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二十二話 敵の町で遊ぶ

「おおっ!」

 と、どこかを見て声を上げた清十朗の脇腹を猛蔵が軽く小突いた。


「おい、あまり目に立つ振る舞いはするなよ」


 しかしそのようにささやいて諌めた猛蔵もまた、いま自分の横を通り過ぎていった者を見てギョッと目を剥いた。歩く猛蔵の横を行き過ぎていったのは杖をついた老爺であった。ただそのように移動しているのに、彼は直立して足を一切動かしていなかった。動いているのは彼の足ではなく足元の石畳であった。石畳が波打って突っ立っているだけの彼を中々の速度で移動させているのである。

 このように、どやどやと人の多い王都を歩く四人はその町並み、構えられた店に売られた物、そこに起こる様々な出来事を目にしてその都度驚かされていた。異国の町並みこそすでに村人たちといざこざがあった例の村を見ている四人だが、あそこは建物が木造で日本の景観とそれほど大きな差異もなく、また寒村であったため驚きもなかった。しかし、この王都は違う。白レンガ、オレンジレンガを基調としてそこに様々な色の広がる町並みは暖かみがありつつも清新だし、例えばある衣服店に備えられた大きなガラス板はそれそのものすら四人にとって物珍しいのに、そこから覗く店内にはローブやズボン、帽子にストールなど日本の着物とは形の異なる服が飾られ、種類も豊富で色もとりどりで美しかった。この当時でも日本の人々は実に見事に絹を精製し、織り、色鮮やかな着物を作ったというがそれでも江戸の女性などがこれを見れば目を回してしまうに違いない。また色とりどりといえば――。


「猛蔵どの、あれはなんでしょう?」


 猛蔵に諌められておとなしく前を向いていた清十朗が何を感じたか、急にあらぬ方に首を向けて言った。


「あれは……果物だろうな」


 彼らが見る先、そのやや遠方にある店頭には様々な果物がいくつかの木箱の中に積み上げられていた。二人が初めて見る種類のもので、これまた今までに見たことがないほど瑞々しく光った果物であった。


「この匂いは果物ですか。そ、それにしても甘い、美味そうな匂いですな」


 雑踏の中、遠いところにある果物の匂いを嗅ぎ取ったのはさすが忍者だが、嗅覚の鋭い清十朗や猛蔵が大量に積み上げられたことで相乗された甘い香りに引き寄せられて、その珍しい食べ物に目を吸われてしまうのは当然と言えた。

 そしてこのような異国情緒のみならず――。

 今の果物をきっかけに好奇心に堪えられなくなった清十朗がまたキョロキョロとし出すと、ややあって「た、猛蔵どの。猛蔵どの」と小さな声と共に彼の袖を引いた。


「うん? なんだ?」

 と言って清十朗と同じ方に首を向けた猛蔵がその目を見張った。


 その方には軽装をして釣竿を担いだ男が歩いていた。その男は先ほどの老爺と違いただ歩いているだけであったが、彼の背後にあるものがこれまた変わっている。それは男の体よりも一回り大きい楕円の水球であった。水色に澄んだその中には多数の魚が飛び交うように泳ぎ回っている。男は水球につながったヒモを持ち、地から少し浮いたその水球をまるで風船のように引いて歩いているのであった。


「ううむ、海のものか川のものか知らんが、あれがあれば遠方で釣った魚も活きのいいまま食えるのか……うらやましいな」

 とつぶやいた猛蔵に柔膳が声をかけた。


「どうやら水の中に入るのは魚だけではないようだぞ。あれを見ろ」


 柔膳があごをしゃくる方に向き直ると、そこには道の隅、建物の陰辺りにベタと坐り込んだ者たちがいた。数人だが、いずれも着ているものは色がくすみ、くたくただ。


「あれは……乞食か?」

 と、清十朗が首をひねると、

「ここにも乞食はおるのか」

 と猛蔵が苦笑した。


 しかし二人が知る乞食と違うのはその者たちが魔法を使えることであった。今まさに乞食たちの一人は服を着たまま全身水球の中に入り込み、自分の手で体をこすり身を洗っている最中であったのだ。水球がさほど冷たくないとしてもこのように野外で水浴びなどして果たして風邪を引くことを心配しないのかという疑問はあるが、もともとアスファイヤの中央から南部にあるソーラコアは気候が温暖傾向にあったため、召喚されてもなおそこから来る風潮が尾を引いているらしい。ともかく、そのように身も服も清潔にしているからか、彼らの顔は清十朗が首をひねったのも無理ないほどらしくもなくのんびりとして見え、やっていることもただのひなたぼっこのようであった。


 最も新鮮で驚くべきはこれら魔法による光景だ!


 しかもこれらは町に見られる光景のほんの一部であった。他にも通りの向こう側に行こうとしているらしいのに人の波に阻まれて右往左往している者が、急ぎなのか虹をかけるように光の足場を作りそそくさと頭上を越えていったり、或いはテラスで飯を食わせる店の料理人が一人のため忙しいのか風を操り皿を運ぶといった光景も見られた。

 人の多いだけにこのような光景があちらこちらに起こるのを清十朗は目をきらめかして見回し、そして次に起こることを探し求めた。深山幽谷の鍔隠れよりあまり外に出ない彼にとって、この摩訶不思議な異世界的光景とは闇の中に白い光が爆発するのを見るような衝撃的な光景に違いない。彼はいわばこの時代にないテーマパークにいるような心地の数倍のものを味わっているのであった。いや、清十朗だけではない。それはあとの三人も同じだ。しかし町を見回す三人は同時に慄いてもいた。何しろ彼らはここ王都の住民が真に愕然とするようなことを成し遂げなければならないのだ。


 四人が人気のない路地裏に入ると柔膳が建物の壁に寄りかかりながら、

「こりゃあここで仕事をするのは大事だぞ。おい、これからどうする?」

 と言った。

 

 しばらく誰も口を開かなかった。聖女が王城にいるということはすでに知っているが、そこに忍び込む工夫や準備を考えるための頭が王都の町並みの物凄さにより空白になってしまったと言える。そんな中、ややあって猛蔵が口を開いた。


「とりあえず、両替屋を探さんか? 宿をとって休みたいし、何より腹が減ってな」


 四人はその日はともかくも休むこととした。王都の隅っこにある安宿をとってこれまでの旅の疲れを癒した。そして翌日の夜、四人は酒も飲ませる飯屋へと繰り出していた。中々に客が多く、それらが各々の仲間と笑いながら歓談して、騒がしいと言えば騒がしく雑多と言えば雑多だが、そこかしこから酒やソースや料理の芳烈な匂いが立ちのぼってウキウキとしたざわめきのある店であった。


「おい清十朗、何か頼んでくれ」


 四人と言ったが、いま木造りのイスとテーブルに着いてパンやサラダ、イモとチーズを焼いたもの、大きな魚が一尾まるまる乗った大皿などの料理を食べているのは四季右衛門を除いた三人だけであった。周囲の客と同じく猛蔵と柔膳などはすでに顔を赤くしている。


 猛蔵に乞われた清十朗は壁にかかった木の名札が読めないために、そこを歩いていた給仕に声をかけてあの中であなたは何の料理が好きかと聞いた。少しつたないアスファイヤ語であったが、身ぶり手ぶりを添えて会話を続けると何とか伝わったのか手を上げて厨房に向かう給仕に清十朗はホッとした笑顔でかろく手を振り返した。その様子を頬杖をついて見ていた柔膳が、

「……覚えたなぁ。まあ、そのほうがよろしいのだが。なんだかなぁ」

 と薄ら笑いして陶器製の足つきグラスをあおった。酒がまわり、目だけでなく白い顔や全身なにか垂れそうなほどグニャグニャになった柔膳が、しばしして料理を運んできた給仕が離れると声を上げた。


「おお、肉だっ」


 運ばれてきた料理は鉄板に敷かれた肉の厚いステーキであった。湯気を出すステーキは全身より肉汁と油を雪の溶けるように出し、受けた鉄板は爆ぜ音を鳴らして柔膳の声も周囲のざわめきもことごとくかき消した。猛蔵が肉汁の爆ぜるのを前かがみになってまじまじと見ながらやや声を張って言った。


「うん、いい匂い。だが肉か。やわそうで猪などとはまるで違うが、とは言え焼いた肉ならばそう珍しいものでもないな」

「お前たち二人はたまに食っておるのかもしれんが、江戸におる俺は肉などもうずっと食っておらんぞ」

 と返して舌舐めずりした柔膳が覆いかぶさるようにステーキを切り分けはじめると、清十朗がテーブルに置いてあったソースの瓶を持ち上げた。


「これをかけて食えと言われましたが」

「よし。ではかけろ」


 柔膳が切り分けた肉に清十朗が飴色のソースを振りかけた。果物的な甘くさわやかな香りと共に爆ぜ音がさらにも増して立ちのぼると、三人は切り分けられた肉にフォークを刺して一斉に食べた。途端に、清十朗と柔膳が晴天の霹靂を見たように目を見開いた顔を向けあって、「おお。やわいやわい」と微笑を漏らした猛蔵が足つきのグラスをぐっとあおる。


「それにほの甘いな。この酒が渋いから丁度良いわ」


 果たしてどのように作ったのかわからない細い足をした陶器製のグラスにワインを注ぎなおした猛蔵が、手に持ったパンと共に一心にステーキを食べている清十朗に目を向けた。


「清十朗、お前ほんとうに酒は飲まなくてよいのか? この酒、味は渋いが強いし、中々悪くないぞ」

「いや、普段ならばともかく、拙者いまは酒はようござる」


 食べる手を止めて目を上げた清十朗がこう言うと、続けて彼は、

「そもそも、四季右衛門どのはいま城の内情の物見に向かっているというのに、我らこうして飯を食い、あまつさえ酒など飲んでいて本当によいのでしょうか?」

 と急に気後れした顔つきになって言った。


 実は四季右衛門も酒こそ飲まないが先ほどまでここにいて食事をしていたのだ。そして一人店を出た彼は清十朗の言う通り、王城の物見下見に出かけていった。何事かの段取りをするとき一人が頑張って後の人間はぐだぐだしているというのは往々にしてよくあることだが、これまたそのように仕事を彼一人に任せてとろとろと酔っている猛蔵と柔膳の二人は同時に「それはよいよい」と手を振った。


「奴は潜入、諜報活動の達人だ。去り際奴も言うておったが、わしらがおるよりもかえって全て任せてしまったほうがあれも物見が捗るだろう」

 と言った猛蔵はワインを一度飲んでから、「知っておるか? それを示すものとして、四季右衛門にはこんな逸話がある」と何事か語りだした。


「奴が若いころ――と言うてもお前よりは年上のときだが、修行の完成を確かめるために長老さまよりある課題が出された。それは里の誰かに頼んでその者と入れ替わり、変装した状態で家族や隣人に気づかれずに一ト月生活せよというものであった。この話、知っておるか?」

「いえ、存じませぬ。それで?」

「それで四季右衛門が潜入に選んだ家、それはなんと大胆にも課題を出した長老さまの屋敷であった。奴は長老さまの孫娘であるお苑どのを変装の対象に選んだのだ。お前も知っているだろうが、年の功もあって長老さまは忍法に最も精通した御方、その上この課題のことを唯一知ってもいる。考えるだに騙しきるのは不可能だと思われるこの条件だが、四季右衛門はさらに驚くべきことをやった。奴はお苑どのに入れ替わってくれと頼まなかったのだ」

「え?」

「つまり一つの家に二人のお苑どのとして生活を始めたのだ。お苑どの当人にも悟られぬようにな」

「ば、馬鹿な。不可能だ! 両人が誰かと交わした会話に整合が合わなくなるなど色々と理由はありますが、何よりすぐに鉢合わせしてしまうでしょう」

「わしもそう思う。だが長老さまの屋敷は広く、加えて隠し扉に隠し階段、三階から一息に一階へと下りるための綱など仕掛けが多く存在している。それらの所在を調べたらしい四季右衛門にとっては決して不可能事でもなかったのであろう。ともかく奴は一ト月やりきった。そして奴は優しげな笑みを浮かべたままその一ト月のことを語り、疑うお苑どのと長老さまを納得させたという。これ全て他ならぬ長老さまから聞いたことだが――ふふ、もし長老さまが死んだらな、それはいくばくかは奴のせいだぞ。長老さまはこれのせいで随分と胆を冷やし、寿命を縮ませたことだろう」

「なるほど……いや面白いお話でした。さすがは四季右衛門どの。その忍法もさることながら、あえて難題に挑むとは実に天晴れだ」

「奴は穏やかなようでいて、意外と不敵なところがあるからな。まあ、潜入なんてやる奴は肝が据わっていないとできんが。とにかく、これで奴に物見を任せておいたほうがいいわけがわかっただろう。で、酒は飲まんのか?」

「いや、それはやはり止めておきます。何せここは、敵地ですから」


 軽やかに拒否した清十朗に酒を勧めた猛蔵の方がふてくされたように唇を尖らせた。

 ところで、彼らがここまで交わしてきた会話だが、これはもちろん日本語で行われている。となれば清十郎の言うようにここ敵地ソーラコアで彼らは随分と大っぴらに喋っているように感じられる。周囲は笑い声が上がったりと騒がしいが、猛蔵が声を張ったり清十朗が驚いたりと、これでは日本語を聞き咎められてもおかしくないはずであろう。しかし、口の動いているのは見えるものの周囲の誰も三人の会話を聞いた者はいない。彼らは忍者にしか聞きとれず、また発することのできない特殊な声域で話しているのであった。これも雑踏に紛れながら堂々と密語を交わすという忍者の技だ。今もまた、そのような技を使った猛蔵が、

「それもそうだが、しかし任務を果たせばこの土地は消えるのだ。そのこと、お前も聞いただろう? となれば飲んでおいたほうがいいと思うがなぁ」

 と惜しいように言った。それに柔膳が頷いて、

「そうだぞ。土地が消えればこの酒は二度と飲めん。まだ我らの出番までには間があるのだから、今のうちに飲んで楽しんでおくべきだ。何なら出番に先立ち、余計な緊張をほぐすためにも廓を探して出向くのもよいと俺は思うのだがな」

「いやそれはいかんだろ」


 言われた柔膳が両肘をテーブルについて頭を抱えた。


「気になるんだよなぁ。これほどの国の廓が如何様なものなのか。建物がどのような形をしているか、それだけでも見物に行こうかな」

「それに何の意味があるのだ」

 と猛蔵は笑い声を上げた。そしてひとしきり笑った彼は再び清十朗に目を向けた。


「そういえば、お前の仕事、それを為すにあたって何か具体的な方策は立ったのか?」

「いえ、色々と頭を働かせ、事の運びを想像したりしてみたものの、未だ何の見通しも立っておりませぬ……。心から受け入れた相手でなければ声すら届かせぬという結界をすり抜けるため聖女と仲良くなれとは言うものの、四季右衛門どのの変装術が通じぬために敵たる者だと正体を現しながら、そのためひそと接触しなければなりません。これではいかにも怪人だ。その上、そのような条件の中、相手のことは話に聞いただけで会うたこともないとは、これではどのようにこちらの目的を誤魔化し、相手の信頼を得ればよいのか拙者には見当もつきませぬ。猛蔵どの、なにか案はございませぬか?」

「うーむ……。どうだ柔膳、何か女と仲良くなるにいい方法はあるか?」


 柔膳は顔を伏せたままズボンのポケットをまさぐると握りこぶしを清十朗に差し向けた。清十朗が手で受けると落とされたのは数枚のソーラコア製の銀貨であった。


「廓じゃないぞ!」

「そうかな? まあ気に入らんならば、お前が教えてやれ」


 柔膳は笑って、それから目を猛蔵に移した。


「無理だ。わしはそういうことは全くわからん」

 言って結局なんの案も授けずに食事に戻った二人を見て、清十朗は息をついた。聖女とどう接するかは彼を悩ませる最大の難題だ。だがその前に、

「四季右衛門どのの物見は上手くいっておるかな?」

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