バトル1
四人の戦士のターンに戻ろう。
スグル、タカシ、ナオユキ、そして赤いロボットに憑依したジンケたちは残る同士であるハッセを探しに彼の自宅である公団住宅に来ていた。スグルとナオユキは既に七階。虚弱のタカシと赤いロボットは地上で待機。ジンケも連れてこようかと迷ったが、道中赤いロボットを背負っていたスグルには、どうしてかハリボテである赤いロボットが次第に重たく感じていた。とても背負ったまま七階まで上がれそうになかった。きっとジンケの分に違いない。ジンケの霊的な部分が、重さとして感じられるようになったのだ。頭脳ではなく、心がそう感じていた。
「ハッセー!」ナオユキは言った。
そう連呼してドアを叩き、「まだ帰っていないか……」と静かにつぶやいた。
次にナオユキは無線機の準備をした。スグルが彼の代わりにドアを叩いた。
「ハッセ……こちらナオ……緊急事態だ……応答せよ……どうぞ」ナオユキは通信を試みる。
ハッセ宅のスチール製のドアは銅鑼のように響いた。その音を聞くのにも嫌気がさし、スグルは回れ右をして外の景色を眺めた。正面にはお団子山が見える。つい先ほどまで皆で会議していた場所だ。町並みも抜けるように見える。こう眺めてみると、こぢんまりとしてはいるが良い町だなと思う。空は青い。日も温い。こんなことがなければ日なたぼっこをしながら昼寝でもしたい。そんなことを考えながら柵に肘を乗せて地上を見下ろした。タカシと赤いロボットはベンチに座っている。まるでミニチュアだ。こちらに気づいた二人は、のんきに手まで振っている。そうしながら二人は何事か会話している。お互いにうんうんとうなずき合っている。時にタカシが赤いロボットの肩を叩き、ロボットが頭を手でかくような素振りをして、それに答えている。ジンケもハリボテの体に大分慣れたようだ。その振る舞いは着ぐるみ役者のように自然である。
「スグル」ふいにナオユキが言った。「本当に見ないのか?」
「何を?」
「夢だよ。一度も見たことないって」
「ああ……覚えてないってことなんだろうけど、ないよ。夢を見たってことはない」
「すげえな」
「ユキちんはさ、本当は見てるんだろ? みんなと同じ夢」
少しの間の後、観念したかのように「……ああ」とナオユキは答えた。
「今でも書いてるの?」
「いや。中学に上がってからやめた。あんまり見なくなったからな、夢」
「じゃあ、きっかり六年分あるってことだよな」
「小一と小二の頃はさすがに字が書けなかったからな、後から思い出して書いた分はあるが完全ではないな。三年からは毎日欠かさず記録してある」
「すごいよな。なんでそんなことしてた?」
「親の影響だよ。脳に良いってな。確かに、文章力は飛躍的に上がる。夢を記録するってのは小説を書くことと同じだからな。まあ、それよりもーー」
スグルは聞き入る。ナオユキが長期間に渡って夢日記をつけていた事実を知るものは少ない。おそらくタカシにもハッセにも話してはいないと思う。年少時、スグルがナオユキの部屋で夢日記を発見した時も全くの偶然だった。その時のナオユキの剣幕たるや、今でも脳裏に蘇る。まるで、出さずじまいのラブレターでも盗み見されたかのような狼狽ぶりだった。
「自分をコントロールできるようになる」ナオユキは続けた。「夢ってのは無意識からのメッセージだという考え方がある。それを読み取ると自己と無意識のバランスが取れるようになる。心と体ーー精神と肉体を思いのままに鍛えることができる。自分が外にいるような感覚だな。外から自分を見下ろして、思いのままに操作する。何をどこまでやれば、どれだけの結果が得られるか感覚的にわかるようになる。だから努力という言葉には縁がなくなる。全ては計算通りに事が運ぶんだ」
「ジンケみたいだな」スグルは言った。
「あ?」ナオユキは調子の外れた声を出した。
「ほら、自分の外に出て、自分を見下ろしているんだろ? まるでジンケみたいだよ」
「確かに……そうかもな」
「似てるよ」スグルは言う。「二人は、全然似てないけど、やっぱり似てる」
ナオユキは「ふん」とかぶりを振って、再び無線通信を試みた。ハッセに対して先ほどと同じ文句を繰り返すが、半ばやけっぱちのような口調だ。
スグルは再び地上を見下ろした。相変わらずタカシと赤いロボットが仲良くベンチに腰掛けている。広場には二人の他には誰もいなかったはずだ。そのはず……だが、三人いる。もう一人、別の誰かが地上にいる。二人が座るベンチの背後から、のっそりと忍び足で近づいて来るように見える。あれは……知っているシルエットだ。知っているはずなのに、初めて目にしたかのような驚き、そして博物学的な未知の驚愕が悪寒となって全身を走り抜けた。あれは……ガイだーー!
「ユキちん!!」たまらずスグルは相棒を呼んだ。
その今までとは様子の違う声色にナオユキは即座に反応する。音もなく、滑るようにスグルの隣に並んだ。
「タカシー! ジンケー! 後ろーー!!」
スグルは声の限りに叫んだ。
地上のミニチュア人形たちは顔を上げ、のん気に手を振り返す。「……かー?」などと声を返しているが、遠くて聞き取れない。状況を察したナオユキが無線機で呼びかける。
「ーータカシ! 後ろだ! 後ろに来てるぞ! ガイだ!!」
追いかけるように、スグルも「ジンケー! 後ろー!!」と喉がちぎれるほど叫んだ。
うかつであった。いかんせん、タカシの感じが良好過ぎた。以前からこんなに感じが良かったであろうか。否、今やジンケが赤いロボットの化身であるという事実がタカシの感じを良くさせていた。タカシにとって赤いロボットは憧れの的なのだ。なぜそうなのかはわからない。生まれつき病弱なタカシ故に、無機物のボディーーいわばキカイの体への憧れが強いのかもしれない。だが、本当のところはわからない。おそらく、タカシのことだから本人も意識はしていないのだろうが、それにしてもーーうかつであった。タカシとのおしゃべりにかまけ過ぎて、重大なサインを見逃した。あんなに鬼気迫るスグルの叫び声など聞いたことがない。いくら距離があるにせよ、気を張っていればすぐに気づくことができた。とことん、情けないほど、うかつであった!
ナオユキからの無線で瞬時に状況を察したが、時既に遅しだった。ジンケとタカシは既にガイの包囲網の中にいたのだ。巨大な蜘蛛の巣の中心で、捕食者の帰りをのん気に待っていたのだ……。
「げへへへ……タカシでねえか……しばらくだなぁ」
この声でタカシは振り向いた。反射的に「うわぁ!」と叫び、そのまま弾けてベンチから落ちた。ジンケもまた同様に振り向いた。だがその姿勢は崩さずに、探し人であり来訪者でもあるその人を見上げた。赤いロボットを通して、ジンケはガイと目が合わせた。
「なんだおまえ?」ガイは言った。
言葉尻とタカシの「ぎゃあ!」という悲鳴が同時だった。タカシは恐れおののき、腰を抜かして、何やらガイと自分の足元を交互に見ていた。人間の黒目というものは、こんなにも上下に連続して動くものなのだとジンケは思った。
「う……動けない……動けないよおおお!!」タカシが叫んだ。
現状を理解しようと、ジンケはガイを観察する。この状態のガイを見るのは初めてであった。カホリに聞いてはいたが、実際に目にすると嫌悪感に身がすくむ。ガイの足先、くるぶしより下が溶けていた。溶けてはいるのだが、それによって肉体が損傷しているわけではないようだった。むしろ、本来あるべき姿といった不気味な活力に満ちており、その溶けたゼリー状の肉が支流のようにうねりながらタカシの元へと伸びていた。恐ろしいことに、タカシのくるぶしより下も同様に溶けていた。ガイとタカシは、そのゼリー状を媒介にして一つにつながっていたのだ。ただ、これだけは言っておかなくてはいけない。活力に満ちているのはガイであり、みるみる青ざめ、文字通り血の気が引いて行くのがタカシの方なのであった。
うかつだったのだ。カホリに聞いた話、まだカホリが与えたダメージが生きていると思っていたのだ。だが、現にガイはこうして目の前にいる。異形のままの姿で、理解不能な攻撃を仕掛けている。そして未だガイはガイに非ず。獲物を執拗に追い求めるハンターであり、その獲物とは言うまでもないジンケその人であるのだ。だからーーうかつであった。一瞬でも気を緩めるべきではなかったのだ。
「ああああああああ!!!!」
恐怖、そしてどことなく歓喜の情が混ざったような悲鳴をタカシが上げた。
その悲鳴に合わせ、ガイがぷるんと揺れる。まるでプリン。もしくはゼラチン、はたまた寄せ豆腐。
「やめろ」ジンケは言う。その声はボディにくくりつけられた無線機から出る。
「なんだおまえ?」やや、声の主を探るような仕草で再びガイはそう言った。
それはこっちのセリフである。とでも言わんばかりに赤いロボットは立ち上がった。今では動きに不自然さはない。いや、動かなくてはならないという使命感が彼の一挙手一投足をクリアにした。この体でやるしかない。とにかく、この体で立ち向かうしかないのだ。
「ガイ」ジンケは言った。「君はまだ……ガイなのか?」
「あ?」ガイは言った。「なんだ、おまえ」繰り返し繰り返し、そう言った。
その時、「あああああぁぁぁ!!!!」と女のような悲鳴が上がった。それはタカシ。女ではなく、タカシの悲痛な叫び声であった。
ジンケは見た。それが一瞬拡大して、網膜に焼きついた。もちろん厚紙製の頭部に眼球はおろか網膜なども存在もしない。だが、病院で眠る彼の本体、その生身の眼球は、わなないて震えた。ガイによる残酷ショーが進んでいたのだ。タカシは膝より下を失っていた。さながら毒沼、魔界のスープ、ガイとタカシをつなぐ粘液性の水たまりは、さらにその質量を増やしながら赤い血で渦巻いていた。ゆっくりと、余裕さえ感じられるその渦潮、まるで笑っているかのように不敵に、あざとく、真っ暗な海の底から笑いかけていた。
「やめろーー」
言い終える前にジンケは跳びかかった。地面を蹴り、厚紙製の極めて軽い体は宙を舞った。わずかな風圧に半身を捻らせながら、赤いロボットは悪夢の権化へと距離を詰めた。
ぐしゃーー。
手応えはあった。そのすべて重量を乗せた赤いロボットの拳はガイの顔面に命中したのだ。だがジンケは人を殴ったことなどなかった。どうやって殴って良いのかも知らなかった。ただ闇雲に、本能の赴くまま、怒りに任せるままに飛びかかったのだ。到底ダメージなど与えられないことはガラスの理性で承知している。ジンケがその手で製作した赤いロボットは戦闘用ではないのだ。ただのハリボテ、つぎはぎだらけの紙人形なのだから。
しかし、ガムテープでそれなりに強化したロボットの拳が相手の肉を捉えた時、ごくわずかな勝算が見えた。ジンケの拳が捉えた箇所は、鼻の下の前歯の位置、人中と言われる急所なのであった。これならば効くのかもしれない。少しは怯ませることができるのかもしれない。タカシを救う、一筋の光明になるのかもしれない。そう己を鼓舞しながら無我夢中で拳を叩き込んだ。
ぐしゃーー。
という手応えのはずだった。どこでどう入れ替わったのだろう……。
ぐにゃーー。
違和感。標的を破壊する予感があったのだ。破壊しないまでも、反作用の法則でどちらかが弾かれるはず。そのはずだったがーー。
ぐにゃりーー。
予期せぬことが起こった。ガイの頭部を覆う膜、いわば彼の顔面の肉は瞬時にしてその属性を変化させた。個体と液体の中間、まるで豆腐を敷き詰めたプールに飛び込んだかのような感触。ジンケの拳はガイの顔面に飲み込まれたのだ。
途端に悪寒が走った。干渉している。単にガイの顔面に拳がめり込んでいるだけではない。この感覚、忘れもしないこのおぞましい感触……。これは精神の糸が奴に届いた時の感触と同じだ。ジンケを仮死状態に貶めた直接の原因である。近いぞ……。とても近く感じる。絶え間ない暗黒の情報と共に、奴の吐息が、僕の耳元で、まるでささやくようにーー。
〈Dcfvjんmklおkんsjkんhヘヴァギjyのwsr8………!!!!!〉
たまらずジンケはのけぞった。全神経の反射。魂の拒絶。圧倒的な同磁極!
何だ!? 何が聞こえた……? 確かに、声が……奴の声が聞こえた。だが、それは音ではなかった。押し潰されるような海の底、果てのない暗黒宇宙で生み出される悪寒のようなものであった。
「ひでえ味だな」ガイが言った。
咀嚼していた。そしてペッと吐き出したのは拳。赤いロボットの拳である。
鈍い痛みが右腕を貫いた。霊にも痛みはあったのだ。だが我慢できないほどではない。それに、吐き出された拳の中には霊の拳もあった。厚紙製の拳は諦める他ないが、霊の拳ならきっと回収できる。一心に念じればおそらく戻ってくるだろう。これくらいのダメージは、霊にとってはどうということはないのだ。さあ、拳よ、戻ってこいーー。
次の瞬間、赤いロボットは真上に吹っ飛んだ。まるで自動車に跳ねられたかのような吹っ飛び方だった。ジンケは一度交通事故を目撃したことがあった。一人の老人が道路を横断していた。横断歩道などない、極めて危険な曲がり角の道路だ。老人は危険など露知らずという様子で亀のような歩調で歩いていた。一台の車が近づいてきた。あっけなく、まるで冗談でも言うように車は老人を跳ねた。老人は真上に飛んだ。まるでトランポリンで遊んでいるかのように、ポーンと上に跳んだ。そして同じ速度で落ちてきた。てっきり、片足で華麗に着地するような予感がしていた。だが老人は頭から落ちた。アスファルトと頭蓋骨をこすり合わせた嫌な音でジンケは事の重大さに気づいた。老人は車に跳ねられたのだ。すぐに運転手が飛び出して来て老人を介抱した。他にも、どこからともなくアリのように人が湧き、あらゆる手を使って人命救助に取り組んだ。その人ごみで老人は見えなくなった。血が出ているのかまでは確認できなかった。今まさに、ジンケは跳ねられたのだ。あの日の老人と同じように、真上にポーンと吹っ飛んだのだ。




