第4話 怪異を追う
朝景が本に没頭していると、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「怪異が現れた! 人が襲われているそうだ!」
声を聞いた朝景は、素早く立ち上がって廊下に出た。
陰陽師たちが誰が行くか話し合っている間に、廊下を走り抜ける姿があった。
晴明だった。
朝景も慌てて晴明の後を追いかけるが、彼は馬に飛び乗ると、息つく暇もなく駆け出していった。
「借りるぞ!」
「え?」
朝景も飼丁に声をかけ、馬に飛び乗って駆け出した。
幼い頃から乗馬の訓練はしていたが、晴明の早さに追いつくことはできなかった。
「くそっ!」
朝景は悔しい気持ちになりながら、晴明を見失わないように駆け抜けた。
二人が現場へ向かうと、夜にも関わらず人だかりができていた。
ちょうど住宅地で事件が起きたから、物音でみんな目を覚ましたらしい。
晴明の登場に、「陰陽師様が来てくださった」と安堵の声が聞こえてきた。
「これは……」
しゃがみ込む晴明の横で、朝景は右手で口元を覆い顔をしかめた。
遺体は服装から男性と判別できるものの、顔は潰れ、四肢はあらぬ方向に折れ曲がり、酷い有様だった。人の手でできることではない。
「何か物音は聞きましたか?」
晴明が周りの人だかりに声をかけた。
「ええ、おどろおどろしい声で、『弱いからやられるんだ』と」
年かさの男性の発言に、周りの者も頷いている。
あとは男性の「やめてくれ!」という叫び声と共に、何か折れる音が聞こえたという。
「そうですか」
晴明が礼を告げたところで、他の陰陽師たちが駆けつけた。
「今日はもう遅いですから、みなさんお帰りください。陰陽師が見回りをしますので、今夜は心配せずとも大丈夫です」
「ああ……、ありがとうございます」
人々が家へと帰る中、晴明は陰陽師たちに何やら指示をしていた。
それが終わると、晴明は乗ってきた馬に飛び乗った。
「どこに行くんだ?」
ずっと見守っていた朝景が、声を掛ける。
「帰ります」
「は? 帰る?」
「ええ。今日できることは、もうありませんから」
晴明の馬が動き始めたので、朝景も慌てて飛び乗って横に並んだ。
「どうして何もすることがないんだ?」
「……」
晴明はチラリと朝景を見た後、ひとつため息を吐いて話を始めた。
「あれだけ人がいたのに、襲われたのは遺体となった男性だけでした。ということは、怪異は特定の人物を狙って襲っているということです。流石にそれを調べるのに、夜中は適していませんから」
「なるほど……」
「でも、少し急いで調べた方がいいでしょうね」
「どうしてだ?」
晴明は真っすぐ前を見たまま、いつもの平静な声で答えた。
「怪異の声が能力のない人に聞こえるということは……、相手はそれだけ大きな力を持っているということだからです」
「……」
朝景は危険な存在との戦いに、自然と緊張を覚えた。
それに気づいたのか、晴明がふっと表情を和らげた。懐から何かを取り出すと、手を伸ばして朝景に渡す。
「とりあえず、今日はこれを体に軽く撒いてから、屋敷に戻ってください」
「なんだこれは?」
「塩です。遺体の傍に居ましたからね」
用意の良い晴明に、朝景は軽く目を見開いて驚いた。
「すまないな」
「いえ」
話していると、ちょうど晴明の屋敷に着いた。
「それでは、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
朝景は晴明の背を見送った後、自分も屋敷へと戻っていった。
まだ日が昇って間もない頃、朝景は晴明の屋敷を訪ねた。
「流石に早すぎないですか?」
晴明はそう文句を言いつつ、支度を済ませると朝景と事件現場に向かった。
「護衛なしで出てきて大丈夫なのですか? それに、毎回一番上の者が出てくる必要はないのでは?」
晴明は馬を走らせながら隣を見た。
「ごろつき相手に勝てるぐらいには武芸を身に着けているから大丈夫だ。それに、現場の指揮官も任されているからな。俺が出る必要があるんだ」
「……」
そういうものだろうか。
晴明には朝景自身の武芸の腕前も、皇族が現場に行くのが普通のことなのかも分からなかったので、それ以上口を挟むことはなかった。
二人は現場に到着すると、遺体となった男について、周囲の人々に聞いて回った。
「あぁ、もしかしたら磯六かもしれねぇなぁ」
八百屋の店主が、そう口にした。
体格や着ている服なんかが、似ていたというのだ。
「その人はどんな人でしたか?」
「そうさなぁ……。ろくでもなかったのは確かだよ」
磯六は気の弱い男を殴っては、金銭を強請って集めていたらしい。
「そういえば、最近仲間の一人も遺体で発見されたって聞いたぞ。あいつも人に殺されたんじゃなくて、怪異に殺されたのかもしれねぇな」
晴明は同じように聞き込みを行っていた陰陽師を呼び止め、最近殺された人間についての情報を集めるよう指示した。
店主は人相を知っていても、磯六以外の仲間の名前は知らないようだった。
晴明たちは磯六たちが集まっていた酒場へと向かった。
「ああ、よく来ていたよ」
酒場の店主は、料理の仕込みをしながら頷いた。
磯六は三人で集まってよく酒を飲んでいたようだ。
「金払いは良かったから出入りは禁止にしなかったけど、たまに酔っぱらい同士で揉めることがあってな。それには迷惑したよ」
「磯六以外の名前は分かりますか?」
「ああ、確か……。恒孝、静稀だったかな?」
「彼らの家はわかりますか?」
「俺にはちょっとわからねぇな。あー、飛脚の茂三なら、知ってるかもな」
話を聞きに行こうとしたところで、朝景の腹の虫が鳴いた。
朝景の頬が、さっと赤くなる。
「~っ! 朝ご飯を忘れたんだ」
晴明は呆れたように笑った。
「来るのが早すぎなんですよ」
とりあえず二人は腹ごしらえをすることにした。
朝景がどこでもいいというので、二人は飯屋に入った。比較的綺麗な店に入ったとはいえ、皇族が来るような高級店ではない。朝景は物珍しいのか、辺りをきょろきょろ見ている。
「他のところに行きましょうか?」
「いや、ここでいい」
晴明はこそっと声をかけるが、朝景は首を横に振った。
店内では店員たちが忙しそうに料理を運び、客も食べ終えると次々に席を立っていく。
せわしない空気の中、晴明たちが注文した飯と汁、焼いた魚も、すぐに運ばれてくる。
「お前はこういう店によく来るのか?」
「そうですね」
晴明は魚をほぐしながら頷いた。
「怪異を探しているときは時間に余裕がないので、もっと庶民的な店にも行きますよ。周りから浮いて、視線を向けられますが」
「まぁ、そうだろうな」
晴明も貴族なので、そりゃ庶民の店にいては浮くだろう。本人はあまり気にしていなさそうだが。
今日は朝景もいるので、一応気を遣って店を選んだようだ。
「……俺は邪魔になっているか?」
晴明は驚き、箸を止めて前を向いた。朝景は俯きながら、同じように魚をほぐしている。
晴明は少しだけ、どうしたものかと考えた。正直言って一人で動いた方が早いのは確かだった。しかし、この皇族にしては妙に素直で、どこか子供っぽさを感じる相手を、傷つけたいとは思わなかった。
「……別に邪魔ではないですよ」
結局、晴明に言えるのはそれだけだった。
「そうか」
それでも朝景は嬉しそうに微笑んだ。
店を出ると、ちょうど二人を探していた友教と会った。
友教が調べたところ、やはり恒孝が何者かに殺されていたらしい。遺体は馬車に轢かれたような酷い有様だったという。
静稀の住まいを調べたというので、三人で訪ねることになった。相変わらず友教は、二人に緊張している様子だった。
「お前、あいつに対しても緊張しすぎじゃないか?」
「え!?」
友教は朝景に突然声をかけられ、飛び上がらんばかりに驚いた。
「同僚なんだろう?」
「そ、それはそうですが」
友教はもごもごしながら、前をすたすた歩く晴明の背中を見る。
少しだけ声を落とすと、話を続けた。
「やはり、晴明殿は凄い方ですから」
友教の声には、尊敬の念が滲んでいた。
「そんなに凄いのか?」
「はい。陰陽寮にあの方に敵う方はいません」
「……」
朝景も晴明の背中を見た。
みなが凄いと褒める晴明の実力はいかようなものか。彼がどんな戦いをするのかが気になった。
三人が静稀の家に向かうと、「うわぁっ!」と男の叫び声が聞こえてきた。
晴明たちは急いで駆け出した。
「なんだあれは……」
朝景が見たのは怪物だった。
人のような姿形をしているが、顔面が奇妙に獣の顔と混ざっている。
「やめてくれ!!」
その怪物が地面に倒れた男を襲っていた。
「前後駈除!」
晴明が札を投げつけると、「ぐわぁっ!」と声を上げて、怪物が逃げ出した。
「後は頼みます!」
「晴明!」
朝景が呼び止めるのも気にせず、晴明は怪物を追いかけて駆けていった。
どうすべきか迷っていると、友教が襲われた人に駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
声をかけるが、男からの反応はない。
首から血を吹き出していて、医者ではなくても、助かる見込みが低いことが分かった。
「か、かつの……」
「え?」
男はそれだけ口にすると、目を閉じた。
友教が何度呼びかけても反応がない。
「……」
目の前で人が死んだことに、朝景は言いようのない感情を抱いた。
その場を駆け出し、晴明が向かった方角に足を向ける。
朝景が追いつくと、森の中で晴明は怪異と対峙していた。
緊迫した空気に声をかけることができない。
怪異は恐ろしい形相で、低く唸りながら晴明の隙を窺っている。
晴明も札を手にしたまま、静かに怪物の動きを見ていた。
その時だった。
「おかあさん、おかあさん……」
背後から、幼い声が聞こえた。
振り返ると、そこには膝から血を流し、服を汚した幼子が泣きながら立っていた。
どうやら森に迷い込んでしまったらしい。
晴明が幼子に気を取られた一瞬、怪異は煙のように姿を消してしまった。
「ふぅ……」
晴明は息を吐いて気を取り直すと、幼子に近づいた。
「どうしました?」
「お母さんがいない……」
ぐすぐす泣く幼子に、晴明は手を差し出した。
「お兄さんと一緒に探しましょうか」
「うん……」
様子を伺っていた朝景は、二人に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「私は大丈夫です」
晴明はそう答え、逃げていった方角を見る。
これからどうしようか考えていると、朝景が口を開いた。
「そういえば亡くなる前に、あの男が『かつの』と口にしていた」
「『かつの』……。なんのことか分からないので、とりあえず尋ねて回りましょうか」
二人は、恒孝が口にした『かつの』について、心当たりがないか聞いて回った。
「ああ、それなら、『かつのり』じゃないか?」
教えてくれたのは、この町をまとめている男だった。
「かつのり……、それはどのような人物ですか?」
男は少しだけ悲しそうな顔をしながら話した。
勝則というのは、近所にある反物屋の主人の息子の名前だった。
裕福で気の弱い勝則は、柄の悪い男たちの格好の標的だった。
「磯六たち……、あの連中に目をつけられてからは、暴力を振るわれ、何度も金を奪われていたようだ。最後は地面にあった石に頭をぶつけちまったみたいで。……当たり所が悪かったんだろうよ」
「なら、どうして彼らは逮捕されなかったんですか?」
「犯行時刻に一緒にいたと証言した女がいたんだ」
「女性ですか?」
晴明の問いに、男が頷く。
「ああ。磯六が熱を上げていた女だ。いろんな男と浮名を流していてな、男たちから貢がれていた。磯六が勝則から奪った金も、その女に流れていたんだろうさ」
「そうですか……」
なんともやるせない話だった。
「……このまま復讐をやらせてやればいいんじゃないか?」
町を取りまとめている男と別れた後、朝景はポツリと呟いた。勝則に同情しているのかもしれない。
「それは無理ですね」
「どうしてだ?」
一方の晴明は、淡々と否定した。
「復讐が終わった怪異を放置すれば、無差別に人を襲うようになるからです。今でも力が強いのに、制御が利かなくなれば、祓うのも容易ではなくなります」
「そうか……」
朝景は気持ちを落ち着かせるように、はぁっとため息を吐いた。




