漁連団
看板には『漁連団歳末特別臨時会合』とあった。しかし顔ぶれを見ると、それが体の良い忘年会などではないことがすぐにわかった。それ以前に達郎のような野鳥マニアの延長でしかない研究員が漁連団の会合に呼ばれるのも異例である。顔ぶれは漁連団の代表である網元の小林ーー彼は確か息子の同級生の父親だ。利発そうでかなり可愛い女の子だったと記憶しているーーに始まり、各連合幹部、そして目を見張ったが警察官まで在席していた。漁師特有の調子をつけるような胴間声が飛び交い、男臭いが和やかと言える空気が出来上がった頃、マイクのスイッチが入った。自ずと談笑はすぼまり衣摺れや椅子の軋む音が会合への緊張感を煽った。ここで一人の男が入室して来た。その男を見るや、達郎は奇妙な相反する感情を覚えた。息子の担任教師の木村だった。
なぜ木村が? 達郎なりに推理してみたが皆目見当がつかない。この面子の中ではあまりにも不自然。そういう点では達郎と木村には明らかに余所者という共通点があった。これが達郎の感じた相反する感情、違和感と安心感の同居である。
それにしても好感の持てる教師だ。漁連団幹部の中には中学校の父母会を兼ねている者も多いだろうに、何に気を使うこともなく木村は誰よりも遅く現れた。そして誰よりも不潔に見えた。スーツは着ているものの、その着こなしも、ヘアスタイルも、濃い無精髭も、まるでフォーマルとは無縁だ。漁師たちの方がずっと小洒落ている。だが不思議と不快ではない。それを上回る愛嬌が教師木村にはある。そう感じるのは達郎だけかもしれないが、この野放途な新米教師の出現のおかげで幾分か気持ちが楽になった。偶然にも達郎の隣の席が空いている。ここに座ってくれればいいな。年甲斐もなく達郎はわくわくした。友達を期待する、少年の心だ。
「さて、皆様」小林代表の進行で会合が幕を開けた。17時をちょうど過ぎた頃だった。「師走でございます。大変お忙しいかと思います。そんな中、急な呼びかけにも関わらずお集まりいただき、誠にありがとうございます。恐縮の極みではありますがーー」
貫禄のある喋り方だ。スピーチ慣れしている。考えてみれば彼のスピーチを聞くのは初めてではない。例えば父母会。そこでも会長をしている。町で葬儀があれば葬儀会長にも名が上がる。全て把握しているわけではないが、消防団、福祉関係のボランティア団体など、町の副次的な組織には必ずと言っていいほど彼の名がある。いわゆる、これが有力者というやつだ。どう逆立ちしても達郎には真似ができない。
「この集まりが何なのか? そしてこの顔ぶれ。皆様、さぞ困惑されていることと思いますが、ズバリ申し上げます。三日前の事件です」
小林は一間置いた。一人一人と目を合わすように会場を見渡すが、達郎は自然と目を伏せた。あの自信に満ちた目は苦手だ。このタイミングで教師木村が隣の席に着いた。「どうも」と互いに声をかける。きっと彼は気づいていないだろう。隣席が教え子の父親だとは。
「様々な憶測が飛び交っていると思われますが、ここは一つ整理して皆様にお伝えするつもりであります。もちろん事実です。町の混乱を避けるため、事実を皆様と共有したいと考えております。妙な噂、いわれのない作り話はここで一度クリアにしまして、我々漁業連合団から、平和な我が町を再確認して行こうという所存でございます。ここまでで、何かご質問ありますでしょうか?」
ない。あるわけがない。質問するタイミングとしては早過ぎる。
「では、具体的な説明に入る前に、ちょっとお願いがあります。皆様には、まずご家族に、そして職場関係の人たちに、ここでお話ししたことを伝えていただきたいのです。しかし過度ではなく、なるべく自然に、世間話の体でお伝えいただけると良いかと思います。聞かれたから答えた、その程度で良いのかもしれません。噂というものは、やはり噂で上塗りするのが賢いやり方だと聞いております。では、なぜそんな回りくどいことをするのか? 警察や役場に任せておけば良いのではないか? 至極真っ当な疑問が生じるのも承知しております。しかし我らが町は海の町です。先祖代々漁業で成り立っている町なのです。ひとたび海で事件などが起こると、悪いイメージが残ってしまいます。ご存知の通り今やネット社会。どこでどう、悪い風評を受けるのか、まるで予測ができないのです。私も一漁師であります。年々酷くなる異常気象、温暖化や台風の影響で海産物はダメージを被っております。ただでさえ、骨身を削って稼いでいるのに、妙なイメージがつけば我々としてはたまったものではありません。観光客の数にも影響が出て、町の財政にも直接響きます。我が町では町民の半数以上は漁業従事者です。もちろんそれ以外の人たちも多くいらっしゃいますが、その方々にとっても他人事ではありません。豊かな海の恩恵を受けられなくなるのですからーー。我々は一つの家族です。家族の危機は皆で乗り越えなくてはなりません。私が願うことはその一点のみなのだと、この場で皆様にお伝えしたい所存でございます」
違和感しかない。料理で言えば前菜でステーキを出されたようなものだ。もう既にゲップが出そうだ。言葉遣いこそ丁寧なのかもしれないが、高圧的、強制的、封建的だとさえ言える。達郎が余所者だから特にそう感じるのかもしれない。試しに隣の担任教師をちらりと見れば、やはり居心地の悪そうな顔をしている。反して他の面子は満足気な顔である。まるで熱心な党員だ。狂気にも似た信仰がその自信に満ちた表情に垣間見える。とまで言えば言い過ぎかもしれないが、とにかく達郎は居心地が悪かった。小林自身が口にしたように、こういうことは警察と役場に任せれば良いのだ。漁師がしゃしゃり出てくるものではない。いや、待てよ。この町は違うのかも……。達郎が育った町である。子どもの頃から感じていた違和感がここで払拭できるような予感がする。しゃしゃり出てきたのが、そもそも警察や役場だったとしたら……。
「よろしいですか?」小林が言った。質疑は問わずにそう続けた。「では、まず警察の方から事の経緯を説明していただきます。菅原警部、よろしくお願いします」
警察が来ていたのだ。もちろん目には入っていたが、なんとなく印象が薄かった。パワーバランスが偏りすぎている。まるで、全校生徒の前で冬休みの注意事項を説明する警察署長のような体裁重視のお膳立て、とまで勘ぐれば猜疑心が強すぎるか、まずは警察の話を聞いてみよう。
「菅原です」菅原警部がマイクを取った。「早速始めさせていただきます。まず、今日から三日前、平成27年12月26日、午後3時34分、本警察署所轄の橋の袂の本町交番に通報がありました。現在免職中のため名前は伏せさせていただきますが、対応しましたのは元巡査で仮にAとしましょう。通報者は、漁師を営む63歳の男性。こちらもプライバシー保護のため仮にBさんとします。このBさんは大変に気が動転していました。何を訴えているのか要領を得ない状態で『嫁が、嫁が』と連呼するのみ、と調書には書いてありますーー」
もちろん初耳だ。これが事件の真相。説得力がある。あり過ぎるくらいだ。だからこそ怪しい。警察に対して訝しむなど、おこがましいにも程がある。それは達郎もわかっている。だが、時とともに違和感が募る。全てはハリボテで、裏には隠された真実がある。そんな気がしてならない。
「元巡査Aが現場に到着すると、通報者Bの妻であるCさんがいました。彼女は船着場の波打ち際で海に向かって呆然と立っていました。元巡査Aは反射的に入水自殺を疑ったそうです。しかし、Cさん、漁師の妻である彼女は右手に拳銃を所持していました」
会場がどよめく。
「Aは説得を試みました。夫のBも一緒に説得しました。だがCは拳銃をBに向けたのです。止むを得ず、Aは威嚇射撃の体勢に入りました。本来すべきではない行為です。Aはここで応援を要請し、説得を続けるべきだったのです。しかし銃を持っている人間の前では、いかに警察官といえども動揺してしまうのも事実です。Aは発砲してしまいました。そして銃弾はCの右腕、上腕部に命中しました。その時の発砲音が町中に響き渡った、アレです」
感嘆の声が漏れる。出席者は皆、信じられないという顔で、Cと呼ばれた漁師の妻の名をつぶやく。まさか、あの康世さんが……。この町にプライバシーは通用しない。秘密など存在しない。あるのはただ、土着のモラル。
「撃たれた衝撃で、Cは所持していた拳銃を取り落とし、元巡査Aが身柄を拘束、容疑者Cは現在入院中、回復の経過を見て、精神鑑定も実施していく予定であります。気になる拳銃の入手先ですが、これは目下捜査中であります。夫の証言によりますと、妻が自殺をほのめかすようなことはなかった、拳銃の入手先も見当がつかないとのことですが、夫妻の遠縁に当たる者が、過去に暴力団組織に出入りしていたという事実が判明しました。入手ルートが確定するのは時間の問題かと思われます。以上、大まかではありますが、事件の概要であります」
バトンは再び小林の元へ。
「というのが事件の真相です」若干自嘲気味に小林は言う。「俄かには信じがたい話です。私だって信じたくはありません。ですが起きてしまったことはどうしようもないのです。事実を受け止めて、前に進むしかありません。それに、これからが厄介なのです。既に皆さんご承知のことかと思いますが、厄介な噂が尾ひれをつけて飛び交っています。特に厄介なのが二つ。まず一つ目は容疑者とされるCさんの腕が切断されたという噂。もう一つは、それが怪物やら妖怪やらの仕業だということ。全くもってバカげてます。こんな噂がまかり通るなんて世も末だなんて思いますが、噂というものは得てしてそういうものなのでしょう。そしてこれが一番怖いのです。こんな他愛のない噂だからこそ気楽に口を突いて出て、町外、県外に伝わってしまうのです。どうってことないと思われるかもしれませんが、こういう小さな悪意が大衆の邪な心を刺激して、ゴシップの的となるのだと思います。こんな愚にもつかない噂が広まれば、重大な町の汚点となるでしょう。私は守りたい。豊かな海と歴史ある風土に守られた我が故郷を、一町民として何としても守りたいのです」
まばらに「そうだ!」と意を重ねる掛け声がした。対して達郎の猜疑心は猛虎の如く猛り狂う。良いではないか。噂の出自もそれを広めたのも、きっと町の子どもたちだろう。別に放っておけば良いではないか。悪影響などない。ケガレと同類。一時的に人の足は遠のくが、一ヶ月も経てば元に戻る。喪に服すのだって一年と決まっているのだ。何をそんなに気にする? 過度に神経質になる方が、子ども達よりもずっと未成熟に感じる。何だかとても嫌な感じだ。
幼い頃から感じていた違和感の正体、それがもうすぐ掴めそうだ。この町は何かを装っているのではないか。一見してはわからない。医療、行政、教育、どれを取っても世界基準を満たしている。小さい町ではあるが何一つ不便はない。だが一度町を離れ、全く別の土地で人生という謎に満ちた苦行にある程度見極めをつけた類の人間、そう、達郎のような回遊族には感じざるを得ないのだ。擬態のようなものなのかもしれない。実はこの日本国が日本になる以前からの土着の顔、それを過剰にカモフラージュしている。全く別の種に属する生物。誰も元の顔など知らない。もはやその素顔を覚えている者など誰もいないというのに。
警部の話も胡散臭い。あの制服も本物だろうか? 非合法で請け負っている役者なのではなかろうか。本気で疑っているわけではないが、嘘の匂いがぷんぷんする。第一、漁師の妻が拳銃など持てるはずがない。元巡査とかいう者の証言もめちゃくちゃだ。考えてみれば全てその元巡査の主観ではないか。しかも、漁師が暴力団と関係していたという事実の方がネガティブイメージに繋がるだろう。隠蔽すれとは言わないが、それならば、謎の怪物の噂を野放しにした方が町にとっては好都合な気もする。とは言え、小林代表の言っている意味もわからないではない。何も間違ったことは言っていないのだ。だが、解せない。臭いのだ。何か匂うのだ。この町は、いや漁連団は何かを隠そうとしているのではないか。多くの推理小説は(達郎の読書遍歴に限定されるが)事件に次ぐ事件を経て真相へ辿り着くまでには複雑な経緯を辿ることになるが、その動機は得てして単純なものである。それを取り巻く人々の欲や保身、愛情と憎しみ、様々な善悪の感情が織り交ざり殺人事件という単純明快な一本道を大迷宮へと変貌させるのである。今回のケース、まだ道は枝分かれしていないだろう(もしくは、し始めたか)。直感的に怪しいと感じたのならば、それは単純な一本道を歪めようとしているのである。では何を歪め、枝分かれさせようとしているのか。答えは、噂だ。根も葉もない噂を、漁連団小林代表は根絶やしにし、どこぞの劇団員刑事(さすがに言い過ぎか……)の話を流布させようとしている。そのために町の名士が呼ばれたのだ。達郎が呼ばれたのはきっと研究所の職員だからだ。所長や他の研究員は出払っているので仕方がなく出席した。隣の中学校教諭はきっと生活指導部に属するのだ。きっとベテラン教師の先輩もいるが、達郎の場合のように皆出払っているのだろう。小林代表は、ここにいる者たちを抱き込めば、町民の信頼は獲得できると踏んだのだろう。いや、きっとその実績があるのだ。小林は何かを恐れている。これは周到な隠蔽工作だ! それに根も葉もない噂と言ったが、果たして本当にデタラメなのだろうか。怪物が出たなど、もちろんあり得ない話だ。曲がりなりにも生物学者の真似事をしている達郎には誰よりもそれがよく分かる。だが、そんなデタラメを否定できる根拠も実際のところはないのだ。否定するのは感情。未知を恐れる人間の恐怖心に他ならない。では真相は何だ? わからん! 探偵気取りの私は、どこに進もうとしているのだろう? 全くもってわからんぞ!
「では質問のある方、どうぞ遠慮なさらずに」
小林の話は終わったようだ。スーツ姿(一見してオーダーメイドだ)の身なりの良い漁業従事者がよく通るバリトンで何か発言をし、それを火蓋に質疑応答は繰り返された。何か見えない膜のようなものに包まれた気がした。
「ジンケくんのお父さん、ですよね?」
不意にその膜の内側から声がした。隣の木村だった。
「はい、木村先生」達郎は答えた。
ジンケくん。木村が息子のことを通り名で呼んだことに違和感は感じなかった。むしろ、その方がふさわしい呼び名だと感じた。どうしてだろう。なぜかこの方がしっくりと来る。
「やっぱりそうだ」木村は言った。「俺、あ……いや私、ジンケくんに本を貸す約束をしましてね」
「へえ」
「すごい偶然ですね。たまたま、今日持ってるんですよ。どうしようかな、お父さんに渡してもらおうかな」
達郎はその本とやらを目で追う。が、本らしき物はない。
「いえ、今は車の中です。まさかお父さんがいるなんて知らなかったものですから」
屈託無く笑う木村はまだ幼く見える。息子をジンケと呼ぶのも頷ける。先生はまだ息子側の人間なのかもしれない。
「そんな、気をつかってもらって、すみません。良かったら預かりましょうか?」
「でも、どうしようかな」木村は言う。「ジンケくん、私の家に取りに来てくれるなんて言ってくれましてね。そういうのもいいかなって。ちょっと話したり、場合によっては飯でも食べたり、そういうのってお父さん的にオッケーですか? あ、もちろん飯はご馳走しますよ」
そんなことを聞かれるとは意外だ。どう答えて良いのか一瞬わからなくなる。だが、時には教師と深く語り合うのも良いのだろう。それに、誰もがそんな経験をできるわけではない。担任の教師を独り占めするなんて、よほどの問題児か、特殊な魅力がある子だろう。我が息子は後者だと信じたい。
「ぜひ、お願いします。ちょっと風変わりな子なので、覚悟しておいてくださいね」
「確かにちょっと変わってますけど、俺はジンケくん好きなんですよね。何て言うか、俺と同い年みたいな感じなんですよ。子どもと話してるって気がしないんだよなぁ……」
たまらず達郎は笑う。なんてストレートな言い方だろう。この男こそ大人っぽくない。まるでジンケの級友のような態度だ。
「あ、すみません、ジンケくんなんて呼んじゃって、みんながそう呼ぶので、つい……」
「先生」達郎が言う。「息子にご馳走してもらう前に、私からご馳走させてください」
木村は目を白黒させる。
「今から一杯、どうですか?」
木村の目が丸くなる。
「ああ……」と鼻を膨らまし、「いいですね!」と大声で言う。
だが、その声は二人を包み込む膜の中だけのもので、決して周りの喧騒を遮らない。二人は同時に椅子を引く。もういいだろう。話は終わったのだ。一人味方が増えたことで少々大胆になる。とはいえども、この味方とは会合についての話題に一切触れていない。だからこそ親近感が沸く。きっとちんぷんかんぷんなのだ。この会合、異質すぎて直視できないのだ。さっさとずらかろう。息子に貸してくれる本の話、そっちの方を早く聞きたい。
二人が立ち上がろうとしたその時、再びマイクを通して小林代表の太い声が響いた。
「他にご質問がないようですので、これでお開きとさせていただきます。本日はご多忙の中お集まりいただき、誠にありがとうございました。尚、この後お食事の方をご用意しております。当館二階のレストラン・コキールにてーー」
意外な展開。レストラン・コキールは旨い店だ。しかも漁連団関係の会食ならば特別メニューのこと間違いなし。しかもタダ飯。その日仕入れた最高の食材を惜しげもなく披露するだろう。こういう港町に住んでいると自ずとわかる事だが、観光客に出す料理と地元の名士に出す料理は全くの別物である。当然と言えば当然だが、本当に旨いものは領主の腹に収まるのが道理だ。
達郎と木村は目を合わせた。ーー行くか? 無言で意思を交わす。木村は表情を崩す。眉も頬も唇もキュッと結んで中心に寄せるその顔芸に達郎は声を上げて笑いそうになった。言葉以上にその表情で木村の意思が伝わった。小洒落た料理は嫌いなのだろう。このつぶらな瞳のとっちゃん坊やは、化学調味料たっぷりのジャンクフードが好みなのだ。
「出ましょう」達郎は言った。
二人はその場を後にした。無駄のない身のこなしは、ちょっとした捜査員のようだった。




