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精神の糸

 ナオユキらが未知との遭遇に勤しんでいる頃、我らがオカルト少年は何をしていたのか? 確かスグルとその二人の弟と別れ、家に帰ったはず。いつものパターンでは彼は昼寝をする。瞑想という名の昼寝は超自然的な英気を養う。だが今日は違った。我らがオカルト少年はその時どこにいたのか? 少しだけ時を遡ろう。


 また今日も空が朱色に染まる。人がこの世に生まれる前、そして死んだ後も空は絶え間なく色を変え続ける。沈む太陽を見ると、誰もが美しさと悲しみを覚える。これは一種の同情なのだろうか。例えばお母さんが泣いていると、僕らはこれに近い気持ちになる。空もきっと、そういうものなのだろう。僕にはお母さんがいないけど、それはとてもよくわかる。

 ーーまただ。ジンケは思った。

 これで二度目。大いなる瞑想を邪魔する思念。美しさと悲しみ以外の気持ち。これは何だ? 得体の知れない何か。そしてすこぶる不快。

 ーー海の方だ。

 間違いない。あいつだ。ガイが言うところの、子ども。透明の……いや、色はかすかにある。青、ターコイズブルー、海の青。あの時は印象だけだったが、その後インプットした情報のおかげでより思念がクリア。わずかだが風景が像を結ぶようだ。わかる。橋の麓。船着場。何か争いの気配。鳥……大型の鳥。いや、これは既に戦意がない。他にも中型の鳥が思念を散らかすが、これらは怯えている。中心に不気味な気配が一つ。とても大きい。底が知れない。まるで宇宙に漂う悪魔だ。待て、陸地に何かいる。三つ。小さな思念。いや、一つだけ種類が違う。固い殻に閉じ込められているが、溶鉱炉のような熱さを秘めている。しかしそのエネルギーをうまく扱えないようだ。原因は恐怖。三つの思念は恐怖に押し潰されている。

 ーー助けなくては。どんなことがあっても味方しなくては。

 そいつは育っていた。情報過多のせいではない。明らかに以前とは違う。以前は単細胞の不気味さ、そして貪欲とも言える好奇心を感じたが、今回は知性、無秩序な非論理的思考を感じた。深入りするのが怖い。接触してはいけない類の狂った精神。だが、そう感じれば感じるほど、そいつの精神に触れてみたくなる。これは好奇心と言えるのだろうか。現実と非現実の狭間で揺れ動く自分という存在にとって、これほどの非現実はそうそうお目にかかれない。何か世界の秘密を解くきっかけになるのではないだろうか。そうだ、これは知的探究心。そう言えば恐怖も肯定できそうだ。自室の屋根裏部屋で瞑想にふけるジンケ少年は、精神の糸を現場へと伸ばした。

 糸は主に空を進んだ。数えたことはないが、本数はかなり多い。だが、それぞれが独立した糸ではなくて、最終的には一本につながっている。葉脈や根、要は血管と同じ形状だった。糸は一定の速度で進む。途中、蛇行したり、突然何かを避けるように鋭角に曲がる。一見すると何もない空だが、実は目に見えない障害物で溢れているのかもしれない。その真偽については、いつか突き止めたいと考えていたが、今はそれよりも重大な問題がある。さあ、良い頃合いだ。精神の糸を下降させよう。ちなみにこの間、刻にすれば脈一つ。

 船着場の三つの思念は、やはり人間のものだった。おそらくジンケとさほど年の変わらぬ少年だろう。燃えるような生命の炎からそう推測した。そして沖にはやはりあいつがいた。その精神の形は、透明の箱に入ったバラバラの死体を連想させた。暗黒めいた殺意が湾の中心からじわじわと広がり、三人の少年たちは今にも死んでしまいそうだった。だが不気味なことに残虐な気配ではない。何か。微笑みにも似た麻酔のような暴力が、今にも行使されようとしている。

 彼らは怯えている。しかし立ち向かっている。恐怖に捕縛され、指一本動かせない状態だが、ぎりぎりの勇気を振り絞っている。その消え入りそうな気高き炎を、ジンケは何としても守りたい。

 だが、今の彼には物理的な干渉は不可能。この際、瞑想を解いて船着場まで駆けつけようかとも考えた。無理だ。間に合うはずがない。それに、生身の僕が行ってどうなる。彼らと一緒に恐怖に縛られ、泣きわめくことさえできないだろう。

 ジンケは糸に集中した。他にできることはない。だからと言って考えがあるわけでもない。でもやるしかない。霊的な直感に従って、自分の戦いをするしかない。糸だ。精神の糸。これが僕の武器。そして彼らを守る盾となる。そうなるべきだ。意地でもそうしてやる。

 ジンケは糸を放った。捕獲網のように無数に枝分かれした糸は三人の少年の頭上を覆った。そして半ば無意識に絞った。するとドーム状に降下した糸群は仄かに輝く細長い縄へと転じた。エルフの縄。そんなイメージが思念の隅で沸いたような気がした。

 ーーつながれ。そうジンケは念じた。

 何の考えもなかった。ただ、霊体としての然るべき行為であった。想いの強い霊は干渉するのだ。生身の世界ではあり得ない方法で。憑依という手段で。

 縄は少年たちに絡まった。そして彼らの固い殻に包まれた熱い炉のような部屋に侵入した。彼らの核と、ジンケ少年の精神の糸がつながったのだ! その瞬間、彼らの思念がほとばしる炎となって流れ込んで来た。灼熱ーー。焦熱地獄。閃光のような氾濫する高エネルギーに縄も精神も、屋根裏部屋で横たわる生身の肉体まで焼き尽くされたかのように感じた。だが、精神の糸は持ちこたえた。いや、持ちこたえるどころか、これが本来の偽りなき姿だと言わんばかりに煌々と輝いた。そう、ジンケ少年は己の真価に触れ、更なる進化を目の当たりにしたのだ。

 ーーブースターだ。

 単に三人の少年を直列配線したわけではない。一人の少年を頂角とした二等辺三角形。底角を担う二人の少年は燃料タンクでありジェットエンジン。これは一つの兵器である。対得体の知れない水生生物用精神エネルギーチャージ砲、とでも名づけようか。それにしても、この予定調和は何だ? 何やかやでお膳立てされているような感覚。では一体誰が、などと考えるのも無駄だろう。宇宙の秘密は予測できない。両手を突っ込み、こじ開けるしかないのだ。

「おおおおーーー!!!」少年たちが叫んだ。

 明らかに今までとは違う。特に頂角を担う少年、凄まじい生体エネルギー。エルフの縄がビリビリとしびれる。

 しかし敵は強大だった。まるで木星に睨まれた地球。その質量は天と地ほども違う。そして巨大な者にありがちな無関心を決める。少年たちの事など露ほども意識せず、なにやら目の前の小動物にご執心だ。

 ーー隙がある。

 ジンケにはもう一つ試したい事があった。この緊迫の中での秘密工作。精神の糸を一本だけ、あいつの水まんじゅうのような肌まで到達させるのだ。悪魔の誘惑とも言える所業だが、これは敵を知る唯一の手段だ。まだジンケたちは知らない。ジンケを含む四人の少年は、敵が敵であるという絶対的事実以外には何も知らないのだ。

 だが危険すぎる。一か八かの賭になる。もし、一瞬でも気が緩んでエルフの縄が緩んだら? 少年たちはどうなる? 今は呑気に水遊びしている化け物も、手先のおもちゃに飽きたら彼らに興味を覚えるはずだ。いや、もしかしたら既に唾をつけているのかもしれない。お楽しみは最後。そうでなければ、この威圧感は説明できない。どうする……敵を知るのか、守りに徹するのかーー。

 すると予想もしない事が起きた。頂角を担う少年が爆発したのだ。重機のようなパワーで落ちていた瓦礫を持ち上げ、砲丸投げと槍投げを足して二で割ったような姿勢で投球した。明らかに人間の力ではない。ゴリラやオランウータンをも上回る力技。

 ーーチャンスかもしれない。

 ジンケは糸を放った。弧を描く瓦礫の球速に追いつくのはたやすかった。しかしその回転には手を焼いた。途端に糸は絡め取られ、激痛となってジンケの脳に届いた。それにしても、ものすごいパワーだ。瓦礫の威力は糸を通して十分過ぎるほど伝わった。直撃すれば波の生物なら即死。象や大型の熊でも致命傷は免れないだろう。

 だが、あろうことかそいつは受け止めた。ある晴れた日曜日、我が子と公園でキャッチボールする父親のように、いともたやすくキャッチしたのだ。

 ジンケが覚えているのはここまでだった。そいつの手のひらに精神の糸が触れた途端、張り詰めたゴムが切れたかのように屋根裏部屋に戻っていた。

 ーー早く助けに行かなくては。

 心ではそう思ったが、体が動かなかった。普段ほとんどかかない汗をかき、寒気でガタガタ震えていた。奴に触れた途端、ほんの刹那、見えたのだ。それは純粋な悪。渦の中の暗黒。かつて幼少期に見た悪夢。不思議な能力に目覚めるきっかけとなった、あの異世界の魔王。

 目が合ったのだ。魔王ーー。その破壊願望。知性のかけらもないアメーバの感情。相容れないのだ。生命体としての在り方が、かけ離れすぎているのだ。これはある意味あの時の夢の再現。夢は暗黒に呑み込まれる瞬間で終わっていたが、現実では跳ね返された。思念の侵入を拒絶されたのだ。何たる反作用だろう。逆に読まれたのはこちらなのかもしれない。くそ……。僕は致命的なミスを犯した。彼らは、三人の少年たちはどうなったのだろう。全部、僕のせいだ……。

 ジンケは金縛り状態の体のまま、再び精神を解き放とうと努めた。彼らを……彼らを助けなくては……。ただそれだけを念じて、この短い時間で起こった超自然的な展開を反芻した。あの場所へ飛ばなくてはいけない……。たとえこの身が朽ちようとも、僕には行かなくてはいけない理由がある。その義務がある。だが、それは不可能だったのだ。運動器官に欠陥が生じると走ることが叶わないように、ジンケの精神は致命的なダメージを負っていたのだ。糸は、精神の糸は一本も残っていなかった。水色の子どもの手のひらに触れた瞬間、導火線のように焼失していたのだ。

 苦しかった。それ以上に悔しかった。自分のように無力な者が、宇宙の秘密を探ろうとしてしまった。その代償が、友人の死だ。正体こそ知らないが、あの三人の少年は友人に違いない。精神の糸で強く結びついたかけがえのない同士なのだ。せめて、僕の命と引き換えにでも……。

 やがて少年は、瞑想とは別の遠いどこかへ、耐えがたい眠気とともに埋没して行ったーー。

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