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課外授業

 男子は再びハッセの公団住宅へ、そして女子はカホリの家で待機ということになった。

 二人の女子がカホリの自宅である小林邸へ到着した時、背後で自動車のエンジン音が近づいて止まった。その激しい空気圧のクレッシェンドは、二人の背筋を震え上がらせるほどだった。

 振り返ると、そんな音には不釣り合いなコンパクトカーが停まっていた。フロントガラスの中には見知った顔、つい二時間ほど前にも会った、男女の教師であった。

 教師たちは神妙な面持ちで車を降りて来た。二人の少女が咄嗟に感じたのは、補導されるのかもしれない、ということだった。だが、後部座席から降りた男性の顔を見て、事態はそれよりも複雑な展開へと進み出しているのだと察した。その男性とは、ジンケの父親だった。

「カホリちゃん」小走りで近寄りながら女の方の教師が言った。「話があるのーー」

 二人の少女は身をこわばらせた。どうしてか、まるで双子のようだった。


 家に上げるわけにはいかない。反射的にそう考えた。いくら教師だからと言って、両親の留守中に家に上がろうとはしないだろう。だが、心のどこかでそれを望んでいる面もあった。先ほど交わした少年たちの誓いだけでは物足りない。圧倒的に心細い。そう、特に女子は大人の保護を執拗に求める。だからカホリは家に招いた。最近はやけに客が多い。親がいない時に限って、普段では考え難い顔ぶれ。これは一体なんなのだろう……。変化とは、無謀で無慈悲だ。第二次性徴と結託して、いらぬ変化まで徒党を組んで押し寄せる。今はそういう時期なのだろうか。

 かくして、小林邸の応接間には即興の三者面談が出来上がった。カホリと対峙して二人の教師。ソファの配置の関係でやや左隣にジンケの父親が座ったので格別にそう見えた。実父よりも随分と若く見えるこの父親は一見頼りなく見えるが、その分限りなく優しかった。ジンケ少年はちゃんと父親の遺伝子を継いでいたのだ。ある種の正義感がたまたま人の皮を被っている、父子からはそんな印象を受けた。

 カホリは紅茶を入れた。川上恵子教諭が手伝った。やけに長いトイレから帰ってきたヨリコを迎えて、五つのティーカップが五輪さながらの開幕を告げた。カホリはただ聞くことにした。ヨリコも口をつぐんだままだった。当たり前だ。世にある一切の非行には身に覚えがなかったのだから。


 先手、川上恵子。

「先生聞こえたの、カホリちゃんの声が……。ごめんね。気づくのが遅くて。怖かったでしょう。あの、ガイっていう子に怖いことされたんでしょう? お願いだから、話してみて」

 後手、カホリ。一瞬口を開きかけるが、思い出したかのように右隣のヨリコと視線を交わす。やはり双子めいたパルス状の意思疎通が行われ、すぐさま早口で言葉をつむぐ。

「いいえ。なんのことかわかりません」

 教師は察した。恵子よりも木村の方が強く察した。それが見当違いだとしても、確信的にそう察した。ここに男はいない方がいいのだ。彼女たちは思春期である。中学生の男女の揉め事には、それぞれ同性の指導者が必要なのだ。それがたとえ、UFOに誘拐されたようなオカルト体験であったとしても、同性同士の連帯感が、その恐怖をやわらげてくれるはずなのだ。

 木村が席を立とうとしたその時、ふいに達郎が言った。

「僕らも見たんだよ。だから、安心していいんだ」

 限りなく第三者的な声だった。そして優しかった。優しさの底には強さがあった。助けを求める者には絶対の守護を、去る者には無条件の保護を申し出る王者の声だった。そして達郎は立ち上がった。木村が感じていたのと同様に、最終的には女性同士のカウンセリングを尊重したのだ。

「わかりました」ヨリコが言った。

 ヨリコの凜とした声色に、達郎と木村は動きを止めた。この、今まで頑なに口をつぐんでいた細目の女の子が、実は双子の本体だったのではないか、などという馬鹿げた考えが頭に浮かんだ。それほど声に重みがあった。言ってみれば、カホリは花で、ヨリコは根だった。

「ジンケ君のお父さんも、木村先生もここにいてください」ヨリコは言った。「お話しします。あたし達が巻き込まれた事件についてーー」

 大人たちは、この年端の行かない語り部の声に耳を傾けた。そしてすぐに引き込まれた。にわかには信じられない話だったが、まさに心の奥底で求めていたのは、この手の類の話だった。


「ーー以上です」ヨリコが言った。

 〈嘘は言っていないーー〉隣で聞いていたカホリは思った。だが、ヨリコの話には感情がなかった。ただ、事実を淡々と述べているだけだった。だから、おそらく、大人たちには〈嘘を言っているーー〉ように聞こえるのだと思った。きっとヨリコは賭けに出たのだろう。この大人たちは何らかの異変に気がついたのだ。特に音楽教諭の川上恵子。彼女には何か特別なシンパシーを感じる。きっと、カホリ同様、ある種の《覚醒》を経験したのかもしれないし、元々感の強い性質なのかもしれない。だからヨリコは打って出た。これを嘘だと決めつけるのならばそれで構わない。好都合だとも言える。もし、私たちの話を全面的に信じてくれて、協力してくれるのならば、それはもっと好都合である。男子たちはどう言うかわからないが、私たちにはもっと大人の保護が必要なのだ。まだまだ手をかけてもらう必要があるのだ。そうカホリは考えた。

「信じるわ」と恵子が言った。

 二つに一つの回答だったが、それでもカホリは驚いた。

「先生も信じるからな」と木村が言った。

 これには真実味がなかった。だがそう驚くことではない。男というものは、子どもも大人も大差ない。自分がわからないことは、さもわかった風を装いながら、他人に委ねるのだ。思考が単純。古来、狩る以外は能がないのだろう。

「正直言うと、混乱するよ」と達郎が言った。「でも、君が嘘をついているとは思えない。だから信じるというわけではないんだけど、やっぱり僕自身、そう思っていたんだろうな」

 正直な感想だと思った。この的を得ない、回りくどい言い方は、息子であるジンケによく似ていた。不器用だけど、信頼できる人だとカホリは感じた。

「じゃあ今度は私たちが話す番ね」恵子が言った。

 だが話し始めたのはジンケの父だった。町の歴史に関する話でカホリにもヨリコにもぴんと来なかったが(実際に社会科教師の木村がいるせいもあって、まるで課外授業に来ているような錯覚を覚えた)、話がようやく現代に追いついた頃、どうやら他人事ではないのだとわかった。彼らが追っているのはカホリの祖父だったのだ。


 祖父は施設に入っている。端的に言えばボケている。だが、しっかりしている時もある。特に正月が近づくと、祖父は祖父らしく威厳を取り戻す。きっと、よほど正月が好きだったのだろう。正月の一時帰宅は、家族が全員揃う瞬間。でも今年の正月は戻って来ない。大学生の兄も下宿先から帰って来ない。それもこれも、町がおかしいせいだ。それに気づいた父が、町を隔離しているせいだ。

「山の方はもう雪が積もっているのですね」達郎がガラス越しの景色に向かって言った。

 車の中は狭い。

 助手席には木村。後部座席右側には達郎、左側にはカホリ、真ん中には一番小柄なヨリコ。小柄と言っても、カホリに比べれば、ということだ。カホリは運転席でハンドルを握る恵子よりも上背は高い。女性特有のふくよかさが欠けているせいでぎすぎすして見えるが、カホリもヨリコもほぼ成人女性の体格と言っても良い。だからコンパクトカーの中は狭かった。定員いっぱい、エンジンは悲鳴を上げていた。

 車はわずかな峠を越えた後、田園風景を突っ切る直線道路に出る。両側には果てしない牧草地帯。うっすらと雪が積もり、牛の姿はほとんど見えない。それでも数頭の牛が積み上げられたロールを食んでいる。

「寒くないのかな、牛は」木村が独りごちる。

「ホルスタインって、寒さにはめっぽう強いんですよ」後ろから達郎が答える。

「どうしてですか?」木村が聞く。

「体温高いですから。欧米人って冬でも半袖に短パンじゃないですか。それと一緒ですよ」

「ふふふ」と運転席の恵子が笑う。ほんの少しハンドルがぶれる。

 一同は港とは反対方向の山間部へと向かっている。標高は高く、酪農を主体としている隣村。港町が〈海〉なら、こちらは〈山〉と区別され、山の人間は海の人間に比べておおらかでのんびりとした気性だと言われている。

「環境は良いですよね」木村が言った。「でも冬は厳しそうだな。きっと、朝晩の乳搾り以外は家の中でぬくぬくしているんでしょうね。そういう生活もいいな」

「守られている感じがしますよね」達郎が答える。「木村先生の言い方を借りると、海は人に恵みを与え、そして死をもたらしますよね。そりゃあ山だって危険極まりない場合もありますが、そこまで荒ぶる感じでもない。山は穏やかで、どこか無関心なんです」

「また始まった」恵子が口を挟む。「この二人、こんな話ばっかりしてるのよ。せっかく女の子が三人もいるって言うのに、もっと気の効いたお話できないのかしらねえ」

 思わずカホリは笑ってしまう。

 ヨリコはと言えば、笑い声こそ出さないが、下を向いて唇を噛んでいる。

「女の子、ねえ」と木村が横目を飛ばす。

 車内は温まった笑いで満たされる。

「そこ、左です」ふいにカホリが言う。

「え……あ……」と恵子がハンドルを切る。

 標識も何もない脇道だ。誰もがトラクター用の農道だと思うような悪路に車は乗り入れた。

「すごい道ね」恵子は言う。タイヤが弾む。

「そうなんです」カホリは答える。「元々牧場があった土地に施設を作ったって聞きました」

「ああ、牛の匂いがする」木村が言った。

「ここにはもう牛はいないですけどね」カホリが答える。

「きっと、周りの牧場の匂いが風で運ばれて来るんだね」達郎が言う。

「そうだと思います」カホリが答える。

 起伏のなだらかな砂利道を進むとやがて施設の看板が見える。確かに牧場のものではない。『ふれあい』とか『やすらぎ』とかそのような類いの単語から始まり最後は『苑』で締めくくられる。看板が風化しているせいもあるのだが、カホリ以外、正しい施設の呼び名を認識できなかった。どこか人目を避けるような雰囲気が視界と記憶に霞をかけたのかもしれない。

 やがて車は止まった。駐車場らしさなど微塵もなく、そこは打ち捨てられた芝地であった。五人が外へ出ると、やはり牛の匂いがつんと鼻を刺した。だがここには牛はいなかった。いるのはおそらく老人だけであった。

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