第2話 都帰りの皇子
朝景と重成は、安倍晴明に助けられた礼を改めて伝え、後日必ず礼をすると約束して別れた。
次の日の早朝、朝景は朝廷へ向かった。久しぶりに訪れたそこは、どこか暗く冷たい空気が漂っている場所だった。幼い頃もそうだっただろうかと思い出そうとしたが、遠い記憶は簡単には呼び戻せなかった。
まず父である兼衡帝に会おうとした。しかし、面会を申し出ても、政務が立て込んでいるという理由で断られてしまう。
「少しも時間は取れないのか?」
「申し訳ございませんが……」
帝に取次ぎを頼んだ官人に頭を下げられ、朝景は言葉を失った。
長年地方にいて、久しぶりに会う息子なのだ。父親なら、少しでも会いたいと思うものではないのか。
朝景はぎゅっと手を握りしめ、怒りとも悲しみともつかない気持ちを堪えた。
「邪魔をした……」
朝景はその場を離れると、自分の屋敷に戻ろうとした。すると、向こうから、正妃で第一皇子の母である清原雅子が歩いてきた。
「まあ、朝景ではないですか? 見違えるほど成長しましたね」
雅子は涙目で朝景に触れると、怪我などはないか、向こうではきちんと食事を取れていたのかと、心配そうに声をかけた。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。お陰様で、問題なく過ごしていました」
朝景は礼儀正しく頭を下げた。
「そう、それなら良かったわ」
雅子は嬉しそうに微笑んだ。
朝景は頭を下げながら、逃げ出しそうになる足を踏ん張っていた。雅子の表情は心優しい母親のそれだが、目の奥には隠しきれない冷たさがあった。
朝景は、昔からこの女が苦手だった。
「……それでは用事がありますので、これで失礼します」
「まあ、そう。長く引き留めてごめんなさいね」
朝景は視線を下げたまま、足早にその場を立ち去った。
翌日。
朝景は朝廷へ呼び出された。
そこに帝の姿はなく、公卿の中臣 頼房が朝景を待っていた。
「朝景様、おはようございます」
「ああ。……それで話とは」
頼房は朝景に向き直ると、淡々と話し始めた。
「近頃、都では怪異による騒ぎが相次いでおります」
頼房は、怪異への対策として、陰陽寮と合同で任務にあたる武官の組織を新たに設けることになったと告げた。
戦いに巻き込まれそうな民間人の避難誘導や、危険な建物の撤去、陰陽師の手助けなどが任務の内容だった。
そして、その責任者と現場の指揮を朝景に任せるという。
話を聞いた朝景の胸に、憤りが込み上げた。
怪異を相手にする任務なので、万が一ということもある。しかも、主な任務は雑務ばかりで、皇族である自分がわざわざ指揮を執らなければならない仕事だとは思わなかった。
だが、文句を言っても仕方がないことは、長年の経験から分かっていた。
こんな時、母がいてくれたらと思ってしまう。どうして俺だけを残して逝ってしまったんだ……。
そう考えて、朝景は首を振った。いない人間のことを考えても仕方がなかった。
「……謹んでお受けいたします」
朝景は苦々しく歪んだ顔を見られないように、深く頭を下げた。
「くそっ!」
自室に戻った朝景は、烏帽子を床に投げ捨てた。
「朝景様……」
すぐに重成も部屋へ入り、朝景の様子を窺った。
朝景は重成を気にする余裕もなく、どかっと窓際に座り込んだ。
「都に戻された理由は分かりましたか?」
機嫌の悪い朝景はいつものことで、重成は臆せず、近くに座りながら尋ねた。
「ああ」
朝景は朝廷で任命されたことを話した。
重成はぎゅっと眉を寄せる。
「朝景様は見えますが、祓えないじゃないですか」
「ああ。そうだ。だから何かあれば逃げまどうしかない」
「……」
話を聞いた重成も腹を立てた。なぜ、そんな危険な役を第二皇子に任せるのか。
重成にとって朝景は、仕える主人であると同時に、幼い頃からの大切な友人でもあった。そんな朝景を危険な任務に就かせたまま、黙って見ていることなどできなかった。
朝景がこの任務に就くことになった経緯を、一度自分なりに調べてみよう。
重成はそう心に決めた。
「そう言えば、この間出会った安倍晴明殿は陰陽師ですよね」
重成の脳裏に、飄々とした男の姿が浮かんだ。
「ああ、そうだな」
「それなら一度、助けを求めてみるのはいかがですか?」
「なんだと?」
朝景は怪訝な顔になった。
「もしかしたら、防御になりそうなものを授けてくださるかもしれません。どちらにしろ、お礼のために、会いに行くつもりだったのですから」
「……」
重成に言われて、朝景は考えた。
わざわざ助けを求めるのは癪だが、ついでに頼むくらいなら悪くない気がした。
「そうだな。一度行ってみるか」
「はい」
朝景たちは、とりあえず手土産に酒を持ち、陰陽寮を訪れた。
しかし……、
「今日は晴明殿はお休みで……」
「休みか」
朝景たちは残念な気持ちになるが、確認しなかったこちらが悪いのだ。礼を告げて陰陽寮を後にすると、その足で晴明の屋敷を訪ねた。
入り口で応答してくれたのは、晴明が見せてくれた式神の女官だった。晴明に用があると言えば、本人に確認する間もなく中へ案内する。確認を取らなくていいのかと心配していると、晴明が庭先に座り、煙管を吹かしているのが見えた。
「お前、煙管なんぞ吸うんだな」
突然来訪した朝景の不躾な質問にも、晴明は怒ったりしなかった。
「ああ。魔除けになるんです」
「魔除けに?」
「はい」
晴明はそれ以上説明しようとはしなかった。
基本的に、彼は口数の少ない男だった。
「何か御用ですか?」
晴明は煙管の灰を落とすと、朝景たちに向き合った。
「この間の礼だ」
晴明はパチパチと目を瞬いた後、差し出された酒を受け取った。
「わざわざありがとうございます」
「そう言えば、お前……、酒は飲むか?」
朝景の質問に、晴明は楽しげに笑った。
「そういうことは、贈る前に聞きませんか?」
「うっ」
言葉に詰まる朝景に、晴明は「大丈夫ですよ」と優しく声をかけた。
「たまに飲みますから」
「そうか……」
朝景は安心したように息を吐く。
「それで、他にも何か御用が?」
晴明にはお見通しのようだった。
「それは私から話します」
重成は手を上げると、晴明に事のあらましを話した。
「防御ですか……。そういえば、朝景親王は怪異に襲われたことはありますか?」
「ある」
「怪我は?」
「……」
晴明に質問されて、朝景は軽く自分の半生を振り返った。
怪異が現れて怯えたことも、この間のように危険な目に遭ったこともある。だが、自分だけは不思議と怪我をしたことがなかった。
「ないな」
「それなら……、何かお守りとかをお持ちですか?」
「ああ。持ってるぞ」
朝景が取り出したのは、ぼろぼろで今にも崩れそうなお守りだった。
「亡くなった母が作ってくれたものだ。重成が直してきた」
「少し拝見しても?」
「いいぞ」
晴明は慎重な手で受け取った。
両面を見た後、頷く。
「あなたはお母様に守られていたんですね」
「え?」
朝景は戸惑った声を上げた。
「お母様に守られていたから、今まで無事だったんです。お守りがここまでぼろぼろになったのも、そのせいですね」
「……」
朝景は、まさか亡くなった母が自分を守ってくれていたなんて思わず、言葉を失った。
母への恨み言を一瞬でも思ってしまったのが、情けなく感じた。
「それ……、直せるか?」
お守りは継ぎ接ぎが目立つだけでなく、布が糸くずとして零れ落ちそうなほど脆かった。
「このまま別の袋に入れましょう」
晴明は立ち上がると別室に行き、すぐに戻ってきた。
「どうぞ」
朝景は渡されたお守りを受け取った。
お守りの袋には、綺麗な花が刺繍されていた。
「これは?」
「蓮の花を模したものです。少しは効果が上がると思いますよ」
「かたじけない」
朝景が素直に礼を言うと、晴明は僅かに口角を上げた。
「これで、朝景様は大丈夫なのでしょうか?」
横で見守っていた重成が心配そうに声を上げた。
「いえ。この世に完全に怪異を防ぐものなんてありません。防ぐ力より相手の方が強ければ、攻撃を受けてしまいます」
晴明は静かに首を横に振った。
「そんな……」
重成は言葉を失った。
「それに、建物が崩れて下敷きになれば死にますし、守りの隙間を掻い潜って直接攻撃を受けることもあります」
「それならどうすれば……」
晴明は立ち上がると、酒器を用意して戻ってきた。
朝景が持ってきた酒をみなに配る。
「後悔のないように生きることですね」
晴明はお猪口を持ち、乾杯をするように僅かに手を上げて呷った。
重成が不安そうな顔をしていると、晴明は再び口を開いた。
「あとは、あまり前に出過ぎないことです」
「というと?」
「怪異と戦うのは、陰陽師の役目ですから」
そうして微笑む晴明は、細身の体に似合わない気迫を漂わせていた。




