3
「ねぇ、その生贄ってどういうこと?」
お姉さんはその話に興味があるのか、少し身を乗り出して私に尋ねる。
「……私、……第三王子と婚約するんでふ……。殿下は、ずっと縁談が決まらなかったようで、最後に、私に話が回ってきたんでふよ……。うちは名門とは名ばかり、ただの貧乏伯爵家で……、私は、借金を肩代わりしてもらう代わりに、王家に売られた……ってわけなんでふ……っ、ぐすっ」
話せば話すほど惨めで、涙が止めどなく溢れた。
「……そりゃ、王家のご意向に背くわけにはいかないですし、伯爵家のためには……、ありがたい話なのは、たしかでふが……」
あれだけ、家のため、家族のために働いてきたのに、私は売られるだけの存在だった。
それが、私の胸を締め付ける。
「……なるほど。急に決まったから、何事かと思ったら……」
お姉さんは顎に手を当て、真剣な表情で考え事をしている。
「……どうしました……?」
私が声をかけると、お姉さんは慌てたように笑顔を作る。
「い、いいえ。大変だったわね……。あなた一人で全部背負ってきたのね。……とても立派だわ、誰でもできることじゃない」
「うぅ……、はい……」
私はハンカチで涙を拭い、頷く。
「よく、頑張ったわね」
優しく微笑まれると、ますます涙が流れてしまう。
「ぐっ、お、おねぇさ……ん……っ」
「ほらほら、よしよし」
お姉さんは、白く長い指で私の頭を撫でてくれる。
私はこうやって誰かに、認めてほしかったんだ。
今までの頑張りを肯定された気がして、心につかえていたものが、すっと消えていく。
「……ところで、あなたはどう思っているの? その、第三王子のこと……」
「……どう、とは?」
「ほら、醜い変人引きこもりとか……、噂があるでしょ?」
お姉さんに言われ、ルイエス殿下の噂のことを思い出した。
私が社交界へデビューした時には、すでに殿下は引きこもっていて、醜い変人という噂は広まっていた。
社交界の噂に疎い、私にも届くくらいに。
(こんなに誰でも知ってるような、噂なのですわね……)
「……醜いとか変人というのは、……分かりません。私は直接お会いしたことはありませんので。……ただ、王子の責務を放棄して、引きこもっているのは、問題だと思いますわ……」
私が正直に意見を述べると、お姉さんは一瞬目を見開いたあと、苦笑する。
「たしかにね。……耳が痛いな……」
「……でも、私も……、他人のことは言えませんわ……」
「え?」
「私も、令嬢としての責務を投げ出して、家出してるのですから……」
「……」
その時、マスターがエールを持ってきてくれた。
私はグビグビと煽り、ドンとテーブルにグラスを置いた。
しばらく黙り込んでいたお姉さんが、ゆっくりと口を開く。
「ねぇ……、私の話も……聞いてくれる?」
そう言ってテーブルの上で指を組み、静かに語り始める。
「実は……、私も、引きこもりだったの……」
「えぇ!? お姉さんが?」
驚いて声を上げてしまった。私が想像していた、引きこもりそうな人物とはイメージが違うからだ。
「えぇ。幼少の頃から、老若男女問わず言い寄られたり、逆に嫉妬されて悪評を立てられたりで、人間不信になってしまって。人と接するのが怖くて、部屋から出られなくなってしまったのよ……」
(え、幼少の頃から、老若男女問わず言い寄られる!? それは……、お姉さんの美貌と、色気ならありえそうですわ……)
とても衝撃的なことだが、納得せざるを得ない。
オレンジ色のランプの灯りが、お姉さんの切なげな横顔を照らしている。
「それから数年たったある日、兄から街に出てみないかと誘われて、変装して出たのがきっかけで、街に出ることができたの。……不思議と、別人になれば人が怖くなくてね」
お姉さんは口元に薄く笑みを浮かべた。
「そうだったんですね……。……ん? 別人?」
どういう意味だろうと、私は首を傾げる。
「あ、いえ、何でもないわ」
お姉さんは慌てたように、長い指先を振った。
「……私は……役立たず……なんだ……」
お姉さんは何かを呟き、顔を伏せる。私にはよく分からないが、彼女が必死にもがいているように見えた。
きっと、人の好意も悪意も、全て一人で受け止めてしまったんだろう。それで耐えられなくなった。
儚げに微笑む彼女を見ていると、とても優しく繊細な人なのだと感じる。
「お姉さんは優しくて、聞き上手ですし、包容力もありますし、同性としても憧れちゃいますよ。だから、みんな、好きになっちゃうんですね! 私もお姉さんに出会えてよかったです! でも、好かれすぎるのも困りますよねぇ、勉強になりましたわ……」
私の言葉に、お姉さんは呆気に取られたようにまばたきを繰り返す。
そして、彼女の雰囲気がスッと変わった。
(……え?)
さっきまでとは比べ物にならないほどの色香を漂わせ、距離を詰めてくる。
「……うふふふっ、あなたって、ほーんと、可愛い」
お姉さんは妖艶な笑みを浮かべ、私の髪をその白く長い指でそっと触れる。
人を惑わすような瞳とは不釣り合いな、上品で清涼な香りが鼻を掠めた。
赤い唇が私の耳元に近づいて、少しハスキーな声で優しく囁く。
「……好きになっちゃいそう……」
(お、お、お姉さん……っ!? わ、私は……っ)
ドキドキと鼓動がうるさいくらい高鳴って、目の前がぐるぐると回る。
「わ、わた……っ、あ、あれれ……?」
お姉さんの顔がだんだんとぼやけて、瞼が重くなる。
意識が途切れる瞬間、お姉さんの声を聞いた気がしたが、私には聞き取れなかった。
「……おやすみ、婚約者殿」
薄く瞼を開けると、日差しが眩しい。目が慣れてくると、見慣れない天井が見えた。
「……? ここは……?」
ゆっくりと起き上がると、ズキッと頭に痛みが走る。
「――痛っ」
こめかみを抑えながら辺りを見回すと、やはり見覚えのない場所だった。
私の寝ているベッドが一つと、小さなテーブルがあるだけの、小さな部屋。
どこかの宿屋かもしれないが、どうしてここにいるのか、思い出せない。
「うーん、昨日は家出して、それで街に来て、お姉さんと出会って……あ! お姉さん! ――うっ」
大きな声を出すと、また痛みが響く。
頭を押さえていると、ベッドのサイドテーブルの上に、水の入ったグラスと一枚の紙が置いてあるのに気づいた。
『おはよう。昨夜は楽しかったわ、ありがとう。これ飲んでね、ルイ』
昨日は酔っぱらって、途中で寝てしまったようだ。お姉さんがここへ運んでくれたんだろうか。
(……お姉さんには、ご迷惑ばかりかけてしまったわ……)
お礼を言いたいのだけど、また会えるだろうか。
寝落ちする前の、お姉さんとの出来事を思い返す。
少し細められたアメジストのような瞳は、とても色っぽくて。
『……好きになっちゃいそう……』
耳元で囁かれた声が鮮明に思い出されて、顔が沸騰するように熱くなる。
「いやいやいや、あれは、きっと……ど、同性として、その、友人的な意味ですわよ! そうですわ!」
自分を納得させる。
私はグラスを取ると、一気に水を飲み干す。熱くなった顔が冷えて、頭も覚めた。
昨夜の酒場の上は、宿屋になっていたらしい。階段を降りると、昨夜のマスターがカウンターにいた。
「あぁ、お嬢ちゃん、起きたか。昨夜はだいぶ酔っていたようだが、大丈夫かい?」
「……は、はい。大丈夫ですわ……」
昨夜の失態を見られていたのが恥ずかしくて、曖昧に微笑む。
「あの、ところで、宿代はおいくらですか?」
「お代はルイ嬢からもらってるよ」
「え? お姉さんが!?」
昨夜は夕食を奢ってもらっただけでなく、宿代まで払ってもらったなんて申し訳ない。やっぱり、お姉さんに返さないといけないだろう。
「あの、お姉さん……ルイさんは、どこにいらっしゃるか分かりますか?」
私が尋ねると、マスターは首を横に振った。
「さぁな。俺が知ってんのは名前だけさ。他は何を聞いてもはぐらかされるんだよな」
(え……、そんな……っ)




