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二十七話 相まみえる聖女と清十朗

 四季右衛門のテューマー王の暗殺宣言。


 そこから所変わって聖女の塔、木々が植えられ花壇など造られたその庭園、見張りの者も決して姿を見せぬ静穏としたここを音もなく走り抜けてきた二人の人物がいた。白い塔に手をついて壁の黒染みになったようにしゃがみ込んだのは清十朗と猛蔵の二人であった。ここ数日、城の敷地に隠れ伏して機会を待っていた彼らはついに動き出したのであった。


「よし、上手いこと近づけた。だが本番はここからだ。いけるか、清十朗」

 猛蔵に問われた清十朗が塔を見上げた。塔はそう高くはないはずだが、真下より見上げる白い塔は星のまたたく夜天にそびえ、色が膨張し高く見える。この錯覚は色味によるものだけではなく清十朗の緊張からも来た。まさに本番、清十朗の人生において最大の大仕事をやり遂げるときがやってきたのだ。だが緊張しやや息を弾ませる彼は猛蔵に目を戻すと、「いけます」とはっきり返した。


「登れそうか?」

「登れます。まさかここで実を結ぶとは……壁を登ることは毎日やって参りました。指をかける溝は浅そうですが問題はないでしょう」

「よし。では早く行け。この位置ならば見張りに見られる心配もなかろう」


 清十朗は立ち上がってまず塔の壁面を観察し始めた。顔を上げれば塔から大きく突き出したバルコニーらしきものがある。四季右衛門の情報によると聖女の部屋はあそこだ。清十朗は何となく壁に手を触れた。そのとき、「おい清十朗、顔の変装は剥がして行け」と猛蔵がちょっと慌てて声をかけた。柔膳はすでに剥がしていたが、この二人は未だ顔を変えたままであったのだ。聖女と会うにあたって元の顔は必要だろう。「あぁ」と気付いた清十朗が顔の変装を剥がす。そこから彼本来の顔が現れた。

 その横顔を見た途端、猛蔵が口の中でうめいた。ここ最近ずっと顔を変装させていたため久方ぶりに見たが、やはり清十朗は美しい。月光に照らされ淡く輝く玲瓏とした肌、少年らしくういういしいのにスラリとした頬また顎、真剣に塔を見上げる燦とした目、思わばこの美しさによってこのあとやることがやることだ。そのためその神秘的な赴きに妖しさを加えいよいよ三日月みたいな横顔であった。

 前に酒場で清十朗に任務の果たす策が考えつかないと説明されたとき、――たしかにそうだ、本当にこんな作戦成功するのか、と思った猛蔵であったが、しかし作戦などなくてもこの美しさならば聖女も受け入れるかもしれぬ、と改めた。四季右衛門にあれだけは作れぬ、と言わしめるほどの清十朗の美貌であった。


 ――これならば、と心中に頷いた猛蔵は塔を見上げる清十朗の手から変装用の皮をもぎ取ると、


「では行け。わしは一旦ここを離れてお前が来るのを待っておるからな」

 と言ってどこかへと去っていった。


 一人残された清十朗はそれからも少しの間壁の観察を続けていたが、一度顔を落として深呼吸し「よし」と小さく気合をかけると壁を登り始めた。塔の壁はレンガで造られており、それらの隙間の溝は浅いが、指をかけた清十朗は易々と登っていく。


 この塔にあるという部屋には聖女がいることであろう。いよいよ、聖女と清十朗の接触のときである。再三のことになるが、清十朗は壁を登りながらこの後に自分がするであろう行為を思い、緊張し胃の重くなる感覚を覚えた。これからおれはまだ顔も知らぬ女人を殺すか犯すかしなければならない。それは登っているのにどこまでも沈んでいくような感覚であった。しかし彼が登るのを止めることはない。天上人である家光からの命であること、このまま戦が続けば伊賀に危難が及ぶ可能性があること、そして今回の任務が忍者として身を立てるための絶好の機会であるということが彼を登らせた。蜘蛛の糸を登るようにするすると登った清十朗はバルコニーに登りついた。


 バルコニーは白いテーブルと椅子、鉢植えなどが置かれた中々に広いものであった。そのバルコニーにガラス戸を透かして室内から明かりが漏れている。清十朗は声もなく「あっ」という顔をするとガラス戸の横にある壁に屈みこんで身を隠した。壁に耳をつけた清十朗が中の気配を探る。たしかに室内には一人分の気配があった。おそらく聖女であろう。清十朗はまだ聖女の姿を目にしていないが、明かりがついているということはこの中にいる人間は起きている可能性が高いということであった。清十朗は実に困った表情となった。

 それというのも、あれからつらつら思案した結果、清十朗は聖女出血という任務のためにある作戦を決定するに至っていたのだが、これではその作戦に差しさわりが生じるためである。

 彼の考えた作戦とは聖女が寝ている隙に忍び込み、あえて彼女を起こしてから寝ぼけている彼女を夢魔の如く襲うというものであった。寝ぼけているのなら見知らぬ不審な男が現れても怪しまれることがないかもしれないし、そのまま床に潜り込んでも清十朗の夢のような美貌ならばまさにただの淫夢と思って受け入れる可能性がある。なんだか幸運に期待してばかりの確実な作戦ではないが、心より気を許した対象からでなければ声すら届かせぬという結界をまとう相手であることや、それに不審者でございとして近づかなければならない条件を考えればたしかにこれが最も成功の可能性が高い作戦とも思われた。だがその作戦を実行するには聖女が一人で部屋にいることは好都合だが、起きていてもらっては困るのだ。とにかく清十朗は部屋の灯りが消え、中の人物が眠るのを待つことにした。


 現在午前一時、普段の清十朗ならばとっくに床についている時間である。灯りがあるとはいえこんな夜更けに何をしているのかと彼はちょっと気を揉んで壁に耳をつけ中の様子を窺った。壁を通して中からはぽつりぽつりと女の声が聞こえてくる。何をしているのかは知れないが、部屋にはたしかに一人分の気配しかないから彼女はどうやら独り言を言っているらしい。その声は、こんな場合に清十朗が深く感じ入るほど澄んで美しかった。だが清十朗は感じ入ると同時に緊張を強めてもいた。やはり現実に相手の声を聞くとその人物に対し害を与えるということへの恐ろしさが増してくる。鈍く動悸する心臓を感じながら唾を飲んだ清十朗は不安からいっそう気を入れてその声に集中した。そうすると中の女が口にしているアスファイヤ語が次第に聞きとれるようになってきた。中の女は、

「そこにいるのは誰です」

 と言っていた。


 瞬間、清十朗がのどをつまらせて目を見開いた。先ほどまで感じていた動悸は突き刺されたように止まっている。今の発言はなんだ?

 言葉を解釈すれば中の女は清十朗が近くに潜んでいることに気付き、こちらに話しかけている。


 しかし、

 ――ありえん! 今のおれの隠形は完全だ! 気配など出ているはずがない!

 と清十朗は断定した。


 たしかに人生最大の大仕事に挑むという緊張が彼の能力を大きく引き上げたか、今の清十朗の気配の消しようはこれまでにない素晴らしさであった。その上、清十朗は未だ中の人物の姿すら見ていないのだ。つまり向こうからもこちらは見えぬはずなのだ。忍び込んだ側が相手の姿すら見ていないのに対象に感付かれるなどありえない。こういうときのために凄まじい荒修行を積んだ忍者清十朗がプライドにかけてそう思うのは実にわかることであった。ただの独り言であると確認するために清十朗はさらに耳を澄ませた。中の女は続けて、「何度言っても出てきませんか。それとももしかして聞こえませんか?」と言っていた。そして、室内に通じるガラス戸が誰の手も借りずにふわりと開かれると、

「これならば聞こえますか? さあ、出てきなさい。そこにいるのは誰なのです?」と声をかけられた。

 ガラス戸の開いた微風を突風のように感じ、清十朗は立ち上がってのけぞりかえっていた。


 その顔は、蒼白とし狼狽極みに達してわなわなと引きつった愕然たるものとなっている。


 ここまでされてはもう明らかだ。中にいる女は間違いなく清十朗の存在に気付いている。先ほどから彼女が口にしていた言葉、それは独り言ではなく清十朗に対しての語りかけであったのだ。何にせよこのままここにいてはまずい! と清十朗が思わず身を反転させた。が、二、三歩慌てて踏み出した足はそこでビタッと止まった。冷静に考えて、ここで逃げ出すわけにはいかないと悟ったのである。ここで逃げ出しても誰かが聖女の塔に忍び込んできたという情報は確実に通報されることになる。そうなれば元々城中の事件により避難の話も持ち上がっているはずの聖女だ。彼女は確実に手出し不可能な場所に護送されるに違いない。そんなことになれば再チャンスはない。ならばもうここは危険と困難を承知で行くしかない。そうしなければ任務達成の光はないのだ。

 深刻に頷き踵を返した清十朗はゆっくりとガラス戸の方へと向かった。行くと決めた清十朗だが、このまま室内に姿を現して任務を果たすための考えや自信はあるのか?


 ――ない。まるで、ない。考えていた作戦は呆気なく破綻してしまったし、けっきょく他に作戦は思いつかなかったのだ。しかしこうなれば出たとこ勝負で行くしかない。緊張の面持ちの清十朗は、ゆらりと室内に入った。


 中にはスラリとした清潔な美貌をし、清流めいた水色の髪を腰まで垂らす白いドレスを着た女がガラス戸を見ていた。聖女である。机の前の椅子に座る彼女は清十朗の姿を目にすると「あなたは……」とその目を見開いて呟いた。見開かれた金の瞳と目を合わせた清十朗が乾いた声で言う。


「あなたが聖女どのか」

「そう言うあなたはバクフの人ですね?」

 人々のために超常の大魔法を献上してきたソーラコアの至宝である聖女と、それを突かんとする日本の闇ガラス新瑞清十朗――今ここに相まみえる。


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