の知恵者らしい魔王の軍略も相まってソーラコアはじりじりとその領地を侵されていった。滅亡の憂き目に合った元北方三国の住民は当然として、ソーラコアの国民たちも改めて魔族の恐ろしさにどんよりと不安げになっていった。
そんな時である――そこに魔族たちの侵攻を止める者が現れた。武力によってではなく、ある一つの魔法によって。
その人物はまだ魔族たちが入っていないラインを境に、ソーラコア全周に高空の果てから地の底まで及ぶ巨大な、それはもう世界そのものを断割するといっても言い過ぎではない巨大なバリア――すなわち結界を張ったのである。これが例のオッフェンバック断結界だ。そしてその結界を張った人物とは、驚くべし、なんと当時九歳の少女であった。魔力というものは魔法に関する事柄の中でも剣法などと違って研鑽不能、持って生まれたものに依る能力であるため、九歳の少女にも不可能ではないだろうが、魔族の快進撃を止めるというこれまで誰もやってのけたことのない偉業を成し遂げたのだからこれは凄まじい魔法の天稟と言えるだろう。彼女はやがてそうした役職でもないのに聖女とすら呼ばれるようになった。
で、魔族のそれより先への進出を阻み、攻撃を防ぐオッフェンバック断結界だが、しかし人間――というよりソーラコア兵士だけは小さな穴を開けることができ、結界の向こう側へと攻撃を透過させることができた。これはそういった性質のものであった。そしてその結果とうぜんに起こったことがある。すなわち結界を何とかしようと寄ってくる魔族たちに対するアリの大群を踏みつぶすような大殺戮だ。魔族たちはあれがある限りにっちもさっちもいかん、どうにかできんか色々試してみよう、と仲間が死のうが自分の身が危うかろうが、険しい山岳地帯の窪みにあたる草原の結界へとよく寄ってきた。それに向かって結界の前にテントを張り陣を置く兵士たちが火の玉を投げ、空を横走る稲妻を放ち、時に槍で突いてゆく。その際に、
「あはははははは」
という哄笑を上げる兵たちの表情はこれまでに魔族によって死していった者たちの怨念が乗り移ったかのように悪鬼さながらであったという。
だが、このようなことが一ヶ月ばかり続いたある日の昼――その哄笑が尾を引いていつも血に酔ったようにニタニタとするようになった兵たちが戦慄し「あーっ」と叫びを上げる出来事が起こった。
結界の前に三千ほどの軍勢を連れた一体の魔族がやってきたのだ。
軍勢が現れることは別に珍しくもない。しかし、轟々とした足音を鳴らす軍勢の最前を悠々と歩いてくるその魔族は他のどの同族とも様子が違っていた。魔族というものはたいてい醜怪不気味、人間とかけ離れた見るも恐ろしい容姿をしている。だが、これは明らかに薄青い肌こそしているもののただの人間とほとんど変わらぬ見た目をし、しかもスラリとした顔や身体の線には柔らかな幼さがあってそれだけに凄いほどの清らかで澄み切った感じがあった。人の目から見てもこれは十五、六ぐらいの美少年としか見えない。これもそのようなことが自分でもよくわかっているのか、他の同族たちがぼろぼろの鎧や破れほつれた服を無頓着につけているのに対して、帽子を被り、ローブを着た上にマントをつけてちょっとオシャレなところのある魔族であった。
ただ、違いとはそれだけではない。
「奴、明らかにあの軍勢を率いている」
「それに奴から漂い出るあの強大な闇の魔力は」
「ううむ、あれほどの魔力はどの魔族にも感じたことがない」
「あっ! 奴が止まった!」
先頭の魔族が結界から五百メートルほどの距離にて足を止めた。するとその背後の三千の軍勢も一斉にびたりと静止した。
何たる統率力。例の魔族は荒くれ揃いの同族たちを完全に制していると言っていい。これにはソーラコア兵たちのいくらかも「おおっ」とわれ知らず嗟嘆の声を漏らした。
魔族たちをこうまで統率できる者など誰にとってもただ一人しか思いつかない。兵の中の誰かが、
「あ、あれはまさか……ま、魔王か?」
と言った。低い声だがやけに通る声であった。
兵たちはみな声にならぬうめきを漏らした。実は彼らは魔王をこれまで一度も見たことがない。魔族たちから情報を吐かせてその存在を知ってはいたが、最初期はともかく最近ではもう指揮だけとって戦場にも姿を見せなかったからだ。だが彼らが口々に言った事柄やその統率力からあれが魔王であるということに一切の疑念はなかった。まさにあの魔族とは他の同族に知性と力を与えた魔王であった!
――若い。いや、はたして魔族というものに年相応の見た目というものがあるのかは兵たちにも疑問だが、たしかに魔族の中でもあの魔王は若く見える。事実としてまだ七歳ほどであるはずだ。それだけに魔王からにおい立つその清新さは自分たちを圧倒するような才気と力の迸りとなって兵たちに感得された。それに、その才気と力で今までやったことがやったことだ。先ほどまでの騒々しい足音が止んで静寂となった中、その静寂をかえって恐ろしく思った兵たちはのどの詰まるような緊張を覚えた。
すでに横一列の陣を組んでいる兵士たちと三千の魔族が微動だにせず向かい合う中、魔王はやがて一人ゆっくりと結界に向かって歩き出した。
「呪文を唱えよ。攻撃態勢ぇー!」
兵たちが号令と共にまなじりを決して攻撃態勢に移る。が、それでもやはり悠然たる足取りだ。
「各人、放てぇー!」
ソーラコア兵たちはそんな魔王に次々と魔法を放った。火の玉、稲妻、見るも強力な魔法が呪文を唱え準備の整った者から続々と放たれてゆく。
が、何たること、魔王は歩きながら来る稲妻を腕を振り上げ弾いては空へと還し、火の玉を兵たちへとはね返してしまった。しかもそれは一度や二度ではなく、乱れ迫る乱刃ならぬ乱魔の全てをことごとくあしらってしまった!
「な、な、な、なに! うわっ!」
愕然とする兵たちが自分たちへはね返ってくる火の玉にのけぞって顔を覆った。
はね返された火の玉は結界にぶつかってはかき消されて兵たちを脅かさなかった。しかし、体勢を立て直した兵たちの放つあらゆる攻撃もまた魔王には通じない。それは全ての兵たちがタイミングを合わせて集中的に魔法を放とうが、その他さまざまな魔法を試みようが同じであった。
魔王は遂にゆるりと結界の側に立った。
それと共に兵たちが魔王に向かって結界越しに槍を突き出すが、やはり通ぜず、幾数の穂先は魔王に触れる前にどろりと熔け、終いには水の如くなって地に零れた。
その様子を見下ろしていた魔王がやおら目を上げて兵たちを睥睨した。その透明な炎が燃えているかのような目を間近に見た兵たちはそれだけで気死したように立ちすくんだ。
すると魔王が結界に両手をかざし、腕を鈍く光らせて明らかに何らかの作業を始めた。
「あっ」
と我にかえった兵たちがすぐに狼狽しだした。
魔族が結界に対して行う作業など一つしか考えられない。破壊か、解除か、はたまたすり抜けるか、いずれにせよこのオッフェンバック断結界を無効のものとするための作業だ。これまで多くの魔族たちがこの結界に様々な干渉を試みてきたが誰もどうすることもできなかった。しかし、この魔王ならばやるかもしれぬ。ただ、そう思いつつも兵たちには対処のしようがなかった。作業に集中している今ならば、と再び槍を突き出し魔法を放ってみても、変わらず槍は熔け、魔法はかき消えたからだ。兵たちは結界を挟んでただ凝然と魔王の作業を見つめるしかなかった。そして見つめながら彼らは作業の失敗を祈った。もし、魔王によって結界が解除されればせっかく安息の溜息をついたソーラコアの民たちが再び恐怖し、またこの場にいる自分たちの命は最早ないものとなってしまう。
で、結果として彼らの祈りは成就した。作業開始から三時間ほど経ち、空が赤くなってしばらくしたころ――色々と魔法をかけたり、道具を用いたり、遂には空中に浮かびあがっては町をまるごと全壊できそうなほど巨大な回転する魔法の槍をぶつけてみたりしていたものの、魔王ほどの者がついに結界をどうすることもできず、背後の魔族たちに手を振って撤退の指示を出したのである。そして魔王は結界の前から去っていった。しかし、結界の中から固唾を飲んでそれを見守っていた兵士たちの歓声、嘲罵を受けながら、伏せた朱椀の如き落日の彼方へ、魔族の大軍を追ってあとをふりかえりふりかえり睨みつけながら歩き去って行った魔王の背は哀愁よりも凄まじい反骨の気があったという。
ともかく、魔王はオッフェンバック断結界を破壊することも解除することもすり抜けることもできなかった。ソーラコアの人々は喜び、ひとまずの安寧が訪れた。
それから年月経って三年間、魔族たちが結界の前に現れなくなって久しく、その間に政治活動に尽力したテューマー王によってソーラコアに山積していた様々な諸問題も一応の落ち着きを見せた。それでさて、魔族たちをどうしよう? と腰を据えて考え始めたそんな折、ソーラコアの人々を再び驚愕させる出来事が起こった。
ある町が壊滅したのである。政治活動に勤しみ、そんな大事の起こるような内紛の種などないと把握していたテューマー王は報告を聞いて仰天して腰を上げ、その町に兵科兵団を派遣した。そしてその壊滅した町で生き残った者からもたらされた情報こそ真に彼を衝撃した。
「魔族にやられた」
まさか! と、目を見開いたテューマー王の命によって、兵団は魔王が現れた例の草原の結界前に急行した。結界前には魔族たちの動向を見張るための黒いレンガ造りの砦が本格的に築かれていた。黒いだけに物々しく、中にはさらに厳めしい男たちが詰まった砦であった。しかし、普段ならばその男たちがいる砦に兵団の者たちが踏み込んでも静寂として誰もいない。いや、正確にはいた。しかしそれは死体であった!
いかなる野心や思想を持った者たちであっても人間ならば魔族を見張る砦の男たちにこんなことはしない。誰にとっても魔族の恐ろしさは心魂に徹して思い知らされているからだ。だが、兵団が大慌てで調査した結果、結界が壊されたり何か異常をきたしている様子はなく、また結界を張り続けている当の本人である聖女様もそのような感じはしないと言った。つまり魔族がどう結界を越えたのか、そもそも本当に越えられたのかはわからないということだ。それでもテューマー王は右の理由や情報から町は魔族によって壊滅したと断定した。
断定はしたが、町を壊滅させた魔族たちは見つかっていない。ただ、どこかに潜んでいるのは間違いないと、テューマー王は国中に警戒の念を発した。しかし、どこにどう潜んでいるのか、いくら捜索しても魔族たちは見つからない。闇の魔力は近くにいなければ感じ取れないためそれもわからない。それに、襲撃に備えて二月、三月と待ってみるも魔族たちがどこかを攻撃することはなかった。このようなことがあって最初不穏で沈痛とした雰囲気であった民衆たちは次第にヒステリックになってゆき、兵たちも倦怠感を隠せなくなってきた。そして町の壊滅から四ヶ月が経ったとき――草原の結界前にある例の黒い砦に補充された兵たちがついに魔族の姿を見た。それは星もない新月の夜、結界の外側からこちらに向かって歩いてくる三百ほどの軍団であった。
まず、その姿を目にした見張りの兵が中空に照明となる光の魔法を放ってから、
「おーい、みんな起きろ! 起きろ! 魔族が出たぞ!」
と、鐘をからんからん鳴らして他の兵たちを起こした。槍を携えまろぶように表に出てきた兵たちは口々に、
「ついに出やがった」
「けど、町を襲った奴らとは違うんじゃねぇかな。何せ結界の外側にいるし」
「それに今まで見たことのない奴らじゃないか?」
たしかに三百の軍団はこれまで兵たちが見たことのない種類の者たちであった。魔法で作った魔産鉄制の真新しい鎧をつけていることはまだしも、ぜんいん身長はのみで削ったように同じ二メートルほど、青い肌をして人間みたいな普通の顔――と言っても人間から見てもなかなかの美形ではある――は知性がないような無表情をしている。
「……何にせよ、まさかこの結界を越えてくるか? ……。おい、誰かすでに王都へと知らせに走ったか? 走ってないのなら少し待たせろ」
兵たちはあえて迎撃せず態勢だけ整えては軍団を待った。奴らが何をするのか、果たして本当に結界を越えるのか確認しなければならないと思ってのことだ。ややあって、魔族のやることを見てやろう、と高をくくっているようでその実、心中にはまさか本当に聖女様の結界を越えられるとは思えん、と手を揉みねじるような気持ちでいた兵たちが「あっ」とうめきを上げた。
結界にたどり着いた魔族たちの軍団が何ら魔法を行使した様子もなくただ行進するだけでこちら側にすり抜けてきたのである。結界を突破されるにしても何らかの予備動作は見せるだろうと目論んでいた兵たちはこの無造作なる解決ぐあいに心理的な空白が生じたのか、目を剥いたまま呆然としていたが、すぐに気を取り戻した誰かが、
「伝令! このことを王都へ伝えに走れ! そしてみな! 迎撃せよぉーっ!」
と叫んだ。この声に従ってみな弾けるように一斉に動き始めた。伝令役はその通り魔族たちの軍団に背を向けて王都へと馬を走らせ、砦の兵たちは魔法による迎撃を開始した。しかし、伝令役は馬を返してすぐに砦へと帰ってきてしまった。
「どうしたっ?」
「む、向こうにも魔族がいる! 向こうからも魔族が攻めてきておる!」
「な、なにっ!」
三百の軍勢の反対側からも同種の魔族たちが侵攻してきていた。それは言うまでもなく、例の町を攻め滅ぼしたという魔族たちに違いなかった。
砦を挟み撃ちにされた兵たちは、仲間の助けを受けて命からがら王都への伝令のために逃げ出した一人をのぞいて皆殺しの目にあった。
兵たちを皆殺しにした魔族たちは砦を占拠した。
この報告を聞いたテューマー王は兵たちが死んだことと再び魔族たちに攻められたことを改めて嘆き、頭を抱え、頭を抱えながら一体どうやって魔族たちが結界を越えたのかわからないまま戦備を整え始めた。
魔族がどうやって結界を越えたのか? これについては案外簡単にわかった。このことに興味を惹かれたらしいジルマが危険をかえりみずわざわざ砦までひょこひょこと出向いて、結界の外から少しずつ参陣してくる魔族たちをひそかに観察したのだ。その結果、王城に帰った彼が顎をしごきながら言うには、
「あれは魔法によるものではございませんな。そもそも魔法が関わっている匂いがまったくない。やはり魔法や能力ではどのようなものであってもオッフェンバック断結界をすり抜けたり無効化することは不可能じゃ。あれはそういうものとして産まれた者だからこそできる所業だと存じまする」
「そういうものとは?」
「そういうものは、そういうもの」
そういうものとはジルマもいい加減なことを言うようだが、事実として黒レンガの砦での戦いが始まっても出てくるのはその砦を落としたあの無表情な魔族だけで、他の種類の魔族はもちろん魔王も参加することはなかった。やはり無表情な魔族以外には結界は越せないのだ。ソーラコア側にとって幸いなのはそれによって相手の数が少ないということであった。追い追いその魔族が結界の外から参陣してくるもののその数も少ない。しかし、恐るべきは参戦こそしないがその裏で指揮をとっている魔王であった。三年間、十分に思案をめぐらす時間があったろう大戦略家たる魔王は、例の町を壊滅させた魔族たちを砦に全員集結させていなかったのか、時折それらにソーラコア兵たちの背後をとらせては兵たちに奇襲を臭い臭わせて怖れさせ、ことごとく敗走させてしまったのである。そうして幾度かソーラコア兵を敗走させた魔王は魔族たちを侵攻させることに踏み出した。数少ない配下で侵攻することは防衛に倍する難しさがあることは言うまでもない。が、砦での防衛を制した勢いに魔王の辣腕が上手くからみ、さらに前もってソーラコア兵たちを疲弊させていたことも相まって魔族たちは少しずつだが着実にソーラコア王国を侵していった。
このようなことが五年続いた。その間、ソーラコア側が形勢を盛り返すことは幾度かあったが、大勢は魔族たちが制し、魔族たちの侵攻を止めることは叶わなかった。じりじりと王都へ向かってくる魔族たちのことを重く見たテューマー王は一つ思いきった行動に出た。それは聖女様にオッフェンバック断結界を張ることを止めさせてでもある魔法を使うことに集中させるという一大計画であった。
これこそが救国物召喚の魔法だ。しかしこの一大計画も思うように実が結んでいないのは今現在、会議室にてオーシャコット・エレクティアの質問にテューマー王が眉間にしわを寄せて否定した通りだ。




