バトル2
赤いロボットはゴミと化した。再び地上に戻って来た時にはその原型を留めてはいなかった。ロボットは厚紙製である。極端に軽い。故に、公団住宅の屋上から落としたとしても目に見えるような損傷はないはずだ。だが、赤いロボットはゴミと化した。落下の衝撃でそうなったのではない。ガイの張り手を喰らった時には、大方破壊されていたのだ。
公団住宅の(ややヒステリックと評判の)管理人に見つかれば、すぐさま写真に撮られるだろう。そして全棟の掲示板に《厳重注意! ベランダからゴミを投げないこと! 犯罪です! 犯罪です! これは立派な犯罪行為です!!》と貼り出されるだろう。
これは立派なゴミである。ゴミに憑依し続けることはできない。依代にもそれなりの規定というものがある。今現在、ジンケはゴミの中に閉じ込められた。なるほど。家に着くまでが遠足だという理論と同様、その依代から脱出するまでが取り憑くという行為なのだ。などと御託を並べている場合ではない。まずいのだ。状況はすこぶる悪い……このままではやられる!
タカシはどうした? どうにかこうにか見ることはできるようだ。視界は転がったビデオカメラのように地面を斜めに切っている。その荒削りな構図の端っこタカシがいた。滂沱と涙を流し、瞳孔は開きっぱなし、ほとんど失神状態だ。この視界ではタカシのダメージまで窺えないが、おそらく、もう膝より上まで吸収されてしまったのではなかろうか。それがもし、心臓まで達したら? 考えたくはない……だが考えなくてはいけない。
と、上空から馴染みのある声が聞こえた。ああ、そうだスグルが上にいたんだ。なにやらスグルが目一杯叫んでいる。だが、言葉がよく聞き取れない。なんせ僕はゴミに憑依しているのだ。動くことはおろか、聞くことも難しい。この監視カメラのような視界もじきに消えるだろう。出る必要がある。この体はもうダメだ。そもそもが戦いになど向いていなかったのだ。でもなぜだろう、対抗できると思っていた。奴らに勝つには、この鋼鉄の赤いボディしかないと感じたのだ。そう、この鋼鉄。……鋼鉄? 一体何が鋼鉄なんだ? どれを指して鋼鉄だなんて……。まずい、思考までもがゴミと化してきた。
〈しっかりしろ!!〉
ジンケは己に喝を入れた。とりとめのない空想にふけっている場合ではない。しかしこんな時に大人は何をしている? 通行人の一人くらい、いたっていいではないか。くそっ! 体が、これじゃあダメなんだ! もっと強い力がいる。もっと……もっと強い体が!!
「なんだおまえ。あん? もう終わりか?」
ガイの嘲笑した声、そしてこちらに近づいてくる気配がする。間違いない。彼は止めを刺すつもりだ。
ジンケは残された力を振り絞った。すると、やっとの事で首が動いた。視界がぐるんと回り、ただ90度、真上を向いてとどまった。相変わらず頭上でスグルが叫んでいる。なんだろう、今度は言い争うような声だ。誰かを必死に止めるような。懇願し、諭すような口調。そして視界の遠くで何かが動いた。同時にスグルがここ一番の怒鳴り声を上げた。「ユキちん!!」はっきりとそう聞こえた。ああ……落ちてくるーー落ちてくるーー。鋼鉄のボディが落ちてくるーー。
「ジンケー!!」ナオユキが叫んだ。「あれをやれーー!!!」それだけ叫ぶのが精一杯だった。必死に止めるスグルを振り払い無我夢中で飛び出したのだ。後先考えずの行動であると言えよう。だがナオユキには考えがないわけではなかった。むしろ(瞬間的ではあったが)強烈な確信に突き動かされての行動だった。細かな説明を求められても答える気などない。〈ジンケ、あれをやれーー〉この一言に集約されている。あれをやるしかないのだ。あれをやらなければタカシがやられる。ナオユキにとってタカシは特別だった。誰よりも強い絆で結ばれた仲、とまで言える自信はなかったが、命をかけるにふさわしい友だとは思っていた。だからナオユキは躊躇しなかった。
柵を飛び越えると、ナオユキは落ちた。一瞬だけ、ふわりと宙に浮き、即座に重力の忠実な僕と化した。
なんてことだ。鋼鉄のボディーが空から降りて来る! いや、違う。あれは人だ。人間の体が落ちて来るのだ。断じて鋼鉄などではないが、そう形容する理由もわからないではない。少なくともジンケが知っている中では一番優れた肉体。異性はもちろん、同性の者まで憧れてやまない鍛え抜かれた鋼の体躯。その持ち主こそがナオユキだ。そう、かのナオユキが飛び降りたのだ!〈あれをやれーー!!〉ナオユキはそう叫んだ。〈あれ〉をやるしかない。〈あれ〉をやらなければナオユキはーー死んでしまう!
〈あれ〉に向けて一点集中。時間はない。地面に衝突するまで三秒、いや二秒か……。今すぐに、このゴミと化した体から脱出しなくてはいけない。〈あれ〉をめがけて一点集中。どこか……一気に飛び出せる出口……。そうだ、僕の右手は外れていた。シュークリームをかじった痕みたいに、中身が外にこぼれそうだった。
ーー来る。そうナオユキは感じた。だがマンガのようにご都合よろしくというわけにはいかない。ジンケだって万能ではないのだ。あの、ぺしゃんこに潰れたハリボテ人形の中で思うように動けないのだろう。だが来る。必ず来る。間もなくジンケは、ロケットみたいに飛んで来る。
ワンフロア落下。ナオユキは一階層下、六階の安全柵を両手で叩いた。跳び箱の要領である。その瞬間、ダンゴムシのように体を丸めて体重を殺す。よって重力を相殺。再びゼロG状態での落下を試みる。これを繰り返せば地上まで無傷で辿り着くことも可能。だが、言うは易し。これこそ超ド級、ウルトラC級、一発勝負の大博打なのだ。連続で成功させる自信などあるはずもない。頼む……ジンケ……あれをやれ!!
〈あれ〉はもう近い。右手の切り口に全意識を集中。僕が集まる。僕が移動する。僕が切り口、切り口は僕。僕が出口で、入り口が僕。僕はある。僕はない。あるとないとが同居した、そう、僕は境目、僕は切り口……。
いわば金縛りであった。霊体が依代に縛られるという、一般的に知られているのとは逆の状態。だが霊にとってはこの上なき緊縛である。解く方法は数多あれ、かの霊感少年が最も信頼を寄せる方法、それが一点集中爆裂型と呼ぶものであった。人体の場合は利き手の親指である。取り憑いた霊を追い出すべく親指の付け根を引き金、指先を撃鉄、そして気力という名の雷管へと向けて打ち下ろす。すると取り憑いた霊は散弾よろしく弾け飛ぶという寸法である。だが今回は勝手が違う。取り憑いているのも霊、縛られているのも霊なのだ。だから己を弾丸と化す。ゴミと化した依代を銃口とみなす。仕上げは暴発。あえて暴発を誘発すーー。
とくん。水の音が近づいた。ガイが固定カメラの中に入った。上から見下ろすガイは、今更ながらガイには非ず。水ぶくれしたバケモノだった。
「えっへっへ、お前、おもしれえな……おもしれえけど、弱っちいなぁ……」
ガイはそう言って屈み込んだ。
「でも、やっちまわなきゃだめな気もするど。だってお前、人間じゃねえもんな……人間じゃねえもんは、ろくなもんじゃねえもんな……」
ガイは赤いロボットを両腕で抱え込んだ。そして首をフクロウのように回転させ、失神寸前のタカシに言った。
「ようタカシ、冥土の土産に見せてやるど、これが……無敵のーー」ガイの体が〈どくん〉と脈打った。「ガイドライバーだ!!」
ガイが飛んだ。さほど大げさなジャンプではない。だが、妙な重みがあった。例えるならば〈カバが戯れにぴょこんと跳ねる〉そんな跳ね方だった。しかし、そのわずかな滞空時間で技を繰り出した。赤いロボットの四肢の関節(すでに機能していないが)を決め、逆さまにしがみついたのだ。そう、これはプロレスで言うところのパイルドライバー。瞬きする間もなく赤いロボットの頭部は大地に叩きつけられた。瀕死のタカシはそれを見て絶望した。そして、決定的な敗北を喫した赤いロボットの手首から、流星の如くきらめく一筋の光が発射されるのを、ただ瞳の反射神経だけで追った。
かくして暴発は誘発された。
寒い……日光が痛い……何か……影になるものへ……この身を預ける殻の元へ……。脱出したジンケは純粋な霊的欲求に突き動かされた。なるほど、霊は憑依に依存するーー。また一つ賢くなれた。だが雑念は断つ。願いは一つ。目指すべき肉体も、また一つなり。
来た。ついにジンケがやって来る。安堵からかバランスを崩した。五階の柵で手を滑らせたのだ。軌道がずれた。真っ逆さまだ。もう、柵に触れることはできない。くそっ……。こうなったら、一か八か……。
ナオユキはスカイダイバーのように身をひるがえすと、思い切り壁を蹴ったーー。
ちょうど四階の高さ、やけに大きなカラスが柵から飛び立ったかのように見えたであろう。いや、その大きさはカラスなどではなくワシの方がふさわしい。しかしワシが人家で足を休めるわけもなく、もしそれを目撃した人がいたとすれば、午後のお茶を濁す程度の話題にはなったことだろう。
ナオユキは鳥になった。翼の如く両腕を広げ、大地に対して平行に飛んだ。ほぼ無意識で、それこそ無我夢中でとった自殺行為とも言える行動だが、少年たちの流儀には当てはまっていた。ナオユキは的となったのだ。宿主を求めて垂直に発射された光の矢を受け止めるための的。ただ少年たちの漠然とした共意識の中ではキャチボールをするかのような単純なものだったのかもしれない。そう、キャッチボールをするのに理由はいらない。ボールは心だ。心が互いを行き来する。
〈さあ来いジンケーー〉
〈ああ、受け止めてくれよナオユキーー〉
閃光は冬の午後をほんの少し照らした。少し遅れて一人の少年(にして大柄だったが)が空から落ちて来た。巨大な土嚢を連想させるドスンという音と共に大量の土埃が舞い、少年の生死は絶望的なものに思われた。
ガイが虚を突かれて「あ?」と言う。落下物と空を交互に見るその仕草は、まるで隕石を発見した原始人だ。
「ありゃ、ナオユキでねえか」ガイが言った。「なんだお前、自殺しちまったのか?」
ガイは土埃の中に佇む人影に近づく。と、唐突に人影は動いた。
「わっ!」ガイは言う。「生きてんのか!?」
「……受け身、取り損なっちまったよ」人影が答えた。「でも、我慢できない痛みではないな」
「おおおお……」思わずガイは後ずさる。土埃の中から現れたのは、彼がナオユキと認識する少年の人相には違いないが、何か様子がおかしい。何か圧倒される。何か危険な匂いがする。それ以前に、人間というものは死ぬはずだ。あれだけの高さから落ちたら確実に死ぬはずなのだ。それなのに喋っている。立ち上がって埃を払って、「まずはタカシを元に戻せ……」そう、ナオユキらしき男は言うのだったーー。
人の体に入るーーそれは実に神々しい体験だった。大胆にも公団住宅の七階という高さから飛び降りたナオユキの肉体に、まずは全力でぶち当たった。地面に激突する前に憑依しなくてはいけない。霊である自らの質量をいわば空中のエアバッグと化し落下する人体を受け止める、そしてすぐさま幽体離脱の出入り口である首の付け根、頸椎の一部分を目指し風船の如く膨張した霊体を無数のホーミングミサイルよろしく拡散、落下速度を緩和しつつ侵入するという荒技に挑みーー結果、大成功。めまぐるしい感覚の嵐。生きた血の脈動、雷光の如き神経パルス、細胞が奏でる和音、共鳴、鳴動の数々! ……かくも人体とは美しかったのか、ありとあらゆる生命の循環が色鮮やかに駆け巡り、あたかも芸術、それでいて科学、その中にジンケは佇んでいた。
ナオユキに順化するのは易しかった。まるで最初からジンケが入る余地を設計してあったかのようだった。すぐにジンケは悟った。赤いロボットなど比較にならぬほど、この依代は心地良い。馴染む、非常に馴染むぞ。無機物では到達できぬ心地良さ。これが生身というものなのだ。それはそうだ。僕だって元もとは生きていた。血の通った肉体を所有していたのだ。だからこそ、この肉体の凄さがわかる。まるでデキが違う。神経伝達が格段に軽い。最速だ。高性能のスーパーカーだ。まるで肉体そのものが意思を持っているかのように、やや喰い気味に指令に応える。こんな乗り物はざらにない。
ナオユキは叫んだ。あまりの衝撃に叫ぶしかなかった。しかし叫び声は外へ漏れることなく、己の体内に木霊した。瞬間、この肉体がもう自分だけのものではないのだと理解できた。指先にも、爪の中にも、頭髪の隅々までにもジンケの存在を感じていた。自分が二人になるという感覚は、始まりの宇宙、そうーービッグバンと呼ばれる現象に近いのだった。どこまでもどこまでも膨張し続ける。無数の鏡が意志を反射し続けるかのように、二つの精神が無限を生む。だからナオユキは叫んだ。めくるめく進化に歓喜し、魂が吠えた。
これら全ての出来事が一瞬で起きた。コンマ数秒、公団住宅の五階から地面に激突するまでの間、ジンケとナオユキは時空を越えた。そう、いわば2・5次元の世界で彼らは一つになったのだ。
これが本当に俺か? まるで実感のない肉体だった。誰か別の人間の頭の上にちょこんと座っているような感じがした。それでいて違和感はないのだ。ただ、ほんの少し命じれば良い。それだけで肉体が答えてくれる。自分と肉体の間に高性能のトランスミッションが組み込まれたかのような感覚。機関はすこぶる優秀。独立した意志を持ち、かつ高純度の伝達機能を持つ。きっとこれが霊なのだ。インナーマッスルに装着された霊の鎧なのだ。ーーなあジンケ、俺はお前に〈あれをやれ〉と言ったが、これは〈あれ〉なんてもんじゃない。〈あれ〉とじゃ比べ物にならないくらいすげえ感じだ。なあジンケ、一体何をしでかしたんだーー?
〈……あとだ〉内なる声する。〈……それはあとだナオユキ〉
これはジンケだ、とナオユキは思う。
〈今は目の前の……ことを片付けなくちゃ……〉
ああ、そうだ。タカシは瀕死で、ガイは相変わらず(いや、以前よりも酷く)体を乗っ取られたままだ。さあ、始めようかーー。
「……ガイ」ナオユキは言った。「お前はまだ、ガイなのか?」
「あ?」
ガイが答えるよりも早く、ナオユキは動き出していた。
パアンッ!!
激しく水を叩く音。ナオユキの攻撃がガイにヒットした。ただその事実を伺えるだけ。それが拳なのか肘なのか膝頭なのかはわからない。およそ常人には見えない速度。とにかくナオユキの攻撃がガイにヒットした。そして水が弾けた。ただそれだけは確実だった。
大きな手応えを感じ、ナオユキは身を翻した。〈タカシはどうした?〉次に確認すべきことはそれ一点のみ。そして次の瞬間、ナオユキはその目を疑った。
彼の足元にサッカーボールが転がっていた。公団住宅には大勢の子どもたちが住んでいる。何もおかしなことはない。だが、このサッカーボールには顔があった。そう、彼の親友であるタカシの歪んだ表情がそこにあったのだ。
タカシは頭だけになっていた! だがまだ生きている。涙を溜めた目が「助けて」と訴えているのだ。だが人間、頭部だけで生きられるはずがない。まだ胴とつながっているのだ。タカシの首は粘液の川となりナオユキの後方へと流れていた。そう、その先にはガイがいる。ガイが……かつてガイであったものがそこにいるのだ。
「やめろ!!」ナオユキは怒鳴った。振り向くと更に怒りが募った。
ガイはでかかった。ナオユキの身長をゆうに十数センチは上回っていた。理屈ではありえない。ナオユキより身長が高い中学生など、この町にはいないのだから。しかしガイは確実にでかかった。厚みも幅もレスラー並みだった。それでもナオユキはひるまなかった。むしろ怒りは燃え上がった。きっと、こやつの中にタカシがいる……。失われたタカシの体を、こやつが無断で吸い取った。荒ぶる怒りのパワーゲージは、たちまちレッドゾーンを越えた。
パアンッ!!
殴った。続けてーー、
パアンッ!! パアンッ!! パンッ!!
連打。右ストレートの次は左フック。その次は……? 覚えていない。ただ怒りに任せて、連鎖的に、肉体の反射が瞬時にベストな二手、三手を繰り出す。そしてそれらは確実にヒットした。だがやはり何かがおかしい。手応えがまるで違う。拳の表面がひりひりと痛む。強烈なビンタを喰らったようでもあり、酸(いや、強いアルカリか?)のようなものに触れたかのような痛み。これはそう……水だ。水を思い切り叩きつけた時の痛烈なショック。
パアンッ!!
最後はえぐるようなアッパーカットで締めた。これだけの連打、生身の人間なら確実に半死。普段なら絶対にやらない一線を越えた。しかし、やはり手応えたおかしい。肉を打つ感覚も骨を砕く感触もないのだ。反応と言えば、〈ぽこん〉という音が一つ。大きな石を水面に(かつ垂直に)落とした時のあの音。ぽこんーー次に訪れるのは静寂。世界中の全てを飲み込むかのような音が、拳を、腕を、肩を伝わってナオユキに届いた。
見上げると視界いっぱいに広がる王冠。水面に完全な球体を落とした時に浮かび上がる同心円状の無数の宝珠。ナオユキの拳が打ち込まれた部分を中心に見事な王冠が浮かび上がっていた。そして、それぞれの珠の中でガイが笑っていた。数にして50、いや100以上か、群と化した小さなガイたちがびっくり箱のピエロよろしく「ばあ」とおどけたと思いきや、今度は規律正しく引っ込んだ。その様はまるでスポイトで吸い取られる朝露のようであった。
慌てて拳を抜き取ると、次はその反動でガイの顔面がうねった。まさに荒波であった。顔は判別できない。麺打台の上でこねられるもっちりとした生地のように変幻自在に形を変え、再びそこに姿を現したのはガイの顔ではなかった。それよりもずっとシャープ。鮫を思わせる前歯。えぐるような額の剃り込み。その上に鎮座するパーマネント・リーゼント。そこにいるのは紛れもないナオユキの親友、ハッセこと長谷川ツトムであった。
「お前……」ナオユキは言った。「ハッセか……おい、ハッセなのか!?」
「よう、ナオ」ハッセは答えた。「こっちに来いよ。早く遊ぼうぜ。こっちはすげえ楽しいぞ。今日は俺んちに泊まって、朝までゲームしようぜぇぇぇーー!!!」
「お前ら……ふざけるなぁぁぁ!!!」
怒りに任せて殴りかかった。拳骨を打ち込み、その度に現れるあざ笑うような王冠ーーその水玉一つ一つを手刀で落とし、すかさず重心移動、突風のような回し蹴りを喰らわす。だが、どれもこれも水。手応えは水……。
〈どうなってるんだ……?〉
ガイのみならずハッセまでも……。だがどこか納得が行った。ガイの尋常ではない巨大さが理解できた。すでにハッセを吸収していたのだ。そして今まさにタカシが取り込まれようとしている。許せない。みんなを助けたい。この怒りは、ガイにでもハッセにでもない。叩いても叩いても手応えのない、友人たちを盾にとる忌々しい水だ。
「ナオよぉ……早くこっちに来いってばよぉ……ほら、俺すげえだろ……こんなにすげえだろぉぉーー!!!」
連打、連打、連打。攻撃を重ねるほど、水玉王冠びっくり箱の応酬。時にガイ、時にハッセが「ばあ」とおどけて何食わぬ顔をして再生する。おいジンケ……。どうすればいい? ナオユキは持て余しつつあるパワーの源泉に語りかけた。
〈核……〉
そう聞こえた気がした。ほんのささやき、毛細血管で漂流するささやかな夢の断片のように、その言葉は儚く消えた。
核……。核だ。核があるに違いない。ジンケよ、そうなんだな。核をぶっ潰せばいいんだな。そうすればこいつらを止められるんだな。ガイとハッセとタカシを救ってやれるんだな。俺にはそれができるんだよな! よしわかった。お前を信じる。一緒にこいつをぶっ潰そう!
槍だ。己を槍と化せ。ナオユキは相手のみぞおちに向けて手刀を繰り出した。その電光石火の早業に、ハッセの顔をした化物はみぞおちに槍を穿たれたなど気づく様子もない。これならば飛沫は立たない。あの忌々しい水玉王冠を見なくて済む。そして、次に打つ手はこうだーー。ナオユキは化物の体内で手刀を突き上げた。目指すは心臓。核があるとすれば、まずはそこだ。
しかしーー手応えは皆無。握りしめた拳の隙間から微細な気泡が漏れるだけ。だが落胆などしない。続けざまに振り子の要領で後方に片足を蹴り上げる。遠心力を維持したままフィギュアスケーターの如く重心そのままに体の向きを反転。天高く放り投げた踵を相手の頭頂部に打ち下ろす。たちまち頭部は激しい飛沫を上げながら真っ二つに両断。心臓部にないとすれば、この中にあるはずだ。ナオユキは割れた頭部の中を観察する。両断されたそれぞれの頭部には右にガイ、左にハッセという具合に顔が浮かび上がる。両方ともこちらの戦意を失わせるかのような無垢な笑顔を湛えている。それは少年時代特有の無垢とも言える邪悪さ、生き物を弄ぶ時に見せる、あの好奇心に満ちた笑顔だ。全く、調子が狂いやがるぜ。
「ナオ!」
不意に声がした。発生源はガイとハッセのちょうど中間、二つの顔が双葉ならば、それは可憐なつぼみだった。〈核か……!?〉ナオユキは握り潰すべく手を伸ばしたが、即座に石のように硬直した。
「タカシ!」ナオユキは叫んだ。
それはタカシだった。つぼみはまだまだ小さいが、確かにタカシの顔だった。
「ナオ……やっつけて……やっちまえ……こいつら、こてんぱんにやっちまえ!!」
それだけ言ってタカシは消えた。左右に陣取る奇怪な双葉が食虫植物の如くその口を閉じたのだ。
タカシ……。確認するまでもない。タカシは行ってしまった。完全に取り込まれてしまったのだ。こちら側から、向こうの世界へ。それは2・5次元的な中間世界ですらない。全く別の、暗黒世界だ。
『次はナオ、お前の番だ!』二人の声が重なった。今や敵はガイでもハッセでもなく、同時にそのどちらでもあった。右半分がガイ、左半分がハッセ、その双方が真ん中から癒着し、見るもおぞましいキメラと化したのだ。
「タカシ! 絶対助けるからな!!」ナオユキは叫んだ。
タカシにはまだ意識がある。確かカホリも言っていたではないか。病院で出会ったガイは「たすけて」と言った。一瞬ではあるが、正気に戻った時に助けを請うたのだ。取り込まれたとしても、正常な意識を保つ猶予はあるということ。しかしどうする? このまま闇雲に核を探すしかないのか……。もっと有効な手立てはないのかーー?
その時、足元から強烈な悪寒ーー次いで身震いするような悪臭が押し寄せた。咄嗟に研ぎ澄まされた条件反射がナオユキをジャンプさせた。そして宙に舞いながら今しがた立っていた地面にピントを合わせた。沼だ……。まるで死の谷。腐敗のスープ。泡立ち、ぬかるみ、瘴気を上げる毒沼が一瞬にして出現していたーー。




