レクチャー1
スグルの家に着いた。玄関を開けるまでもなく、中からにぎやかな声が聞こえた。春の温まった空気のように、声は弾んで跳ね返っていた。スグルの弟たち。樹と巧だ。
内側から戸が開く。
「じゃあ俺行って来るからな」スグルが後ろ向きに出てくる。「巧のこと頼んだぞ」
「オッケー」と樹。
「たくちゃんも行くー!」と巧が駆けて来る。
「だめー」とスグルは言って戸を閉める。すりガラスの中で檻の中の猿のように巧が暴れる。わー、きゃー、といった悲鳴とも歓声とも取れる興奮しきった声が家の中で膨張する。声が遠のき、それに替わってけたたましい足音が響く。家はくにゃっと腰を曲げる。
「二人、何して遊んでるの?」ジンケが聞く。
「最近さ、鬼ごっことかくれんぼとだるまさんが転んだを、同時にやるのにハマってるってさ」
「すごいね」
「うん。俺にもルール把握できないんだわ」
お団子山への近道は、町の唯一の書店の裏から行ける。
彼らの町は港湾である。しかも内湾と外湾に分かれている。形はひょうたん型で、くびれの部分には橋が架かり、外側は外海へとつながる。内湾は汽水湖で貝の養殖が盛んだ。外湾は海流に恵まれた豊かな漁場である。町はちょうど、ひょうたんのくびれを中心に発展していて、湖北地区と湖南地区に分かれる。お団子山は湖南地区。町の中央に鎮座ましまし、その頂上からは内湾も外湾も遠い外海も望むことができる。絶景のスポットだ。
ゆえに町のどこからでも登ることができるが、正規のルートとして遊歩道が設けられていた。しかし遊び慣れた子どもたちは用意された道を拒む。ジンケとスグルが開拓したのは、書店裏の直線ルートであった。ここならば、頂上まで十分とかからない。
道中、吹きだまった落ち葉が行く手を阻む。そのしゃりしゃりとした感触に膝まで埋まりながら、軽登山を楽しむ。雪が降る前なら冬の山も良いものだ、と二人は思う。
秘密基地は山の中腹にある。そこは「鹿落としの谷」と呼ばれる遺跡だ。遺跡と言っても保存されているわけではない。先住民が鹿を追い立てた場所。鹿の骨が大量に出土したという土地。だからこそ秘密基地にはふさわしい。秘密は骨と共に眠るのだ。
基地は元々四人で作ったものだった。ジンケ、スグル、ガイ、そしてガイの親戚筋にあたる三つ年上のやっちゃん。当時、外で遊ぶと言えばこの面子だった。やっちゃんは不思議な先輩で、少々危険を伴う魅力的な遊びをたくさん教えてくれた。いつも年下の子どもたちとつるみ、どこからともなく現れた。ハックルベリー・フィンのような少年だった。彼と同じ年齢になった今ならわかる。きっと同い年の友達がいなかったのだろう。後から聞いたことだが、やっちゃんは先住民の血を引いているとのことだ。野外に慣れていることも、どことなく孤独なところも、それと符合するような気がする。
やっちゃんとはぱったり交流が途絶えた。引っ越したとガイが言っていた。そう、話題にしたことはないが、となるとガイにも先住民の血が通っているのかもしれない。二人は親戚筋なのだから。しかし、色白でぽっちゃり体型のガイに先住民の面影はないとジンケは考えていた。それに、ガイは少々猟奇的なところがある。だから最近では距離を置くようにしていた。
「よし、到着」スグルが言った。
基地は一見すると巨大なヤチボウズだ。ヤチボウズ【谷地坊主】とは寒冷地方の湿地帯に生息するスゲ属植物の集合体で、大きさは直径40〜50㎝、地中から頭を出した童子のような見た目から愛敬を込めて坊主と呼ばれている。
春から夏にかけては、その頭部から緑鮮やかな草を生やし、観光客の目を賑わすが、秋を過ぎるとざんばら頭の落武者、その首切り場といったていで、一転して不気味な雰囲気に様変わりする。
忘れ去られた山腹の遺跡に、高さ2m級の巨大谷地坊主が突如として現れた。まるで湿地帯を統べる王だ。王のみが山を根城にすることができるのだ。だがしかし、その実体はスゲ属植物集合体などでは決してない。枯れ草で巧みに表面をカムフラージュした、少年たちの秘密基地なのだ。
海岸で拾った流木、港の漁師小屋から拝借した縄や網、朽ちた廃屋から失敬したベニヤやトタン。それらを先住民の伝統を受け継ぐやっちゃんの指導の元で組み上げた。小人族ならば豪邸だろう。メインルームには丸木の大机と切り株の椅子が4脚。一斗缶をつなぎ合わせて作った撒きストーブ周りには簡易的なキッチンもある。開閉式の天井は物見櫓としても機能する。一個小隊が駐屯するには十分な設備だ。
二人は基地を覆う枯れ草の束を退ける。これはカムフラージュとしてだけではなく、雨雪から基地を守る効果もある。と、入り口が出現する。これだけは本当に小人サイズだ。戸板を外し、腰を曲げて中に入る。
「意外とあったかいや」スグルが言う。
「うん。外の草、断熱の効果もあるね」ジンケが答える。
スグルが貯蔵庫から缶コーヒーを2本出す。これは地面に穴を掘って叩いて固めて枯れ草を敷いただけのもの。上から板を被せれば床と同化し、宝物を隠す時にもここだと決めている。
壁にはちょっとしたアンティークショップに見えなくもない直付けした棚がある。きれいな石、動物の骨、変わったガラス瓶、鳥の羽。博物館さながらに少年たちの蒐集物が並ぶ。
二人は大机を挟んで座る。缶コーヒーを開けて目配せで乾杯。同時に「ふーっ」と息を吐く。
「それでさ、俺は何をどうすればいい?」スグルが先に言う。
「まずは練習からだね」ジンケが答える。「寝る時って仰向け?」
「仰向けだよ。俺、寝相が良いんだ。朝起きてもそのまんまの格好。手もこう。ずっとこう」
スグルは両手を胸の前で組む。言っては悪いが死者の寝相だ。
「たまに起きてびっくりするんだ」スグルは言う。「手と手がアロンアルファでくっついたみたいに動かなくてさ。落ち着けばどうってことはないんだけど、ほら、指の関節と関節ががっちり噛み合っちゃってさ」
「うつ伏せは?」ジンケが聞く。
「無理。苦しいもん。寝る時は絶対仰向け」
「多分ね、個人差はあると思うんだけど、仰向けでは難しいと思うんだ。うつ伏せが無理なら最初は横でもいいよ。背中丸めて、膝も曲げて、そう、胎児みたいに」
スグルは老人のように顔をしかめる。
「眠る必要はないんだ。ぼんやりしていればいい。眠るか眠らないかの狭間でね」
「なんでうつ伏せがいいんだ?」
「ここのさ」ジンケは自身の延髄部分を指す。「首の後ろは開けといた方がいいんだよ。ここが出入り口なんだ。って言ってもあくまでイメージの問題なんだけど。きっと、ここが一番イメージしやすい」
スグルはイメージする。自分が霊となって肉体を出入りするところを。言われてみれば、仰向けよりもうつ伏せの方がやりやすいような気もする。単純に動作が少ない。膝と手をついて、地面を押せば良いのだ。
「脱皮に関係しているんじゃないかと思うんだ」ジンケが言う。「昆虫や爬虫類の脱皮ってうつ伏せでしょ。動物はみんなうつ伏せで寝るし、首の後ろを撫でてやると安心するんだ。それはなぜかと考えたら、撫でて気持ちが良い場所って、日頃よく使ってるってことだよ。凝ってるのさ。そりゃあ、首が凝ってるだけかもしれないけど、僕はそれだけではないと思う。動物はさ、僕らが考えている以上にやってるんだよ。離脱してるのさ」
スグルは、相槌だけは規則的に打つようにしているが、正直話が理解できない。脱皮がどうして幽体離脱と関係するのか?
「まあ、細かい話は置いといて実践的な事を言おう」ジンケは続ける。「まずは眠るか眠らないかの状態だよ。そこに持って行くんだ。リラックスしているけど緊張している。このまま眠りに落ちてしまいそうになるけど、どこか姿勢が苦しい状態。それを維持するんだ」
「ああ、なんとなくわかるかな」スグルが言う。「すごく眠くて気絶するみたいに落ちるんだけど、何かの拍子で目覚める時あるよな。その間のことなのかな」
「そう。目覚めちゃったらやけに目が冴えない?」
「冴える。さっきの眠気、もったいないって思う」
「そこなんだよ。なんでかわからないけど、その中間ってないんだよ。本当はあるんだけど、何故か、ない扱いになってる。僕は思うんだ。なんらかの理由で、そこにアクセスできなくなったか、意図的に封じら込めれたのか」
「ジンケ」スグルが遮る。「もうちょっと……わかりやすく」
「ああ、ごめん」ジンケは一息つく。缶コーヒーをすすり、脳の裏側を覗くように目を泳がす。「人間は起きている時、そして眠っている時、大きく分けてその二つ。目覚めている時は意識がある。眠っている時は俗に言う無意識。だけど、本当はもっと複雑だと思う。白と黒みたいに分類できるものではない。目覚めていても無意識はあるし、眠っていても有意識はある。だから、白昼夢がある。だから夢の中で、これは夢だと気がつくこともある。ここまでは良い?」
「ああ、なんとか」
「それを踏まえてだよ。もう一つ踏み込んでみる。意識って、人間が起きている時と眠っている時だけに限定するのが、そもそも浅はかなんだと思う。ここで出てくるのが、さっき言った、眠るか眠らないかの状態。どちらでもない状態のことだよ。それこそが意識の源泉であり、大海原、大宇宙なんだ。だから、僕らの現実世界、そして夢の世界は、その無限の意識が見た夢みたいなもの。おならやげっぷみたいにぷすぷす漏れるカスなんだ。いや、エアー、ガス、そういった方がわかり良いかな」
「うー」スグルが頭を抱える。「んー」頭を振る。「わー!」爆発する。「わかんないわ!」
「とにかく」ジンケは無視して続ける。「その眠るか眠らないかの状態、意識と無意識の狭間でこそ、人間は超自然的な力を発揮できるんだ。ありふれた言葉を使うとトランス状態だよね。シャーマン、イタコ、占い師の一部もそうだけど、最近ではFBI超能力捜査官。ほとんどはインチキだけどね、中には本物もいるんだ。彼らは使いこなしている。眠るか眠らないかの状態。どちらでもない状態。全ての意識を司る、大海原ないし大宇宙をね」ジンケはぐいっと缶コーヒーを飲み干し、茶目っ気のある顔をして付け足す。「ちなみに本物の能力者はテレビに出ないよ。出てるのはみんなインチキね」
「やっぱり?」これだけはスグルにもわかる。「お金もらって演じてるだけ?」
「最初は本物だった人もいるんだと思うよ。だけど、一度テレビに出ちゃうと、もう手遅れなんだと思う。見えない契約書にでも書いてあるんだよ。『マスコミに関わると力を没収する』ってね。それだけデリケートなのさ。意識と無意識の狭間って」
「うーん」スグルは観念したかのように首を振る。「なんとなく、言いたいことはわかったような気はする。それで……具体的に俺は何をすればいい? と言うより、何ができる?」
言いながら、腹が減ったな、お菓子持って来ればよかったな、とスグルが考える。




