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再結成

 スグルのその後は目まぐるしいものだった。赤いロボットに憑依した親友との奇跡的再会の後、一度家に戻り早めの昼食を胃に詰め込んだ。キッチンに置かれたままラップのかかったおかずを味のわからぬまま口に入れ、ろくに噛みもせずに飲み込む。そのラップで白むすびをこしらえ、誰にも会わなかったので書き置きを残した。「夕方まで帰りません。スグル」。近頃では次男が末弟の面倒を見てくれる。長兄はこうして長い任務から解かれ、少しずつ人権を取り戻す。思えば弟二人の世話は大変だった。精神的にも肉体的にもかなり追い込まれた。もちろん楽しかった。もし二人が存在しなかったらと思うと、絶望の淵に突き落とされるような気持ちになる。だからこそ、兄としての一つの節目を迎えられたと思えば、ある意味第二の人生がスタートするという爽やかな期待に胸が踊るのだ。

 ラップに包んだ白むすびをかじりながらガイの家に向かった。まだ口の中に詰め込んだおかずが残っていて、噛むほどに冷たい飯に味が染み込んでうまかった。ガイは留守だった。おふくろさんに聞くと「あら惜しいわね。ちょうど出かけたところ」ということだった。おふくろさんに礼を言うと、ジンケが入院したと知らされた。この家は一体どうなっているのだろう。あらゆる噂を無制限に傍受できるアンテナでも搭載しているのだろうか。「そうらしいですね」と曖昧な返事をして場を後にした。おふくろさんはまだ十分に話し足りないという顔をしていた。

 となるとガイはスクープを持って各クラスメイトの家を回っているのかもしれない。スグルの家にもきっと寄るだろう。少し立ち止まって考える。先手を打つか……。少々癪だが、もう一度家に戻ろう。

 来た道をなぞるように戻り、再び自宅の敷居をまたぐ。そして今度は玄関に書き置きを残す。

「ガイへ。13時、チャシ」

 チャシとは先住民の言葉で砦を指す。他にも城や集会所や大きな家を意味する。スグルたちの言葉で訳すと秘密基地となる。先住民の言葉にはガイが詳しい。どうやら血が混ざっているらしい。あくまで本人曰くだが。

 その足で次はナオユキの家に向かった。


 こうして訪れるのは三年ぶりだ。ジンケとつるむようになる前は、よくナオユキと遊んだ。当時はスグルの方が背が高く、どちらかと言えば立場は逆で、ナオユキは今とは違いひょうきんなキャラクターだったと記憶している。それが今や札付きのアウトロー。昔の言い方だと裏番長というところか。というイメージが強いが、実際は表立った不良行為などなく、文武両道な極めて優秀な男。だが、優秀すぎる故に少々人を蔑む気質がある。そこがスグルとは折り合いがつかず、二人の距離はだんだんと離れて行った。しかし仲が悪いわけではない。ただ、二人きりで会うには甘酸っぱいような気恥ずかしさに耐えなければいけない、というだけである。

 チャイムを押すとナオユキ本人が玄関口に現れた。

「おう」スグルは少し顔を見上げて言う。この男、また背が伸びたか?

「珍しいな」ナオユキが言う。

「ああ、元気か?」

「まあまあだな」

 そう答えるナオユキの顔は妙にこわばって見える。彫りの深い顔立ちはお世辞抜きで端正なものだがスグルと同い年とは思えない。悪く言えば老けているのだ。いつからこんなに年が離れたのだろう。スグルは不思議な寂しさに胸を痛める。

「実はさ」とスグルは切り出す。「ちょっと説明しづらいんだけど、信じられないような事が起こってさ。俺もよく理解できてないからどう説明していいかわからないんだけど、聞いてくれるか……?」

「何言ってるかわからねえよ」ナオユキは答える。

 怒らせたか? スグルはナオユキの顔色を伺うが、その表情には懐っこい笑みが広がる。

「まあ、上がれよ」ナオユキは言う。

 斜に構えて中へと誘うナオユキの立ち姿はまるで阿吽の金剛力士像。そびえるような怒り肩と、激憤がそのまま凍りついたような輪郭が圧倒的な威圧感を強調する。しかし、その眼差しは気味が悪いほど穏やか。怒りと憂いが同居し、互いの均衡を保つ。その鬼神のような佇まいが緊張感を伴った安心感をスグルの与えるのだ。

「お邪魔します」スグルは家の中に入った。


 下足場の壁には引き伸ばした写真が飾られている。きっと親父さんが撮ったものだろう。額の中には海が広がっていた。見慣れた内湾の景色だが、内湾と外湾を隔てる町のシンボルである大橋の位置が興味深い。これはどこから撮ったのだろう? このように橋が見える位置は……海上? まさか、内湾の中央に鎮座まします弁天島から撮ったのではあるまいかーー。

「おい」

 既にナオユキは二階への階段を上がり切っていた。スグルは靴すら脱いでいない。あわてて後を追い、階段で足を滑らせ、「だいじょうぶか?」と笑われた。

 ナオユキの部屋に入り、まず目を引いたのが灰皿だった。匂いも篭っている。灰皿はクリスタルカットされたガラス製のもので、人を殴り殺せそうなほど大きい。こんもりと溜まった吸い殻がミニチュアの狼煙のように燻った白煙を上げる。たちまち鼻の血管が酸欠を訴える。やはり、こういうのは気に食わない。


「吸い過ぎじゃないか?」スグルに言われた。

 わかっている。吸い過ぎなんてレベルじゃない。きっとこの部屋、匂うだろうな。もう鼻も効かなくなってきた。体の芯までニコチンまみれだ。俺だって吸いたくて吸ってるわけじゃない。何かでごまかさないと、昨日船着場で見た悪夢がよみがえる。寝ても覚めても、あの光景が脳裏につきまとって消えない。ここに酒があれば飲むだろうし、シンナーだろうがハッパだろうが、あれば飛びついて吸ってやる。ただ、今はタバコの蓄えが余分にあった、というだけのことだ。こんなもの本当は旨くも何ともない。それに、吸ったって何も解決しない。吸えば吸うほど、煙の中に悪夢が再生される。結局、煙に巻いているだけなのだ。多少ぼんやりするだけで、悪夢は終わらずリフレインする。誰か……打ち明けたい。信用のおける人間に、何から何までぶちまけてしまいたい。そこにお前が来たーー。

 ナオユキは突然の訪問者の顔をまじまじと見た。近頃はめっきり話さなくなったが、かつての親友、竹馬の友だ。思えばスグルとつるんでいた頃、一日を遊び色の絵の具で塗りつぶさなくては気が済まない日々だった。生涯で一番楽しいと思えた時代。あんなに夢中になれる日々は今後訪れることはないだろう。社会的な重圧もなければ、異性に気を惹かれることもなかったのだから。心は一つの飴玉だった。それが今や、溶けて、砕けて、バラバラだ。

「親父さんは許しているのか?」スグルが聞いた。

「許しちゃいないが、禁止もしてない」ナオユキは答えた。

「ほどほどにな」スグルは言った。

 その言葉、痛いほど心に染みる。そうだ、お前は当たり前のことを当たり前に言える男。そんなお前に引け目を感じていたことは事実。だから距離を置いた。反発こそしなかったが、俺は俺なりに反抗したんだ。お前とは違うということを見せつけたかった。だけど、もう十分なのかもしれない。もう戻っても良い時期なのかもしれない。このままねじれたまま進むか、ここでねじれを正すのか……わかっている。ほどほどなんかじゃだめなんだ。

「もうやめたよ」

 ナオユキはそう言って灰皿を手に取った。まだ燻っていたが構わず中身をゴミ箱に開ける。そして封を切ったタバコの箱からストックしてる新品まで全部まとめてゴミ箱に捨てる。そのままベランダの窓を全開にし、ゴミ箱の外に出す。たちまち冷気が部屋に満ちる。その冷たい風の中にお互いの言葉を探す。風はあの頃と同じ匂いがする。ふいに記憶がよみがえった。よく二人でテレビゲームをした。戦争もののアクションゲームで、何度も同じ場面でゲームオーバーになった。結局、クリアーしたのだろうか……?

「ゲームでもするか?」ナオユキは思わず聞いた。

「いや、さっき言ったように、ちょっと信じられない話がーー」

「冗談だよ」ナオユキは言った。幼稚な感傷に笑いがこみ上げる。「さあ、話してくれ」

「ああ。でも何から話せば良いかな」スグルは続ける。「あ、その前に、最近変なことはなかったか?」

 少し考えて「ない」

「ハッセとタカシは?」スグルは聞く。

 ーーナオユキは動かぬまま口を固く結ぶ。

「何かあったな」

「ない」反射的にそう答えてしまう。「あいつらにも会っていないし、非常に退屈な冬休みだと言える」

「じゃあ、ガイには会ったか?」

「昨日来たよ」とナオユキ。

「じゃあ聞いたよな、あの事件の妙な噂、みーー」

 急に言葉が詰まった。喉元まで来ているのに、その先が出ない。どう発音していたかもよくわからなくなった。「み……」わかっている。水色の子どもだ。誰が名づけたか知らないが、水色の子どもとスグルは言いたいのだ。だが出ない。まるで催眠術にでもかけられてかのように、発語を支配されている。

「どうした? だいじょうぶか」ナオユキが言う。

「ガイさ、海の化け物のことなんて言ってた?」スグルが問う。

「みーー」ナオユキ、言葉が出ない。

 一緒だ。それだけで十分だった。それだけで互いは通じたのだ。ナオユキも知らぬフリをしている場合ではないと悟った。何かが影響している。既に何かが始まっている。スグルもナオユキも、その何かに巻き込まれてしまっている。ナオユキは見たのだ。ガイが言っていた水色の子どもを……あの醜悪なゲル状の化け物を! だから恐怖はひとしおだ。だが、ナオユキは地の底から突き上げるような怒りも同時に感じた。そして目の前のかつての親友が背中を押してくれるような気がした。ナオユキは、この挑戦を受けて立つことにした。声が出せないのならば、意地を貫き、喉が破裂してでも出すまでだ。別の方法なんてない。真っ向から勝負してやる。

「み……み……」ナオユキはガクガクと震えた。冷や汗が顎を伝い、キーンと脳天を貫く耳鳴りがした。負けてたまるか。拳で太ももを殴り、雑念を振り払う。

「みず……」ナオユキは声を絞り出し、

「……いろの……」それをスグルが引き継ぎ、

「…………こどもだ!」二人同時に吐き出した。

 疲労がどっと溢れ出す。二人とも肩で息をしていた。まるでマラソンの直後、しかも全力疾走。心臓が変拍子のドラムを叩き、めまいと吐き気で大地が歪む。

 スグルはわけがわからないでいた。こんな経験は今までにない。言葉が出ないだなんて、まだ若いのに、脳梗塞の前兆なのか? いや、そうではない。その証拠がナオユキだ。この不可思議な現象はスグルとナオユキが同時に経験し、かつ共有したものなのだ。

「そのことだ……」スグルは言う。「まさにそいつの話だよ。ガイが言っていたこと、海に化け物が出た話、それは全部本当のことで、俺もナオユキも巻き込まれている」

「俺が?」とナオユキは答えたが、笑いたくなるくらい理解できた。

「うん。他にも何人かいる」スグルは続ける。「まずはジンケ。どうやらジンケが中心人物みたいなんだ。それとガイにハッセにタカシ。それからヨリコとカホリ」

 カホリ? その名を耳にした途端、他のことは忘れた。カホリ……。スグルは何を言っているのだろう。どうしてカホリの名が……。なんだと言うのだ。スグル、お前は何を言っている?

「みんなで集まる必要があるって、そうジンケが言ってるんだ。俺にもよくわからないんだけど、ジンケが言うにはさ、俺たちにしかできないことだって」

「……信じるか?」ナオユキが言った。

「え? あ……ああ、信じるよ。ジンケの言うことは信じる。あの人はちょっと変わってるかもしれないけど、信じる」

「……違う」ナオユキは言う。声が震えている。体全体も凍えるように震えている。ナオユキらしからぬ、震え方だ。「俺の話だ……なあ、俺の話……信じるか……!」

 スグルは唖然とした。と同時に彼が言わんとしてることを、ある意味悟った。この感じ……経験者だ。声も形も状況も違うが、ジンケと同じ圧倒的な説得力が迫る。ナオユキは、何かを経験している。ひょっとして何も知らないの、俺だけ?

「信じる」とスグルは答えた。

「会ったんだ」食らいつくようにナオユキは言う。「あいつに……その、み……なんとかって化け物にさ……俺と……ハッセとタカシで、あいつに会ったんだ! あいつは、その……やばかった……とんでもなくやばかった! あんなのおかしい……ありえねえよ……あんなやつ、どっから来やがった! ちくしょう……だめなんだよ、あんなやつは……ちくしょう、絶対に……絶対に……だめなんだよ!」

 ナオユキの右腕が痙攣を起こす。この腕であいつに向かって思いっきり投げてやった。だけど、あいつはそんなのとは比べ物にならないパワーで投げ返して来た。ちくしょう……あんな力、ちくしょう……ちくしょう!

「ユキちん!」スグルが叫んだ。そしてナオユキの右腕を羽交い締めにした。すでに一本釣りのブリのように激しくのたうっていた右腕は嘘のように止まった。

 「ユキちん」なんて呼ばれたのは何年ぶりだろう。張り詰めていた心が静まる。全身のこわばりは消えて、十分に沐浴した後のような清浄で穏やかな状態が訪れる。ユキちん……女みたいだからやめろって言ったっけな。せめて「ナオちん」だろうと。順番的に「ナオ」を優先させるのが普通だろう。でもスグルは「ユキちん」と呼び続けた。そうだ……今でもスグルは変わらないんだ。俺がそう呼ばせたくなかった。だから距離を置いた。つるむのをやめた。「ユキちんはユキちんだろ」ってスグルは言ったっけ。だけど俺は「ユキちん」を拒否した。何か別のものになりたかった。でも結局ここに戻って来る。スグルの前では偽れない。ナオユキはどこまでも「ユキちん」のままなのだ。

「信じるさ」スグルは言った。「俺の周りでもおかしなことが起きてる。ざっと説明すると、ジンケが幽霊になった。だけどちゃんと生きてる。入院してるんだ。今は赤いロボットに入って、なんとか俺たちと話ができる。俺たちのたちってヨリコのことだけど、あいつ本当に霊が見えるんだ。見えるし、話もできるみたい。そんでもって、ジンケもヨリコもある特定の人物でつながってるみたいなんだ。二人はあの人って呼ぶんだけど、俺にはさっぱりわからない。俺だけが何もないんだよ。ここまで来ると、俺が普通じゃないみたいに感じる。壮大なドッキリかなって、思いたくもなるよ」

 ナオユキはぽかんと口を開けて、閉じて、また開ける。

「オーケー?」スグルは聞く。

「あ……ああ」ナオユキは頷く。

「じゃあ、早速ハッセとタカシを捕まえよう。午後には全員集合したいからな」

「一筋縄では行かなそうだな」

「どうして?」

「あいつら相当びびってる。正直言うと俺もだけどな」

「だいじょうぶ。ジンケは頼りになるよ」

「……そうだな」

 ナオユキは自然とそう感じた。ジンケはチビで寝癖だらけの冴えない男だが、見方を変えれば価値観を反転させた世捨て人のように感じることがる。聖者と愚者の境界を縄張りとし、富も世俗も超越した地点に、その揺るぎない眼差しを注ぐ。負ける要素など一つもないが、ジンケとだけは殴り合いのケンカは避けたい。殴れば勝てる、そんな相手ではないからだ。

 二人は部屋を出た。「何か食っておいた方が良いぞ」とスグルは言った。そういえば朝飯も食べていなかった。胃がチリと疼くと、なぜか瞬間的に閃いたことがあった。

「ちょっと待ってくれ」そう言ってナオユキは踵を返す。

 何やら廊下の収納を物色し、戻ってくると飾り気のない黒色のバッグを手にしている。何となく撮影班っぽく見える。

「なんだ? カメラか?」

「いや、これが役に立ちそうな気がしたんだ。スグルにも一個渡しとく」

 ナオユキはバッグを開けた。

「おお! トランシーバーだ!」スグルは感嘆の声を上げた。

 箱型のバッグの中は六つの仕切りで分かれていて、それぞれに無線機が収納されていた。だが、六つのボックスのうち、二つは空である。

「二個はハッセとタカシに渡してある。携帯よりもよっぽど便利だぞ」

 ナオユキは一つ出してスグルに渡した。

「チャンネルは8だ。使い方はわかるか?」

「ああ、だいじょうぶだ。うちに壊れたトランシーバーあって、飽きるほど分解したことあるから構造は熟知している」

「さすがだな」ナオユキは言う。表立って知られていはいないが、スグルは科学に長けている。数年前、壊れたテレビゲームを分解し、基板に半田ごてを当てて見事復旧させたスグルにナオユキは畏敬の念を抱いたものだ。

 外に出る前にダイニングに寄る。いつもと同じ風景、いつもと同じ母がいる。「ちょっと出かけてくる」と母に告げると、ちょうど来客用のコーヒーと菓子を用意しているところだった。淹れたてのコーヒーは魔法瓶に移し替え、菓子ともろとも無線機のバッグに詰め込んだ。

「またハッセとタカシくん?」と母親に聞かれた。

「いや、スグル」とぶっきらぼうに答える。母は花が咲いたような顔で「あらー」と歓喜の声を上げ、玄関で待たせてある友人の顔を見に行こうとダッシュを切る。すかさずナオユキは母を無言で制止し、目だけで「行ってくる」と告げる。

 すでに外に出ていたスグルと並んで立つ。

「ユキちん本当にでかくなったな」とスグルは言う。

 二人が並ぶとナオユキの方が頭一つ高い。スグルだって低い方ではないのだが……。

「もうこれで打ち止めさ」とナオユキは答える。

「よし、行くか」スグルは先導するように駆け出す。

 その腰には無線機が堂々と揺れ、ナオユキは彼の背中を誇らしく見つめる。自分より一回りも小さな背中だが、飛びつきたいほど頼もしく思えた。

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