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二十三話 敵の城への侵入


 さて、その四季右衛門。彼は静かな夜の王都をひっそりと歩いていた。夜だが冷えた感じはない。

 周辺は昼間にはなかった魔法による街灯の灯りで点々と照らされている。手燭の火のように揺らめきもせず、電灯によるものと違って煌々とし過ぎてもいないぼんやりとした魔法の灯に浮かび上がるオレンジのレンガは夜なのに温みを覚えさせるものであった。ただそのようになまじ温みがあるだけに、昼の喧騒を余熱のように思い出させて静かな夜の町並みをいっそう寂しくしていると感じさせる風景でもあった。そもそも四季右衛門が歩いているのは四人が前に見物した商業区ではなく、元々人通りの少ない貴族たちの住まう居住区だ。道や時折見られる公共の建物などはオレンジレンガ白レンガの基本的な造りのものだが、四季右衛門の左右に次々と現れる貴族の屋敷は各々の好みによりあるいは色使いが鮮やかであったり、あるいは黒を基調として壮麗としているなど様々な様式で造られており、前に見物したところとは違って立派で美しいのは間違いないが高尚ぶってかえって冷たい感じのある地区であった。そんな閑静とした高級住宅街を歩いていた四季右衛門がふいにギロリと空を仰ぐと、ただ一言呟いた。


「城」


 四季右衛門の眼前にそびえるのは白レンガ、オレンジレンガ、茶またはこげ茶のレンガで築かれた王城であった。白レンガ、オレンジレンガと何だかそればかりのようだが、これはさすがに色味の妙というものをよくよく考えて築かれており、これまでに見たどの建物よりも美しく見える。そして混ぜられた茶のレンガによる渋い色味からこの王城が王都でもっとも巨大な建築物であることもあってただふんわりと明るく朗らかなだけではない、厳とのしかかってくるような迫力も感じられた。しかも四季右衛門はこの王城に潜入しようとしているのだ。圧迫感はなおさら増して感じられる。しばし押し返すように城を睨み上げていた四季右衛門が顔を戻して歩きはじめた。その先には巨大な城門があり、上がった跳ね橋があり、広い壕があり、壕の手前には二人の兵が街灯の灯りの中に後ろ手を組んで立っていた。

 同じソーラコア兵の服を着て顔を変装させているとはいえ大胆なり、四季右衛門はその二人に正面から近づくと軽く「やあ」と声をかけた。


「こんな時間にどうした?」


 門番の一人が不思議そうに聞くと四季右衛門は頭をかいて、

「実は頼みあるのだが……城の中に入れてはもらえんか? 鍵をうかと忘れてきたのに気付いてな、家の中に入れんのだ」

「ううん、そうか……それは気の毒だな。だが城の中に入れるのは無理だ。お前も知ってるだろうが、夜は誰の通行も許してはならんことになっている。悪いが自分の失敗だと思ってあきらめてくれ」

「ああ、いやいいんだ。そうだろうなとは思いつつ一応言うてみただけだから。今夜は宿に泊まるよ」

 とそそくさと言った四季右衛門は身を横に向けて歩きだした。城を囲む壕に沿って歩く四季右衛門が城門から遠く離れると、振り返って「……さすがにそう容易うはいかんか」と低く呟いた。さほど期待があったわけではなさそうだが、とにかく彼の第一の作戦は失敗したのである。首を戻してまた歩きはじめた四季右衛門は今度は塀をしげしげと眺め、壕の前に建てつけられた木の柵に手をつきながらそこを覗きこんだりした。城を囲む壕は暗く、凄まじく深いものであった。いや、夜なのだから暗いのは当たり前だが、闇の中も昼のように見通す忍者の目でも底がまったく見えないのだ。これはまさに地獄に通ずる穴だと言ってよかった。とはいえ、顔を上げた四季右衛門が目測したところによると壕の幅は八から九メートルほどであった。平成現代における走り幅跳びの世界記録は九メートル弱だから柵があるとはいえ同じく超人の忍者ならば向こうの塀にしがみつくことはできそうである。しかし――四季右衛門がそこに落ちていた小石を何気なく拾い、塀に向かってビュっと投げると、驚くべきことに塀に当たった小石は光ると共に一瞬にして黒こげになって崩れてしまった。普段見えないが、塀にはつる草のように魔法の稲妻が這っており、触れるものあらば感電させ焼き焦がしてしまうのだ。これは世にも恐ろしいねずみ返しであった。


「ペーチャーに聞いた通りだな。さて、どうするか……」

 と四季右衛門は腕組みをした。


 城門からは先ほどのように入れず、塀を越えることはこのように不可能だ。またペーチャーに色々と情報を聞いていた四季右衛門がそれを探そうとしないということは、他に抜け道は存在しないかもしくはその所在をペーチャーは知らなかったらしい。となれば王城に潜入し物見をしようという四季右衛門の目的――これはどうも果たせそうにないと思わざるを得ない。

 それでもなお、しばし考えにふけっていた四季右衛門は腕組みを解くと壕から離れて細い路地に入った。だがどうやら帰るのではないらしい。道の半ばまで進み片膝をついて屈みこんだ彼は何を始めるのか、懐から針や握りこぶしみたいな袋を取り出して地面に並べていった。最後に取り出されたのは手の平より小さい正方形をした何かであった。これは何だろう? 白くて薄く、四季右衛門が振るとプルプルと震えて何だかスライスチーズみたいである。四季右衛門が引っ張るとそれは破れることなく伸びた。伸ばされたそれは地面に押しつけて広げられ、両膝と左手、そして先ほど取り出された袋によって四隅を押さえられた。それから四季右衛門はそれに対して絵を描くような何らかの作業を始めたのである。全体を針で小刻みに引っ掻き、袋の中に詰められていた毛を所々に植え込んでゆく。もうわかるであろうが、これは明らかに四季右衛門によるフク笑い、つまりは変装術のための顔作りであった。一枚目を終え、同じ作業をさらにもう一度繰り返した四季右衛門は針や袋をしまって立ちあがった。完成した二枚の顔――元の大きさに縮んだそれを四季右衛門は一枚ずつ口に入れては咀嚼するように蠢かした。

 ここまでの工程を四半刻ほどで終えた四季右衛門が壕の側へと戻ってくる。戻って来た四季右衛門はその辺りの小石を拾い集めると塀に向かって次々と投げつけていった。小石は先ほどと変わらず光っては電撃される。いずれもみなことごとく――。

 そのような線香花火を見る如き光景を作り出していると城門の方から「なんだなんだ?」との声がかすかに流れてくるのを四季右衛門の耳が捉えた。彼は手に残った石を壕へと放り捨て何食わぬ顔でその方へと歩きはじめた。やがて前方から駆けてくる一人の男と行き当たる。先ほどの門番の片割れであった。


「あっ、お前まだこの辺りをうろうろしてたのか」

 立ち止まった門番にこう言われると四季右衛門は、

「ああ。宿に行こうとしている途中、そういえばあちらに友達の家があったな、泊めてもらえぬか聞いてみよう、と思い立って戻って来たんだ」

 と返した。門番は四季右衛門を少しのあいだ眺めると訝しそうな表情をした。


「まさか、先ほどの光はお前か?」

「ん? なんの話だ?」

「……。まあいいなんでもない。ではな」


 門番は四季右衛門の脇を抜けて再び駆け出していった。四季右衛門が振り向いてそれを見送る――すると、突然彼もまた門番と飛び違うように走り始めた。その速度が、とてつもなく速い。まるで夜の闇に吹くつむじ風のような速度だ。しかもその走りには一切の足音がしないのだ。そのような凄まじい疾走をしながら四季右衛門は口元に風船を膨らませた。そして眼前に掲げた右手に「ふっ」と吹いて出し、クルリと反転させて掴むとそれを自分の顔に向かって押しつける。パンッと音が鳴ると四季右衛門の顔は変じていた。それは今すれ違ったばかりの門番の顔であった!

 城門が近づいてくると四季右衛門は足を緩めた。小走りに近寄ると城門にはもう一人の門番が立っていた。彼は闇の中から現れた四季右衛門に気付くと「どうだった?」と声をかけた。


「いや、なにも問題はなかった」

「そうか」


 四季右衛門は門番の隣に距離を置いて立った。

 この場に違和感を持つ者はない。門番は何かに気付いた様子はない。が、実にこれは驚くべきことだ。顔もそうだが、四季右衛門の喉から出る声は先ほどすれ違った隣にいる門番の相方と全く同じものであった。あらゆる顔を製作し、自他の顔を挿げ替えるという忍法を用いる彼は当然の如くあらゆる声を出すことができるのだ。さらにそういえば、身長までも彼本来よりも伸びている気がする。これに関しては、人間の身長というものは一日の間に微妙に伸び縮みしているとされているから彼はそれを顕著かつ自在に変化させる術を持っているのだろう。忍者たる彼ならば不思議ではない。ともかく、水面下にてあらゆる人間と入れ代る妖人四季右衛門が数秒して「そういえば、お前の名前は何と言ったかな?」と話しかけた。

 門番は「は?」と呆気に取られた顔を四季右衛門に向けた。四季右衛門は前を向いたままである。そしてもう一度、「お前の名前は何だったかな?」と繰り返した。


「急に何を言ってるんだ?」

「急も何もない。それとも、もしかして名前がなかったかな?」

「そんなわけあるか」と笑った門番は、「ユークリウッド・クルリンパだ。知ってるだろ?」と答えて前を向いた。

「そうか」


 その瞬間、今の今まで距離を置いていたはずの四季右衛門がいつの間にか門番の真横に立っていた。


 それに気付く暇もなく門番は四季右衛門によって腹に当て身を食わされた。当て身を食わせた拳が横ざまに押されると、門番は壕の中へとふわりと落ちていった。気絶しているのだから声はない。そして不気味にも果てに響く音も何もなかった。すでに消え去った門番の姿を見下ろしながら四季右衛門は自分の変装を剥がし、本体の顔を以って、

「悪いが、お前という人間は私がいただく」

 と言うと風船を膨らませてまたも顔を変じさせた。その顔こそ今まさに壕の中へと落ちていった門番の物であった。


 彼のいた場所にぬけぬけと後ろ手を組んで立つ四季右衛門の下に最初にすれ違った男が戻って来たのはそれから数分後のことだ。四季右衛門が平然と聞く。


「どうだった?」

「いや、なにも問題はなかった」

「そうか」


 その後そのまま門番を続け、空が薄明るく白み始めたころ、跳ね橋は下ろされ城門は開き、四季右衛門に交代の時間がやってきた。交代のソーラコア兵と挨拶を交わしながら四季右衛門が城門をくぐる。彼はいよいよ王城への潜入を成し遂げたのだ。しかし彼は今、仕込杖などの武器は何も持っていない。そんな状態で敵中に潜り込み果たして何も問題はないのか。これが、なかった。四季右衛門は味方のいない城中でまさに敵たる者であるソーラコア兵に実に平然と混ざった。空手でも、いや空手こそが彼の本領を発揮させるのだ。そして彼が王城に踏み入ってから十日後、クルリンパの物からこれまた顔を変えていた四季右衛門は清十朗たちの泊まる安宿に差し障りなく帰って来た。そして――

「物見をしてきた結果として、聖女に近寄るのは絶対に不可能だと言わざるを得ない」

 と開口一番衝撃的なことを言った四季右衛門に清十朗たち三人は動揺した。ややあって、椅子に腰かけ苦笑する猛蔵が口を開いて、

「……帰って早々とんでもないことを言う奴だな。どういうことなのか説明してくれ」


 四季右衛門は手近の椅子を引き寄せ、語り出した。


「まず、聖女は城中にある白い塔に暮らしておる。この者は城下はおろか、城内にもめったに出ることはなく、静かに暮らしておるという。これだけならば深窓の姫君といった感じでひそと会うにはかえって都合がいいようだが、問題はこれが姫など到底及ばずこの国の将軍家に当たる者に匹敵するほどの重要人物である点だ。要は、聖女は守られておるということだな、厳重に」

「厳重とはどの程度のものだ?」

「私が近寄ることもできぬほどだ。これは聞いてきた話だが、聖女の塔に入るには城内より伸びるただ一つの廊下以外道はないらしい。廊下の前には選任された腕っこきの兵が詰めて入る者をよくよく点検し、廊下にはそもそも特定の者しか入れず、入る者あらば鈴を鳴らすという」

「ふふん、大奥だな。されば入るのが到底無理だという話もわかる」

 とベッドに寝そべって頬杖をついていた柔膳が言った。これに猛蔵が、

「しかし、その廊下からは無理だとしても塔と言うのなら登ることもできそうではないか。それならばどうだ?」

「私もそう思った。そのため外から塔に近づこうとしたわけだが……まさに大奥、塔の周囲にあるちょっとした林のような庭園にはたしかに隠れ付した無数の気配が渦巻いていた。言うまでもなく姿を潜めた警護役が周辺を密かに見張っておるのだな。その気配を感じることのできた私は面を打たれ、退散せざるを得なかった。あれではたとえ警護役の者ですらも塔に近寄るのは無理であろう。必ず他の仲間に止められる」


 三人は黙り込んだ。もとより清十朗も黙っている。直に物見をしてきた四季右衛門が無理と言っているわけだし、何かしら策を出そうにも経験の浅い清十朗では何も思いつかない。結果黙ったままの彼はしんとした部屋の沈黙を重苦しく感じてきた。彼は先輩忍者たちの顔や後頭部をただ見回した。だが猛蔵も柔膳も新たな案は出してくれない。そして最後にすがるように四季右衛門と見つめ合った。すると、少しの間のあと四季右衛門はじんわりと苦い笑みを浮かび上がらせてきた。そのまま口を開いて、

「――ただし、通常なればだ」

 と重い息を吐き出すように言った。清十朗は霧が晴れるのを目にしたような顔で椅子から立ちあがった。


「何か策があるのですか!」

「いや、策と言うほどのものではない」

 と四季右衛門は額に手を当てて何故か参ったような表情になった。続いて、

「むしろこれを行うことによって清十朗、お前が聖女と会った後の仕事がさらに難しいものとなるのは間違いない。我らの身も危険だ。従ってやりたくはないのだが、そもそもこのままでは出会うことすらできぬのだからこの際やむを得ない。それで何をやるかと言うと――柔膳、お前に活躍を願うのだ」

「むっ、遂にか」


 急な指名に柔膳がのっそりとベッドに起きなおった。


「私と違って姿を見せぬ潜入が得意なのはお前だ。お前には、城内に誰にも見られず潜伏しひそやかに騒動を起こしてもらいたい。それにより、聖女の塔への意識を可能な限り薄めるのだ。その上で、塔の外壁を登って聖女へと接触する。むろん、清十朗がな」

「要は引きつけ役か。だが、城中に騒動を起こすとはいっても生半可な行いではかえって警戒を厳とするだけだろう。それを超え、塔に関わる警護の人員までも他所に集めるには猛烈徹底した行いが必要となる。おい、その辺り、俺の好きにやってよいのだな?」

「お前に任す。ただ言っておくが、私も城中にいるうちに内紛を疑わせる工夫を色々と施してきたとはいえ、この騒動によって我々の存在はどうしても疑われるであろう。そして繰り返すが、騒動を起こすために行われた行為が凄惨であればあるほど清十朗がやるべき仕事の難度が高うなる。そのことも覚えておいてくれよ」


 この言葉に清十朗が柔膳を振り返った。四季右衛門の言う通り、清十朗が聖女と出会ったときの印象はこの行い如何によってどこまでも悪くなると言っていい。その鍵を握る柔膳は目が合うとニタリとして首を傾げた。清十朗は一瞬、それに何か言おうとしたか口をふわふわと動かしたが、けっきょく何も言わず切々と微笑むような微妙な表情を浮かべて同じく首を傾げた。

 ともかく、方針は決まった。明夜、四人は一応顔を変装させたままに自前の忍者装束に着替えた。実行を夜としてこうして服を着替えたのは朝から始められる城門をくぐる際のチェックが厳しく、たとえ変装していても四季右衛門以外にはとても切り抜けられそうもないし、ならばこれより先はもはや姿を隠すことが優先され、そのためには慣れた衣装の方が具合がいいという判断からであった。清十朗もこげ茶の着物に黒いたっつけ袴をつけ、靴からわらじに履き替え、左腰に刀を差し、その辺りに皮袋をぶら下げ、胸元に縄をしまい、両の腿に帯を巻いてとりつけた皮鞘にそれぞれ二本ずつ棒手裏剣を納めた。着替えた四人は部屋に金を置いてひそかに宿を出ると王城へと向かった。闇に紛れ、誰の目にも入らぬように移動した四人は城門をやや遠くに見られる場所に立ち止まった。建物の陰から見るに城門には変わらず二人の門番が立っていた。むろん、跳ね橋は上がっている。


「これが城か……それで、どう入るのです?」

 と王城を見上げていた清十朗が城門に目を下ろすと低い声で言った。これに同じような調子で答えたのは一度城への潜入を果たしている四季右衛門であった。


「先だって私は門番と入れ代ることで潜入を果たしたが、今は四人であるし、その手は使えぬ。また、あの門番二人を倒すこと自体は容易かろうが、それではあの上がった跳ね橋が越えられん。無理に登ろうにも、お前たちに伝えた通り、壕の向こうの壁は触れると雷が走るのだ」

「では一体どうしましょう? 入り込む方法はあるのですか?」

「それは考えてある。ここは猛蔵の代天啓示の術に頼むのだ。それによって跳ね橋を下ろす。猛蔵、できるか?」

「できるだろう。だがそのためにはまず、あそこにおる門番二人を捕らえねばならんからな。それも、わしがやろう」

 と言った猛蔵は柔膳に「捕らえるぞという合図を伝えるためにお前も来てくれ」と一声かけるとどこかへと小走りに消えていった。言われた通り、柔膳もその後を追った。とは言え、頭だけだ。何か話しているのか身振りをする胴体だけ残して柔膳の首は伸びていった。

 そんな時折両手を軽く開いたり、肩をすくめたりする柔膳の身体を隣に清十朗と四季右衛門の二人は建物の陰から顔を出し、城門を覗き見ては合図を待った。


「さて……果たせるかな? 捕らえるにしても静かにやらなければならん。そこが難しいのだが」

「猛蔵どのならばやるでしょう」


 固唾をのんでそのような言葉を交わしていると、ややあって、突然清十朗の肩が叩かれた。ちょっとビクリとして清十朗が振り向くと、肩に手を置いたのは頭のない柔膳であった。おそらく合図であろう。清十朗が即座に城門の方に向き直るとそこには恐ろしい光景が展開していた。

 門番の二人が横合いから地を這って伸びてきた黒い触手のようなものによって足元から飲み込まれんとしていたのだ。いや、それはあまりに大量でしかも艶やかなものだからてらてらと光る触手のように見えるが、これはいくつもの太い束となった猛蔵の髪の毛だ。どこかに潜んでいる猛蔵が髪の毛だけを伸ばして二人を捕らえようとしているのであった。

 この唐突かつ怪異な事態の出現にさすがの門番二人が「あっ」と目を剥いただけで喉を痙攣し泡立たせ咄嗟に声を出すことができない。彼らは危険に対する防衛心から無意識的に腕を振り身をねじってとにかくもがいた。だがそんな門番の内の一人――髪の毛が来た方と近いところにいた者があえなく地面に引き倒されて闇に呑まれるように全身を取り包まれた。


「どうやら上手く行きそうだ」


 とこの光景を遠目に見ながら呟いていた清十朗であったが、彼は不意に「むっ」と何かに気づいたように目を凝らした。足腰腕に髪の毛を絡みつけられ、膝を折り身を後ろざまに逸らして今まさに倒れそうになっているもう一人の門番の口がパクパクと動いていることに気付いたのである。これは恐怖による喪心的な振る舞いか? いや、違う。門番はそのように微塵も感じさせぬキッとした面魂をしていた。となれば、これは何らかの作為、アスファイヤ人であることを考えるに呪文を唱えているとしか思われなかった。まさに、門番の彼はいま魔法を使おうとしているのであった。仲間を飲み込まれてしまった彼はそのことによってかえってハッと我に返り呪文を唱え始めたのだ。ここまで数秒であるとはいえ、非常事態宣言――つまりは異常を知らせ助けを呼ぶべき口で呪文を唱え始めたのは門番としてどうかと思われる判断であるが、仲間が危機に陥れば何をおいても勇猛して助けるというソーラコア兵としての精悍さが発揮されたのであった。


「いかん。魔法を使われては結果的に異常が城中の者たちに伝わるかもしれん」


 口の動きに同じく気付いたか四季右衛門がやや焦った様子で声を出した。その隣で柔膳の胴体もちょっと慌てるような反応を示している。

 すると、四季右衛門の声を聞いた清十朗が建物の陰からバッと飛び出した。飛び出しながら彼は足元の小石を拾い上げている。そしてそれを門番に向かってビュっと投げつけた。清十朗から城門までの距離は二十か三十メートルばかりであろう。投げられた小石はその間を飛んで門番の舌をピシャリと打って吐き出された。三十メートルばかりの距離があることもそうだが今は暗い夜である、また的は口という小さなものだ。そんなものに一瞬狙いをつけて小石を当ててのけたその技は、四季右衛門のように、

「見事だっ」

 と言うほかない。


 清十朗の投擲によって舌を打たれ、門番は呪文を止めた。そこにすかさず猛蔵の髪の毛が這い上がる。結果として門番は髪の毛に全身を飲み込まれてしまった。全身を取り包まれ、引き倒されたらしい門番の二人は、地面に広がった蠢く髪の毛の中で何をされたかそれから立つこともなかった。ややあって、横たわる二人分の体によって膨らんだ髪の毛がぴたりと静止すると、続いて夜に見る波のようにサーっと地を擦って引いていった。

 間もなく猛蔵と柔膳の頭は帰って来た。猛蔵の両脇に二人の門番を抱え込んで。


「すまなんだな清十朗。助かった助かった。では、こやつらの記憶を消しつつこれより代天啓示の術を使う」

「それはどういうものですか?」


 二人の門番を地面に寝かせて膝立ちのままいそいそと準備に入った猛蔵に清十朗が聞いた。


「前に見せた記憶を消す技と似たようなものだ」


 言葉の通り、壺を取り出した猛蔵はその中の薬を門番たちの髪に塗り始めた。相手の毛を逆向きに伸ばして脳に干渉するという例の技をやりはじめたのである。ただ、門番の内その一方に対してだけは前に塗った部位とは違うところにも薬を塗って数瞬ののち伸びる髪の毛を引き抜いた。


「よし。こやつらにある先ほどの記憶は消した。そして、代天啓示も完了だ。それで、どうすればよいのだ?」

「まず、城門の近くへ行こう」


 四季右衛門に言われて「よし」と立ちあがった猛蔵は門番の一方を担ぎあげて城門の方へと歩き出した。残った門番を担ぎあげた四季右衛門と柔膳も後に続き、最後に清十朗もそれを追った。追いながら辺りをキョロキョロと見回す清十朗が、

「跳ね橋を上げると言ってどういたすのです? こちら側からは動かすことができぬようですが」

 と言った。


 鎖で吊られた跳ね橋だが、たしかに周囲にその鎖を動かせそうな装置は見当たらない。どうやら鎖を動かし跳ね橋を上げ下げする装置は門の向こう側にあり、橋の操作は城中でのみ可能なようだ。城門の側にある街灯の光に入らない位置に立ち止まった四季右衛門がこれに、

「たしかに我らに跳ね橋は動かせん。だがこの門番ならば跳ね橋を動かすことができるのだ。魔法によって無理やりな。その奴をこれより我らが動かすぞ」

 と答えた。


 口を開く彼の目の先では片膝ついて屈みこんだ猛蔵が自分の担いでいた門番を抱き起こし、活を入れて気絶から目覚めさせていた。この気絶していた敵兵を蘇らせる行為に清十朗が反射的に目を見開いて手をわちゃわちゃと動かしてはバッと四季右衛門の顔を見た。目を合わせた四季右衛門は深沈に頷く。


 目を覚ました門番はぼうとした表情をしていた。ただそれは寝起き故ではないと見えた。寝起きのむっつりした感じとは違いとにかく無表情で唇は薄く開き、目はそれらしくトロンとしているが瞳に寝起き特有の乾いた感じはなく事実門番は噛み締めるようにギュッとまばたきしたりせず、まばたきは一定であった。すなわち脳が機能しはじめようとしているというより、機能した上で虚脱しているように見えた。その自失とした顔を眺めて確認した猛蔵が四季右衛門を見上げて、

「よし。やってよいぞ」

「わかった」


 四季右衛門は腰を曲げて門番の耳元に口を寄せ、何事かささやきはじめた。


「橋を下ろせや、下ろせよな。静かに静かに静かにな。橋を下ろせや、下ろせよな。静かに静かに静かにな。――」


 ささやく彼はこんなことを連呼したのである。アスファイヤ語で。そしてそれが幾度となく単調に繰り返されていると、次第に四季右衛門の声に合唱する声が現れた。


「橋を下ろせや、下ろせよな。静かに静かに静かにな。橋を下ろせや、下ろせよな。静かに静かに静かにな。――」


 力なく陰々とした門番の声であった。それから十秒ほど二人の陰気な合唱が続いていると、ふいに門番の腕がゆらりと上がり、手から淡い光を放ち始めた。すると、差し向けられた手の先にある跳ね橋が音がないほどゆっくりと下ろされていったのである。


 手を使わずに跳ね橋を下ろす。これは魔法による作用だ。では四季右衛門の言葉のままにその魔法を使った門番にはどのような作用が及んでいたのか。


 ――催眠状態。他人による心理誘導、いわゆる暗示を受けやすくなるという意識状態のことだ。それはトロトロとうたた寝している状態に近いらしく、この状態になると自己判断が覚束なくなってしまうという。門番は猛蔵によって物理的に直接脳に干渉されることでその内でも極限まで深い状態に落とされていたのだ。これぞ、対象の脳に干渉し相手を意のままにしてしまう猛蔵の忍法応用――代天啓示の術であった。その術を借りて門番を操る四季右衛門は次に、

「城門開いて、開いてよ。やっぱり静かに静かにね」

 と言葉を変えてまた繰り返し始めた。門番はやはりその声に同じ言葉を重ね、十秒ほどすると手を光らせた。王城の巨大な鉄の門扉が音もなく八の字に少しだけ開いた。


「おお、開いた」

 と漏らす清十朗を尻目に、上目遣いに扉の様子を見ていた四季右衛門が、「我らが行ったら閉じといて、門扉も橋も閉じといて、忘れず静かに静かによ」とささやいて腰を上げた。


「よし、これでよい。こやつらは放っておいてもすぐに目を覚まし、なにも覚えておらんだろう。城に入るぞ」


 四人は門番を横たわらせて跳ね橋を渡り始めた。小走りに渡りながら顎を上げた清十朗は喉が詰まり胸が重く膨らむような感覚を覚えた。見上げるに、夜の空に天高くそびえる王城はのしかかってくるが如く近づいてくる。新瑞清十朗――いよいよ王城への潜入の時だ。


 潜入――、一度四季右衛門が果たしていることとはいえ、これよりの本番ではその時とは全く趣が異なる。四人はただ潜り込むだけではなく、聖女を害さなければならないのだ。

 そのためにあえて起こす騒動によって四人の存在は疑われ、追われ、潜入した彼らは自ら窮地を生み出すこととなるだろう。

 思わば――城にはおびただしい数の剣があるだろう。同じだけの槍もあるだろう。そんな武器よりもさらに恐ろしき魔法を使うソーラコア兵たちが千人以上も詰めているだろう。

 のみならず、加えてその中にはユールズ、オネスト、バウルン、オーシャコット、リィン・マクベス――魔族という人間ならぬ存在をも倒してしまう精鋭の者があり、しかも事の発端たる救国物召喚の魔法を開発するほどのジルマもいる。四人は決してそのことを知らぬ。

 その上、そんな超絶の集団すら及ばぬと自覚する聖女様に邪心を持って対面し、果たして清十朗たちは生きて帰ることができるのか。

 今、彼らの背後にて鉄の門扉がゆっくりと閉まった。

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