三休
道すがら、やっとの思いで「いつから付き合ってるの?」とジンケが聞いた。末弟の巧は蜂のように騒がしく、燦々と照る冬の太陽も耳にまとわりつき、自分の声がまるで夢のようにおぼろげだったが、スグルにはちゃんと伝わった。
「それがさ、冬休みに入ってすぐに告白されたんだ」スグルは答えた。「電話で。あんまりびっくりしてエイプリルフールなのかと思ったよ。本気でそう思ったんだ。知らないうちに年二回になったってさ。だから、いっそ騙されてやろうと思った。別にどうってことないしな。だって、別にこっちに害はないし。なんていうか、かわいそうに思えてさ。いろいろ話を聞いてみて、見極めようと思うんだ。ああ、一緒に出かけたのは初めてだよ。欲しいCDがあったんだって。飯でも食うのかと思って、金多めに持って行ったけどCD買ったらもういいってさ。すぐに帰ってきた。バスの中でもあまり話さなかったな。そうだ、ジンケ昼飯まだ?」
「うん。まだだよ」
「食べない? ラーメン。三休で。おごるよ」
ラーメンと聞いて心がぽっと熱くなった。この時期はやっぱり味噌がいいな。突然湧いた幸福感に今までの猜疑心が浄化される。おごってもらうのは悪いけど、今日は甘えても良い気がする。また次回、おごり返せば良いのだ。それに、スグルとじっくり話ができる。そうだ、危うく本題を忘れるところだった。今日はなんて忙しいのだろう。心がトライアスロンだ。だからこそ、湯気の立つラーメンが待ち遠しい。ほっと一息、つくべきだろう。
三休は町に唯一のラーメン屋だが、実際ラーメンを注文する者は少ない。要は中華洋食なんでもござれの定食屋だ。事実、ラーメンを食べるなら道路を挟んで斜向かいの居酒屋KAZUだと相場が決まっている。こちらは逆にほとんど酒が出ないのだ。だが、両店主がそれでストレスを感じることはない。むしろ、調理という技能において我を通すのではなく、何か大きな流れに身を委ねるような、一つ達観した思想を厨房の中に満たしている。
三休の一押しは親子丼と焼きそばだ。焼きそばは五目あんかけもよく出るが、通はソースだ。ソース一択。どうしてだろう、これがなぜかうまい。ライスも一緒に頼むとまた格別だ。不思議とこれがうまいのだ。二品とも店主の意図とは違う。別に得意料理でもなんでもない。だが、どうしてか、言われてみれば確かにうまいのだ。断言する。特別なことは何一つしていないのだ。ちなみに店名の三休は英語のthank you に由来する。近頃では語調を崩して店を「サンクス」と呼ぶ者も少なくない。
ジンケは味噌ラーメン、スグルは親子丼を頼んだ。樹は焼きそば、巧はオムライス。ラーメンを頼んだ者はジンケのみ。スグルに関しては「食べない? ラーメン」と誘っておきながら親子丼。しかしこれは珍しいことではない。町のあるある。ジンケだけは頑なに三休ラーメンが好きだった。上に乗った野菜炒め、煮詰まった豚汁のようなスープ、黄味がかった中太縮れ麺、それらの全てがジンケの体内と親和した。
「信じがたい話だ」スグルは言った。
ジンケはガイから聞いた話を料理が届くまでに話し終えた。話してみるとそう長い話ではなかった。時間と共に興奮が薄れたのだろうか。思えば最初から現実味も信憑性も薄い内容だった。話し手の熱こそが核だったのかもしれない。と考えれば、やはりガイは大したものだ。
料理が届いた。一同は夢中で食べた。中ほどまで食べると、時計回りに丼を回した。一周して、食べきれなかった巧のオムライスを三人で分けた。樹は一口食べてもういらないと言った。食欲がないようだ。先ほどのヨリコとのやり取りが気になる。それに、思えば樹は会話を聞いていた。静かだったが、兄とその親友が交わすショッキングな町の噂話を聞いたのだ。聞かせるべきではなかったのかもしれない。
「ヨリコ、何か言ってた?」ジンケは聞いた。
「何を?」スグルが聞き返した。ということは少なくともジンケに関することは何も言っていないということだ。それでもジンケは念を押した。
「僕のことは何も言っていなかった?」
「うん。実際、ほとんど会話なかったし」
え、でも手はつないでいたよね? と喉まで出そうになった。人は喋らずとも手はつなげるのか。いや、つないだとは言えないまでも、指先が触れ合っているのをジンケは見たのだ。それが大きな矛盾に思えた。男女というものは、会話を重ねずとも、指先を交わすことはできるのか。それが男女というものなのか。待てよ……。ジンケは急に自信をなくした。二人は手をつないでいたわけではない。ただ、バスを降りる直前にふとした拍子に触れただけなのかもしれない。そう考える方が妥当だ。ジンケよ、何を余計なことを考える。味噌ラーメンの効果がもう切れたじゃないか。猜疑心よ、静まれ。味噌ラーメンと共に封印されたし。
「そうか」ジンケは話す。「どうやら、本当みたいなんだ。ヨリコは本物だよ。力がある。僕と同じような能力がね」
スグルは目を丸くして聞いている。
「僕もスグルも疑っていた。だけどヨリコは嘘をついてはいなかった。ずっと正直だったんだ。ただ、正直過ぎた。僕と違って、べらべら言いふらしたんだ。それがヨリコの正義だった」
スグルが目を伏せた。きっとヨリコの顔を思い浮かべているのだろう。
「ちゃんと裏はとったよ」ジンケは続ける。「僕ら、会ったんだ。真夜中に。ヨリコは幽体離脱した僕が見えて、話もできた。すごく不思議な体験だった。だけど現実なんだ。本当はスグルとするつもりだったんだけど、霊的なことを他人同士で共有できた。しかも、その理由もわかりかけた。どうして僕やヨリコがおかしな力を使えるのか、その原因がわかりそうなんだ。スグル、小さい頃、変な夢見てない?」
「夢?」スグルは言う。「俺、ほとんど夢って見ないな。しかも小さな頃だろ。いつくらい?」
「保育園の頃。スグルは幼稚園かな」
「ぜんぜん覚えてない」
「そうか」ジンケは言う。「僕とヨリコは会っているんだ。僕が保育園。ヨリコがまだこの町に来る前に。その夢の中でね。僕は気づいていなかったけど、ヨリコは気づいていた。僕のことを見て、知っていたんだ。現実に知り合う前にね」
「なんか混乱してきた」スグルは言う。「だけど、なんでそんなに大事なこと俺には言わないんだろう。今日話す時間はいっぱいあったのに」
「わかる気がするよ」とジンケ。「僕だって、今までスグル以外には話さなかったし、夢の話に関しては誰にも話す気がなかった。同じ体験をした者同士じゃなきゃ話せない。そうでなければ一生心の奥にしまっておくんだと思う。いや、埋もれているんだ。その時が来るまで、本人も忘れている。催眠みたいなもので、何かのきっかけで思い出し、話さずにはいられなくなる」
「ふうん」スグルは首を縦に振った。分からないなりに無理やり納得しようとしているようである。「それで、夢って? その昔見た変な夢」
ジンケは話す。末弟の巧は店内の本棚を荒らす。樹はそれに付き添っている。だからジンケは心置きなく話せる。しかし、話しながら気恥ずかしさを覚える。ヨリコと話した時はそんなことなかった。野菜や動物たちが擬人化した世界で、彼ら異人たちと仲良くフォークダンスを踊るのだ。内容が内容なだけに真剣に話せば話すほど真実味が減ずる。ヨリコの時は平気だった。互いが経験を共有していたからだ。
「嵐が迫ったんだ」それでもジンケは話す。「嵐の正体は魔王。絶対的な悪の存在。手をつないで輪になった仲間たちは次々と黒い渦に吸い込まれた。魔王はその中に潜んでいる。隣でずっと盾になって守ってくれた大根人間も最後には千切りにされて吸い込まれてしまった。ヨリコもその中にいた。にんじんだったのかごぼうだったのかわからないけれど、僕らと一緒に輪になっていたんだ。輪をほどいてはいけない。ほどくととても勝ち目はないんだ。そして、僕とヨリコはこう考えている。スグルもその場にいたんじゃないかって」
「やっぱり知らないわ」スグルが言う。「初耳だよ。見ないもん、夢。見て覚えているって言えば、おしっこ我慢して我慢してやっとトイレ行く夢だな。いくらおしっこ出しても尿意がおさまらないんだ。だって夢だからね。目覚めたら今にも漏らしそうなの。昔はよくそれでおねしょしたもんだよ」
聞きながら、ふと、ある考えが頭をよぎる。それは考えというよりは閃きに近いものだった。豆電球が頭の裏側、頸椎と頭蓋骨が交わる部分でピコンと光る。それはほんの一瞬の出来事なので、よほど注意していなければ見過ごしてしまう。だが、それと決めたらか弱い光はいつまでも灯り続ける。見逃すな、集中しろ、意思という名の電流を途絶えさせれば消えてしまうぞ。消えれば電球は一生見つからない。血管の中に紛れて、体内の遠いどこかへ流されてしまう。少年は必死にしがみつく。閃きが残した残影を焦げるほど凝視する。すると、何かが暗闇で動いている。小さな動きを何度も、同じように繰り返している。口……。それは口だ。見覚えのある口。唇は薄く、口角は下がり気味。これはヨリコだ。ヨリコの口がさっきから同じ動きを繰り返しているのだ。声は発しないが、唇の動きでそれは言葉だとわかる。あ……の……ひ……と……。あのひと……あのひと……あの人!
スグルが「あの人」! ヨリコがしきりに言った、もう一人の仲間である「あの人」なのか!? いや、それはいささか短絡的な発想なのではなかろうか。現にスグルは何も知らない。本当にあの人の正体なのだとすれば、謎の秘密主義を貫き通している可能性もあるが、ジンケにはそうとは思えない。スグルは突発的に嘘をつくことはあっても、計画的につくことはないのだ。だからこそ慕っている。信頼している。尊敬している。スグルが「あの人」ならば二人の関係はおしまいだ。そんなことは望んでもいないし、考えたくもない。
「この件については、今度三人で話そう」ジンケは言う。「難しいんだ。ヨリコにも協力してもらわなきゃ話の方向が逸れる気がする。今度みんなで、洗いざらい腹を割って話そう」
「俺には洗いざらいも、割る腹もないけどね」スグルが言う。
「確かに」ジンケは答える。「何か変な感じだけど、僕とヨリコが、スグルを通して牽制し合っているのかもしれない」
樹が戻ってきた。巧は無人のお座敷に寝転がり、本棚から引き抜いた絵本を広げている。
「ちょっといい?」樹が言った。「お兄ちゃん達の話聞いていたら、僕も話した方が良いような気がするんだ」
何のことだろう? ジンケもスグルも猫のように目を丸くした。




