二十六話 忍者たちの王手
この二十六話。昨日たしかに投稿したと思っていましたが、わたしの手違いからか投稿できていなかったようです。
もし、このミスで肩透かしを食らった方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。
引き続き、お楽しみいただけると嬉しく思います。
ユールズとオネストの死から四日後の夜更けである。
城中のある一室に天井から人影が下り立った。伸ばした腕で下りてきた穴の板をずらし塞いだのは刀も荷も持たぬ本体の顔をした冷餅柔膳であった。皆に追われる渦中の人物である彼だが、髪や服はホコリによって白くなっているものの別にその顔にやつれたところはなく、表情も平然としていた。彼は城中の捜索騒ぎを地上に見るように天井の上に潜み、誰に見つかる恐れもなく移動をしていたのだ。天井の上はパイプが走る建物の隙間とも言うべき狭い場所で通常の人間であれば入ることもできない程の空間であった。しかし全身餅のように柔軟な彼であれば手ぶらとなることで入ることのみならずその狭い場所を道とすることが可能なのだ。そんな場所だけにソーラコア兵たちも調べるのを見落としている彼だけの道であった。
そんな道から下りてきた柔膳は今宵も悲惨な犠牲者となる人間を探しているのか――。ただ、彼の下りた部屋には人の気配がまるでなかった。あるのは床に机に積み上げられて散乱した大量の本ばかりである。何のためかは知れず、柔膳もそのことがわかっているから姿を現すようにしてここに下りてきたのであろう。彼は灯りの点いていない真っ暗な部屋の中を本があるにもかかわらずスルスルと流れるように歩いていった。暗闇を昼のように見通すのは忍者の特技の一つである。それによってどうやら入口の扉に向かっていたらしい柔膳はその途中、ふと「ん?」とある物に目を向けて立ち止まった。それは毛布のかけられたベッドであった。毛布はベッドの端まで広げられて誰が寝ているともうかがえないが、確かにそれは小さく膨らんでいる。人の気配がないと察知して下りてきたのにベッドが膨らんでいるのを見て、ちょっと瞳孔の広がっていた柔膳の目がすぐに鋭くなった。
――今宵魔天に飛ぶのはこやつかな……。
その想念のままベッドに近づいた柔膳が毛布の端を掴んだ。彼はこの毛布の下に人がいたならばたとえ眠っていようとも次の犠牲者に仕立て上げるつもりでいる。清十朗を聖女に近づけるため、また自分や仲間の身の安全のために彼は絶対に存在を確認されてはならないのだ。そのためにどんなわずかな後顧の憂いも断つつもりでいた。柔膳の手が静かに毛布を捲り上げた。
結果として、その下に人はいなかった。だが膨らんでいたのだから何もなかったわけではない。ベッドに横たわっていたのは小さな白骨体であった。
さすがの柔膳が驚きに目を見開いていた。そして鼻をうごめかし妙な顔で少しの間その白骨体を見下ろしていた柔膳が毛布を元に戻すと、「この国の者は頭がおかしいのじゃないか?」と首をかしげ部屋を出ていった。部屋を出た柔膳は廊下を歩いてどこぞかへと向かった。廊下など歩いて妙に堂々としているようだが、その耳鼻目、さらに霊感とでも言うべき忍者の第六感が周囲の気配を鋭敏に探っている。人気のない道を曲がると彼は近くにあった階段を下りていった。先ほどいた場所が一階だからこれは地下へと下りゆく階段だ。柔膳がわざわざ下りてきたのは例の道では地下へとゆけなかったからであろう。暗い石段の先には小さな木の扉があった。柔膳はその扉を開いた。
部屋の中は物置のようだった。両端にある木棚には重ねられた桶や小さなブラシなどのこまごました物品が置かれ、床に置かれた木箱には幾本もの長箒が突っ込まれていた。この狭い物置に一つの灯りがぼんやり点っている。その灯りの中に、小さな体、線の柔くふっくらと愛らしい白い頬、丸く大きな黒瞳、足首まで覆うゆったりとした黒いワンピース、その上から着た白いエプロンが浮かび上がっていた。物置の奥にあえかな火の灯る手燭を持って立っているのはこの城に勤めているのであろうメイドの少女であった。
少女の目と扉を開いた柔膳の目がぶつかり合う。この対面に、物置は重々しく沈黙したままであった。
しかし柔膳は別に焦ったふうでもなく平然たる面持ちで部屋に入ると後ろ手に扉を閉めた。たしかにこうしてしまえば他に出入り口はない。「ふふ」と薄笑みを漏らした柔膳は少女の前に立った。そして案外微動だにせず立っている少女に声をかけたのである。
「首尾よういっているか?」
少女は答えた。
「問題はない」
このような問答を交わす二人。はてこの少女は新しくできた忍者たちの協力者であろうか? いやそんなわけはない。しかも彼女の放った言葉は間違いなく日本語であった。このソーラコアに現存する日本語を話せる者、それにこんな少女はいないはずである。ただ、一人心当たりはある。姿も声も変えられる変幻の忍者――そう、まさに、この小柄で可愛らしい少女はあの移木四季右衛門であった。
「しかし、お前のその姿は何度見ても可笑しいな」
「仕方がなかろう。この女中姿が最も都合がつくのだ」
死体の処理に困るため誰に成り代わったわけではないが、四季右衛門はメイドの少女などに扮して一体なにをやっているのか? 端的に言えば他三人のサポートだ。彼は柔膳の仕事の手伝いをしたり、現在城中にはいるものの本城にはおらず隠れ伏している清十朗と猛蔵に食事を運んだりしているのであった。なるほど、そのサポートのためには確かにこの姿は都合がいい。キッチンに入ってもおかしくないから食料をくすねるのは容易いし、同職の者にさえ近寄らなければ大抵の場所は歩いていても怪しまれないし、それどころか人々の目からは無視されがちだし、その上彼もまた行きずりながら事情聴取を受けたが向こう側にもまさかこんな少女があんな凄惨なことをやったはずがないという観念があってその調べぶりも弱かった。まさにうってつけの姿だと言える。とはいえ、少女に変装するからには顔や声のみならずその歩きよう、髪のかき上げよう、すなわちさりげない挙動の全てにそれらしさがなければならないはずだ。男の身にてそれを解し、表現して人々を騙してみせる四季右衛門は周囲を皮肉する凄さがあるが、元々が沈毅重厚なまじめくさった顔をした男だけにそんな動作をしていると思うと柔膳の言うように彼自身もやっぱり可笑しい。
「ふっふっふ。おい、なにかそれらしいことをやってみてくれよ」
「そんな暇があるか。ほら、話はあるが、まず食うがいい」
と言ってパンと水の入った皮袋を差し出す四季右衛門は口調こそ彼本来のものだが、声は軽やかな少女のものであった。先ほどからずっとそうである。受け取ったパンをかじりながら柔膳が含み笑いを漏らす。反対に、四季右衛門の目は真剣な光を放った。
「柔膳、今日は例の仕事はやらずともよい。先ほど清十朗たちとも話してきたが……今宵、ついにやるぞ」
「……ほお。やるか」
パンを食いちぎった柔膳の目もさすがに鋭くなった。
「聖女の塔を警備していた者たちが下手人捜索に回されるため交代された。見たところ警備を代わった者たちは元の者たちよりだいぶ劣る。あれならば塔に近づけ登れよう。いよいよ聖女綻びの時だ」
パンを食い終え水を飲み干した柔膳が「相わかった」と頷いた。が、すぐに彼は「ん?」と首を捻ると顎を撫でて「うーん」と小さな呻きを漏らした。
「どうした?」
「いや。いよいよ聖女の梅が咲く、というのはよいのだが、はたして清十朗はやれるかなと思うてな」
それこそが今回の任務における最も重大な点であり難しいところであった。一瞬考えた四季右衛門は滑りだすように、
「……まあ、やるであろう。あれの魅力になびかぬ女がいるとは思えんし、それに色々話を集めたところ聖女の人柄と清十朗の性根はよく合っている感がある。二人の馬が合うということは、仕事をするにあたって清十朗に有利となることであろう」
「いやいや、違うぞ四季右衛門。俺の言っているのは仕事を行うのが可能かどうかではない。その辺りはもう今更心配してもどうしようもない。こうなれば上手くやってくれるのを祈るしかないが、問題は清十朗がそもそも仕事に取り掛かってくれるかだ。もしかしたら、あれは土壇場で躊躇したりはしないかな?」
「馬鹿な……。と言いたいが、お前の言う通り、あれはまだ忍者の心境には至り切っていないからやはりそういうこともあるかもしれん。こうなると、聖女と馬が合うことがかえってあれを不利にするかもしれん。そういえば前に私もそう思い、背中を押すようなことをそれとなく言った覚えがある。だがこれもお前の言う通り、ここまできたら最早あれを信じるしかあるまい。主君の命は何をおいても果たすという忍者絶対の鉄則、あれに流れる伊賀者の血、伊賀で過ごした十七年、これらがあれに宿っていることを願おう。ただ、まかり間違って何かが起こるかもしれん。そのときのために可能なればやっておきたいことはあるな。これをやっておけばいざというときの面目は立つ」
「なんだ?」
「この国における将軍家――テューマー・バーストの暗殺だ」




