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トランクに数枚の服を詰める。もしも時のためにとコツコツ貯めた銅貨と、数枚の銀貨の入った巾着を持ち、私は夕闇の中を飛び出した。
貴族街を、誰にも見つからないように、こっそりと抜ける。
まずは、今夜泊まる宿屋を探さなければならない。
王都の中心の市場街に行けば、宿屋が見つかるだろうかと、そちらに向かうことにした。
「え? 銀貨五枚ですか?」
やっと宿屋を探して入ると、思いの外、値段が高い。
今日で銀貨五枚も使うと、この先が心配だった。
私は宿屋に泊まるのを諦め、野宿することに決める。
(今夜くらい、どうにかなりますわよね……。明日、住み込みで働けるところを探しましょう)
雨風をしのげるところを探して路地裏に入ると、後ろから足音が近づいてくる。
(……?)
私が止まると、その足音も止まる。
何とも言えない気持ち悪さと、恐怖を感じて、私は走り出した。
後ろの足音も追ってくる。
(……ヤダっ。こ、怖い……っ)
私は月明かりの照らされた薄暗い道を、必死に走った。
――角を曲がった瞬間、突然腕を引かれる。
私は物置の箱の陰へ引っ張られ、そして後ろから口を塞がれる。
「――んぐ!?」
(……やっ、何!?)
もしかして捕まったと思い、抵抗しようとしたその時、
「――しっ、静かに」
耳元で囁かれる。ふわりと清涼感のある香りに包まれた。
しばらくすると、バタバタと足音を立てて二人組の男が走ってくる。
「くそ、どこ行った!? 見失ったか!?」
「女一人じゃ、そう遠くは行けねぇだろうさ」
そう言って男達は通り過ぎていった。
(……やっぱり、追われていたんですの……!?)
ゾクッと身体が震える。
耳元で小さく息を吐く声が聞こえた。
「……ふぅ。行ったか……」
私の口を押さえていた手が離される。
もしかして、助けてくれたんだろうか。
振り返ると、月明かりに肩までの金髪を輝かせた、色白の美女がいた。
思わず息を呑む。
(な、なんて綺麗な人……っ)
私が見惚れていると、その美女は戸惑いを見せ、長い前髪を横に流す。
その仕草がやけに色っぽい。
「どうしたの? 大丈夫?」
私は我に返り、助けてくれたお礼を言う。
「あ……、はい。た、助けてくださって、ありがとうございました」
「いいえ。でも、驚いたわ、追われてるから。こんな夜に女性が一人で出歩いているなんて、危ないわよ。……立てる?」
美女は立ち上がると、私に手を差し出す。私は出された手を取り、立ち上がる。私より少し大きくて、スラリと長い指だった。
彼女は私よりも頭一つほど背が高く、異国の服装のような、ゆったりとした変わった服を纏っていた。耳には、スティックイヤリングが揺れている。
私よりも、少し年上に見えた。
「あ、ありがとうございます。たしかに……そうですよね……」
さっきの男たちは私を尾行していたようだし、やっぱり宿屋に泊まるべきだった。
「……あなた、貴族令嬢よね? 一人なの? 護衛は?」
美女は顎に手を当て、私の姿を見つめている。
貴族だと、バレている。でも、たしかに使い古しのワンピースでも、平民の着る服装とは違うだろう。
私は誤魔化さず、正直に話すことにした。
こんなにすぐに人を信用するのは、危険かもしれないが、今頼れる人がこのお姉さん以外いなかった。
「実は……、色々ありまして、家出をしてるんです」
「え!? 家出!? それはちょっと、危ないわよ! 行く当てはあるの?」
私は首を横に振る。
「本当は、宿屋に泊まるつもりだったのですが、銀貨五枚と言われまして……」
「銀貨五枚!? ちょっとそれは、ふっかけられたわね。この辺りの宿屋は銀貨二枚が相場よ?」
「え!? 銀貨二枚ですか!?」
私は驚いて声を上げる。
さっきの宿屋の主人が提示した金額と、全然違う。
「……えぇ、よくあるのよ。何も知らない貴族令嬢は狙われるわよ」
私は彼女の言葉に頷いた。
「……なるほど。勉強になりましたわ」
「ふふっ、勉強って、面白いわね。騙されそうになったというのにっ」
お姉さんは口元を押さえ、笑い出す。
その笑い方もどこか気品があって、彼女も貴族出身なのではと思えた。
「あの……」
尋ねようとした、その時、ぐ〜っと私のお腹が鳴る。
そういえば、夕食を食べずに飛び出してきたので、お腹がペコペコだ。
(は、恥ずかしいですわ……)
私はお腹を押さえて、俯く。
「ふふっ。じゃあ、まずは夕食に行きましょう? お近づきの印に、私が食事を奢ってあげるわ」
「え!? いいえ! 助けていただいたのに、そんなことまで、申し訳ありませんわっ」
私は手を振って断るが、お姉さんは私の手首を掴む。
「ほらほら、行くわよ。オススメのお店があるのよ〜」
そう言って、私を引っ張って歩き出した。
到着したのは、庶民の酒場のようなお店だった。大勢の人で賑わっている。
このようなお店に入ったのは初めてだ。
奥に進むと、カウンター越しにいた顎髭を生やした店主らしき人が、こちらに気付く。
「あぁ、ルイ嬢いらっしゃい。今夜は連れがいるのか?」
(ルイ嬢……? お姉さんの名前?)
「そうよ。マスター、奥空いてる?」
「空いてるよ、使うかい?」
マスターはそう言って、親指で奥を指差す。
お姉さんはこのお店の常連のようで、マスターとも親しげだった。
「えぇ、ありがとう。じゃ、行きましょう」
私は奥に進むお姉さんの後をついて行く。
奥は個室になっていて、壁際に付けたテーブルに、椅子が二脚横並びに置いてあった。
お姉さんは座ると、隣の椅子をぽんぽんと叩く。
「さぁ、どうぞ、座って」
私は言われた通り、隣に腰掛ける。
「ここの料理は絶品なのよ。何か食べたいものある?」
「え? 私は分からないですし、何でも大丈夫ですわ」
「そう? じゃあ、私のオススメでいいかしら? お酒は飲める?」
「はい、少しですが」
「ふふっ、りょ〜かい」
そう言ってお姉さんはウインクすると、店員にオーダーする。
(う、……なんだろう、この妙な色気は。同性なのに、ちょっとドキッとしましたわ……)
しばらくすると、煮込み料理に、ソーセージなど、色々な料理が運ばれてくる。スパイスのような香りが食欲をそそる。
大きなグラスに入った黄色の液体の上には、白い泡が浮かんでいた。
「じゃあ、グラス持って。乾杯しよっか?」
「は、はい……」
お姉さんに促され、私はグラスを持つ。
「この素敵な出会いに、乾杯!」
「乾杯……」
カチンッ。ぎごちなくグラスをぶつける。
お姉さんがグラスに口を付けたのを確認してから、私もおもむろに口を付ける。エールを飲むのは初めてだった。
喉に泡がねっとりと絡みつくような、感覚。
(うぐ!? に、にが……っ)
私がグラスを置くと、お姉さんがこちらを見て吹き出した。
「ふふっ、ほら、お髭になってるわよ? かわい〜」
そう言って、長い指で私の唇の上をそっと撫でた。
私の顔が、かっと熱くなる。
「へ!? す、すみません! ふ、拭きますわっ」
私は慌ててハンカチを取り出して、口の周りを拭った。
(いちいち、色気を振りまくの、やめてください〜)
「じゃあ、食べましょう?」
「は、はい、いただきます……」
私たちは食事を始めるのだった。
ダンッ!
私はグラスをテーブルに打ちつけるように、置いた。
「でっ、何にもしないんでふよ! みぃんな、私ばっかりに押し付けてっ! って、お姉さん、聞いてまふ!?」
私が詰め寄ると、お姉さんは苦笑いを浮かべて頷く。
「えぇ、き、聞いてるわ……」
私がグラスに口を付けて傾けるが、一滴も出ない。
「ん? ……エール、おかわりくださぁい!」
私はカウンターのマスターに聞こえるように、大きな声で注文する。
「ちょ、ちょっとペース速くない? そろそろやめた方がいいわよ……」
「はぁ? 何言ってんでふか、うるはいでふよ!」
「さすがに、飲みすぎよ……」
酔いが回りすぎたのか、急に第三王子との婚約のことを思い出して、涙が溢れる。
「……うぐっ、わたひ……、王家の生贄なんでふよぉ……うっ」
「え!? 生贄!?」




