万一の覚悟
結局、損耗の激しい身体は、沸騰する頭を気絶させたようだ。翌朝、屋敷内の騒がしさで目が覚めた。
といって大怪我で安静にしてろと言われていた俺のところには何の情報も来ない。ベッドから身体を起こすことができたので、壁際の椅子に座って控えているメイドに聞いた。
「凛姉のことで、その後なにかありましたか?」
ついでに「凛姉さま」から俺としてしっくりくる「凛姉」呼びに切り替える。公的な場所じゃなければ構わないだろう。
「はい。お嬢様の連れ去られた場所が分かったようです」
「あぁ、それはひとまず良かった。俺の情報が正しかったんですね」
苦しげな表情をメイドは見せる。どうやら凛の受けている被害状況も多少伝えられているらしい。
俺の証言した「情報」は、この世界この時点では本来俺たちが知ることのできない内容だ。男爵家はこの先一カ月以上にわたって探しまわるも、凛の居場所をついに見つけることができなかった。その結果、凛は手遅れになってしまう。
やがて呪われた女奴隷剣士となってしまった凛の最初の贄としてこの屋敷は再び襲われ炎上し、御坊男爵家は「滅亡」した。
凛は魔術による催眠で敵と誤認させられた上で、家の者たちを手に掛けることになるのだ。もちろんこれも凛の心を絶望させて呪紋をさらに深く確かなものにするための話だ。
男爵家を襲う悲劇に先立って孤児院に身を寄せていた主人公を孤独に突き落とし、不律はさらに無力感を深めることになる。
不律が再び凛と相見えることができるのは、このずっと先、王立学院で聖女を奪われるときにだ。
聖女を拉致して己のものにしようとするザレンに戦いを挑み、真正面からの決闘でザレンの剣を叩き伏せたところで、凛が扇情的な露出の多い衣服に身を包んで現れる。
そして「主」への忠誠心をとうとうと語って、御坊男爵家を自ら滅ぼしたことの次第も明かし、冷たいまなざしで主人公を見据えるのだ。
「我が主君はザレン様のみ。邪魔立てするならその命ごと排除します」
「凛姉さま、どうして!?」「目を覚まして!?」などと叫ぶばかりの「優しい」主人公は、この時凛に鋭い剣を向けることができなかった。
あげく聖女も連れ去られる結果に終わり、ザレンに囚われ隷属の措置が済んで戻ってきた聖女からも、不律は軽蔑の目を向けられさよならされてすべてを諦めてしまう。
ちなみに小説における主人公のラストシーンにも凛は関わっている。
もはや後見人もおらず底辺にまで落ちぶれた不律が、生活のため何も持たない一兵卒として従軍した魔獣討伐の最前線でのこと。
指揮官になったザレンと聖女が豪華な天幕の中で愛し合う様子を「偶然」覗き見してしまった「僕」を、昔の「凛姉さま」時代を思い出したかのような懐かしく甘やかな言葉で彼女は誘い出し、やさしく言いくるめて裸に剥いて魔獣の森に捨てていくのだ。
なんで主人公は裸になってたかって? 最後の実用シーンだからだよ。
「あのとき助けてもらえなかった私も寂しかったんです」「ふふ。もうどこもかしこも使われているから、気にしないで」などと細い指を主人公の身体にからめるようにして思わせぶりに耳元で囁かれ、そんなのダメダメイヤイヤと口では言いつつ期待して身ぐるみ脱がされてしまう。
期待しといて「こんなの凛姉さまじゃないイヤイヤ」じゃないだろうが! カマトトが!と今更ながら小説の主人公である「僕」にエアツッコミを入れる。
いくら凛が昔に戻ったかのように振る舞ったからといって、十二分に疑わしいだろう。危機感仕事しなすぎではないか。
自分のことながら、この馬鹿猿がとしか言いようがないが、俺のなかの「僕ちゃん」は、小説の主人公にめちゃくちゃ同情している様子だったから、この世界でも順当にいけば騙されるに違いない。
で、やさしく震える子鹿のように裸に剥かれたところで、凛からの「お前なんかバーカバーカ」の刑である。
実際のセリフは小説の掉尾を飾るにふさわしい作家の計算された心を抉る決めセリフの連発で、僕ちゃんもその記憶を読み取って無事死亡していた。
――凛は、不律を激しく憎んでいたのだ。自分を血にまみれた終わりのない苦界に落とすきっかけとなった男として。そして、あくまで受け身な姿勢で自分の手を汚さずに凛の誘惑に期待しているだけの男に対して。
というわけで、凛がこの時点で最大のターニングポイントといえる。凛はこの僕ちゃん=俺のなかでもっとも重要な生命線なのだ。絶対に助け出さなければならない。
まずは凛をなんとか救出して、隷属の人形剣士にされるのを防ぐ必要がある。
だいぶ身体が動けるようになった俺は――ポーションの効果がすごい――メイドの制止をふりきり部屋を抜け出した。
屋敷の広間へと駆け込むと、庭へとつづく広縁から、当主夫妻が庭に控える配下の者たちに慌ただしく指示を出している姿が見えた。
「義父上! 凛姉さまが見つかったんですね!」
凛の父、御坊男爵当主の侃郎は四十がらみのがっしりした男だ。背丈は平均より少し高いぐらいだが、首も胸板も厚く動きは俊敏。かつては卯城伯爵家の執事職のひとりで、伯爵家を離れたあとは商売をしているというが、商会は別のところにあるらしく、俺も詳しくは知らされていない。
「あぁ、不律か。お前はケガしていたんだ。まだ本調子でもないだろう。寝ていなさい」
「いえ、凛姉さまのことなんだ。俺もいさせてください!」
ここぞとばかり、俺は心の僕ちゃんの熱い感情を外に迸らせ示した。ほっとけば今にも屋敷の門から一人で駆け出していきそうな危うい衝動。
身じろぎせずに聞いた侃郎は眉をかすかに動かし「そうか」と言って、俺をそのままにしてくれた。
「不律から聞いた話が正しかったようです。凛は屋敷の地下室で隷属の呪をかけられようとしていました。今のところ凛も抵抗していると聞いてます。今しばらくは持つことでしょう」
「義母上……」
と苦々しく語るのは凛の母・優だ。控えめな佇まいで夫・侃郎によりそっているが、細身に見える身体はよく鍛えられていて、俺と凛の剣の師匠のひとりでもあった。
「しかし、そこにザレンというまだ小さい子どもがいたと報告を受けています」
「勇者と有紗さまとの息子……だったな」
現在王家へと提出している卯城伯爵家の家譜では、もと嫡男だった俺は除籍され、後継者である嫡女のアリシアの下、長男ザレン。だいぶ歳が離れて次男ライトと続いている。
彼らはアレスにとっては婚外子ではあるが伯爵家として「聖なる使徒」勇者の血を享けた正当な継承権のある子供たちとしての扱いを受ける。
俺は相続権を持たぬ庶子として、のちに改めて家譜に記入されたというが、前述のとおり伯爵家とは殆ど没交渉のまま育ってきた。
「いま、ザレンといいましたか? そいつが凛の呪の主になるんだそうです。そうあの夜に話していたのを聞いてました」
すかさず小説の知識を出し惜しみせずに義父母と共有すると、優は眉をひそめて言った。
「やはり、アレスのあのおぞましいスキルは子にと受け継がれていたのですね」
「凛を助け出すには、勇者と敵対せざるを得ない。しかし先に手を出したのは勇者である以上、我々としても抵抗もせずに死ぬわけにはいかぬな」
侃郎も続け、近くに控えている賽助に「並行して、かねての備えのとおり地に潜る用意もせよ」と伝えた。賽助は目を見開いて聞きかえす。
「まことにですか!」
「仕方あるまい。これよりは時間との勝負だ。急げよ」そう言うと、侃郎は優に向かって言った。
「我々は、この先のことを奥の間で賽助としばらく打ち合わせる。優、この場は任せた」
「分かりました」
身を翻して侃郎と賽助は座敷へと入っていくと、その場に俺は優と取り残されたかたちになった。優は俺の顔を見て問うように言った。
「凛を助け出すことができれば良いのですが……」
「しかし、呪が完成してしまえば、凛姉さまは彼奴らの意のままになってしまいます。家の武技も奪われ、俺たちの敵にまわってしまうかもしれません」
いきせききって喋る俺にかすかに頷いてみせる優は、試すように俺の目を見つめた。
「万が一のときには、本当にかわいそうなことですが……いっそ……というのが凛にとって救いになりましょう」
――凛に、死を与える。
俺は唇を噛みしめる。
この世界に生きてきた「僕」は、当たり前だがこの世界の事情について、本質的にはこの世界の余所者である俺よりずっと理解している。
「僕」は分ってはいるのだ。優しいというか優柔不断な人間で、ただうだうだと決断できず、大切なものはなにかと問われたときに、分かっていてなお口にするのを躊躇する。そんなふうに創作者によって意図的に「作られた」性格なのだ。
だから俺は、「僕ちゃん」の無意味にかけてくるブレーキをあえて意志をもって無視する。うだうだともやもやとした感情が胸に湧き上がるが、頭を使って「僕」のもつこの世界の理屈で考えれば俺にもわかる。
――このなんにも決めたくないでいる感情は、寝取られ小説の進行のために湧き上がっているだけで、この世界で生きる俺たちとって、なんの利益にもならない――と。
それらは小説の神様が与えてきているクソの制約に過ぎないのだから。
「そうならないよう、必ず救い出しましょう。しかし万一のときには俺が凛姉の介錯を引き受けます」
「そう。不律。あなたは少し変わりましたね。その時は期待していますよ」
無意味な煩悶に抗って、歯を食いしばり絞り出すように言う俺に、優はかすかながら満足げな笑みを浮かべた。
それが優から出されたテストであったことに、この直後に気が付かされることになった。
お読みいただき有難うございました。




