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臨時会議

 まだ四日目だぞ。最低でも一週間は外に出たくない。年が明けるまでは家にこもるって決めたんだ。パンツもシャツも取り替えない。部屋着のフリースは二枚重ねで着っぱなし。風呂も入らず顔すら流さない。歯だけはたまに磨こうか。ほら、鬚もこんなにたっぷり伸びた。

 教師木村は自宅の洗面台に立っていた。鏡の中の髭面はおよそ教師らしからぬ風貌だ。今時泥棒ですらもっとましだろう。ああ、強いて言えばレスラー。それもロシアのレスラー。心優しき悪役レスラー。それが俺。

 丸々三週間伸ばしてやろうと思ってたのに。その自撮り写真を生徒たち、特に女子に見せて、きゃあきゃあ悲鳴をあげるのを見てにんまりする予定だったのに。こんなにも早く断念せねばならぬとは。遺憾だ。興醒めだ。誠に無念だ。

 木村はたわしのような顎に電気シェーバーを当てた。バリバリと悲鳴をあげながら剛毛が吸い込まれる。かわいそうに。俺の鬚。俺の顎まわりの春。飛んで行け。まあいい。残りの二週間でどこまで伸ばせるか、だ。

 風呂に入る時間はないな。臨時会議まであと30分。空気に触れる部分だけは見られるものにして行こう。10分前に出れば間に合うな。あとは歯を磨いて……髪はどうするか? きっと匂うぞ。シャンプーして乾かして、それだけで15分はかかる。どうする? この際、計画的に遅刻するか……。

 一昨日の事だが、木村も銃声を聞いた。最初は爆竹の音かと思った。すぐにナオユキの顔が思い浮かんだ。いや、そんなやんちゃな事をしでかすのは、その腹心ことハッセ。そして病気がちだが悪知恵一番のタカシだ。ナオユキに関してはやんちゃというイメージはない。むしろ育ちの良さをオーラの如くまとっている。言葉にすると妙に照れるが、言うなれば皇帝だ。王子と言うより皇帝。幼さがない。あれで鬚でも蓄えれば立派な王だ。昔風の言い方だとガキ大将だが、それではふさわしくない。もっと洗練された悪童精神がナオユキには備わっている。ガキっぽいいたずらから、ギリギリの軽犯罪まで悪の眷属を統べているいるのだ。だからハッセもタカシもナオユキの忠実なしもべなのだ。

 だがあれは爆竹などではなかった。もっと決定的な一撃だった。おそらく銃声だ。あれが爆竹だとしたら駄菓子屋は合法的武器庫だ。本物の銃声はもちろん聞いたことがないが、運動会のピストルよりも鋭角な音だった。なんと言うか、目的を持った音。もっと攻撃に特化した音だ。それに関しては不思議と確信している。

 事件の詳細は知らない。冬休みに入ってから誰にも会っていないし、新聞もテレビ欄以外は見ていない。テレビも録画したものばかり見ている。あまりにも堕落している。教師失格だ。もしかすると何かの前兆なのかもしれない。木村は元々どうしようもない怠け者だった。だけどこうして小学校教諭になれた。特に努力もしていない。怠ける時は怠けて、やる時は人並みにやっただけだ。木村は自分自身をわきまえていた。自分よりも、自分を取り巻く大きなうねりのようなものを信頼していた。自分はそのうねりの中の微細な気流のようなものだった。木村はある種の前兆に従って生きていたのだ。冬休み突入直後の臨時招集。これは、きっと、やる時なのだ。

 教頭からの電話でも、詳しい話は聞かなかった。なにやら安全指導を強化するための臨時会議ということだ。誰か生徒が怪我をしたのかは訪ねた。答えは「いない」だった。だからとりあえず安心はした。銃声のことは聞かなかった。木村は必要以上のことは聞かないようにしている。もしそれが自分にとって事柄なら、大きなうねりが届けてくれるはずだ。無関心ではない。分相応なのだ。


 職員室に入ると視線の集中砲火を浴びた。15分の遅刻だ。他の教師は全員集まっている。木村は小声で「すみません」と言うと。一直線に自席に着いた。視線の弾丸は痛くも痒くもない。なぜなら、これが分相応な行いというものだからだ。

 結局シャンプーをしたのだ。だから15分遅れた。なぜなら木村の向かいの席が音楽教師の川上恵子だから。紅一点の恵子先生は生徒からの人気はもちろん、教師の中でもマドンナだった。もちろん大人たちはこれ見よがしに態度では示さない。だが、美人なのだからしょうがない。そう、誰が見ても恵子先生はキュートだ。美人が職場にいるってだけで、やる気が出るってものだ。

 恵子は木村より2年先輩にあたるが、大学を二浪して教員免許を取った(それも前兆に従ってのこと)木村とは同い年だった。木村は椅子に腰かけて顔を上げる瞬間、恵子の顔を覗き見た。恵子の顔はまるで春のモグラだった。いや、モグラが可愛いと思っているわけではない。ただ、土から出てきたモグラのような笑顔がそこにあったのだ。すぐに木村はおどけた顔で返した。声のない笑いが二人の間を流れた。木村は恵子に惚れていた。だがそれは分不相応というものであった。

 教頭の話はまとめにかかっていた。木村が収穫できたのは僅か、物語の根っこのみである。

「であるからして、担任の先生方は各生徒の家に連絡をしてください。くれぐれも連絡網は使わないように。直接、親御さんに注意を促すのです。まあ、強制というわけではありませんが、こういう件に関しては、真摯な態度で臨むのが教師というものであります。ええ……今後も警戒態勢は続けていきます。先生方はいつでも学校に来れるような心づもりを持っていてください。以上、私の話はここまでです。何か質問はーー」

「本当のところはどうなんですか?」

 質問をしたのは国語教師の野茂だった。野茂は教頭よりも年上で、頼り甲斐のあるベテラン教師だ。

「あの、我々がこんなこと言っていいのかわかりませんが、やはり不可解ですよ。警官が発砲したけど、その相手がいない。一体何に対して威嚇したって言うんです? 被害にあった女性は相当ひどい怪我でしょう? 警官は守ろうとしたんだ。その女性を。一体誰から? そこんところ、警察から何も聞かされていないんですか?」

「ありません」教頭は答えた。「いかんせん、調査中ということで。それにプライバシーもありますから。何か注意を促せるような進展があれば、当校にも連絡をいただけるとのことです。とにかく私たちにできることは生徒たちの安全の確保。外出は控えるように、海へは近づかないように、注意を喚起することです。他に何か?」

 質問は出なかった。そのかわりにどっと会話が溢れた。もう教頭のことなどお構いなしだった。国語教師の野茂の元へ堰を切ったように質問が飛び交った。無論、野茂が回答できる保証はないが、とにかく喉に詰まった不可解を痰のように飛ばさないと気が済まないのだった。「では本日の臨時会議は以上」という教頭の声もかき消された。

 やれやれと木村が立とうとすると、恵子が隣に来た。

「木村先生、途中からで全然わからなかったでしょう? 私、説明しましょうか」恵子はそう言った。

「え……」木村は一億円でも当たったような顔をして、「いいんですか?」と答えた。

「ここじゃあちょっとうるさいですよね」恵子は顔を近づけて言った。「音楽室どうですか? 私、ピアノの練習してくんで」

 木村のみぞおちに花が咲いた。

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