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少年VS液体(2)

 ジンケはガードしたわけではなかった。それは一種の構えで、強い意志の現れ、さもなくばある種の儀礼的所作であった。

 まずスグルが目にしたのはビーカー。ジンケはいつの間にか指先で包み込むようにビーカーを持っていた。そして、その口をかのつらら、いわんやウォータージェットの先端へと向けたのだ。

 つららはそこが我が住みかだと言うが如くビーカーの中へと吸い込まれた。しかし持て余した運動エネルギーはすぐに次の逃げ場を探した。ビーカーの底で軽やかなU字を描いて反対側へ飛び出したのだ。「逃げた!」そう誰かが口にするより前に奇妙な光景が飛び込んだ。ジンケが反対側の手でつららの先端をつかみにかかったのだ。

『あぶない!』

 今度は本当に声が出た。スグルと達郎、そしてかすかにハッセとガイのハーモニー。

 だが、ジンケの手は無事だった。もう片方の手には先ほどのティーカップが、やはり包み込むように握られていた。かのつららはティーカップの丸い底で再びU字を描き、惑星の軌道のように逆戻りした。

「何か蓋のできるものが必要だ」ジンケが言った。

 蓋。蓋。蓋。言わんとしてることはすぐに伝わった。ビーカーにもティーカップにも蓋がない。そのため、つららは逃げる。とどまらない。閉じ込めることができない。今はジンケが大げさなあやとりの如く操っているが、どうやらかろうじてといった様子だ。そもそもあんな方法で正体不明の生命体を足止めすることができるのか? 何か不思議な力を働かせているのかもしれない。かのつららはガラスや陶器くらいわけもなく破壊できるはずだ。つらら自身がそれに気づくのは時間の問題といった様子がうかがえる。そう、確かにうかがえるのだ。なぜならとても気味が悪い。水の化物は根拠なしに醜悪なのだ。

 スグルは周囲を見渡した。蓋……蓋……蓋のできる容器。だが、不思議なことに何もない。嘘のようにこざっぱりした部屋。所員の飲み残したスクリューキャップのアルミ缶すら、ここにはない。

「おじさん!」スグルは達郎に言った。

 達郎は聞こえていないのか、顔面に全集中力を集結させている。怖い顔。親友の父親のこんな顔は今まで見たことがない。

「スグルくん」突然達郎は言った。「上だ! 乗って!」

 言うや否や達郎はスグルを持ち上げた。そう、文字通り、腰から担いで持ち上げたのだ。案の定バランスは崩れ、スグルはよろめき、スチールの本棚に顔面をしたたかに打ち付けた。

「乗って!」達郎は繰り返した。

 どうやら肩車をしたいらしいが、そんな筋力は持ち合わせていない。すでに膝がガクガクと震えている。スグルはスチール本棚を梯子のように利用してぐっと上半身を持ち上げる。かなりバランスは取れた。そして肩車するまでもなく、もう一段懸垂すれば天井まで届きそうだった。

「見えるかい?」達郎が言った。「棚の一番上、あるだろ? 見えるかい!」

 言わんとしていることはすぐにわかった。棚の一番上にはそれ以外に何もなかったからだ。それとは、木枠で固定されたボトルシップだった。

「これですか!?」スグルは言った。そしてつかんだ。重い。埃まみれ。そうか木枠が重いのだ。木枠は簡単に外れるのか?

「そう! それ! それ!」達郎は答えた。

 スグルはボトルシップを片手で持った。木枠はただの土台だった。

「降ろすよ!」達郎は言った。

 スグルは本棚から片手を外した。途端に重力が発生した。すでにスグルは両手でボトルシップを抱えている。達郎は突然の重みによろけた。自分がよろけているのか、地面が揺れているのかわからなくなった。だが、すぐに背中にフィットする肉を感じた。ガイ少年がその肉厚なボディで二人をしっかりと受け止めた。饐えた汗、いや淀んだ海水の臭いが鼻についた。

「これで……?」スグルは呟いた。地に足をつけて、いざ入手したボトルを見ると本当にこんなもので……という感想しかなかった。埃まみれ。かなり昔に放置されたものだろう。瓶は分厚く、現代とは規格が違うようだ。強度はどうなのだろう? ワインボトルに手紙を入れて海に託した逸話も多くあることだから、そう脆くはないはずだ。そして中身。見れば見るほど精好な帆船模型が収まっている。確かピンセットで細かな部品を一つずつ組み立てていくのではなかったか? 理屈ではわかっていても魅了される。市販のプラモデルとは一線を画した造形美だ。スグルはもう予感していた。今自分が手にしているものが、生涯の趣味になるだろうということを。

「ジンケ! こっちだーー!」スグルは叫び、そしてボトルシップを掲げた。

 当のジンケはーー必死だった。


 両手の間隔が狭くなっていた。先ほどまでの胸を広げた状態とは真逆。胸の中心で何かを必死に抑え込もうとしているように見える。それぞれの手に持ったカップとビーカーの間は50㎝にも満たない。中心では液体が蛇のようにのたうち、宙に浮いたうず潮といった様子。

 ジンケはガクガクと震えていた。反発する超磁力を無理やりくっつけようとしているかのように見えた。しかも磁力はみるみる力を増していた。このままでは、弾け飛ぶーー!

 スグルはボトルのコルク栓を抜いた。キュポッという音がやけにクリアに響き、これがユーモアなんだと悟った。やるしかない。俺が受け止めるしか方法はない。

「ジンケ!」スグルは叫んだ。「さあ! 来い! 思いっきり飛ばせ!」

 叫ぶと同時にスグルはボトルの口を正面に突き出した。

「みんな!」ジンケが叫んだ。

 するとスグルの背後に複数の気配が密着した。達郎と、ハッセとガイがスグルの背中で壁になった。

 ジンケが投げた。まるでエネルギー弾を放つコミックヒーローだった。正面に突き出した両手の中心から龍が飛び出した。それは踊り狂い、本能に任せて全てを貪り喰う存在に見えた。

 目をつぶってはいけない。そうスグルは決めた。この、ボトルの小さな口で奴を受け止めなくてはいけない。キャッチボールと同じだ。広い視野、そして空間認識。

 どんーー。未だかつて経験したことのない衝撃がスグルの全身を駆け巡った。

 外したのか? 土手っ腹に穴が空いてしまった!? 痛みがないのは、死がそこまで迫っているから……!?

「スグル! 蓋だ!」ジンケの声がした。

 蓋……。そうか蓋か! では成功したのだ。ジンケが言うなら、きっとそうなのだ。

「早く! 蓋をーー!!」

 突然ボトルの中が暴れ出した。見ずともわかる。閉じ込められたと察した液体は出口を探して暴れ狂う。それだけではない。ガラス一枚隔てて嫌でも伝わって来る。怒り。暴力。破壊衝動。こんなものをジンケは抑え込んでいたのか……!?

「うわーー!!!」

 悲鳴とも雄叫びともつかぬ声を上げながらスグルはコルク栓を閉めた。

 一度だけ内側からコルク栓を押し上げるような感触があったが、すぐに静かになった。静寂ーー一切が静止した平和な凪である。ボトルの中の液体は、そもそもの性質に戻った。ただ一つ変化したのは、中の帆船が粉々に難破したということだった。

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