夢の中の現実
ジンケは夢を見た。そこは市場のような賑わいだった。本通りにはテントを張った露店が並び、大勢の人間が行き交っていた。だが、ジンケが知っているような人間ではなかった。彼らはそれぞれ獣であったり植物であったりした。目も鼻も口も、その四肢や体格のバランスまで人間のそれとは異なっていたが、人間と呼ぶに違いはなく、そう呼ぶのが道理であり礼儀であると思えた。彼らのルーツがジンケ側の人類とは異なるだけで、その培った文化と進化の過程は、例えるならば同じ研究室で育った数種のサンプル細胞のように似通ったものだったのだ。
彼らの見た目は明らかに人類とは違ったが、二本の足で立ち、二本の腕を肩から下げ、肩の上には丸い知性の入れ物を乗せていた。その点では紛うことなき人間であり、市場の雑多な売り物を手に取り、それぞれ言を飛ばし合っていた。ちゃんと衣服も着ていた。奇妙な作りであることは確かだが、上下に分かれ肩口から腰にかけての肌の露出を避けているという点では人類と同じ用途だと思えた。なんと様々な種だろうか。同じ種族同士を見つける方が困難なほど、多種多様な容姿がモザイク画のように密集する。一見ぞっとするような光景だが、彼らは揃ってにこやかで、市場には平和な空気が満ちていた。
この風景には見覚えがあった。幼い頃に見た、あの夢と同じだった。だが、当時はこれほど細部が鮮明ではなかった。まず登場人物が違った。SF映画の友好的宇宙人のような彼らの姿が、幼い頃のジンケにはアニメーションから飛び出して来たかのような三頭身に見えたのだ。今で言うゆるキャラのような住人たちが押し合いへし合い市場を賑わす。幼き者なら誰もが心ときめく光景であった。だが今は違う。アイデンティティーが崩壊するような現実感。地球圏から太陽系へ、内宇宙から外宇宙へ、異形の隣人たちが人類を差し置いて一つの市場に群がるという事実。それは恐怖を超えて原始的な畏怖の念を想起させる。外を知れば知るほど己をアリのように感じるのだ。
誰かを探していた。その誰かが思い出せない。当時も、幼いあの頃も、誰かを探していたのだ。当時をなぞっている。一切のデフォルメを排除した夢の中の現実で、少年は孤独な迷い人。あの人だ……。あの人しか救ってくれない。あの夢の中で、少年が最大の信頼を寄せていた者。少年の身代わりとなり、迫る暗黒の渦に目の前で切り刻まれた者。白かった……。そうだ、あの人は白かったのだ。どこまでも白くて、どこまでも優しかった。そう、あの頃の少年はただその色だけを識別して「大根さん」と呼んでいた。
ジンケは手当たり次第人々の肩を叩いた。彼らが振り向く度に、たちの悪い悪戯のように擬人化したちぐはぐな顔面が少年の淡い期待を裏切った。
だから白い人に狙いを絞った。市場の本通りは人ごみの多さからも果てを認めることができない。永遠に続くかと思えるような搜索を、少年は右に左に顔を振り、よろめきつつも走りながら続けた。
ふと視界の隅で何かを捉えた。それは鮮やかな緑色の頭髪だった。まるでパンクロッカーのように髪を逆立て、後ろ姿だが透き通るように真っ白な地肌をしていた。ジンケは踵でブレーキをかけ、直角にターンして人ごみをかき分けた。緑色がいる地点はひどい混雑で、どうやら人気の露天商の前だった。緑色は熱心に何かを値切っていた。異形の波に揉まれながら、ようやく彼の背後にたどり着いた。他の異形よりも頭ひとつ抜きん出て、背中が異様に広かった。少年は呼吸を整え、一息でジャンプし、緑色の肩を叩いた。まるで何かそういうスポーツでもしたかのような一手だった。どうしてか、この広い肩を叩かないと振り向いてくれないような気がしたのだ。それほど熱心に値切っているのだった。もちろん叩いただけでは注意を引けず、少年は肩を掴んで揺さぶった。緑色は背が高く、ジャンプしてようやく肩に手が届くような状態なので、実際には肩に掴まり、猿のようにぶら下がった。するとようやく緑色の頭は振り返った。反動で弾き飛ばされ、ジンケは尻餅をついたが彼の顔がはっきりと見えた。
顔は真っ白だった。目は埋没した点で、根菜が毛を生やす穴そのものだった。鼻も耳も同様の穴で、口だけが人類によく似ていた。真っ白な肌に真っ赤な唇。まるで紅を塗ったのっぺらぼう。緑色の頭髪はよく見ると菜っ葉そのもので、彼が植物の大根をルーツにしていることは一目瞭然だった。だがジンケが思い描いていた「大根さん」ではなかった。あの人のイメージを大根と称しただけで、本物の大根人間などではなかったのだ。その証拠に少年は震えた。食用植物である大根が叡智を携えたその姿に恐怖したのだ。「この人は大根さんなどではない」。そう確信した瞬間、大根人間が手にしている物が目に入った。彼が露天商から必死に値切っていたものだ。目玉だった。
「すみません、人違いです!」
ジンケは駆けた。駈け出す瞬間、大根人間の赤い唇が何か言葉を発したように見えたが全力で無視した。あの口……あの真っ赤な唇も、きっとどこかで値切ったのだ。違う。断じて、少年が探していたあの人なのではない。あれは、ただの、大根人間。「大根さん」とはまるっきり別人だ。
途方に暮れた。まだ本通りは続いている。この星屑のような異人達の中から一人だけ探すなんて不可能だ。それに、僕はあの人のことを殆ど知らない。ただ、あの人ということだけしか覚えていないんだ。息が切れた。それが原因というよりは精魂尽き果てて走るのをやめた。呆然と立ち尽くしていると急に空の色が変わった。空が落ちてくるような予感に鳥肌が立った。寒気がやってくるよりも先に爆音が轟いた。
あまりの衝撃に足が地面にめり込んだかと思った。急な暗転、衝撃波、そして轟く雷鳴。ただの嵐にしては演出が凝っている。群衆は皆、何事かと身構えている。静かだ。誰一人音を発しない。だが、次の雷鳴でパニックの火蓋が切られた。号令を出されたかのように異形の人々は叫び、逃げ惑う。抱きしめ合って泣きじゃくる者たちもいる。市場はあっという間に戦場と化した。彼らは知っている。この、落ちてくるような嵐を。これが逃げても無駄な絶望的な嵐だということを知っているのだ。
ここからは連続写真を見ているかのようだった。空から落ちてきた巨大な渦が異人たちを次々と飲み込んだ。それは自然災害というよりは本当に捕食しているという印象だった。渦は意思を持った巨大な獣に見えたのだ。あんなに賑わっていた市場が見る見るうちにがらんどうになった。渦は市場の本通りを昇り龍のように端から端まで踊り狂ったのだ。
第一波を逃れた異人たちは、誰が言い出したのか近くにいる者同士で手をつなぎ十人ほどの輪を作った。もう逃げる素振りは見せなかった。諦めと静かな覚悟が残った者たちを繋ぎ合わせていた。
少年は輪の中に入りたくなかった。こんなの迷信だ。諦めたら終わってしまう。それに、ここは僕の世界じゃない。逃げなくては……遠くへ逃げなくてはーー。しかし、気がつくと輪に加わっていた。あの嵐も抗えようのない力ならば、この異人たちとの輪も抵抗のできない呪術だった。そうするのが異人市場唯一の掟。入場規約に特記されている最重要事項。とでも言わんばかりに、誰しもが輪を作った。
輪は確かに渦の進行を遅らせた。第二波の助走をつけるために天高く舞い上がった渦は、アミの大群を貪る鯨の如く急降下した。だが、輪を作った異人たちの集団は殊のほか歯に絡まるようで、思うように捕食できなかった。それでも渦は力任せに吸い込んだ。果敢に抵抗する異人たちが吸い込まれる様を見るのは辛かった。ならば、恐怖で逃げ惑う最中に一瞬で決めてくれる方がありがたいと感じた。輪を作った異人たちは、明らかに戦っていたのだ。肉眼には見えない攻防戦を十人一組の輪という玉砕覚悟の最終兵器で果敢にも挑んでいた。アミが鯨にだ。アミが手に手を取り、海の王者に歯向かったのだ。少年は怖くて仕方がなかった。異人たちのように諦めも覚悟も持ち合わせてはいない。少年は迷い込んだのだ。人を探して立ち寄っただけなのだ。しかし、もう輪に入ってしまった。左右に誰とも知らぬ異人の手を握り、人間魚雷ともおぼしき兵器に取り込まれてしまった。他人の戦争に巻きこまれてしまったのだ。「いち……にい……さん……」数を数えるしかなかった。数字というものは、死を待つ刻の苦痛を和らげるために存在するのだと少年は悟った。
「ごじゅういち」の頃だった。他の輪は既に全滅していた。少年を含む輪がこの世界で最後の輪となった。そこで少年は気づいた。誰も知らなかったのだ。手に手をとって繋がり合う異人たちの顔を見ていなかった。
きっと共に戦うしかないのだろう。その戦い方すら知らない少年だったが、彼らの顔も見ずに戦友とはなれない。少年はまず足元を見た。八人いる。十人一組の輪ではなかった。少年を含める輪は八人だったのだ。そして意外なことに彼らの足は人類のそれに酷似していた。見覚えのある靴に、よく知った洋服。何かあたたかい希望のような感情に突き動かされ、少年は顔を上げた。
ナオユキが見えた。その向かって左隣にはタカシ。右にはハッセで、ガイもその隣にいた。少年の左手にはヨリコがいた。その隣にはスグルがいて、タカシとつながっていた。そして少年の右手はカホリと繋がっていた。これで八人。みんな知ってる。信じられないことだが、みんな、ここに来ていたのだ。おそらく園児時代のあの頃も、僕らはここで会っていたーー。
「みんな」ジンケは言った。
その声を合図に八人は顔を見合わせた。どくん、と脈打つものを感じた。繋いだ手を通して、同時に何かが駆け抜けたのだ。
ーーブースターだ。
この感覚、最近だ。それも極めて近い過去。この中の何人かと繋がった。そうだ、ナオユキがいた。他に二人、そしてこの僕。でも、それっきり覚えていない。その後も、それ以前のことも、何もかも思い出せない。だけど彼らのことは知っているんだ。彼らは僕の友達。特別仲が良いわけではないけれど(スグルを除いて)、同じ町で育った仲間。やるしかない。やり方なら、この僕が知っている。……ブースターだ!
嵐が迫った。もはや巨大なワームのように、その醜悪な顎門を暗黒の渦と化して迫り来る。少年は悟った。いや、八人の少年少女は一つの思念で答えを出した。渦に対抗するには渦だ!
逆の渦。暗黒に対抗して光の渦。少年少女は迫り来る醜悪な渦とは反対方向に念を飛ばした。
身を焦がすような激痛と共に、八人は無限の幸福に包まれた。それは果てのない力の増幅であり、自己の乖離と一体化を同時に味わうことだった。しかしジンケだけが少し違った。それらの共有感覚に加え、ある種の制御を施していた。そう、すでに少年はその身に宿らず、精神の糸となって八個の肉体を繋ぎ止めていたのだ。いわば電線である。それも熱抵抗に特化したニクロム線。少年少女の熱くたぎる精神は超高熱の光の渦となって巨大なワームに牙をむいた。
しかし敵は巨大過ぎた。幾多の命を喰らい尽くした暗黒の渦は、今や未曾有の台風と化していた。いくら少年たちの光の渦がダイヤモンドのように鋭利な牙だとしても数で劣っていた。圧倒的な質量の差だ。
最初にガイが吸い込まれた。「え?」という顔をしたまま、風車のように回転して消えた。その流れでハッセも吸い込まれ(彼は抵抗の意も見せず微笑さえ浮かべていた)、手綱を失ったナオユキはすぐさまカホリの手を握った。
次はタカシの番だった。小柄でひ弱なタカシは自分は足手まといだと言わんばかりにその手を離した。だがそこに諦めの表情はなかった。俺は中から攻める、そう目でナオユキに伝え、嵐の中で塵と化した。
悲しんでいる余裕はなかった。残った人数で光の渦を維持しなくてはいけない。どだい無理な話だったが、やるしかなかった。最後まで抵抗するしかない。自分達以外、全ての輪が虚しく散ったように、所詮これは負け戦なのだ。だがこの戦いはこれで終わりではない。意志は受け継がれる。受け継ぐ者がいなければ、奴のどてっ腹に穿つのみ。その傷跡は数多の詩人に歌い継がれるであろう。
腕がちぎれそうだ。すでにこれは腕ではない。燃えて今にも焼け切れそうなロープ。苦痛が苦痛を上乗せしてコイルのように循環する。こんなに辛いのなら屈してしまった方が楽なのではないか。そんな考えが誰かの脳裏によぎる度に、互いの信頼が見えない一本の手となって、各々の背中を支え合うのであった。
ついにナオユキが吸い込まれた。後を追うようにカホリも吸い込まれた。二人は磁場が吹き荒れる渦の奔流の中で互いの手を強く握り合った。押し寄せる恐怖の波の中で、一対の手だけが小さな光を灯していた。
三人だ。ヨリコとスグルと少年は密度の小さい輪を作った。これも、もうすぐ壊される。そうすれば輪ですらなくなる。二人で輪が作れるか? ましてや一人になったら……。いよいよ真の恐怖が無数の触手と化して三人の足元へ這い寄ってきた。
その時だった。三人が作る小さな輪の中に一筋の光線が発生した。それはみるみるうちに光の柱と化した。決して少年の技によるものではなかった。かと言ってヨリコでもスグルでもなかった。誰もこの光の筋については知らなかった。ただ、光という点では味方だと思った。だが光の柱は考える隙も与えず、その成長を加速させた。もはや三人をも巻き込み、まばゆい光のオベリスクと化し猛烈な回転を始めた。
ーー遅れてごめん。
声が聞こえた瞬間、三人は吹き飛ばされた。そう遠くではない。物凄い衝撃を感じたのだが、その場に尻餅を着いた程度だった。ヨリコもスグルもすぐ目の前にいて、三人とも同じものを見ていた。光の柱があった場所に人型の雲のようなものが発生していたのだ。雲はその身の中に偶発する雷を携え、産み落とされた痛みに耐えているようであった。
暗黒の渦は一瞬ひるんだように見えた。明らかに人型の雲を意識したものであった。だが雲がまだ未発達だと知るや否や、すぐに戦闘態勢を取り戻した。その巨大な渦巻く口中は、全てを飲み込んでやると言わんばかりに三人に襲いかかった。
ヨリコが吸い込まれ、すぐさまスグルも吸い込まれた。だが、二人は勝ち誇った顔をしていた。片目をぱちくり、片手の二本指を掲げて「あばよ」のサインまでして見せた。完全に勝ちを確信した表情。二人はやはり手を取り合い、達成感を伴いながら昇天した。
少年は一人になった。ついに一人である。これでは精神の糸も無意味だ。少年一人では何も増幅できない。ただの無力な……無力で臆病な子どもだ。
だが何者かが少年の手を握った。左手だった。左の手のひらから、あたたかく、どこか悲しいような感触が伝わった。それは雲だった。既に雲の中にはまばゆい光が満ちていた。
「大根さん……」少年はつぶやいた。
そうなのだ。ついに探していた人を見つけたのだ。幼少期、大根さんと呼んだあの人は大根などではなかった。光の戦士。それも、雲のように柔らかく、その内に雷光を湛えた荒ぶる菩薩。
そうだ。輪は戦うための手段ではなかった。光の戦士を呼び寄せるための儀式だったのだ。そして少年たちはついに成し遂げた。はるか宇宙の異形の星で、救世の神を召喚したのだ!
あの人……。ヨリコがしきりに口にした言葉を思い出す。少年は確信していた。今、隣にいるあの人と、ヨリコが言うあの人は同一の存在なのだ。そしてあの人はみんなの想いを背負っている。少年少女たちだけではない。暗黒の渦に飲み込まれた異人達全員の想い。いわば、宇宙の善意を全て背負っているのだ。だから絶対に負けない。たとえ相手が全宇宙を統べる暗黒の魔王だとしても負けるはずがない。そのために僕はブースターになろう。我が身を精神の糸で縛り上げ、光の増幅装置になろう。あの人の手は絶対に離さない。僕は僕ですらなくなり、あの人の一部となる。あの人の力……僕はあの人の力……。




