赤いロボット
「わあすごい」と言いながら、思春期の少女特有のはにかむような照れを伴い、何か泣き腫らしたような憂いの目を投げかけるカホリは、ただただ可憐だった。このホビット族さながらの山小屋には似つかわしくない出で立ち。まさにエルフ。森のエルフの野生美、上のエルフの高貴さ、角度によって二つの表情が垣間見える。事実、カホリの顔立ちにはどこか西洋的、いや、中東、もしくはギリシャ的な艶やかさが見て取れる。見る者に少しでも人類学の心得があれば、神話的な血統を想起させて止まないだろう。
続いてヨリコが入ってきた。このモンゴリアンの申し子とも云うべき純和風娘の顔を見ると少年たちは不思議と安堵するのだった。きっと同族のよしみ。血族の馴れ合い。そんな郷愁に満たされるのであろう。
ヨリコはめいめいを指折りかぞえる。
「あと二人は?」ヨリコが聞く。
「ハッセとガイは捕まらなかった」スグルが答える。
「ガイは……」カホリが消えそうな声でつぶやく。
「ガイはね」ヨリコが悠然と引き継ぐ。「捕まっちゃったのよ。あいつに……。今は取り憑かれてるみたいな状態だって」
スグルとタカシは怪訝な顔。ナオユキだけがその言葉の意味をゆっくりとだが飲み下す。簡単に言ってくれたが恐ろしいことだ。捕まった? 取り憑かれた? あいつに……!?
その間、皆は席に着く。切り株や木箱など、あり合わせの椅子だが、きちんと角にはやすりが当てられ、座り心地は悪くない。室内も暖かく、一見、トランプでも始まりそうなムードが漂う。
するとタカシがおもむろに赤いロボットを持ち出し、空いた椅子に座らせる。
「全く世話が焼けるぜジンケちゃんは」とタカシはおどけながら言う。
「それなあに?」カホリが聞く。
「残りのメンバーは」スグルが言う。「ガイとハッセと、そしてジンケなんだ」
「それで?」カホリ、わからない。
「で、これがジンケだ」とスグルは赤いロボットを指す。
と、タカシが笑い出す。これではちっともまとまらない。子どもたちにありがちな興奮と混沌がむくむくと泡を立てる状態。誰かが仕切らなければいけない。どうやらスグルには荷が重いようだ。消去法で行くとヨリコがやるしかない。あまり気は進まないが、やるしかない。
ヨリコがそう決意した時だった。暖まった室内に一筋の風が吹いた。すきま風の類でないことは明らかだった。少年少女にはそれがわかったのだ。その胸を射抜くような冷気を感じた瞬間、この場にいる全員が一本の糸でつながれたような感覚に襲われた。冷気が皆を一瞬にしてまとめたのだ。
それぞれの視線は赤いロボットへ集まる。それがごく自然の動作で、ほとんど反射的な反応だった。冷気はそこに収まったのだから……。
「ヤヤヤ……ヤア……ヨヨヨ……ヨクアツマッテクレタネ……」
赤いロボットは喋ったーー。
とは言え、一言目を聞き取れたのはスグルとヨリコのみ。他のメンバーは赤いロボットの、まさにロボットダンスめいた突飛な動きと、まるで体内に無数の蜂を閉じ込めたかのような耳を弄する雑音に、ただただ唖然とするばかりだった。
「思ったんだけどさーー」スグルが言った。「こうすればどう? ジンケ、ちょっとやってみてくれる?」
スグルはさも私物のように首からぶら下げる無線機を外し、赤いロボットの唯一の金属部である顎の留め金を銅線で結んだ。銅線はどこから取り出した? 無線機はいつ分解した? などという疑問はスグルには愚問である。彼はいつだって携帯工具をポケットに忍ばせ、機械と見れば凄腕の金庫破りのように分解せずにはいられないのだ。
やってみてくれる? と頼まれたジンケだったが、とにかくやってみることにした。スグルの意図は理解している。無線機のスピーカーから声が出るようにイメージすれば良いのだ。
「あーあー、聞こえますか、僕はジンケだ、どーぞ」
「おお!」スグルが歓声を上げた。
タカシもそれに調子を合わせた。上気した頬は興奮のせいなのか熱のせいなのか、もはや見分けがつかない。
カホリはさほど驚かなかった。むしろ感動に近いものを覚えていた。ついさっきのことだ。幽体であるジンケに確かにこの手で触れた。頭で理解するよりも先に体で理解した。身体を飛び出してしまったジンケはどこかかわいそうに思えた。指先で触れているはずなのに、ずっと遠くに感じたのだ。それが今、物質として存在している。滑稽な姿ではあるが、彼はどこか自信に溢れている。きっと大変な努力をしたに違いない。褒めてあげたい。深く労ってあげたい。なぜだろう、奉仕の気持ちが次々と湧いてくるのだった。
一番驚いたのはナオユキかもしれない。もうここまで来れば何でもありだ。何が起こってもおかしくはない。そう腹を括っていたつもりだった。だが、いちいちうつけのように反応してしまう。自分の中の有識者が「そんなはずはない」と否定する。五感全てが認めているのに、あらゆる錯覚を疑ってしまうのだ。
冷静になれ。ふと我に立ち返ると、これは集団催眠の一つなのではないかと考えている自分がいる。そうだ、どこかで聞いたことがある。これは中世ヨーロッパで広く行われていた降霊術に状況が似ているのではないか? 当時、神秘学は立派な科学だった。しかし、時代と共にそれが用意周到なイリュージョンだと暴露された。もしこれがそうなのだとすると、裏で糸を引いているのは誰だ? ジンケなのか? いや、ジンケはただの演者という可能性もある。仕掛け人は一番怪しくない人物というのが世の常だ。ならばスグルか? ヨリコか? まさかカホリ……!? しかしそれではあまりに荒唐無稽。冷静さが筋道を失わせている。もう一度理性を捨てろ。ナオユキが経験した悪夢のような出来事は紛れもない現実だった。この世には理解を超えた存在がいる。ナオユキが海で対決した、あの化け物のようなやつが確実に存在しているのだ。ならば、この場にも理解不能な元締めがいるのではないか? それがジンケだとは思はない。あくまで直感だが、ジンケはただ、それらの影響を深く受けているような気がする。何か臭う。俺たちの他に、何かが裏で手ぐすねを引いている。
ナオユキが冷静と直感の狭間で、何とか納得できそうな答えをひねり出したと同時に、赤いロボットが聞き覚えのある声を発した。
「ありがとう。とても話しやすくなった」ジンケの声だった。「これは誰の無線機?」
「ユキちんのさ」スグルが答えた。「ちゃんと人数分あるんだぜ」
「すごいね。さすがだ」赤いロボットが言う。
そう言われたナオユキはバツが悪そうにうつむく。
「で、何だよ! 何がどうなってるのさ!」タカシが興奮気味に言う。
赤いロボットは演説台に立つ候補者のようにゆっくりと視線を集める。
「僕は今、入院している」ジンケは言った。「それはヨリコとカホリが証明してくれるはずだよ」
「ええ、間違いないわ」ヨリコが言う。
「私も、今日見てきたから」カホリも続けて言う。
「じゃあどうしてーー」ナオユキが口を挟む。「これは……いや、なんでこんな……」と言葉が続かない自分に半ば呆れはて、「すまん、なんでもない」と口を閉ざす。
「いいんだ」ジンケが言う。「驚いて当然だよ。僕がこうなってしまったのは、昨日の事件があったからなんだ。僕は見ていた。ナオユキたちと一緒にいたんだ……」
ジンケは話して聞かせた。日中は瞑想術、深夜は幽体離脱、というように普段から肉体と精神を分かつ行為を繰り返していたこと。そして、あの日も深い瞑想状態で精神を開放していたこと。そして船着場に異変を感じ、向かった先にナオユキたちがいたこと。そして未知の存在に遭遇し、死力を尽くした戦ったこと……。
「じゃあ、お前が助けてくれたのか!?」飛びつくようにナオユキは言った。
「助けたとは言えないよ」ジンケが答えた。「僕も必死だった。無我夢中だったんだ。とにかく何かしなきゃと思って三人の中に入った。そしたら、あんなにすごい力が出た。僕が助けてもらったようなものさ。みんな、お互いが助け合ったんだと思う」
ナオユキは思った。確かに自分でも理解不能な力が湧いた。あんな真似は、やれと言われてもできない。10kgはあろうかというコンクリートの塊を、100メートル近くも遠投したのだ。人間の限界を超えているのは明らかだ。それにあの時の感覚。言葉では言い表せそうにない。まるで例えようのない感覚なのだ。その場にいた三人とも、何か別の存在を感じていた。お互いを包み込み、一つにまとめ上げようとする意志のようなものだ。思えばあれがジンケだった。肉体から離れ、人知れず精神世界で戯れるジンケという少年だったのだ。
「ジンケ!」急にタカシが叫んだ。「ありがとな! 俺もあの場にいたんだ。すごかった……怖かったけどすごかったよな! 俺たち、すげえやばかったけど、誰にも負けない気持ちだった!」
「そうだな……」ナオユキが同意する。「俺からも礼を言うよ」
「もう一人は、ハッセだね」ジンケが言う。
「ああ」ナオユキが答える。「留守だったよ。帰りにまた寄ってみる」
「うん」ジンケがうなずく。「とりあえず、この六人で始めてみよう」
それぞれの心に、神妙で親密な空気が流れる。この六人。おそらく彼らが巻き込まれた奇想天外な計画にはまだ足りない人数なのだが、この六人、どこかかけがえのない、家族以上の関係に思えた。
「まあ、一服でもしようや」ナオユキがそう言い、無線機のバッグからポットを取り出した。茶菓子も覗いている。
人数分の紙コップにコーヒーを注ぐと、熱い湯気が立ち昇る。同い年とは思えない美丈夫が淹れるコーヒーは格別美味そうに見えた。
するとカホリがどんと紙袋を置き、「パン、マエダのパン」と言った。
早速タカシが手に取ると、それはらせん状にねじれたドーナツ。
「ねじりパンだ!」タカシがそう叫び、
「ジンケくんはごめんだけど」カホリがそうつぶやき、
それぞれの前に熱いコーヒーとねじりパンが行き渡る。
赤いロボットを中心に、まるでかの有名な『最後の晩餐』を再現したかのような一場面。もちろん彼らの始まったばかりの人生には、まだ宗教などが立ち入る隙などない。しかし、この瞬間は崇高であった。友愛であった。光明が溢れていたーー。
彼は、皆が熱い湯をすすり、固く揚げたパンを齧っているのを見ているだけで幸せな気分になった。喉の渇きも、鼻腔の寂しさも、舌の好奇心も存在しない。友の笑顔のみが彼のご馳走となったのだ。ただ、幸福であればあるほど、心の中の一点の虚無が風にさらされた生傷のようにひりひりと痛んだ。それはおやつにありつけない悔しさなどではない。種を分かち、決して共有できない感性の在り方、つまり、ジンケと彼らの幸福とは、別次元、平行世界、永遠に交わらない合わせ鏡のようなものであった。




