表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/75

ナオユキ

 大型漁船が停泊する港湾にほど近い、誰もが目を引く豪邸。一見して有能な漁師。都会的なセンスを併せ持ち、生産から加工まで会社単位でこなし、その顧客は全国津々浦々。何もかもがうまく行っている雰囲気を全面的に押し出す大邸宅。ここはナオユキの家。

 彼の部屋には四人の少年がいた。まずは部屋主であるナオユキ。そしてカントリーロックさながらに長髪を後ろになでつけた腹心のハッセ。その隣には幼少期から病気がちだが悪知恵一番のタカシ。最後にナオユキに対峙して、どっしりとあぐらをかいて座る貫禄みなぎるお馴染みのガイ。この四人だ。

 ハッセとタカシはナオユキ邸へのフリーパスを取得している。親がいようがいまいが、ナオユキ自身がいなくとも好き勝手に出入りできるのだ。その件に関してはナオユキの両親も別邸で暮らす祖父にも祖母にも公認である。二人は実によく立ち回っていた。一言で言えば「気に入られていた」のだ。タカシは口がうまい。社交的でお世辞も達者。小柄で病気がちなのも相まって、同情と笑いを同時に買えるという稀有な才能を持っている。ハッセは見た感じは典型的な不良だが、ナオユキ家の血統は総じて不良のレッテルを隠し持っていた。枠からはみ出すくらいじゃなければ、成功者になれないというのがナオユキ家の家訓と言っても良いくらいだった。それに、ハッセもタカシも性根の明るい素直な少年だ。将来は息子の部下にもってこいの人材だと、ナオユキの両親は密かに考えていた。そして彼らはこうも考えた。この二人の少年がいてくれた方が息子の側に近寄りやすい。むしろ、ハッセとタカシと話している方が楽なのだ。実の息子よりも、話していて安心するのだ。最近、息子のことがよくわからないのだ。

 身長は既に父のそれを越え、端正なマスクは今でも若く美しい母親似。小学校時代の成績は常にトップ3以内をキープし、特にスポーツは何をやらせても大人顔負けの成績。こんな片田舎の小中学校でなければ、スカウトマンがこぞってやってくるはずだ。スポーツ選手はもちろん、俳優でもアイドルでもモデルでもいい。そんなスカウトなんぞは全て蹴っ飛ばし、医者でも弁護士でも学者でも、どんな道にでも進めるだろう。あわよくば全て同時に、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチにでも我が息子ならなれるだろう。だからなのかもしれない。もう、息子は完成しているのだ。親として食い入る隙がない。まだ幼さの残るハッセとタカシを左右に配置することによって、息子の超人性を分散させる。濃いスープを湯で薄めて飲みやすくするのだ。そう、息子とは飲みやすくしないと対峙できない。これが両親の本心だった。

 部屋は紫煙に満ちている。ナオユキ以外の少年がタバコを咥える。肺まで煙を入れているのはハッセのみ。タカシもガイも、いわゆるふかしタバコだ。ナオユキは滅多に吸わない。常習性というものに興味が沸かない。近頃ではパイプを咥える方が性に合っている。あの芳醇なる草の香り。これはまだこいつらには早い。

「めんこいな」ハッセが言う。

 四人は輪になって座り、四人とも中心を見ている。

「うん、めんこいね」タカシが言う。

「だべ?」ガイが答える。

 四人の視線の先には猫がいる。子猫。ガイ自慢の冬に生まれた珍しい子猫だ。

「ちょっと見て」タカシが人差し指を子猫の鼻に近づける。

 子猫は顔をしかめてもんどりを打つ。

「猫ってさ、タバコの匂い嫌いなんだ」タカシが言う。

「マジか」ハッセも利き手の人差し指を突き出す。

 子猫はか細く鳴いて顔を背ける。ハッセもタカシもへらへら笑う。顔だけ見れば、どこまでも無邪気だ。

「じゃあ俺行くわ」ガイが言う。

「もう行くのか」ナオユキが聞く。

「次があるからな」ガイが答える。「あんまり猫いじめんなよ。猫は祟るからな。シャレになんねえど」

 その口調に脅すようなニュアンスは感じられない。むしろ悪魔的な笑みが含まれる。どこか隠語めいた、肯定的な雰囲気がガイの口調には感じられる。

「それからよ」半ば部屋を出ようとしていたガイは立ち止まって言う。「用心しろよ」

「やっぱり本当なのか」ナオユキは問う。

 ガイはそれには答えず部屋の外に出る。一度も振り向かず、丸い背中をゆっさゆっさと揺らし、後ろ向きのままどこまでも横柄に戸を閉める。すべきことはした。この情報をどう活用するかはお前ら次第だ、とでも言いたげに。

「なあ、ナオユキ、これ見てみ」ハッセが言う。

 ハッセとタカシは互いの人差し指で子猫を挟み撃ちにする。子猫はにゃあにゃあと顔を背ける。しかしどちらに背けても目の前にはニコチン棒。無間地獄だ。

「お前らどう思う?」ナオユキは聞く。

「何が?」ハッセが聞き返す。

「ガイの話だよ」ナオユキが言う。

「あり得ないね」タカシが答える。「ガイは確かに事情通なところがあるよ。だけど今回は違う。なんか子どもっぽい。それとも俺らの方が大人なのかな」

「ああ、どうせホラだろ」と、こっちはハッセ。

 聞いておきながら期待などしていなかった。この二人には何か大きな開きを感じる。もちろん、気心の知れた親友だ。周りは子分だ舎弟だなんて陰で噂するが、そんなんじゃない。俺たちは対等な関係だ。ただ、俺だけが離れて行く。頭一つ分開いた身長差よりも、決定的な何かが俺たちを分け隔てる。タカシはガイを子どもっぽいと言ったが、ナオユキはそうやって大人に媚びへつらうような態度をとるタカシこそが、(言語的矛盾は認めるが)子どもっぽいと感じた。ハッセにしてもそうだ。最近はやけに口が少ない。意図的に非現実的な事から口をつぐんでいるように思える。きっと、ハッセだけが堅実な将来設計を立てているからだ。ハッセはすでに義務教育終了後の身の振り方を決めていた。工場勤務の寮生活。この一択だと言った。そして自分で稼いだ金で夜間の調理師学校に入学する。それもこれも母親を支えるためだった。母親の店。女手一つで切り盛りしてきたスナック。見ず知らずの酔っ払いに「ママ」と呼ばせる母親とは衝突することもあった。だが、ハッセは堅実だった。口では「あんなババアもう客呼べねえ」なんて言っていたが、今後の店の方針をしっかりと考えていたのだ。料理屋だ。最初は厨房に立たせてもらうだけでもいい。徐々に自分の料理と母親の接客術が融合し、ゆくゆくは創作料理をメインでやって行ければ良いと考えていた。第一、母親の美貌は永遠ではないのだ。そうハッセは悟っていた。

「貸せ」未だニコチン責めに興じる二人からナオユキは子猫をひったくった。

 子猫は解放された喜びに身を躍らせ、この身を包む新しい保護者の指を舐める。よかった。あの嫌な匂いはしない。この人は本物のお母さんなのかもしれない。きっとそうだ。悪い者たちから自分を救い出してくれたのだ。子猫は必死にナオユキの指を舐める。

 この猫は俺だ。何を成さずとも、持って生まれた愛玩力のみで社会は彼を受け入れる。ニコチンの匂いが何だ。鼻を背けず受け入れろ。人々の期待、関心、好奇の視線は言ってみればこの二本のニコチン棒だ。受け入れてみろ。さすれば愛玩動物としての一生は保証してやる。この腐った世の中に折り合いをつけてみろ!

 その時子猫は感じた。この守護者からは別の匂いがする。あの嫌な匂いではない。もっと何か、根源的な、荒々しい、命を脅かすような、野生的な匂い。子猫はこの匂いが嫌だった。あのニコチンの匂いよりも嫌だった。子猫の遺伝子は既に、愛玩動物のそれと化し、この守護者の匂いとは一線を画していたのだ。

 ナオユキの指に痛みが走った。子猫がその棘のような歯を立ててナオユキの指に噛みついたのだ。まだ未成熟な猫が有する全身全霊の一撃だった。

 咄嗟にナオユキは猫を放った。

「あ!」ハッセとタカシの掛け声と共に猫は宙を舞った。

 天井近くまで舞い上がった猫は、爪を立てた四肢をムササビのように目一杯広げた。そして、その高さが頂点に達した時、四肢の爪は収納され一瞬の無重力の中でそれぞれの役割を悟った。着地までの距離、時間、角度、そしてどうすれば衝突のエネルギーを相殺できるか、子猫は野生の論理で瞬時に理解したのだ。

「おおお!」歓声と共に子猫は着地した。

 目にも止まらぬ回転を重ね、音もなく、床に吸い込まれるように着地したのだ。猫の能力を知らぬわけではなかったが、少年たちはそのしなやかな動きに魅了された。

「おもしれー! 俺もやっていい?」タカシが手を伸ばす。

 だが、ナオユキが制した。猫は拒絶したのだ。愛玩動物として生きる道を蹴った。その証拠に、目の前の猫は違った。先ほどまでの無力な泣き喚く子猫ではなくなっていた。覚醒しつつある己の野生を全力で信じ切った、孤高の獣と化していた。タカシが伸ばした手に対して、一定の距離をとったのだ。

 ナオユキは警戒の姿勢を保ったままの子猫を後ろからすくい上げるように持ち上げた。そこはやはり子猫だ。虚を突かれた大いなる力の前には抵抗する意思がない。餅のように脱力し、ナオユキの胸に抱かれた。

 そのままナオユキは窓に向かった。ここからの眺めは良い。父親のこだわりだった。家を建てた時に、子供部屋からの景色は最高のものを要求したのだ。結果、この窓からは町の全てのシンボルをワンフレームに収めることができる。まず一面に広がる海。外湾と内湾を隔てる真っ赤な大橋。内湾の中央でひっそりと佇む弁天島の社。そしてそれらを見下ろすお団子山。

 ナオユキは弁天島の社を見つめた。海の青と空の青が交わるところ、水面が太陽を反射して千々ときらめく。眩しさに目を細めると、そこに何かが見えたような気がした。ガイが言っていた言葉を思い出す。

 ーーその時初めておっちゃんは、透明だと思っていた子どもが、水色だってわかった。海の色だーー。

 海の色。水色の子ども。どうだ? お前はどう思う? 会ってみたいとは思わないか?

 ナオユキは胸に抱いた子猫を撫でた。粗野で無骨な撫で方だった。子猫は頭で押し返してそれに応えた。そこに必要以上の戯れ合いはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ