融合
屋根裏部屋をこれほど窮屈だと思ったことはない。思えば男友達以外をこの部屋に上げたことはなかった。男子ならば自分を含めて四人までなら問題ない。少々窮屈ではあるが、むしろ四人で快適な空間だと言える。しかし、女子二人となるとこれは如何なるものか。圧迫感が違うのだ。女子二人だけで男子十人分に匹敵するであろう迫力。そもそもジンケの屋根裏部屋は物置である。物置に無理やりベッドと机を押し込んだ簡易的かつ粗暴な空間なのだ。女子にとってもまるで異文化。いわば、戦場に花を生けるようなものだ。
ヨリコとカホリが到着した頃、すでにスグルがいた。茶の間で待っていたスグルに案内されて二階の屋根裏部屋に上がると二人の女子はギョッとした。まず、ガイの存在だ。しかし、二人が互いに顔を見合わせ、再びガイの元へ視線を交差させた時、「もう終わったのだ」という確信めいた予感が胸の中でラムネのように弾けた。ガイはうなだれていた。心底落ち込んでいる様子。随分とやつれ、心底老け込んだように見えた。もう、ガイの中に奴はいない。二人はそう見て取った。そしてハッセの存在。普段からあまり関わりを持たないハッセという少年は、いつにも増して異質だった。ほとんど抜け殻、まるで廃人。見るからに不良のレッテルを貼った風貌なのには変わりないが、落ちるところまで落ち、骨の髄まで腐ってしまった、という退廃的なオーラが尋常ではなかった。
そこでジンケである。彼は、彼だけは逆だった。確か入院していたはずだ。まるでそうは見えず、それを疑うほどの健康体? しかし、果たしてこれを健康と言って良いのか、二人の少女にはわからない。それが生命力かと問われれば違うと感じる。なにか、彼の存在自体がまるで未知の強固な金属であるかの如く、無機質でデタラメな印象を与えるた。元来のジンケとは、健康とは無縁の少年であった。どちらかと言えば不潔、どちらかと言えばヒョロガリの部類に入る少年だった。それが今や、印象だけではナオユキに勝るとも劣らな美丈夫。なにかの魔法か、なにかのトリックか、この目がそう認めるのだから仕方がない。だが、この状況、この顔合わせを含め、すべてがグロテスクなのである。
「ジンケくん、なんか雰囲気変わった?」カホリが口火を切った。
「うん……多分ね」ジンケが答えた。「みんなの目には、僕がどう見える?」
「太ったんじゃないか?」スグルが言った。「ほら、入院してさ」
「普通痩せるでしょ」ヨリコが言った。「入院したら普通痩せるの。でもジンケ、でかいよ。でかくなった」
「でもさ、こうやって並ぶとそうでもないだろ」スグルがジンケの横で言った。
一同注目。廃人の如く風景に溶け込むガイとハッセもじろりと一瞥。
「でかいわよ。やっぱりジンケでかい」とヨリコ。「なんていうか、はみ出してる、それに一人じゃない」
「なんだよ、その一人じゃないって」スグルが言う。「いやいや、その前にはみ出してるもわからん。わかるように言えよな」
「よおく見て。空気、ジンケと空気の境目、わかる?」
「ん?」言われるがままにスグルは目を凝らす。
「何が見える?」
何もない。何もあるはずがない。そこには境目があるだけ。境目……境目!? 境目とはなんだ? 見れば見るほど焦点が合わない。肌と空気が触れている箇所を認識することができないのだ。
「はみ出してるのよ」ヨリコが言った。
スグルが困惑した顔を向けるが、ヨリコはそれをカホリへと受け流す。言葉で説明しても普通の男子には理解できないだろう。となれば体感。霊との接触を目の当たりすれば良い。
「さわるよ……」そう言ってカホリは手を伸ばした。
ジンケの前腕、手首の上あたりに狙いを定める。感覚的にこの部分が安全。霊で言うところの注射針を刺す箇所、要は霊的感覚が比較的鈍い箇所である。だから最初のコンタクトはここが良い。カホリは感覚的にそう理解していた。
細いはずのジンケの腕は剣闘士のようにたくましく見えた。だが、その細部まではどうしても見ることができない。まるで霊のヴェールを羽織っているかのよう。それでなければきっと夢。
もうすぐ。ジンケの腕に手が触れる。少し怖いような気分。王の肌に触れる栄光、それと同時に得体の知れない深海生物のゲル状の鱗に触れるかのような恐怖。刹那、記憶の嵐が吹き荒れた。この瞬間をどこか心待ちにしていた自分がいる。きわどい好奇心! ああ、感触、感覚、この精神感応こそが私の記憶。言葉を超えて無限の記憶へとつながる手段。もうすぐ……もうすぐ……この風変わりな少年を通して新たな世界への扉が開く。だがカホリの手はそこで止まった。ジンケに触れる三寸前で!
いるーー! 少年ジンケをすっぽりと覆うように、なにかがジンケを取り巻いている。
触れている。指先が確実に触れている。その何かは己の存在を誇示するようにカホリの指を押し返す。カホリ……カホリ……。言葉ではない。接触部から伝わる残響のような思念。決してジンケではない。だが彼と癒着し、彼の外側にはみ出した部分から、残り香のようなメッセージが伝わる。
「ヒカルね?」カホリは言った。
ジンケは答えない。答えない代わりにカホリの目をまっすぐに見返した。
「ヒカル……?」カホリは問いかけた。「ヒカル……どうしたの? 何か言って」
だが、カホリの指先が感知するのは匂いだけ。あの、トレーラーハウスのベッドで赤子のように眠る無垢な匂い。
「ヒカル!」ヨリコが割って入る。「あんた何なの! どうしてジンケと混ざっちゃってるのよ!」
「え!」スグルがつられて言う。「どういうことだよ? ヒカルちゃんって……何で!?」
「ジンケくん」カホリが言った。「ヒカル……何も答えないよ……」
「融合したんだ」ジンケは答えた。「ヒカルちゃんは僕に……純粋なパワーとなって融合した」
「じゃあヒカルはどうなったの?」とカホリ。
「わからない。とにかく僕の中にいることは確か。だけど、もう前までのヒカルちゃんじゃない。残った力を僕にくれた。純粋なパワー、エネルギーとなって僕を強くしてくれた」
「じゃあだから、ヒカルはどうなったのよ!」カホリは強く言った。
「僕だけを責めてもらっちゃ困る」ジンケは答えた。「ヒカルは僕だけじゃない、みんなに力を分け与えたんだ。そう、ヨリコには霊視能力、カホリには精神感応、そこにいるガイとハッセにも何か力が備わっているはず。だからこそブルーボーイの支配から逃れることができたんだ。そしてスグル、君にもきっと役割がある」
「俺にも……」スグルがつぶやく。
「そう」ジンケが続ける。「もともとヒカルはそのつもりだった。だからこそ、僕らが現実に出会うより前、夢の中で引き合わせた。僕らは選ばれた。貝託使の適正に合格したんだ。カホリは聞いたよね。ヒカルから直接聞いた。僕と融合するほんのすこし前の事だよ。ヨリコもその場にいた。スグル……君には馴染みのない話かもしれないけど、どうかな? 理解できそう?」
「ああ、問題ないね」スグルが言った。「ジンケの話を聞くのは慣れっこさ。何でか、よくわからなくても理解出来ちゃうんだから不思議だよ。ヒカルちゃんがね、そういうことね。どうりで、ちょっと、気にはなっていたんだ」
これがスグルの力なのか、信頼、理解、全面的なバックアップ。彼が場にいると、不合理に対する気構えができる。
「ふん」ヨリコが鼻を鳴らした。「じゃあヒカルは今のところ仮死状態みたいなもんなのね。そのエネルギーだけをジンケにレンタルして、相変わらずスヤスヤお眠りしてるってわけ」
「そんなところだ」ジンケそう答えたが、『でもこのエネルギーは消費する類の……』とは言葉を続けなかった。
「なるほど」スグルが言った。「ジンケがでかく見える理由としては、ヒカルのエネルギーを取り入れたことによって、いわゆる霊的な質量が増えて肉体よりもはみ出した状態、霊が体よりもひとまわり大きい状態ってことだな」
「そう……考えていいと思う」とジンケ。
「二人は?」カホリが言った。
一瞬、何のことかわからずに場は沈黙する。
「二人を助けなきゃ」カホリが続ける。「ナオユキとタカシ……早く、助けに行かなきゃ!」
「そう」ジンケは答えた。「それが最優先事項だ。話してくれるね、スグル?」
「ああ、なるべく急ぎで説明するな」スグルは話し始めた。
皆、まばたき一つせずに聞き入った。スグルは当事者であるガイとハッセも引き合いに出した。彼らは疲弊しきった様子ではあったが、その都度力なくうなずき、吐息のような言葉をこぼした。
「……で、ガイとハッセが解放されると同時に、二人は飲み込まれた」
驚異的な冒険譚は語り手のスグルによって、そう締めくくられた。
「飲み込まれた!?」とカホリ。
「うん。飲み込まれて消えた。だよな?」スグルは亡者のような生還者たちにそう尋ね、彼らはいかにも苦しげにうなずいた。
「きっと巣だと思う」ジンケが言った。「二人は飲み込まれた、これは連れ去られたと考えて良い。そして二人は無線に応答した。そこには空気があって無事だということ。相手も傷を負っている。今はきっと、獲物を生かしたまま休んでいるんだと思う」
「俺もそう思うよ」スグルが言う。「そしてさ、そこがどんな場所にせよ、俺は準備が必要だと思うんだ。戦いだもの。うん、あれは戦闘だった。まずは相手を知って、それから武器が必要だ」
「確かに」ジンケがうなずく。「カホリもヨリコも戦闘向きとは言えないし、僕がヒカルからもらったパワーだってどこまで通用するかわからない。みんなには武器が必要だね。スグル、あてはあるの?」
「もちろんさ。奴のサンプルを採ったんだ。ユキちんが託してくれた……。それを、そう! ジンケの親父さんに分析してもらってるんだよ! それにカホリが言ってた消毒液も効いたんだ。ああ、そうか、見てもらった方が早いな」
スグルは傍のボストンバッグを皆の前に押し出し、ジッパーを開けた。中には銃器が詰まっている。一つ取り出し、壁に向かって引き金を引く。
『ジャッ』という音と共に圧縮された水が一直線に飛び出す。
「消毒液。ただ致命傷には程遠い。相手の動きを止める程度。だけどサンプルの成分を突き詰めれば、もっと有効な武器になるはずだ」
「肝心なこと聞くわよ」ヨリコが言った。「戦うのはわかるけど、一体どこで、どう仕掛けるの? その巣ってのもどこにあるのよ? まさかわからないなんて言うんじゃないでしょうね」
「それなら僕に考えがある」ジンケが言った。「結論から言うと巣の場所はわからない。だからおびき寄せるんだ。僕の体で……」
「続けて」ヨリコが言った。
「奴がガイの体を乗っ取ったのは、病院で眠っている僕を狙うため。ハッセもそのせいだと思うし、スグルたちを襲撃したのも、周りから取り込んで最後に僕の体を奪う作戦なんだ。病院ではヒカルが守ってくれていたから、奴は頭数を増やしたかったんだろうね。とにかく僕の体が欲しいんだと思う。僕の幽体離脱の能力に強い関心を持っている。確信と言ってもいい、そう感じるんだ。だから僕の体を囮にする」
「囮……」スグルがつぶやく。
「陣取りゲームのようなことになると思う。男達にはお団子山の秘密基地で僕の体を守って欲しい。僕は、女子と共に奴の巣に乗り込む」
「乗り込むって、わからないんでしょう? 巣がどこにあるか」カホリが聞く。
「ああ、わからないよ。だから探す。絶対に探し出す。君たち二人と、ヒカルの力を使ってね」
「ねえ」ヨリコ口を挟む。「だけど向こうはこっちのことどうやって知るの? ただお団子山で待ってたって来るとは思えないわよ。それにお団子山ってのも、いまいち理由がーー」
「餌を撒くんだ」ジンケが答えた。「基地のそばに小川があったろう? そこから僕の血を流す。奴は海にいる。お団子山の小川は、汽水湖である内湾に流れ込む。奴は必ず僕を見つける。僕の血を辿って山を登ってくる。お団子山を選んだ理由は奴にとって不利な立地であること、それと他の目撃者や被害者を出さないためだ」
「理にかなったわ」ヨリコが言った。だがそう言い切った一方で「血」という言葉が胸の奥で鈍い痛みを放った。川に血を流す。とてもおぞましいことだ。
「何にせよ武器だ」スグルが言った。「装備がなくては戦えない。それに伴う準備、食料も休息も必要。なあジンケ、まずは武器だぞ」
「そうだね……」ジンケは考える。「僕は……父に会って来ようと思う。スグル、付き合ってくれるね? その間、みんなは休んだり、それぞれの家族に連絡もしなきゃいけないな、その辺の段取りをやっていて欲しい」
「わかったわ」カホリが答えた。
「少し眠るといいよ」ジンケは言った。「次はいつ休めるかわからないからね」
カホリとヨリコは黙ってうなずいた。眠ることについては何か言いたい気もあるが、確かに体を休ませたい。目をつぶって横になるだけでも良い。いろいろなことがありすぎた。もう三日も眠っていない気がする。
「お前らはどうする?」スグルが言った。
するとガイとハッセは見るからに重い腰を上げ、苦虫を噛み潰したような声で「……行くぜ」と言った。




