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二十一話 なぜ戦うのか

 王都へと向かう四人は道を見失わないように歩いて赴くことにした。そのため時間のかかる道程となったが、その時間は清十朗のアスファイヤ語習得に当てるためにちょうどいいものであった。日中、歩きながら四季右衛門の講義を受け、夜が更けた今も草原に燃える焚き火を見ながらアスファイヤ語を復唱させられ続けていた清十朗が終日の講義をようやく終えて気疲れの溜息をついた。


 読み書き計算を習い、農耕や野草の採集法などを教えられ、そしてもちろん忍法こそ学んでいる清十朗だが、特に知恵者というわけではなく、むしろ性格上頭脳も存外単純なところがある彼だけにこの語学学習には精神を擦り減らした。ただ元よりの謹直な性格が幸いしたか意外に覚えは順調であった。人間、物事を成すためにはひたむきさが一番の推進剤となるということであろう。早々にアスファイヤ語習得を諦めた柔膳とそもそも覚える気が皆無であった猛蔵がいびきもなく固まったように寝こけているのを尻目に、四季右衛門が、

「疲れたか?」

 と聞いた。


 焚き火を挟み、対面であぐらをかいていた清十朗はやや眠たげな顔で頷いた。


「……率直に申すと疲れました」

「ふふ、そうか。まあ、言語を学ぶというのは難儀なものよな」

「しかし、四季右衛門どのは実に習熟してそれを修めておられる。学んだ期間が短いのは拙者と同じはずなのに。それに、思わば四季右衛門どのは様々な技を修めておられますな。陰口快弁、変装術たる忍法禍笑い、それに寒村ではちらとしか見られませんでしたがあの抜刀術まで。どうすればそのように芸達者となれるのですか?」

「これか」


 側に置かれた仕込み杖を手にやおら立ち上がった四季右衛門が横を向くと刀を左腰辺りに添え、左足を引いた。数秒、そのまま彼は吹く風に髪もなびかないような不動さを以って構えをとっていた――と見るや、

 漏れる息もなくいつの間にやら彼の右腕は薙ぎ上げられ、刀は抜き放たれていたのである。

 これに数瞬の間のあと清十朗の方が「おっ」と声を漏らした。


 ――夜とはいえ、この近くでも抜き様が見えなかった。


 見えなかったくせにハッと目が覚めたような顔をした清十朗であった。


 また数秒、彫像のように固まっていた四季右衛門が足を揃えると刀を納めて座りこんだ。


「陰口快弁に禍笑い、忍法秘奥である二つはともかくこんなものはただ抜いては納めるという同じ修行を重ねただけの誰にでも会得でき得るものだ。むろん、ひたすら反復した艱難辛苦、猛烈徹底した苦行ではあったがな。技を会得するとは、本質全て同じことだ。人によってそれまでの早さに差はあれど、どんな人間も技を会得するにはただ忍の一字。ひたすら努め、会得するまで耐えるのみ。語学もまた同じことだ。要するにただ修行したから達者となったと、そういうわけだ」

「さりとて、人間、いくら修行しても習得できないというものがあります。拙者、前に忍法秘奥を習得する見込みはないと言われました」

「なるほど。言われたか。まあ、人間どうしても習得できないということは確かにある。が、習得できるできないということはそれこそ人知の及ぶところではない。自分がまことにそれを習得できないとは誰にもわかることではない。清十朗、お前とてこれまで習得してきた技が何かあろう。そのために修行をやったはずだ。くどくしつこくやらされて、拳法修行なら張り倒されたろう」

「ありましたなぁ」

「だが、それは習得できるとわかってやったものではあるまい。これまでに技を得た時と同様、できるかわからんが修行するもの。では技が欲しくばやるしかなかろう。お前にも、一族の血が流れているのだ。もしかしたら忍法秘奥は得られるかもな」

「忍の一字……。なるほど。今の御言葉、拙者何かこう神仙からのものに譲らぬ教訓を得たような。拙者、これから一層念を込めて励みます」

「ふふん、大げさだ。それに、お前は今で十分励んでおる。事実上達は中々目覚ましいぞ。王都までは残り数日、未だ言葉はぎこちなく完全に習得することは叶わぬだろうが、それだけ話せればまず十分であろう」


「は」

 また頷いて、数分後、清十朗はそのまま伏し目がちになった。やはり連日の詰め込み授業により心労の溜まっているらしいその顔を少しの間見つめていた四季右衛門がふと、

「ところで、任務達成の暁に頂ける望むがままの褒美――お前は何をもらいたいと思っているのだ?」

 と問いかけた。


 静かで広い草原にただ一つ燃える焚き火を呆と見やっていた清十朗がさっと顔を上げた。そのように勢いよく顔を上げたものの彼はしばし黙ったままであった。そして口を閉じて何やら思索しているらしい彼の表情が次第に眉根を寄せたものへと変じてきた。何も手応えがないものの如く――。あげくに彼は、


「そういえば、拙者特に何が欲しいということもありませぬ。いや、いざというときに頼む蓄えも地位も家族もなく褒美が欲しいことは欲しいのですが、これといったものが思い浮かばぬということで」と言った。

「ほう。では何を頼みに今回の山を渡り野に寝る旅や、今のような苦労をしておるのだ?」

「拙者、とにかくただ忍者として自他より認められたい。忍者として身を立てたいと、そればかりが念頭にありまして」

「なんだ? 褒美よりもそれとは、まだ若いのに随分と忍者というものに想いが深いのだな」こう言ってちょっと目を抜かれたようになっていた四季右衛門はふいに「――ああ」と納得したような声を漏らした。「お前の生い立ちを思えば、その想いも理解できなくもない」


 生い立ちとは両親が産まれた直後に狂死したため里の皆に世話を受けて育ったことを言っているのだ。物心つく前の不幸であるため清十朗はそう深刻ではないが、しかし咄嗟の返答も思い浮かばずただ曖昧にうめいた。そしてそのあと、


「では四季右衛門どのは何を所望するつもりなのですか?」と聞いた。

「私か? 私は……金だな。もしくは米でもいい。何しろ、うちの女房は忍者でもないのに忍者の私よりよく食うからな。子もおるし、それだけ稼いでこねばならん。……。いや! とはいえ、その分だけよく働くし、何より暖かみがあっておおらかな女であるぞ?」 

「ふふ、いや、そのように主張せずともわかっております。拙者もお世話になったことがあります。しかし――金か米ですか。飢饉の起こっている今、それは是非とも任務を果たして家に持ち帰らねばなりませんなぁ」

「ああ。ところで、その任務についてだが……王都も近い、お前のやるべき仕事、それを果たす自信はできておるか? またそのための方策は練っておるか?」


 微笑していた清十朗の表情が陰ったものとなった。王都に到着してから果たさねばならない任務――その陰惨な内容とそれを達成するまでの困難を改めて想像すれば、忍者として必要あらば何でもやると意気込んでここアスファイヤの大地に乗り込んできた彼も、やはりどうしても沈痛とならざるを得ない。その心情を敏感に察したのか四季右衛門は相手の背をさするような柔い笑みを浮かべて言った。


「たしかに私が出した案とはいえ、お前のやらなければならない任務はとんでもないものだ。敵国の最重要人物と秘密裏に打ち解け、自らを受け入れさせ、仲良うなった途端に殺すかあるいは処女性を失わせねばならぬのだからな。内容のむごたらしいことといい、それを果たす工程の難しさといい、実にそう思う。自信を持つことも策を出すこともそう易々とはできぬだろう。だが、お前を推薦した私だ……私はお前ならばできると信じる。お前ならば、幕府を救えるだろう」

「……幕府を?」

「そうだ。前の寒村でお前も思ったろうが、この大地の者たち、そして奴らが使う魔法は強く凄まじい。先だっての争いにしても、我ら四人の誰かが死ぬか、あるいは全滅していた恐れは大いにあった。しかもただの民草でそれだ。戦闘を生業とする兵ならばその強さは我らを超え、人ならざる者の域にあると言わざるを得ない。このまま戦が続くようなら幕府は必ず倒れるだろう。それをお前が救うのだ。それというのもお前の標的である聖女――それがどうにかなると、砂浜の結界が消えるのみならずこの大地そのものが消えるらしいのだ」

「えっ? 消える?」

「お前にはまだ伝え遅れていたかな? 猛蔵が伊賀に戻ったあと、このことがわかったのだ。聖女がどうにかなると、この大地は霞のように消え元の世界とやらに戻るという」

「そ、それでは任務を果たせば我らも巻き込まれてしまうではありませぬか!」

「いや、その点は心配いらぬ。聖女失血から大地が消えるまでには時があるらしい。ペーチャーの推察だが、少なくとも十数日。我らの足ならば十分に間に合う。まあ、あまり正確な情報とは言えぬが、そこは仕方がないな」

「……。そうですか」

「だがそのことはともかく後だ。まず、任務を果たさなければならない。我ら三人、お前の背を支えるため気負わず構えろ。そして幕府を、全ての諸藩国を、何より伊賀を救ってくれ」

「伊賀を!」清十朗は目を見開いた。そして心中で、たしかに幕府が倒れれば侵攻の波は諸藩国ひいては伊賀にも及ぶかもしれない、と考えた。開かれた清十朗の目が焚き火よりも強く決然と光った。

「わかりました。相わかりました。拙者、善悪を超越し必ずや任務を果たします」

「そうか」四季右衛門はニコ、と笑った。続けて、「……ところで、その善悪を超越――善悪に囚われぬというやつだがな、やはりそれはあまり気にせんほうがいいかもしれん」

「え?」

「山を下りている頃からつらつら考えていたのだがな。思えば、お前は聖女と仲良くならねばならぬわけだ。聖女に愛情を覚えさせねばならぬわけだ。であるならば、お前は自身の自然の体でいたほうがよいかもしれん。愛とはこれもまた善悪を超越しているようでいて、実のところ善悪より生まれるものだからな。お前の自然の体が愛を生むかもしれん」

「そ、そうでしょうか?」


 困惑気な清十朗に四季右衛門は静かに言った。


「まあ、そのことをあまり深く思いつめる必要はないかもしれん、ということだ。何となれば、任務を果たしたときお前はおのずと善悪を超越しておる。……」


 そのような会話がありながら数日後――四人は中天に太陽を掲げたある町にたどり着いた。その町は円形の高い城壁に囲まれた甚だ巨大なものであった。城壁に造られたこれまた巨大な門には絶えず人が往来し、そこかしこからの話し声が集ってガヤガヤと賑やかである。その賑わいといい、城壁や道路、建物を造るオレンジまたは白いレンガが陽の光を受ける暖かで明るい様子といい、これは水月ならぬ地上に映った太陽のようだといっていい。その太陽のような町は山形に膨らんでおり、頂上に当たる部分には高くそびえたつ王城が薄っすらと遠望された。ある町とはこれすなわち王都である。

 王都――聖女のいる王都。いま彼女を狙う四人の伊賀忍者たちはこの太陽の町に影が伸びるが如く入り込んだ。

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